隔月刊でお届けしている『ミステリーズ!』に不定期連載中、編集部Fが出版業界のプロフェッショナルからいろいろ知識を授けてもらうインタビューコーナー「レイコの部屋」より、よりぬきで『Webミステリーズ!』に再掲いたします。
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落ち込んだり呪ったりテレビの画面から抜け出たりしていますが、私は元気です。
「出版界の明日を担う若者に、すぐに役立つ実践的知識とサバイバリズムを叩き込む」を標語にお送りする本コーナー、とうとう看板に偽りなしのお客さんを招きました。
以前当コーナーに軟禁した書籍編集者のお二人――戸川安宣(とがわやすのぶ)さんには70年代の、藤原義也(ふじわらよしや)さんには80年代の出版事情について伺いましたが、私の崇高な意図がインタビューに反映されたかはともかく、今回「90年代の出版」に携わってきた方にお話を伺うべく、慎重に犠牲者を選出しました。文藝春秋で翻訳ミステリを中心に書籍を担当されている、永嶋俊一郎(ながしましゅんいちろう)さんです。
「ミステリーズ!」をお読みのよく訓練されたミステリ読者の方にはいまさら説明は不要かも知れませんが、スティーヴン・キングやジェフリー・ディーヴァー、デイヴィッド・ピース、ボストン・テランにジャック・カーリイといった海外作家の本を手がけているハードコア編集者です。ところで、BABYMETAL が好きって本当ですか?
レイコの部屋 第16回
vs.永嶋俊一郎さん(編集者)
――永嶋さんは1971年生まれということですが、失礼ながら印象として、もっと目上の方だと思っていました。
永嶋さん(以下永)「大学でミステリ研究会に入会したんですが、当時は毎週のようにOBが遊びに来ていたので、60年代生まれの先輩と話すことが多かったせいではないでしょうか」
――文藝春秋に入社されたのは90年代前半ですよね。もうバブルが過ぎ去った頃でしょうか。
永「ちょうど端境(はざかい)期ですね。僕の一つ上が、バブルを享受した最後の世代でしょう。内定が決まると、辞退されないようゴージャスな旅行やら何やらに連れて行ってもらう、みたいなのは僕らの一個上の世代まででした。僕は出版社を含め10社ほど受けたんですが、人事は意外とよく見ているのか(笑)、普通の会社は内定が取れず、結局文藝春秋に入社しました」
――では、もともと編集者志望というわけではない?
永「いや、もちろん漠然とは志望してましたが、決断したのは就職活動をはじめる半月くらい前でしたね。入社してから営業部に三年いまして、そのあと『オール讀物』に移動して2年経ち、98年から翻訳の部署に配属されました」
――『オール』時代、どんな作家さんを担当されていましたか?
永「高橋克彦(たかはしかつひこ)先生など、ベテランの作家さんの原稿を頂くことが多かったです。あ、野坂昭如(のざかあきゆき)先生がいた」
――その後、翻訳を担当されることになって……最初に作られた本って、たしかヘレン・ダンモアの『海に消えた女』(レイコ注・大傑作である)ですよね?
永「またニッチなところを突いてきますね(笑)、隠れた良作ですよね。あれは先任者の引き継ぎで作った本ですが、最初ではないです。異動してから半年くらい経った頃につくった本だと記憶しています。異動して一番最初に企画として出したのがデニス・レヘイン(ルヘイン)だったのはよく憶えてます。権利が空いているかエージェントに聞いたら、すでに角川書店さんが権利を買ってしまってましたが(笑)」
――『スコッチに涙を託して』?(探偵パトリック&アンジーシリーズの第1作)
永「ええ。まだ Lehane の読み方すらわからなかった頃ですね。自分の企画で最初に本になったは、フィリップ・ナットマンのゾンビホラー『ウェットワーク』。あと、初めて出張で行った海外のブックフェアで見つけたロブ・ライアンですね」
――『アンダードッグス』の! 大好きですよ。アウトローたちと児童文学のモチーフをクロスオーバーさせる作風で、『アンダー~』は『不思議の国のアリス』とマンハント、『9ミリの挽歌』は『くまのプーさん』と復讐譚、『硝煙のトランザム』は『ピーターパン』と人身売買! いやー良かったなあ。
永「冒険小説としてもしっかりしていますしね。あの頃は一番冒険小説が不遇のタイミングでしたから、そういう意味でも、こういう試みの作品は、今紹介されたほうが真っ当に評価されたかも、という気もします」
――ブックフェアのお話が出ましたが、いつもどのように出版する本を選ばれるんでしょう?
