ジェラルド・カーシュの「壜の中の手記」の翌年、1959年のⅯWA賞の短編賞に輝いたのは、ウィリアム・オファレルの「その向こうは――闇」でした。ウィリアム・オファレルは、四〇年代から五〇年代にかけての作家ですが、日本での知名度は低く、この受賞作も「そのさきは――闇」(原題はOver There...Darkness)の題名で、荒地出版社が出した、デイヴィド・クック編の『年刊推理小説・ベスト10〈1960年版〉』(不思議なことに原著が1959年刊で訳書が60年1月刊行なのに1960年版と銘打っています)に翻訳されたきりでした。そこでは、ウィリアム・オファレルは「一般雑誌」に書く作家として紹介され、受賞作も「推理小説専門誌に発表されたものではない」と書かれていました。ミステリマガジンで訳し直されたのが1980年のこと。『エドガー賞全集』に入って、初めて広く知られたと言っていいでしょう。そのときに、初出掲載誌がスルースというMWAが協力した雑誌(しかし短命に終わった)だったことが、明らかにされました。そういう不遇な短編なのですが、実は、歴代MWA短編賞受賞作の中でも屈指の傑作なのです。
この短編は、主人公であるミス・フォックス――強盗事件の被害者――を描くことに終始します。彼女には信託財産があり、彼女なりにつつましくしていれば、ニューヨークの高級マンションに長期契約で入って、働かずに暮らしていけるようです。そのマンションがあるのは、必ずしも治安の良い場所ではありませんが、そこから出なくても生活が出来るほど、マンションの設備が充実しているのです。彼女にはかつて求婚されたのちに病死した大尉がいて、彼から贈られた、周囲にエメラルドをあしらったダイヤの指輪と、飼っているプードルを、ことのほか大切にしているのでした。そのプードルの散歩のために、彼女はエディという「世間の男たちにくらべれば、ましなほう」なエレヴェーターボーイに、週五ドル払っています。相場より高い額でした。彼女なりにエディのことは気に入っていて、クリスマスに心づけをマンションの従業員にはずむときにも、エディには別個に二十ドル払ったのでした。ところが、エディが五ドルの先払いを頼むことが、何度かあり、その後、五十ドルの借金を申し込みに来ます。恋人が病気で治療代が必要なのでした。週給七十ドルのエディが五十ドルの借金を申し込む。しかし、収入の中でやりくりするのが当然と考える彼女は、金を貸すことを拒絶します。その直後、夜の散歩に犬を連れて出た彼女は、マンションの明かりの届く先の向こうの闇にまで引かれていき、そこで強盗に遭います。生命は助かったものの、大事な思い出の指輪を奪われてしまう。彼女は直観的にエディを疑います。それとなく、指輪さえ戻れば、事を内密に収め、さらにお金を払ってもいいとエディに伝えます。一方、捜査にあたった部長刑事は有力容疑者を見つけて、彼女の目撃証言を求めますが、彼女には、それが犯人とは思えません。逆に、エディからはかばかしい返事が得られないうちに、警察はエディが金に困っていたことを嗅ぎつける。そして、件の部長刑事に迫られた彼女は心ならずも、犯人はエディだったと告げることになる。
その後、事件は二転三転しますが、その展開に意外性があるというわけではありません。
ジョン・チーヴァーの「クリスマスは悲しい季節」のところでも書きましたが、物理的に近いところにある貧富の差が、すれ違いを生む。強盗事件の被害者であるヒロインを描きながら、彼女の裕福さが照らすのは、彼女の周囲のごく狭い範囲にすぎず、その向こうの闇に、彼女はついに思いが到らない。強盗事件の全貌が明らかになったのち、部長刑事には高価な葉巻を贈ることで「刑事のことはすっかりわすれてしまう」のです。あげく「簡単なことだったのに。(エディが)お金を受けとって、指輪をかえしてくれたなら」と考えたのち「ふいに、指輪を盗んだのがエディではなかったことを思いだ」す。その独善的でエゴイスティックでさえある被害者像を、あますところなく描ききった、見事なサスペンスミステリでした。
ウィリアム・オファレルには、他にも数編の邦訳があります。つまらない作品ではありませんが、「その向こうは――闇」に匹敵するものはありません。一九四〇年代のEQMMコンテストが見出した、新しいクライムストーリイやサスペンスストーリイ――Q・パトリックやヘレン・マクロイ、シャーロット・アームストロングといった人々の作品――のひとつの完成した形として、五〇年代の終わりに「その向こうは――闇」がMWA賞を得たように、私には見えます。
