赤い館の入り方
加納朋子
A・A・ミルン(アラン・アレキサンダー・ミルン)は、童話『クマのプーさん』の作者として、世界中でその名を知られています。そうです、世界一有名なクマ、フィギュアスケートの羽生結弦選手が滑り終えた後、リンクを埋め尽くすように投げ込まれる、あの黄色いクマの生みの親なのです(個人的にはディズニーキャラクターのプーよりは、E・H・シェパードのイラストの方が断然好きですが)。
私の手元には、岩波少年文庫昭和三十七年版第五刷の『プー横丁にたった家』があります。なんと五十七年前の本!(初版は昭和三十三年で六十年以上前!)大人向けならいざしらず、児童書でこれだけ古いものもあまり見ないのではないでしょうか。両親が若かりし頃に愛読していたもので、もちろん一緒に『クマのプーさん』もあったのですが、親子二代にわたる愛読の結果、ボロボロになって分解してしまいました。手元に残った『プー横丁』の方も、背表紙は取れ、綴じ糸も緩み、全体に茶色っぽくなっています。読むのも怖い有様なので、その後自分で買い直しました(ちなみに一九九六年のことで、その時点で『プーさん』は六十一刷、『プー横丁』は五十二刷でしたから、その後も続々と版を重ねて、今ではとんでもない刷数になっていることでしょう……なんと羨まし、いえ素晴らしい)。
ともあれ、生まれる前から刷り込まれたような私のプーさん愛は、同業者の中でも結構上位に入るのではと自負しております。「ゆきやこんこ」とくれば続くのは「あられやこんこ」ではなく「ぽこぽん」に決まっていますし、拙著『トオリヌケキンシ』は、そのタイトルをプーさん好きの方が見れば「ああ」と膝を打っていただけることでしょう。R・ジョン・ライト作のクリストファー・ロビンとプーさんの人形を所持してもいます(本当はシリーズ全部欲しいところですが、なかなか……)。シェパードさんの挿絵が大好きだという方は、一度画像だけでもご覧になってみてください。「いつか欲しいものリスト」に載ってしまうこと請け合いですから。
一冊の本を手に取り、ページをめくりはじめるにいたるきっかけは、人それぞれです。本書、『赤い館の秘密』に興味を抱いたのは、ミルンが『クマのプーさん』の作者だったから、という方は数多くいらっしゃることでしょう。かくいう私も、子供のころに親が得々と「このミルンという人はね、面白い読み物を書くことで知られていたから、ミルンが『探偵小説を書きたい』と言い出した時に周りは『あなたに求められているのはユーモアのある読み物だ』と反対したんだそうだよ。だけどいざ『赤い館の秘密』が出版されたら大評判になって、その後、『今度は童話を書いてみたい』と言った時には、周りは『皆が読みたいのはあなたの探偵小説なんだ』と止めたんだって。だけどミルンが書いた『クマのプーさん』は世界中で大評判になたんだ」と教えてくれて、それならぜひともその探偵小説を読んでみたいと思ったのがきっかけでした。正直子供にはプーさんシリーズのようには楽しめず、ちゃんと読んだのはもっとずっと後のことになりましたが。
私の場合、本書への入り口は『クマのプーさん』にありましたが、実は赤い館にはほかにも大きな入り口が存在しています。
イギリスで『赤い館の秘密』が発表されたのはなんと百年近く前、一九二一年のことです。翌二二年に書籍化され、大変な人気を博しました。やがて遠い日本でも、あの江戸川乱歩の探偵小説黄金時代のベストテンの中に堂々選ばれることとなるのです。
ミステリファンの間では広く知られたベストテンですが、一応ここでも紹介しておきましょう。
1 赤毛のレドメイン家 イーデン・フィルポッツ
2 黄色い部屋の謎 ガストン・ルルー
3 僧正殺人事件 ヴァン・ダイン
4 Yの悲劇 エラリー・クイーン
5 トレント最後の事件 E・C・ベントリー
6 アクロイド殺害事件 アガサ・クリスティ
7 帽子収集狂事件 ディクスン・カー
8 赤い館の秘密 A・A・ミルン
9 樽 F・W・クロフツ
10 ナイン・テイラーズ ドロシー・L・セイヤーズ
いずれも創元推理文庫でおなじみの、超有名作品ですね。このベストテン、ミステリを読み始めた時に参考にされた方も多いのではないでしょうか。かくいう私も、もちろん全部読んでいます……たぶん。読んだのがあまりにも昔過ぎて、一部内容がまったく思い出せませんが。ちなみにこの中で、『赤毛のレドメイン家』と『赤い館の秘密』は同じ年に出版されています。『赤』繋がりですね。
ともあれ、この乱歩によるミステリベストも、ミステリファンが赤い館に入ってくる大きな入り口といって良いでしょう。
ミステリファンにとってはもう一つ、意外な入り口があります。本書で探偵役を務めるアントニー・ギリンガムは、なんと横溝正史作品の名探偵、金田一耕助のモデルだというのです。個人的には「どこらへんが?」と非常に謎なのですが。
トニーことアントニー・ギリンガム氏は、とても明朗快活なイギリス紳士です。若くして母親の遺産として年に四百ポンドもの収入を得ているから、生活のために働く必要はありません。けれど彼は「世界を見るために」、従僕や新聞記者や給仕や店員として働き、人間観察をしてきたのです。気ままな旅をしているときに、思い立って友人に会いに行った先で殺人事件に出くわしてしまうカカそこで彼はこう考えるのです。
ちょうど新しい仕事を探していたところだし、私立探偵になってみよう……今日から。
まさに思い立ったが吉日、素人探偵の誕生です。