永「翻訳エージェンシー(レイコ注・国内にあるエージェントが、海外で見つけてきた期待の作品を出版社に売り込み、編集者は作品を検討して、出版したいと思ったらオファーを出します。もちろん他の出版社とオファーがぶつかることもあり)経由で紹介されたものが六割以上でしょうか。ブックフェアでは、膨大なカタログから出版社・権利者が選んだ本が紹介されますが、当然、向こうが紹介しない本も色々ある。そういうものの中にも日本で売れる可能性のあるものはきっとあるので、現地の書店で見つけてぴんときた本を打ち合わせ時にリクエストすることもあります」
――書店だと、ベストセラーリストにないものも直に見られますし、本の佇まいを確認できますね。そういった作品で、実際に出版に至ったものを一冊挙げてください。
――またゾンビか!
永「だって好きなんですものゾンビ(笑)。なのでロンドンで個人的な趣味で買って、ブックフェアのあるフランクフルトまでのあいだに読んだのですが、かなり内容がしっかりしている。で、ブックフェアで扱いのあるエージェントと面談したら、カタログには載ってるのに案の定ひとことも説明しやがらない(笑)。それで安値で買えたんですが、正直、ゾンビ小説がちゃんと受けるかどうか自信はありませんでしたね。本当に個人的趣味で出しちゃったわけです。ところが出してみれば映画やゲーム、マンガやラノベなど近接する層のマニアが予想以上に注目してくれました」
――そういえば、P・G・ウッドハウスなどの古典作品も担当されていましたが、もともとお好きだったんですか?
永「ウッドハウスは企画の持ち込みがあって……そもそも別の件の売り込みだったかな、それで話しているうちにウッドハウスにめちゃくちゃ通暁(つうぎょう)している方だとわかって、『やりましょう』となったんじゃなかったかなあ。その頃はウッドハウスが一冊も手に入らなくなっていた時期なので、これも僕が個人的に読みたかったんですよ。でもノワールやスプラッタパンク・ホラーとちがって、僕自身はウッドハウスの全容などまるでわからないから、自宅の原書本棚から出して企画する、というわけにはいかない。そんなところにウッドハウス通で翻訳も上手なかたがやってきたわけですよ。単行本を企画したら、刊行の2、3か月前に国書刊行会からもウッドハウスが出ることを知ってびっくりしました」
――無版権だとそういう事故が時折ありますよね。こわい。
永「ただ、それでお客さんを食い合ったというマイナスの感覚はないですね」
――はっ、そういえば90年代の出版事情を聞くという大義を見失うところでした。98年より翻訳の部署に移られたということで、ちょっと時代は下ってしまうのですが……この頃何が流行(はや)っていましたっけ。リーガルサスペンスとか?
永「リーガルはもうちょっと前ですね。94年にアンドリュー・ヴァクス『凶手』が、96年にノワール隆盛のきっかけとなったジェイムズ・エルロイ『ホワイト・ジャズ』が刊行され、同年、国内では馳星周(はせせいしゅう)さんの『不夜城』が高く評価されて、一部の人がノワールに注目し始めた時期だったかと」
――あれ、ヴァクスは『赤毛のストレーガ』『ブルー・ベル』もう書いていましたよね。
永「ええ。ハードボイルドというか、小鷹信光(こだかのぶみつ)さんの仰(おっしゃ)るところの〈ポスト・ネオ・ハードボイルド〉として高く評価されていましたね。ヴァクス、そしてジョナサン・ケラーマン。まだノワールというジャンルはそれほど注目されていなかった」
――90年代後半の「このミステリーがすごい!」のベストテンを見ているだけで結構面白いですね。ノワールでいうとデイヴィッド・ピースが99年デビュー、2001年にトンプスン『ポップ1280』がこのミス1位、そして02年に永嶋さんが担当されたボストン・テラン『神は銃弾』がこのミス1位にランクインします。
永「2000年前後の翻訳ミステリは割とカオティックでしたよ。03年のこのミス1位はジェレミー・ドロンフィールド『飛蝗(ばった)の農場』でしたし」
――90年代は『薔薇の名前』に始まり、『策謀と欲望』『骨と沈黙』など巨匠の大作、あるいは『ストーン・シティ』『シンプル・プラン』など大型新人が満を持して一位を取るという印象があったのですが。
永「その後のゼロ年代は、いわゆる巨匠不在の時代だったように思います。若いところではディーヴァーがいましたが、キングもちょっと方向が変わって、エルロイはお休みをしていて。『翻訳ミステリはしんどい』と言われるようになったのもこの時期で、一度『このミス』ベストテンに入った作品を、属性ごとに振り分けて検証してみたことがあります。印象的だったのは、『冬の時代』の高まりがクラシックミステリのランクイン作品数の増加と相関していたことです。僕もマニアなので自戒をこめて言えば、評価軸がマニアックになりすぎたんでしょうね。
