
【はじめに 不思議な海外SFを探したり読んだり】
【第1回 クイズに答えてSF博士になろう】
【第2回 超人作家シルヴァーバーグ】
【第3回 隕石衝突から始まるヒーローの系譜】
【第4回 SFの料理と饗宴】
【第5回 もうひとつの『高い城の男』】
SF不思議図書館 愛しのジャンク・ブック
第6回 音楽とSFの交叉点
小山 正 tadashi OYAMA
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第6回 音楽とSFの交叉点
小山 正 tadashi OYAMA
1 マイケル・ムアコックの新譜CD!
「SF不思議図書館」が所蔵するのは書籍だけではない。関連するレコード、CD、ビデオ、DVDなども可能な限り網羅するのが、当図書館の方針である。
その視聴覚コーナーに最近加わったのが、2018年に発売された音楽CD An Alien Heat(輸入盤のみ・Gonzo Multimedia)。アーティストは〈スピリッツ・バーニング&マイケル・ムアコック〉――なんと、英国SF界の大御所ムアコックが、作詞とヴォーカルを担当したアルバムなのだ。80歳近い彼が、バンドのメンバーと一緒に歌い、ハーモニカ演奏まで披露している。いやあ、元気だなあ!

1939年生まれのムアコックは、1950年代末から小説を書き始め、以降数多くの作品を発表。1964年からはSF雑誌〈ニュー・ワールズ〉の編集長としても活躍した。執筆・編集活動は多忙を極めたが、SFと同じように音楽を愛する彼は、ミュージシャンになりたいという夢を忘れることなく、バンド仲間との交流を続けていく。
1960年代末、後に〈ホークウィンド〉というプログレッシブ・ロックバンドを結成することになるメンバーに出会ったムアコックは、彼らとともにステージに立つ。メンバーではなかったが、欠員のたびにヴォーカルを担当し、〈ホークウィンド〉が正式に結成された1970年以降も、彼らのアルバムに歌詞を提供したり、LPのコンセプト作り等を手がけた。そして、1975年には自身のバンド〈ディープフィックス〉を立ち上げ、ヴォーカル以外にもギター、マンドリン、バンジョーを担当する。そんなムアコックが、今もなお若き日の情熱を失うことなく、バンド活動を続けているのだ。
こうしてリリースされたLPやCDのなかに、彼自身の小説世界を映像化ならぬ「音楽化」した、一連の作品群がある。
例えば――〈ホークウィンド〉の初期アルバムSpace Ritual(1975・日本盤タイトル『宇宙の祭典』)。その6曲目 "The Black Corridor"(邦題「黒い回廊」)では、ムアコックの長篇SF『暗黒の廻廊』(1969)に登場する詩が、宇宙の闇を感じさせる無機質な効果音と、ノイズのようなギター・サウンドをバックに、厳かに読み上げられる。
Space is infinite, it is dark 宇宙は果てしなく、そして暗い
Space is neutral, it is cold 宇宙は公平で、そして冷たい
Stars occupy minute areas of space 星々はほんのわずかな空間だけを占めている
They are clustered a few billion here こちらに数兆、あちらに数兆と
And a few billion there 群れ集まっている
As if seeking consolation in numbers まるで数多さに慰めを見出そうとしているかのように
…………
(『暗黒の廻廊』安田均訳・1983年・早川書房刊より)

『暗黒の廻廊』は、滅亡直前の地球から脱出し、人工冬眠中の13人を乗せて、遙か彼方の惑星ミューニック15040へ向かう巨大宇宙船ホープ・デンプシー号が舞台の宇宙SFである。主人公の指揮官代理ジョン・ライアンは、一人眠らずに航行を管理しているが、壮絶なプレッシャーと孤独のため、次第に精神を病んでいく。
長篇の巻頭とクライマックスで置かれた前述の詩に曲をつけたのが、6曲目 "The Black Corridor" だ。朗読者はムアコック自身。彼の朗々たる声が、大宇宙の寂寞さをじんわりと伝えてくれる。
わが国ではなじみが薄いけれど、欧米の文芸世界では、大勢の観衆の前で作者本人が自作の小説や詩を読み上げ――時には音楽をバックに――それを鑑賞するという「朗読カルチャー」が存在する。言葉を目で読むのではなく、耳から聞き、作者本人の声やトーン、息づかいやリズムで味わうのだ。ムアコックが朗読する "The Black Corridor" も、そんな流れを組む「ポエトリー・リーディング」である。
ちなみに『暗黒の廻廊』は、同じ〈ホークウィンド〉のアルバムDoremi Fasol Latido(1972・日本盤タイトル『ドレミファソラシド』)でも題材になっている。「ドレミファソラシド」というフレーズ自体が、『暗黒の廻廊』の主人公ライアンの意識の流れに現れる散文詩の一節だし、〈ホークウィンド〉の中心メンバー、デイヴ・ブロックが作った2曲目 "Space is Deep"(邦題「深淵なる宇宙」)も、小説の世界観を凝縮した曲である。寂寞とした宇宙の闇と、その中を行く航宙士の孤独な魂が、張りのあるヴォーカルとアコースティックのギター・サウンドで、淀みなく歌われるのだ。
こうした宇宙SFネタやセンス・オブ・ワンダーを扱うロックを、「スペース・ロック」と称することがあるが、そんな「スペース・ロック」の代表作が、1975年に〈ホークウィンド〉が発表したアルバムWarrior on the Edge of Time(日本盤タイトル『絶体絶命』)である。これは、ムアコックの長篇シリーズ《永遠の戦士エレコーゼ》を音楽化したLPで、ムアコックは4つの曲―― "The Wizard Blew His Horn"(邦題「悪魔の角笛」)、"Standing at the Edge"(「窮地」)、"Warriors"(「戦士」)、"Kings of Speed"(「スピード狂のロックンロール」)――に歌詞を提供、最初の3曲で朗読を担っている。

なお、アルバムの最後を飾る "Kings of Speed" は、未訳の長篇シリーズ《ジェリー・コーネリアス》の要素を加え、超絶な早さで星間を航行する宇宙船を描いた曲。疲れたときに聴くと心の栄養がフルチャージできるエネルギッシュなロックである。