オファレルの翌年、MWA賞はニューヨーカーから出ました。ロアルド・ダールの「女主人」です。その翌年はコスモポリタンから、ジョン・ダラムの「虎よ」でした。ジョン・ダラムが生涯に書いたミステリは、これ一作のみだそうですが、表面の穏やかさの影に残忍さを隠し持った青年と、自分の娘が彼を愛したために、ひとり彼の正体に気づいた主人公の対決を描いたものですが、青年の残忍さに主人公が気づくという肝心な部分の説得力に欠けるように思います。翌一九六一年はEQMMの作品が五年ぶりに射止めます。アヴラム・デイヴィッドスンの「ラホール駐屯地での出来事」(ラホーア兵営事件)です。EQMMの中でも異色の作家による、異色のクライムストーリイでした。
第二次大戦が終わり、EQMMコンテストが始まって、十五年以上が経過していました。スリックマガジンは良質なミステリを積極的に掲載するようになり、EQMMを筆頭とするミステリ専門誌も、それに伍する短編を送り出すようになっていました。カーシュ以下の五年間は、その鍔迫り合いを見る思いがします。そして一九六二年に、MWAは画期となる短編にエドガーを与えました。コスモポリタンに掲載された新人(同誌に登場するのは二作目だったそうです)の作品。デイヴィッド・イーリイの「ヨットクラブ」です。
デイヴィッド・イーリイの日本初紹介は「隣り同士」で、日本語版EQMM一九六四年一月号でした。邦訳短編集『タイムアウト』には「大佐の災難」の題名で収録されています。「ヨットクラブ」に先立って訳されたのは、EQMMから翻訳できたからでしょう。すでに、このとき「ヨットクラブ」はMWA賞を獲っていました。「ヨットクラブ」の邦訳は同年七月号。コスモポリタン誌より独占掲載!と謳われていました。ちなみに、イーリイのコスモポリタン初登場は「面接」でした。三編に共通するのは、アメリカ人にとっては平穏な生活の一場面の背後に、ある種の狂暴な異常さが潜んでいるという発想でしょう。それはイーリイの基調を成すものでした。
「ヨットクラブ」は鳴り物入りで紹介され、六〇年代のスリックマガジンからのMWA賞受賞作としては、異例といっていいほど、早く翻訳されました。その後『37の短篇』にも収録され、短編ミステリの歴史にくり込まれたという意味では、評価が高かったと言えます。メンバーも活動も正体不明の、しかし、本当の名士だけで構成されているらしい、謎のヨットクラブがあるという出だしから、実業界で素晴らしい成功を収めている、主人公のゴーフォースの活力あふれる人物像と、ヨットクラブへ入会したいという気持ちが描かれていく。成功の絶頂にある時は、入会を果たせず、病を得て、いささか覇気に欠けてきたかというときに、誘いが来るという綾はありますが、まずは淡々とした筆致です。そして、クラブの唯一の活動であるセイリングに出ます……。
ローティーンのころ、日本語版EQMMのバックナンバーで、この短編を読んだ私は、いまひとつ高評価が解せませんでした。面白くはあるけれど、そんなに騒ぐほどのものだろうかというのが、正直なところでした。先に書いた綾の部分は、確かに、この短編の重要なひねりで、文明社会においては代償的に発散することで、かろうじて抑え込んでいた、ある野蛮さが、それを抑えきれなくなったときに噴き出すというのは、ここのところがあってのことです。今回、何度目かを読み返して、たとえば、最後に主人公がクラブの真の姿に気づくのが、全貌を表す直前であるといった、細かい巧みさに感心はしましたが、やはり、いまひとつ分からない。