バークリーの『第二の銃声』や『最上階の殺人』といった作品は本当に面白かった。僕も、世界探偵小説全集は全巻、書庫の最良の場所に並べてます。ただこれは、幻の名盤の『紙ジャケ再発』や『リマスター盤』みたいなもので、それをふつうにミステリを読んでいるひとが買うかというと土俵(どひょう)がちがってくると思うんです。そこを業界にいる僕たち自身が見誤ったと思う。藤原義也さんの仕事の凄さを踏まえて、じゃあ俺たちはどういうふうに海外ミステリを推してゆくのか、シーンを持続可能に発展させていけるのか、というのに無自覚だったと思いますね。まあ、この時期に大型の海外作家がいたかというと、それも難しいですが……良い作家はいても、世代を背負える作家はどれだけいただろうかと。
――地味に良い作家、というのはやはりその言葉通りになってしまう。
永「また、一方で98年ごろから、各社の翻訳編集者も世代交代がそれぞれあったので、バブル期の遺産――たとえば高額の前払い金(アドバンス)で取得された作品や話題作とはまた違う、編集者が自分で選んだ作品が紹介されはじめた時期でもあったと思います。また、この頃からインターネットが発達し、Eメールで連絡が簡便化されたことや、海外の情報がリアルタイムで届くようになってだいぶ変わったと思います」
――98年から数えると、17年近く翻訳作品を担当しているわけですよね。累計……
永「年間で10冊くらい担当しているので、200冊前後ですかね」
――その中で、ご自身にとって転機となった作品と言えば、どれでしょうか。
――『神は銃弾』はその散文詩的な書き方も含めて、すごいなあと思いました。どういう出会い方をしたんですか?
永「前任者がリクエストだけ出していたのを、何か凄そうと思って買った……はずです。田口俊樹(たぐちとしき)さんの訳が好きだったので翻訳をお願いしたんですが、訳稿を頂いて読むと衝撃的でしたね。プロットはシンプルなのに、ものすごく……変な文章としか言いようがない(笑)」
――本作りやゲラ作業は大変でしたか?
永「文章の細部をブラッシュアップするご相談はしました。テランは、悪文なんですよ。でも、そこに独特のパワーがある。そういう悪文性を日本語にも残しつつ、そのなかのカッコよさも出してゆく。その点で田口さんは見事に応えてくださったと思っています。僕はむしろ『もっとやっちゃって大丈夫っすよ』みたいに田口さんをけしかけた、みたいな感じですね。テランは『虎よ、虎よ!』じゃないですけど、視覚と触覚とか、感覚を入れ替えるような手口で直喩(ちょくゆ)表現をしたり、とにかく不思議な書き方をするので、それをつかむまではなかなか難物でした。まあでも、ノワールで一点突破するということで、本作りに迷うことはなかったです」
――テランの名前が出たところで、同時期にめきめき評価の上がったディーヴァーの話も伺いたいです。
永「僕は〈リンカーン・ライム・シリーズ〉7作目の『ウォッチメイカー』からの担当ですね」
――2010年来日の際、アテンド(レイコ注・えーと、投げやりに言うと同伴出勤みたいなもの)されたと聞いていますが。
永「めちゃくちゃいい人でしたよ。来日中も、ほぼ夕方にはホテルに帰って執筆していました。銀座の三越(みつこし)にお買いものをつきあったら、ヘンケルの包丁や日本酒の枡(ます)を買い求めていました」
――だから『ゴースト・スナイパー』には貝印(かいじるし)の包丁で人を殺す暗殺者が出てくる(笑)。他にお会いになった作家さんで、印象的な人といえば?
永「エルロイには二度会いました。最初はエージェントの家に行ったら引き合わせられて、二度目はインタビューのときでした。すごく大柄で、良い声をしている」
――やっぱりヤバそうでした?
永「劇場型というか、どこまで素かわからない。面白い人でしたが、かなり自分のキャラクターに対して意識的だと感じました。皆の考えるジェイムズ・エルロイを演じている、みたいな」
――前に同僚と話したとき、『キラー・オン・ザ・ロード』で二人の殺人鬼が出会うのが物語のページのちょうど半分のところで、すごく構造を意識している作家と指摘されてびっくりしたのですが。
永「よくわかります。ちょっとパラノイア的なところがある。小説も、アウトラインを数百ページつくって、それにきっちり従って書いているようです」
――エルロイはいつから担当を?