1985年に発表された〈ホークウィンド〉のアルバムThe Chronicle of the Black Sword(日本盤タイトル『黒剣年代記~ザ・クロニクル・オブ・ザ・ブラック・ソード』)も、ムアコックの小説世界をベースにしている。こちらは《エルリック・サーガ》の音楽版で、小説に登場する「魔剣ストームブリンガー」をテーマにした歌や、メルニボネの皇帝エルリックのキャラクターを描いた曲など、総計11作品で構成されている。陰陽相和する複雑なヒーローの一代記が、勢いのあるハードロックで描かれるのだ。9曲目の "Sleep Of A Thousand Tears"(邦題「哀しみの眠り」)はムアコックの作詞で、「眠りと夢」がキーワードとなっている《エルリック・サーガ》の長大な世界を、瞬時に感じさせてくれる力強い曲に仕上がっている。
そして最新作が、冒頭でふれたAn Alien Heatなのだ。参加アーティストは、ムアコックに加えて、旧知の〈ホークウィンド〉のメンバーに、1970年代からムアコックが詞を提供したことで付き合いの深いアメリカのバンド〈ブルー・オイスター・カルト〉のメンバー。そしてカリフォルニアのロックバンド〈スピリッツ・バーニング〉の面々。かねてからムアコックと活動をともにする、いわば「ムアコック・ファミリー」ともいうべき音楽仲間たちだ。
バンド活動を始めて50年近いにもかかわらず、ムアコックのノリは一貫して変わらない。しかも今回は、《永遠のチャンピオン》サイクルに属する〈The Dancers at The End of Time(時の終わりの踊り子たち)〉3部作の第1長篇An Alien Heat(異邦人の熱)(ハーパーコリンズ刊・1972・未訳)をもとに構成したアルバムである。
宇宙が終焉を迎えるなか、地球で暮らす「アンチ・ヒーロー」ジェレク・カーネリアンは、19世紀から来た未亡人アメリア・アンダーウッド出会い、時空を超える冒険と恋に挑む――という物語が、『黒剣年代記』と同じように、そのまま楽曲化され、ムアコック自身の歌詞による曲も加えて、全16曲、1時間16分のロック・ミュージックに生まれ変わった。
1曲目の "Hothouse Flowers"(温室の花)は、英国の詩人テオドール・ヴラティスラフ(1871―1933)のソネット "Hothouse Flowers" をそのまま用いた豪快な歌(この詩は長篇An Alien Heatのエピグラフで使われている)。
このソネットは、外から隔絶された温室で咲く花の「弱さと強さ」という二面性を描いた作品で、ムアコックはそんな両面を持つ「花」に、主人公ジェレクにダブらせている。さらにこの第1曲では、そうした19世紀の詩に「スペース・ロック」風のメロディーが付けられており、遠い未来のハイテク・カルチャーと伝奇的な19世紀文化を、ひとつの物語世界で融合させるという小説の趣向を、音楽でも試みているのである。
3曲目の"Soiree of Fire"(炎の夜)は、かつて地球を支配した女王――リャム・タイ・$(ダラー)12.51・カエサル・ロイド・ジョージ・ザトペック女王(なんという変な名前!)――が主催する壮麗なパーティーの様子を描いた楽曲。ムアコックが歌詞を寄せ、しかもハーモニカ演奏まで披露している。力を失いつつある女王の光と翳を感じさせる愁いに満ちた曲で、ヴォーカルを務める女性アン・マリー・カステラーノの澄んだ歌声が胸に沁みる。
過去の傑作Warrior on the Edge of TimeやThe Chronicle of the Black Swordに比べると、An Alien Heatはマイドルな仕上がりながら、CD1枚でムアコックの未訳長篇の片鱗に触れることができるのだから、極めて貴重な音源といえるだろう。
2 デヴィッド・ボウイのSF遍歴
くしくも昨年、An Alien Heatの発売と同じ頃、1冊の本がアメリカで出版された。ロック・ミュージックとSFの関連を論じた研究書Strange Stars: David Bowie,Pop Music,and the Decade Sci-Fi Explodedである(「奇妙なスターたち」ジェイソン・ヘラー著・メルヴィルハウス刊・2018・未訳)。サブタイトルにあるように、ロックスターのデヴィッド・ボウイ(1947―2016)を中心に、1960年代後半から70年代に活躍したミュージシャンたちのSF遍歴が紹介されている。

今さら言うまでもないけれど、ボウイこそ「生けるSF」だった。
初期アルバム『スペイス・オディティ』(1969)では、架空の宇宙飛行士「トム少佐」というキャラクターを自ら演じて、曲を作って歌った。5番目のアルバム『ジギー・スターダスト』(1972)では、自らを異星から来たバイセクシャルのロック・スターというキャラクターに設定し、その異星人の内面を歌にした。7番目の『ダイヤモンドの犬』(1974)では、ジョージ・オーウェルのディストピア長篇『1984』(1949)を題材に、全体主義への憂いを歌に込めた。こうしたセンス・オブ・ワンダーあふれる作風は、生前最後のアルバム『★(ブラックスター)』(2016)でも垣間見られ、音楽好きのSFマニアとっては、特別な存在であり続けた。
ボウイがツアーや撮影に出かける際、本を大量に収めた書棚をわざわざ持参するほどの読書家だったことはよく知られている。過去のインタビューや言行録には、ウィリアム・S・バロウズ、デヴィッド・メルツァー、アレイスター・クロウリー、ライオネル・デヴィッドスン、アンジェラ・カーター、スティーヴン・キング、ピーター・アクロイドといった癖のある作家たちの名前が出てくるし、この研究書Strange Starsでも、ボウイの愛したSF作家の名前が頻出する。
彼は幼い頃からレイ・ブラッドベリや、シオドア・スタージョン、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラーク等の諸作に接していたという。英国のSF専門誌〈ニュー・ワールズ〉〈インパルス〉も購読。脚本家で作家のナイジェル・ニールがシナリオを書き、TVドラマや映画で人気を博した宇宙SF物《クォーターマス》シリーズにも魅せられた。
クラークの長篇『地球幼年期の終わり』(1953)も読んでいて、だからその発展形とも称される映画『2001年宇宙の旅』(1968)に感化されたのは当然で、アルバム『スペイス・オディティ』をレコーディングしたのは、SFファンとしては自然な流れだった。