ギリンガムのそんな、良い意味での軽さ、明るさ、品の良さは、作品世界の空気をも、その色に染め上げています。殺人事件が起きるにもかかわらず、「ああ、やっぱり『クマのプーさん』を生み出した作者が描き出した世界だ」と思わせてくれるのです。そんな世界を形作っているのは探偵役ばかりではありません。ワトスン役にして、相棒役でもあるビルことウィリアム・ベヴァリーも、本書を語る上では非常に大切なキャラクターです。この二人の関係性が、実に微笑ましくかわいらしいのです。
シャーロック・ホームズに代表される「神のごとき名探偵」の多くは、類まれなる頭脳を持っていると同時に、どうもあまり性格がよろしくない人物が多いように思います。頭が良すぎて、周りの人間が馬鹿に見えて仕方がない、といったような。探偵としてはこの上なく魅力的でも、友達になるのはちょっと……という大変に癖のある方がやけに目立ちます。ワトスン役に向かって、「ふう、やれやれ、君はこんなこともわからないのかい?」などと鼻で笑うように言い、人が楽しんでいることを「くだらない、俗っぽい」と切り捨て、全体の三分の二くらい読み進んでも、何やら煙に巻くようなことだとか、思わせぶりなことばかり言っていて、いっこうに事件の全容を教えてくれず、そのくせ全部終わってから、「なあに、すべては簡単なことだったんですよ」などとのたまう(注・多分に私の独断と偏見が混じっています)。
ギリンガムにはこうした嫌味な部分はまったくないといっていいでしょう。ワトスン役を担うベヴァリーの発言や活躍を褒めたたえ、その労力にはきちんとお礼を言い、時には借りたマッチをうっかり返し忘れ、実にほのぼのうきうきと謎解きは進んでいきます。二人の謎解きの様子は、まるで素敵なおもちゃを与えられた子供のように楽しげです。人が亡くなっているのに不謹慎極まりない、などと評すのは野暮というものでしょう。被害者は赤い館の主人の、十五年ぶりにオーストラリアから帰ってきた兄、なのです(しかもあまり評判のよくない人物)。たまたま招かれて泊まっていたベヴァリーにとっても会ったこともない赤の他人ですし、ギリンガムに至っては、たまたま現場に訪ねてきただけの部外者です。赤い館の閉じられた部屋の中での不可解な殺人事件、若い紳士二人がわくわくしてしまったのも、ミステリを愛する人ならば理解できようというものです。本格ミステリとは、紳士(あるいは淑女)の知的遊戯という側面を持つものですから。
さて、肝心の事件ですが、銃声が響いた夏の午後、被害者以外に館にいたのは主の従弟と使用人たちだけ。主であるマーク・アブレットは姿を消してしまっています。使用人は必要な証言の為にだけ登場する書き割りのような存在。招待客はベヴァリーを含めたくさんいましたが、犯行時間には皆、ゴルフに行っていました。となると、あれ? 容疑者少なくない? むしろ、あっと驚くタイミングで登場したギリンガムこそが一番怪しくない? などと読者は戸惑い、裏の裏まで勘ぐり始めることでしょう。
けれど思い出してください。本書は百年前に書かれた、本格ミステリ黄金期を築き上げた礎の一つたる作品です。フィギュアスケートや体操で、最初にくるくる回って見せることは、大胆な発想と大変な勇気がいることです。後に続く選手たちは、どんどん回転数を増やし、捻りなどを加えねばなりませんが、それもこれも最初に「こんなことができるんだ」と実演して見せた先達があってのこと。その意味で、本書のシンプルな謎解きは、とても味わい深く、美しいとさえ言えましょう。読者を混乱の迷宮にいざなうような、多すぎる登場人物とも、ごちゃごちゃした筋立てとも、そして頭が痛くなるような難解さとも無縁の愛すべきこのミステリを、ぜひとも多くの読者に味わってもらえればと思います。
――最後に。前述の、ミルンのことで私が両親から教わった内容についてですが、今にして思えばこれはミルン自身が自著に寄せていた「『赤い館の秘密』に寄せて」から得た知識なのでした。これはミルンの探偵小説への思いや理想が端的に記された、大変興味深いものです。
せっかくなので簡単に紹介しておきましょう。
・探偵小説はまずなによりも、読者に意味がはっきりわかる、きちんとしたことばで書かれるべきだ。
・〈ロマンス〉の要素がからむ必要はないと思う。
・探偵は素人であってほしい。探偵は、一般市民である読者がもちえない、特殊な知識を持っていてはいけない。
・探偵の考えていることは、これを話の進行するにつれてそのつど読者に知らせてもらいたいものである。
・そのためには、探偵の対話相手としてワトスンが必要だ。だがワトスン役の人物を頭の悪いおばかさんにする必要はない。わたしたちの誰もがそうであるように、少しばかり頭の働きが鈍くても、友情に篤く、人間味があり、好ましい人柄であってほしい。
こんなところでしょうか。
いかがでしょう? ミルンは自分の理想通りの探偵小説を書き上げたと言ってよいのではないでしょうか。
ミルンはこの作品や童話の他にも、優れた戯曲や童謡を残しています。その時々で自分の書きたいもの、理想とするものを、多くの読者に喜ばれる形で完成することができる、多才で幸福な書き手だったのだと思います。当時『赤い館の秘密』は大変好評でしたし、さらなる新作をと望まれたにもかかわらず、その後長編探偵小説を書くことはありませんでした。
『クマのプーさん』は一人息子のクリストファー・ロビン・ミルンの為に書かれた物語です。そして本書、『赤い館の秘密』は、探偵小説が大好きだった父親に捧げられています。
大切な肉親に対する唯一無二の贈り物だからこそ、『クマのプーさん』も『赤い館の秘密』も、こんなにも長く人々に親しまれる、そして愛らしくもいとおしい物語になったのかもしれません。