レイフ・GW・ペーション『許されざる者』などのスウェーデン・ミステリの翻訳で活躍されている久山さんが、1歳児の娘の理想の子育て環境を求めて東京からスウェーデンに移住されたのは2010年のこと。
 スウェーデンの空港に到着した久山さん一家を出迎えてくれたのが夫の上司でした。それからもその上司にはいろいろとお世話になり、恩返しに和食をふるまうことになったものの、そこには数多の困難が待ち受けていて……。
 書籍には収録しきれなかったエピソードをこの『Webミステリーズ!』だけで公開します。
 どうぞお楽しみください! 


【スウェーデンで和食をふるまう】

 スウェーデンに引っ越してきた当初、夫の上司には本当にお世話になった。そもそも夫にスウェーデンでの仕事を確保してくれたのもその上司だった。彼としては、ここに来るきっかけを作ったのは自分だから、最後まで面倒をみなければという責任感もあったのかもしれない。右も左もわからないわたしたちを、いつも助けてくれた。今思えば、それはここのノルランド地方の人らしい気質とも言える。昔から厳しい気候の中で生きてきたノルランドの人たちは、無口でありながらやるべきことはしっかりやるのを美徳としているのだ。
 いつかその上司に恩返しを……と思っていたところ、ふいにそのチャンスが訪れた。彼にはお料理上手な奥さんがいて、頻繁に友人夫妻を何組か自宅に招いてはグルメな食事会を開催しているらしいのだが、あるとき「今度の週末、よかったら食事においでよ」とわたしたちも誘ってくれたのだ。ここは普段お世話になっている恩返しとばかりに、わたしは「じゃあわたしたちに料理を作らせて」と申し出た。日本に住んでいた頃もたまに家に友人を招いては、イタリア育ちの夫とともに前菜・パスタ・肉料理・デザートなんかを用意したことがある。だから自信満々に引き受けたまではよかったのだが……。なんと上司が無邪気な顔で「じゃあ、ぜひ日本の料理で」と言い出したのだ。
 こちらの人が“日本の料理”と聞いてまず思い浮かべるのはスシだ。次に思い浮かべるのも……やはりスシ。今ではラーメンやオコノミヤキを知っている人も増えたが、当時はまだまだだった。とにかくスシが流行っていて、日本=スシという感じ。時代は変わったものだ。わたしが留学していた90年代には、日本人は魚を生で食べる野蛮な人種だと思われていて、「わたしたちの身体は生の魚なんて受けつけないと思う」と本気で言う人もいたくらいなのに(しかしスウェーデン伝統料理のマリネサーモン、あれは生だと思うのだが……)。それが今回スウェーデンに来てみると、そこらじゅうスシ・レストランだらけで驚いた。店の数は中華料理店よりも多いのではないだろうか。もっとも、日本人がスシを握っているわけではない。握っているのは中国人とかパキスタン人とかアラブ人とかさまざまで、移民が経営する安いレストランという位置づけだ(一人二千円以下で食事できるレストランは、スウェーデンでは安い部類に入る)。以前はチャイニーズだった店が、スシに転身したところも多いらしい。スシのほうが調理が簡単だし、利益率もいいのだろう。
 以前スシ・レストランで、地下のトイレに行くついでに廊下でスーパーの冷凍食品売り場のような大きな冷蔵庫を見かけた。その中ではすでにスライスされた刺身が一枚一枚パックされて凍っていた。この状態でレストランに運ばれてくるなら、必要な分だけ解凍して酢飯にのっければいいだけ。わたしでも経営できそうな手軽さだ。
 このスシブームに乗じて、スーパーでもスシライスと名付けられた日本米や、のり、ガリ、米酢などが売られていて、家でスシを握って楽しむご家庭も多いようだ。「いちばん好きな食べ物はスシ」と宣言する子供もたくさんいる。それほどスシがブームの今、日本人は週に一度は家で寿司を握っていると思われているような気がする。しかし実際のところ、わたしは寿司など握ったことはない。日本にいたころ寿司といえば、夕食を作るのが面倒くさい日に気軽に回転ずしに行くか、特別なときに奮発してカウンターのあるお寿司屋さんに行くかのどちらかで、家で作る料理だという認識がなかった。だって、シャリを握れるようになるにはまず十年くらい修行しなきゃいけないんじゃないの? なんて、日本人だからこそ敷居の高いスシ・クッキング。手巻き寿司ならわたしでも用意できそうだが、こちらでは個人で入手できる魚はサーモンくらいしかない。それではあまりに寂しすぎる。そのサーモンにしても、スーパーの魚売り場で刺身のパックが売られているわけではない。焼いて食べることもできる大きな切り身が売られているだけ。刺身にしたければ、寄生虫を殺すためにそれを3日以上冷凍させてからスライスするのだ。当時は味噌も手に入らなかったから、味噌汁も作れない。上司からの無言の期待を感じつつも、申し訳ないがスシは却下させていただいた。
 かといって何を作ればよいのやら。どんな料理でも、ここでは手に入らない材料が必ずある。例えばお好み焼き。キャベツや青ネギやベーコンはあるが、肝心のお好み焼きソースがない。青のりや鰹節ももちろん売っていない。日本風のカレーを作ろうにもルーがない。肉ならいくらでも売っているが、塊肉かひき肉ばかりで、日本のあのペラペラに薄いスライス肉はないから、すき焼きもしゃぶしゃぶも豚の生姜焼きも肉じゃがも作れない。トンカツやチキンカツなら作れるが、とんかつソースがない。とんかつソースがなかったら、ヨーロッパでよくあるシュニッツェルとあまり変わらないし……。