また、Strange Starsの中で著者ヘラーは、ボウイが1966年に作った"We Are Hungry Men"(第1アルバムDavid Bowieの第6曲)の元ネタは、ハリー・ハリスンの長篇SF『人間がいっぱい』(1966)ではないか、と推理している。
『人間がいっぱい』は単行本になる前に、SF誌〈インパルス〉に連載されており、購読していたボウイはそれをヒントに、人口の爆発的増加で食糧不足になった近未来を描く楽曲We Are Hungry Manを作ったのではないか、と指摘する。
さらにボウイは、ロバート・A・ハインラインの小説がお気に入りで、特に長篇ジュブナイルSF『スターマン・ジョーンズ』(1953)を愛読したという。そういえばボウイの本名は、デヴィッド・ロバート・ヘイワード・ジョーンズだ!

こうした元ネタ探しは、SFに関する知識がないと本当に難しい。著者ヘラーが音楽ファンでもあり、同時にSFマニアでもあることが、ボウイの創作の本質に近づくことを可能にしているのである。そういう意味でStrange Starsは、目から鱗が落ちるような刺激的な書籍なのだ。
Strange Starsで言及されるエピソードではないけれど、ハインラインに関してはこんな逸話が残っている。評伝『デヴィッド・ボウイ 神話の裏側』(ピーター&レニ・ギルマン著・CBSソニー刊・1987・原著1986)によると、ボウイは1973年頃、恒星空間を旅する世代間宇宙船を描いたハインラインの未来史シリーズ長篇『宇宙の孤児』(1963)の映画化権を得た。ボウイは自らが主役を演じ、サントラも制作すると宣言。ボウイ主演の本格的な宇宙SF映画がついに! と思われたが……企画は諸般の事情でボツになったらしい。
ハインラインに関するエピソードをもうひとつ。1978年、ボウイが英国の音楽雑誌〈メロディ・メイカー〉のインタビューを受けた際、彼は『ジギー・スターダスト』に影響を与えたといわれるハインラインの長篇『異星の客』(1961)の話題を降られ、「もし映画化されたら、火星から来た主人公ヴァレンタイン・マイケル・スミスを演じますか?」と聞かれた。その時、彼はこう答えたという。
「『異星の客』には関わりたくなかった。だってちょっとハマリ役過ぎるだろ(短い笑い)」
――『デヴィッド・ボウイ インタヴューズ』
(ショーン・イーガン編・シンコーミュージック刊・2017・原著2015)より
――と言いつつも彼は、もうひとつの『異星の客』ともいうべきウォルター・テヴィスの長篇SF『地球に落ちてきた男』(1963)が1976年に映画化された際、風変わりな異星人トーマス・ジェローム・ニュートンを嬉々として演じている。おいおい、やっぱり演じたかったのだねえ、この手のエイリアンを。
ボウイがハインラインに対する想いを具体的に述べた記録類は今のところ残ってはいない。しかし、アルバムのタイトルに『世界を売った男』と付けたり(ハインラインの短篇「月を売った男」がヒントだろう)、「スターマン」というそのものズバリの楽曲を発表したり――とまあ、ボウイの創作活動のバックボーンに、ハインラインのSF世界が確固として存在していたことは、間違いなさそうだ。
3 SFを愛したミュージシャンたち
Strange Starsを踏まえて、SF好きミュージシャンたちの逸話やエピソードを、もう少しご紹介したい。
例えば、伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリックス。彼もまたSF作品をヒントに楽曲を練った一人である。
ジョージ・R・スチュワートの長篇SF『大地は永遠(とわ)に』(1949)をはじめ、数々のSF作品に触れていたジミは、フィリップ・ホセ・ファーマーの長篇Night of Light(光の夜)(1957・未訳)に衝撃を受け、楽曲 "Purple Haze"(日本盤タイトル「紫のけむり」「パープル・ヘイズ」)を作った。
Night of Lightは、宇宙を旅するカモーディー神父の活躍を描く宗教的SFシリーズのひとつで、サイケデリックな体験を誘う「紫色の霞」を放射する恒星が舞台。ジミの代表作の元ネタが、実はファーマーだった、というのがビックリである。
偉大なロックバンド〈ピンク・フロイド〉もSFと縁が深い。これは、メンバーのシド・バレットとロジャー・ウォーターズが熱烈なSFマニアだったことが大きい。
例えば、バレット主導で作られたデビュー・アルバムThe Piper at the Gate of Dawn(1967・日本盤タイトル『夜明けの口笛吹き』)。1曲目の "Astromony Domine" (邦題「天の支配」)からすでにSF色が濃厚で、ここでは宇宙空間と内面世界の交錯が描かれている。英国のコミック・ヒーロー、ダン・デアーまで登場する奇妙な楽曲なのだ。
7曲目 "Interstellar Overdrive" は、わが国では「星空のドライブ」という軽い邦題で発売されたが、詩の内容はJ・G・バラード的なインナースペースを扱う重い曲。8曲目の "The Gnome"(邦題「地の精」)は、J・R・R・トールキンの長篇ファンタジー『ホビットの冒険』(1937)の初版と第2版に出てくる「地のエルフ(ノーム)」がヒントだそうな(第3版以降は、トールキンがカットしたため、出てこないが……)。
第2アルバムSaucerful of Secrets(1968・日本盤タイトル『神秘』)もSF度が高い。Strange Starsによれば、1曲目 "Let There Be More Light"(邦題「光を求めて」)は、異星人とのファースト・コンタクトを扱った作品だという。確かに歌詞の中に、「天空から巨大な船が舞い降りてコンタクトする」という内容の詞があり、アーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』>に登場する異星人「上主(オーヴァーロード)」を彷彿とさせる。
また、3曲目の "Set the Control of the Heart of the Sun"(邦題「太陽讃歌」)は、マイケル・ムアコックの未訳長篇The Fireclown(炎の道化師)(1965)にインスパイアされた楽曲とのこと。なんとまたしても、ムアコック!