永「『ビッグ・ノーウェア』の文庫化からで、単行本で一から担当したのは『わが母なる暗黒』が最初です。『ホワイト・ジャズ』の文庫化は特に思い入れがありますね」
――『ホワイト・ジャズ』は記号が入り乱れていて、大文字やイタリックが本文に鏤(ちりば)められている、きわめて特異な文体で書かれています。日本では、冲方丁(うぶかたとう)さんがこの文体を敷衍(ふえん)して書かれたりしていますが、海外ではどうなんでしょう。
――『ホワイト・ジャズ』は記号が入り乱れていて、大文字やイタリックが本文に鏤(ちりば)められている、きわめて特異な文体で書かれています。日本では、冲方丁(うぶかたとう)さんがこの文体を敷衍(ふえん)して書かれたりしていますが、海外ではどうなんでしょう。
永「表面上はわからないですね。デイヴィッド・ピースは意外とエルロイとはスタイルが違っていて、強(し)いて言うならケン・ブルーウンとか。でも、エルロイもジャズ文体は『ホワイト・ジャズ』以外ではほぼ使っていませんね。『アメリカン・デス・トリップ』ではちょっと使っているけどだいぶニュアンスは違っているし。本人も『ジャズの文体は一回きりだ』といっています」
――もうすこし新しい年代の話もしましょうか。
永「2010年前後で印象的なのは、やはりトム・ロブ・スミス『チャイルド44』とスティーグ・ラーソン〈ミレニアム〉という怪物ですね」
――一方は旧ソ連時代の幼児連続殺人で、もう一方は北欧ミステリ。今までだったら絶対売れないパターン認定です。
――でも、永嶋さんも版権取得に動かれたんですよね?
永「(即答)だってソ連で連続殺人っていったら完全チカチーロじゃないですが」
――看過できない(笑)。
永「なにしろチカチーロですから(笑)。もちろん、冒険小説としても優れていると思ったので。結局新潮社さんが取得されました。ラーソンは小山正(おやまただし)さんから世界で話題になっていると聞いていたので、エージェントに問い合わせたら、こちらも早川書房の社長さんがヨーロッパでもう権利取ったと言われた(笑)」
――ピエール・ルメートル『その女アレックス』の話もしないと。一応補っておくと、「週刊文春2014年ミステリーベスト10」、「IN☆POCKET 文庫翻訳ミステリー・ベスト10」、「ミステリが読みたい!」本屋大賞翻訳小説部門でそれぞれ一位となり、近年の翻訳作品としては破格の55万部(2015年10月当時)を超えたモンスター級の文庫です。
永「個人的にはこのミスの6位ぐらいに入って、なんとか5万部くらい売れると良いなあと思っていたんですが。いろんなところで話しているので、ご存じの方も多いと思うんですが、ルメートルとの縁は、もともと中学2年生の娘が持ってきたものなんです。図書委員で、大きな書店で図書館に入れる本の買い付けをするという実習で、なぜかルメートルの初紹介作『死のドレスを花婿に』を選んで買ってきた。聞いたことのない謎のミステリ本が家にあるのに気がついて、どうだったかと感想を訊いたら、とても面白かったと」
――いや、どう考えても普通のJCが喜ぶ本じゃない(笑)。
永「版元の柏書房は、『清掃魔』や『治療島』など変なミステリを刊行しているので、きっと好みに合うだろうと早速読んでみたら、これはすごいと。後書きも凄く熱い書き方で、翌日すぐエージェントに他の作品の権利が空いているか問い合わせました」
――タイトルも素晴らしいですね。原題は Alex ですが、「その女」をつけることでがらりと印象が変わる。
永「『アレックス』だと寂しくありません? 普通は男の名前だし、そもそも人間かどうかもわからない」
――犬かと(笑)。
永「あれは迷いなく題名をつけました」
――そうだ、せっかくなので10月発売の担当書を宣伝していってください。
永「ルメートルの『悲しみのイレーヌ』が10月上旬に発売です。これはミステリを意識的に読んでいる読者ほど衝撃が強くなる、というかひどい!と思うかもしれない。こちらは文庫で、単行本ではディーヴァー『スキン・コレクター』が出ます。『ボーン・コレクター』『ウォッチメイカー』とトリロジーをなすような作品で、ディーヴァーの気合いが感じられます。お楽しみに」
――というわけで、今月号は無事収録終わりました。次号の予定? 知らん!