 食事会に招かれているのは大人8人およびその子供たち8人。彼らが生まれて初めて食べる和食。ひょっとすると、これが人生で最初で最後の体験になるのかもしれない。わたしの作った料理で和食全体に対する印象と評価が決まるかもと思うと、相当なプレッシャーだった。
 あれこれ考えた挙句、天ぷらならば作れるかも、と思いついた。天ぷらなら手に入る食材を揚げればいいだけだし、当面の自炊用に出汁をとるための鰹節を少し持参していたので、天つゆを作ることはできる。テンプラという単語はこちらでも少しは知られているので、“日本食を食べた”という気分になってもらえるのではないか。
 お宅にお邪魔する前に、買い出しのため上司が郊外の大型スーパーへ連れて行ってくれた。それまでは街中の小さなスーパーにしか行ったことがなかったわたしは、大型スーパーなら豊富に食材があるのでは――という期待に胸を膨らませた。ところが魚売り場を覗いても、天ぷらの主役とも言うべきエビがみつからない。ロブスターや手長エビならあるのに。日本人にとってのエビ――つまりクルマエビ――は、環境に優しくない漁法で捕獲されているのでスウェーデンではほとんど食べられないということはあとになって知った。スーパーによっては冷凍コーナーに少し売っているくらいで、レストランでも中華などの外国料理でしか出てこない。逆にスウェーデンでエビと言えば甘エビで、新鮮なものが頭や殻がついた状態で売られている。仕方ないので、それを買うことにした。こうして、てんぷらの主役はかき揚げに格下げされた。あとはスウェーデンの白身魚の代表格タラ、初めて見るシイタケに似た形のきのこ、さやえんどう、さつまいも……はあまりおいしくなさそうなのでいちばん甘い種類のじゃがいも、無理やりだがズッキーニ、水っぽそうな巨大なナス、カリフラワーなどを購入した。子供もいることだし、少しは肉料理もあったほうがいいかなと思い、肉売り場も覗いてみた。すると、こちらレーヴビフと呼ばれる薄切りの牛肉があった。これを玉ねぎと炒めてだしと醤油で味付けをしたら、牛丼の具みたいになるかもしれない。もはやなんの料理だかわからないが、味としてはザ・和食な感じでよいだろうと自分を説得して購入した。
 上司宅に到着してみると、改装したばかりだというキッチンはオープンキッチンになっていて、雑誌に出てきそうなおしゃれな空間だった。広いダイニングにはテーブルが二台。十五人は座れそうだ。そこにワイングラスやナフキンが並んでいる。アイランド型のシミひとつない調理台に立ち、さっそく料理を開始した。普段から料理好きを自任する夫だが、イタリア料理しか作れないので今日は役に立たない。子供の世話に専念してもらうことにした。まずは甘エビの殻むき……それだけで一時間くらいかかったのではないだろうか。そのうちにゲストが続々と登場。わたしたちより少し年上の、おしゃれで知的そうなご夫婦ばかりだ。女性のひとりは、地元新聞の記者だった。職業までかっこいい。それ以外の女性たちも、上司の奥さんを含めてフルタイムで働いている。みんなのスウェーデン語がまだつたない上に無職のわたしは、ただただ劣等感に見舞われながら、黙々と料理を続けた。甘エビの頭は素揚げにして、塩を振っておつまみに。
 天ぷら自体は可もなく不可もなく揚がったが、肝心の天つゆを作ろうとしたときに問題が発生した。出汁をとったはいいが、そもそもお酒もみりんもない上に、「お醤油どこですか?」と聞くと、「え? お醤油なんてうちにあったかしら?」という応えが返ってきた。しまった。スウェーデンに来て間もないわたしは、〝家に醤油がない”という状況を想定していなかった。スーパーではキッコーマンの醤油が売っていたので、あれを買ってくればよかった。しかし時すでに遅し。上司の奥さんがあわててキッチンの棚の中を探すと、“チャイニーズ醤油”というラベルのついた瓶が出てきた。同じ醤油でも、日本のと中国のでは味にどういう違いがあるのだろう――。その違いを確認する暇もなく、出汁にチャイニーズ醤油を流し込み、なんとか天つゆらしきものを完成させた。
 皆さんを大変お待たせして、やっと料理がすべてテーブルに並んだ。モダンな北欧ブランドの大皿に山のような天ぷらがのっている。天つゆをお配りして、自分でも一切れ食べてみた、が……味がしない。チャイニーズ醤油とやらは、キッコーマンの醤油とは塩分濃度がちがったらしく、天つゆはまったく味がしなかった。どす黒くなるほどの量の醤油を入れなければいけなかったのだろう。スウェーデン人の皆さんは、「テンプラとは、揚げた魚や野菜を味のしない水みたいなソースにつけて食べるものなの?」と思ったはずだ。“牛丼の具みたいなの”のほうは、薄切り肉とはいえど日本のよりぶ厚い上に完全なる赤身肉で、煮込むと噛み切れないほど硬くなっていた。皆美味しい美味しいと言いながら食べてくれたが、どう考えてもお世辞だ。ブリジット・ジョーンズが作った伝説のブルー・スープが頭をよぎった。わたしはいちおう既婚者で子供もいて、ブリジットよりも料理歴は長いはずなのに……。意外にも、海老の頭の素揚げは、皆素直に美味しいと感動したようだった。「普段わたしたちが捨てているものを、こんなふうに食べるのね!」という斬新さもあってのことだとは思うが。
 こうしてわたしの和食クッキングデビューは大失敗に終わった。そしてそれからも、スウェーデンでいかに和食を再現するかという試行錯誤は続いた。