Strange Starsにおいて、デヴィッド・ボウイと〈ピンク・フロイド〉についで記載が多いのが、アメリカのバンド〈ジェファーソン・エアプレイン(後に〈ジェファーソン・エアーシップ〉に改名)〉の主要メンバーの一人、ポール・カントナーに関するエピソードである。
カントナーも熱狂的なSFマニアで、シオドア・スタージョン、カート・ヴォネガット、ジョン・ウィンダム、ロバート・A・ハインライン、アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフといった作家を愛読していたという。
そんな彼が1969年にリリースしたのが、アルバムCrosby, Stills & Nashである(日本盤タイトル『クロスビー・スティルス・アンド・ナッシュ』)。カントナーとアメリカのシンガー・ソング・ライター、デヴィッド・クロスビー、ステーヴン・スティルスの合作だが、6曲目 "Wooden Ship"(邦題「木の舟」)は、英国のSF作家ジョン・ウィンダムの長篇『さなぎ』(1955)からヒントを得ているそうだ。
『さなぎ』はこんな物語である。大いなる〈試練〉の後(核戦争のようなカタストロフィーらしい)、地球の文明は崩壊し、生き残った僅かな人々は中世さながらの生活を営んでいた。テレパシー能力を持った主人公は、その力を隠して暮らしているが、ある日、その能力を用いて新時代を築こうとする人々が、遠い海の向こうに現れたと知る――。
「木の舟」では、彼方から来た人々との出会いと、彼らが乗る謎の「木の舟」、そして主人公が舟と共に旅立つ決意が歌われる。絶望の中でも光を感じさせる叙情的な詩が、哀傷に満ちたメロディーで迫ってくる。
ちなみにカントナーは、『さなぎ』の世界観を、〈ジェファーソン・エアプレイン〉のアルバムCrown of Creation(1968・日本盤タイトル『創造の極致』)で再び用いている。
そんなカントナーのSF趣味は、〈ジェファーソン・スターシップ〉名義のアルバムDragon Fly(1974・日本盤タイトル『ドラゴン・フライ』)でも際立っていた。なんと、ジェイムズ・ブリッシュの《宇宙都市》シリーズが題材となっているのだ。
超光速と反重力の技術、さらに遮蔽効果の開発により「スピンディジー」と呼ばれる星間航法が発達した未来。世界中の都市が巨大な宇宙船のように、疲弊した地球から次々と飛び立っていく。そんな「宇宙都市」の銀河を股にかける冒険を描く宇宙SFが、どのように音楽に変換されたのだろう?
1曲目 "All Fly Away"(邦題「明日に向かって飛べ」)は、大気圏外へと旅立つ「宇宙都市」の壮大さを讃える歌詞でありながら、メロディーは素朴かつ哀愁ただようギター・サウンドで作られている。宇宙SFの真髄を、さわやかに通り過ぎる風のような曲調で描くなんて、まさに神業である。音楽における表現の可能性は、本当に無限なのだなあ、と心から思ってしまう。
カントナーのマニアックなSF志向を極めたのが、1970年に発表されたアルバムBlows Against the Empire(日本盤タイトル『造反の美学/ポール・カントナー・スーパーセッション』)である。原題を訳すと「反帝国の一撃」。力と金が支配する管理社会と、堕落した資本主義帝国アメリカに異を唱え、閉塞状況を打破するために行動を起こして、自由を求めて宇宙に飛び立とう、という内容なのだ。前に紹介したアルバムDragon Flyを、過激かつリアルにリメイクしたアルバムといえるだろう。

全10曲の大部分をカントナーが作詞・作曲している。
1曲目「マウ・マウ」は前奏曲ともいうべき内容で、抑圧と弾圧に抵抗して立ち上がったケニアの独立運動を題材に、人間本位のヒューマニズムを訴える曲。
3曲目の「レッツ・ゴー・トゥゲザー」で、アメリカとの決別を宣言する。
6曲目の「ハイ・ジャック」は、このアルバムの中核をなす曲だ。1980年に建設が始まり、1990年に完成する宇宙船〈スターシップ〉の存在が明らかになる。抵抗勢力が国家の所有する宇宙船を奪い、7000人の市民を乗せて宇宙へと脱出。成功したハイ・ジャックを振り返って、次のような宣言が歌われる。
我々は自由な心のみならず、自由な体、自由な麻薬、自由な音楽を得た。若者たちよ、われわれの時代が来た、と。
10曲目「スターシップ」がラスト・ソング。宇宙を旅する情景が描かれ、未来への希望が託される。われわれは「籠」からも解放され、そして重力からも自由になった。愛する人と一緒に、過去ではなく未来へ向かおう。
挑発的なタイトルとは裏腹に、どのメロディーも抑制がきいている。髪を振り乱して異議を唱えるのではなく、物語性の強い楽曲をもって、冷静かつクールに、人類の進むべき未来を教えてくれるのだ。
詩の内容が文学的で、曲調が流麗であることが評価されたのだろう。このアルバムは1971年のヒューゴー賞にノミネートされた(映像・メディア部門)。惜しくも受賞は逃したが(ちなみにその年の長篇賞はラリー・ニーヴンの『リングワールド』)、ヒューゴー賞に関わった唯一の音楽作品として、SF史に残るアルバムとなった。
なお、このレコードのクレジットには、カート・ヴォネガット、ロバート・A・ハインライン、ジャン=ジュネ、シオドア・スタージョン、A・A・ミルンといった作家たちへの謝辞が載っている。どこまでも活字愛にあふれているのだ。
それにしても、と思う。宇宙への脱出というテーマは、2019年の今、ますますもって現実化してきた。ミチオ・カク博士の最新ノンフィクション『人類、宇宙に住む』(2019・NHK出版・原著2018)には、「地球を離れた人類が宇宙空間でどう生き残るか?」というノウハウが、実用書のごとく記されている。にもかかわらず――50年前のアルバムBlows Against the Empireを改めて聴くと、当時の閉塞的な世界情勢が現在とさほど変わっていないように思えてならない。 宇宙科学の進歩とは裏腹に、カントナーが唱えた「自由の精神」は、停滞したままなのだろう。
4 「SF不思議図書館」の音蔵より①――不条理と夢幻の音楽世界
後半は、「SF不思議図書館」のレコード棚に並ぶLPやCDから、ユニークな作品をいくつかご紹介したい。前項までのロック・ミュージック系とは違う傾向の楽曲を選んでみよう。
まずは――Robert Sheckley's In a Land of Clear ColoursというLP(輸入盤のみ)。1979年に「メッセンジャー」というスペインのレーベルから発売されたレコードで、タイトルを訳すと「ロバート・シェクリーの『澄んだ色の国で』」。異能のSF作家シェクリー(1928―2005)と、英国のミュージシャンで実験的な音楽を得意とするブライアン・イーノ(1948―)がタッグを組んだ、小説付きのアルバムである。

LPに加えて、全48ページでハードカバーのブックレットが、ズシリと重い厚紙製のボックスに入っている。限定版を示す証明書にはシリアルナンバーが記してあり、私のそれは「1,000部中の668番」。ブックレットの大部分を占めるのが、アルバムと同名の中編SF小説で、これがシェクリーの書き下ろしなのだ。レオノール・キレスという女性画家が描くジャケット・イラストと、エロティックな挿絵も、LPボックスを華やかにしている。

「ロバート・シェクリーの」とあるように、このLPが出た頃、彼はすでに巨匠だった。SF専門誌以外にも〈コスモポリタン〉〈プレイボーイ〉などの一流誌に短篇を発表。ユーモアSF長篇Options(オプションズ)(ピラミッドブックス刊・1975・未訳) やThe Alchemical Marriage of Alistair Crompton(アラステア・クロンプトンの錬金術的結婚)(マイケル・ジョゼフ刊・1978・未訳)などを上梓し、独特のユーモア・センスを極めていた。しかし、1970年代半ば以降は放浪癖もあって、以前に比べて執筆量は減り、当時彼はスペインのイビザ島に住んでいた。
シェクリーはその地で、ロックバンド〈キング・クリムゾン〉のメンバーで詩人のピート・シンフィールドに出会う。さらにシンフィールドの音楽仲間だったブライアン・イーノとも知り合った。イーノは新進気鋭のミュージシャンであり、実験的な環境音楽に目覚めていた。そんな彼らが集まって生まれたのが、スペインのレコード会社から発売されたこのLP、Robert Sheckley's In a Land of Clear Coloursである。
レコードは約50分で全12トラック。小説の朗読と音楽で構成され、前者を英国のロックバンド〈キング・クリムゾン〉のメンバーで詩人のピート・シンフィールドが、後者をブライアン・イーノがそれぞれ担当している。
しかし、いきなり朗読と音楽を味わうよりも、シェクリーの小説を読んでからのほうが鑑賞は深まる。この中編は未訳なので、以下に概要を記しておこう。
巻頭にエピグラフが載っている。英国の詩人アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン(1837―1909)の詩集Poems and Ballads(詩とバラード)(1866)に収録されたポエム "Dedication"(献呈)の一節である。タイトルの「In a Land of Clear Colours」は、ここからの引用なのだ。ちなみにダニエル・キイスの傑作SF「アルジャーノンに花束を」(中編版1959、長篇版1966)のネズミの名は、スウィンバーンのファーストネームから取られている。官能的な表現と耽美主義で知られる詩人だが、ということは、このシェクリーの小説もアダルトな味わいがあるのだろうか?
舞台は惑星カルドール5。主人公ゴールドステインは、「第1地球外探査株式会社」のメンバーとして地球から派遣された駐在員だ。惑星には地球人タイプのエイリアンが住んでおり、歓迎された彼は、都市の郊外に地球風の住居を作ってもらう。
この星の住民は首と腕と足に骨がなく、首が180度回る。しかし見た目は地球人と同じ容姿であるため、ゴールドステインはこの惑星の女性ラネアと恋仲になる。しかし、カルドール人はどこか謎めいていた。心の奥で何を考えているのかわからないのだ。2人はコミュニケーションが曖昧なまま日々を過ごす。ゴールドステインは思う。彼女にとって自分は、本当に「恋人」という存在なのか? しかも彼女には、何人もの親がいるという。一体どういうことなのだろう?
また、この惑星の植物は人間のように言葉をしゃべる。ゴールドステインは、起伏のない日常を送る植物たちの暢気な会話を静かに聴くが、ふと疑問を感じる。雨や風について語る彼らの言葉をそのまま受け止めてもよいのだろうか? 彼らが話す平凡な会話が、実は表面的な意味とは違う内容だったとしたら? つまり、さりげない会話の中に、例えば――愛の営みを意味する深いやりとりが、秘められていたとしたら?
ここまでが小説の導入部である。いかにもシェクリーらしい謎に満ちたイントロである。しかも、《AAAエース惑星浄化サービス》シリーズや、短篇集『残酷な方程式』(1971)収録の短篇「ラングラナクの諸相」等でおなじみの、とある惑星を訪れたらトンデモなかった! という惑星訪問奇譚でもあるのだ。
やがてゴールドステインのもとを、カルドール星の男たちが次々に訪れる。50歳代の政府高官ドーニシェと彼の仲間たち。彼らはゴールドステインに対して、ここにいると危険である、と警告するが、それが具体的にどういう意味のかがわからない。やはり言葉のコミュニケーションが上手くいかないのだ。男たちにいろいろと質問をするが、彼らからは「この星には謎が多い。私たちにも説明ができない。そんなものだ」と言われ、煙に巻かれてしまう。
ある日コールドステインは、ラネアと一緒に奇妙な祭りに招待される。祭りが頂点に達した直後、彼らの関係に変化が訪れる。男たちの妻が次々に現れ、ラネアを含む全員での共同生活が始まったのだ。この星の住民には、地球人のような「愛」「恋」「貞操」の概念が無いらしく、男女の乱交や浮気は当たり前で、夫婦同士のスワッピングも平気なのだ。コールドステインも恋人ラネアがいながら、男の妻たちと寝る。
カルドール人は食物に対するタブーも多い。彼らが肉・魚・鳥・野菜を食べないのは、それらが「助けて!」と叫ぶからだという。特別なプラントで作られた「意識のない」食品しか手をつけないのだ。
謎だらけの彼らだが、乱交生活やラネアとの関係に終わりが来る。ラネアは一方的に別れを告げ、コールドステインのもとを去った。残された男たちによると、まもなく〈運命の時〉が来るのだと言う。それが宇宙の法則らしい。
「あなたたちは死ぬのか」とゴールドステインが尋ねると、
「いや死ぬのではない。起こるのは変化だ」と、またしても謎めいたことを言う。
やがて男たちも去り、カルドール人全員が星から消えた。残されたのはコールドステイン1人のみ――。いったい何が起きたのか?
ついに〈運命の時〉が到来したのだ。コールドステインはそれを目のあたりにし、カルドール星の大いなる秘密を知る。この星の生態系には、ある種の宗教的ともいえる法則が働いていた。それは――生きとし生けるものの「輪廻転生(リーンカーネーション)」。この時を境に、すべての生き物が、動物や植物や人間やその他の命のある存在に、劇的に生まれ変わるのだ。すべての謎はそこから生じていた。
このように本作は、ユーモアの衣をまとった不条理譚である。男女のエロティックな場面や星に住む動物たちとの関わりを幻想的に描いた白黒の挿絵も、小説のイメージを見事に補完してくれる。こうしたテキストとイメージを鑑賞したうえで、今度はレコードに針を落としてみたい。
トラック1は、ブライアン・イーノによる序曲。惑星カルドール5を象徴するエレクトリックな電子音響が奏でられる。イーノが得意とする、静かな風景画のような音楽――いわゆる「アンビエント・ミュージック」である。無機質ながら夢幻を感じさせる響きは、シェクリーの奇妙なSF世界にぴったりだ。
トラック2以降は、ピート・シルフィードの朗読にイーノの音楽がBGMとして流れ続ける。わずかにエコーの付いたピートの声質は明瞭で聴きとりやすい。朗読の途中から、眠りを誘うようなイーノの曲が流れ始め、これが繰り返される。次第に現実と夢が交錯する気分になってくる。
以後、各トラックが進むにつれて、声と音が重みを帯びてくる。最初は牧歌的に聞こえた音楽も、無機質に変容し、不気味さが増してくる。シェクリーの物語世界が、イーノの奇妙な音響空間に引きずり込まれていくようだ。
トラック10から12にかけて、ゴールドステインとカルドール人の別れ、そして到来した〈運命の時〉が朗読と音楽で描かれる。惑星の秘密を語るピートの声に合わせて、イーノの奏でるシンセサイザーの静謐な響きが、抑えめに敷き詰められていく。さらに、鳥か獣の鳴き声のような擬音が加わって、ゆったりとした時間を感じさせる空間が、一気に広がっていく。生と死を見つめて佇むゴールドステインを前に、音楽も消えるように終わる――。
シェクリーの小説を、オリジナルの音楽付きで鑑賞するなんて、そうそう体験できるものではない。いや、そもそもこのLPボックスは、劇伴音楽つきの朗読レコードというだけではなく、物語・挿絵・朗読・音楽が一体化する異空間を作ることを意図した総合芸術といえるだろう。
イーノはかつてアルバム(No Pussyfooting)(1973・日本語版タイトル『ノー・プッシィフッティング』)で、"Swaskita Girls"(邦題「スワスティカ・ガール」)という楽曲を作ったが、これはフィリップ・K・ディックの長篇『高い城の男』(1962)へのオマージュであった。彼もまた、これまで紹介したミュージシャンと同じく、SFの深い理解者であるがゆえに、こうしたユニークなアルバムを作ることができたのだろう。
ちなみにこのLPは、1993年、英国のCDレーベル「ヴォイスプリント」からCD化されたことがあるが、復刻は音源のみで、小説と挿絵は添付されなかった。レコードが消えゆくのは仕方がないとして、要となる小説部分がすべてカットされたのは惜しい(権利関係の諸問題でダメだったのかもしれないが――)。
むしろLPの魅力が見直されている今こそ、音と本の融合を試みた本LPボックスの素晴らしさを訴えておきたい。時々中古レコードショップで並ぶことがあるので、お好きな方は探してみてはいかがだろう?
さらに好事家のために記すと、シェクリーのこの中編 "In a Land of Clear Colours"は、トマス・M・ディッシュとチャールズ・ネイラーが1976年に編纂したアンソロジーNew Constellations(新しい星座群)(ハーパー&ロウ刊・未訳)で読むことが可能である。興味のある方は、ぜひ。
5 「SF不思議図書館」の音蔵より②――アーシュラ・ル=グインの音楽世界
最後にご紹介するのは、SF作家アーシュラ・ル=グインが関わった音楽作品の数々である。
不朽の傑作SF『闇の左手』や傑作ファンタジー《ゲド戦記》で名高い彼女もまた、音楽に魅せられた一人であった。そういえば彼女の商業誌デビュー作は、歴史に埋もれた天才作曲家の悲哀を描く短篇「音楽によせて」である(1961・連作短篇集『オルシニア国物語』収録)、また、『ロカノンの世界』『マラフレナ』『所有せざる人々』『幻影の都市』などの長篇や《ゲド戦記》シリーズでも、登場人物が歌う場面が効果的に盛り込まれていた。
ル=グインにとって、そうした音楽との関わりは、活字の世界にとどまるものではない。彼女は次のようなLPやCDの制作に深く携わっている。
(1) Gwilan's Harp and Intracom(1977・LP)
(2)Music and Poetry of the Kesh(1985・カセットテープ)※後にCD化
(3)Rigel 9(1985・LP)※後にCD化
(4)Uses of Music in Uttermost Parts(1995・CD)
それぞれを見ていこう。
(1)のGwilan's Harp and Intracom(グイランのハープ&イントラコム)(1977・輸入盤のみ・発売元Caedmon)は、後に短篇集『コンパス・ローズ』(1982)に収録された短篇「グイランのハープ」と「船内通話器」を、ル=グイン自身が朗読したLPだ。

ル=グインにとっても自作朗読は初体験だったらしく、ジャケット裏のエッセイで、その大変さと恥ずかしさを赤裸々に告白している。しかし彼女の読みは堂に入ったもので、セリフは棒読みではなく、抑揚のある発声で、登場人物たちの心情を見事に演じ分けている。
「グイランのハープ」は楽器のハープが出てくる小説ゆえに、その演奏を交えて朗読されており、テキストの魅力が立体的に味わえる。できあがったLPには、ル=グインも感激したのではないかしら。

ル=グインは当時を回想し、こう述べている。
「サウンド・スタジオで技術者とちょっとした仕事をしてみて、彼らの才能と芸術に深い感銘を受けました。(中略)オーディオ・テープは、もちろん主として、再生し、コピーを無限に作成するために使われます。しかし、これは語る声を扱い、力学や、ピッチチェンジや、ダブルトラッキング、カッティング、またすべての新案器具と音響技術者の技の精妙さと、どんどん精密になってきた器具という財産を利用することで、それ自体が芸術的媒体として使用可能でもあるのです」
――「テクスト 沈黙 パフォーマンス」/『世界の果てでダンス』アーシュラ・K・ル=グイン著・篠目清美訳・白水社・1989)より
Gwilan's Harp and Intracomの次に、ル=グインが関わった音楽作品が、(2)のMusic and Poetry of the Keshである。これは、1985年に上梓した長篇『オールウェイズ・カミングホーム』(1997・平凡社)の付録として一緒に販売された音楽カセットなのだ。

舞台は約2万年後の北カリフォル二アの丘陵地。「ケシュ文化」を継承する人々は、宇宙植民地と繋がる超高度ネットワーク都市から遠く離れて、慎ましく生きていた。
『オールウェイズ・カミングホーム』は、そんな彼らが主人公となる小説部分だけではなく、「ケシュ」にまつわる詩・説話・イラスト・戯曲・地図・楽譜・論文・公文書・用語解説等で構成されており、作品全体が巨大な「民族の未来誌」の観を呈しているのだ。
単行本の「ケシュの楽器」という章には、楽曲で使われる楽器――ホルン、弦楽器、笛、打楽器、等々――がイラスト付きで解説され、演奏記号や符号を記した楽譜まで載っている。
ル=グインは、こうした「ケシュ文化」の音楽を文章だけではなく、実際に曲を作り、それを演奏することで、魅力を伝えようと考えた。彼女は架空のケシュ言語で歌詞を書き、ミュージシャンに曲を依頼。自身も演奏ユニットに加わって、打楽器(太鼓)を奏でた。そうしてレコーディングされた曲はカセットテープに収められ、単行本とセットで発売された。
付録のカセットは全13トラック(3つのBGM付きの朗読と10の楽曲)。シンセサイザー・木管楽器・打楽器・歌で構成される楽曲は、ケルト風のダンス音楽もあれば、虫の声や鳥のさえずりを加えた環境音楽風の曲、不思議な響きのケシャ語民謡、ケシュ文化の神秘を表現する合唱曲など、変化に富んでいる。どの曲も素朴で優しさにあふれており、生の喜びと歌の楽しさを感じさせてくれる。
「オーディオの詩はむろんパフォーマンスではありません。テープを購入すると、あなたがそれを手にするのは再生であり、出来事ではありません。あなたが手にしているのは滅びることのない影です。けれども、すくなくともこれは沈黙してはいません。少なくともそのテクストには生の声が織り込まれています」
――「テクスト 沈黙 パフォーマンス」/『世界の果てでダンス』より
本を開くとそこに、生の声が聞こえる――もうこれは「メディア・ミックス」などという生やさしいものではない。活字と音が瞬時に溶け合う奇跡の瞬間が、ここにはある。
手間暇がかかる音楽を実際に作り、しかも本と一緒に流通させるなんて、たとえ考えついたとしても、簡単にできることではない。ル=グイン先生の妥協しない創作姿勢には頭が下がるばかりだ。
しかし残念ながら、日本語に翻訳された単行本では、この音楽カセットは省かれてしまった。また、本の中で、この音楽は「テープおよびCDで聴くことができる」と記載されているものの、原著刊行時に付録として付けられたのはカセットテープのみで、CDは作られなかった。そんなカセット付きの初版本を手放す読者が少なかったのだろう、欧米では長年にわたって稀覯本となっていた。
が、しかし2018年、このカセットがMusic and Poetry of the Keshのタイトルで遂にCD化されたのだ(輸入盤のみ・発売元Freedom to Spend)。今なら容易に手に入る。ぜひとも小説と一緒にすばらしい音楽をご鑑賞いただきたい。
さて、その次に作られた音楽作品が、最初LPで発売され、後にCD化された(3)のRigel 9(リゲル9)である(1985・輸入盤のみ・発売元Charisma・1997年にヴァージン・レコードがCD化)。 ル=グインがオリジナル脚本を執筆し、かねてからSF好きだった英国の作曲家デヴィッド・ベッドフォードが音楽を付けた、本格的な宇宙ミュージカル・ドラマだ。

3人の宇宙飛行士は、2つの太陽を有し、地上には樹木が茂る惑星リゲル9に到着する。そこに住む異星人とのコンタクトが不調に終わる中、彼らは植物の調査に出向くが、1人が誘拐されてしまう。残された2人は選択を迫られる。彼を救出に向かうべきなのか、それとも、自分たちの命の安全を優先すべきなのか。深い葛藤のすえに、彼らはある結論にたどり着く……。
ル=グインには珍しい派手な活劇で、(1)と(2)よりも音楽が華々しい。主人公たちの芝居にあわせて、ウィンドアンサンブル、シンセサイザー、サキソフォーン、ロックギター、ドラム、弦楽器が鳴り響き、さらに合唱も加わる。1980年代に一世を風靡したロック・ミュージカル『ザ・ウォール』『フェーム』のような曲調といっていい。尺数は約50分。全4幕のドラマにあわせて、全13曲が演奏される。LPの発売後、欧米ではラジオでも放送されたという。
そんなRigel 9は、異文化コミュニケーションの問題や、葛藤のドラマが盛り込まれた、ル=グインらしいSFであった。小説版は存在せず、アルバムでしか聴けないオリジナル・ストーリーなので、作品としても貴重であろう。
そして――最後にご紹介するのが、(5)Uses of Music in Uttermost Parts(最極地における音楽の用途)(1995・輸入盤のみ・発売元Koch)という2枚組のCD。ル=グインが携わった過去のどの音楽作品よりも規模が大きく、全8楽章で演奏時間が100分を超える。しかも、「音楽という存在」そのものが題材になっているのだ。

今回もル=グインがすべての歌詞を書き下ろしている。作曲はアメリカのクラシック音楽家エリノア・アーマー。
舞台は、どこともしれない架空の〈最極地群島〉。8つの島からなっており、この島々を支配するのが、まさに〈音楽〉そのものであった。
楽器やミュージシャンたちがあふれ、島そのものが楽器のようなゲゲ島。
音楽が食べ物になっているホイ島。
音楽がさまざまな気象――雨や風――に変化するオーリング島。
音楽が道路のように移動ルートになるロハス島。
音楽がセックスのように機能するフェロモン島。
音楽が建築物と化しているバーハベル島。
音楽が暗闇を誘うアントリエンタル諸島。
ライナーノーツを頼りに記すと、かなり振り切れた設定であることが分かる。そうした不思議な島々を、美しい詩と楽曲で紹介しつつ、島々を成り立たせている「大いなる音楽の力」を感じよう、というのがアルバムのコンセプトなのだ。
ひとつひとつの島にまつわる情景と、関連するエピソードが詩のテキストになっていて、それをル=グイン自身が力強い声で朗読する。そこにオーケストラの演奏に混声合唱と独唱が加わって、壮大なカンタータが形成されるのだ。
アーマーによるオーケストレーションは、メロディックとはいえない現代音楽なので、聴き慣れない方には難しく感じるかもしれない。しかし、観念的ながら奇天烈なル=グインの詩には、こうした前衛的な曲調が相応しい。結果、彼女の音楽活動を集大成するような傑作に仕上がっている。音楽作品という特殊性ゆえか、彼女の諸作の中でも語られることは少ないけれど、格調の高さは抜群である。機会があったら、ぜひともお聴きいただきたい。
最後におまけの情報を記しておこう。
ル=グインが関係した音楽作品で、まだソフト化されていないのが、中編「失われた楽園」(2002・中短篇集『世界の誕生日』収録)を原作とした全2幕のオペラParadises Lostである。4,000人を乗せて航行する世代間宇宙船ディスカヴァリー号の運命を描いた室内オペラで、アメリカの作曲家スティーヴン・A・テイラーが制作、2012年に米国イリノイ州で初演された。
ル=グインは原作を提供したのみで、シナリオは書いていない。私はまだ観ていないので、なんとも言えないけれども、ル=グインの世界観をどのようにオペラ化したのか、とても気になる。
世代間宇宙船を舞台にした歌劇といえば、スウェーデンの詩人ハリー・マーティンソンが1956年に執筆した長篇詩『アニアーナ』を原作とする同名オペラが著名だが(作曲はカール=ビリエル・ブロムダール、オペラ化は1959年・CDは輸入盤のみ発売)、これとも比較をしてみたい。
Paradises Lostは現在のところ、CDやDVDの発売予定はないようだ。鶴首して待ちたいと思う。