しかも、では短編作家としてのイーリイが日本で厚遇されたかというと、実は怪しい。長編こそ『憲兵トロットの汚名』『蒸発』『観光旅行』と邦訳が出ましたが、次に訳された短編は「大尉のいのしし狩り」で、ミステリマガジン一九七〇年十二月号のことでした。六年後だったわけです。「大尉のいのしし狩り」は、二〇〇三年に第一短編集の『ヨットクラブ』(のち原題通りの『タイムアウト』として文庫化)を全訳単行本化した晶文社が、その成功を受けて、二冊目の邦訳短編集を出したときに、表題作としたものでした。猟師や樵夫として自然の中で生死を賭すのが当たり前の四人の男たちは、戦場においても、とりたてて生活態度を改める必要がない。そんなところに軍紀に厳しい大尉がやって来る。軍紀は平時の人間を戦時に適合させるための規律でしょうが、所詮は人間が机上で作ったものでしかありません。厳密には齟齬が生じることもある。にもかかわらず、強引に軍紀を優先した結果、四人組のひとりが自殺に追い込まれる。彼らには、軍紀よりも優先すべき、生死を賭けた場所でのルールがあるのです。彼らが大尉に対して、何を企むかは、読者の眼には明らかであり、その明らかな行く先へ向かう不穏さに満ちた中盤が、抜群のサスペンスです。最後の最後まで、そのサスペンスが持ちこたえていたらと思えてなりません。
このときのミステリマガジンの編集長は太田博(各務三郎)で、氏は「ヨットクラブ」を買っていました(『ミステリ散歩』参照)。以後「ぐずぐずしてはいられない」(72年5月号、奇しくもリチャード・マシスン特集の号でした)を紹介し、さらに編集長が変わってから「隣人たち」(74年5月号)を始めとする一九七〇年代後半の一連の翻訳があって、短編作家としてのイーリイの姿が明らかとなっていきました。私がイーリイに夢中になったのも、それらの作品を読んでのことでした。
このころミステリマガジンに訳出された作品群は、秀作ぞろいで、大半はのちに『タイムアウト』と『大尉のいのしし狩り』に収められることになります。「ぐずぐずしてはいられない」は、高度な医療を求めて、メキシコで行方をくらますかのような行動をとる、大金持ちの話です。ブラック・ジャックを求めているわけです。イーリイの筆は、終盤、医療施設を支える貧しいメキシコ人の描写一発で、富める人間の心臓病に何が必要なのかを暗示する巧みさ――瞬間的にミスディレクションの働きもします――ですが、その結果は……という話でした。「草を憎んだ男」は、いかにもというような、粗野で金にあかせたアメリカ人という手垢のついたキャラクターの暴君ぶりで、平凡な結末の話なのですが、最後の妻の台詞には余韻があります。同様なことは「日曜の礼拝がすんでから」にも当てはまります。「夜の客」と「別荘の灯」は、ともにモダン・ホラーですが、前者はニューロティックスリラーふうでもあり、ひねった作りなのに比べて、後者の方がストレイトな仕上がりでした。「別荘の灯」はMWA賞の候補にもなっています。
これらの中で、とくに推奨しておきたいものが二作あります。
まず「隣人たち」です。平凡な街に越してきた夫婦と幼い子どもの三人家族は、ご近所の少々迷惑かもしれない好奇心から来る近所づきあいを、かたくなに拒んでいます。このご近所の関心が、正当なものなのか迷惑なものなのかの匙加減が、まことに巧みで、そのバランスがこの短編の命でもあります。プライヴァシーへ踏み込むかのような言動と、にもかかわらず、夫婦の怪しさと、双方あるために、本当に子どもはいるのか? 伝染病にでもかかっていたら? といった疑心が進むのが止められません。結末のつけ方も、大方の読者をはぐらかすにちがいない巧妙さで、異色作家短篇集の中に入っても上位に来るであろう一編です。
もう一作は「スターリングの仲間たち」で、うってかわって、ある意味陽気でユーモラスな、しかし苦い話です。ロンドンに巣食う売れない芸術家たちの中で、口だけは達者なスターリングは、それゆえ、仲間から煙たがられている。救いは、誰がどう見ても、彼の絵が下手なことですが、しかし、いつ彼の絵が主流となるかもしれないという、一抹の不安を抱えている。本人の前で死刑宣告ごっこをしているといった、黒いユーモアの果てに、もしかしたら、それまでに語られたことは、スターリングの側からは、まったく異なって見えていたのかもしれないと、読者に疑わせる結末まで、売れない芸術家たちの鬱屈ぶりが見事でした。
今世紀に入るまで、日本でのイーリイの評価は「ヨットクラブ」の作者というものでしかなかったと、私には思われます。それが全体的な評価につながったのは、晶文社から二冊の短編集としてまとめられたためでしょう。『ヨットクラブ』が出ると知ったときに、私は「ジェラルド・カーシュ、ヘレン・マクロイ、シオドア・スタージョンときて、イーリイなのだから、晶文社も本気なのだ」と書きました。正しくは、晶文社ではなく、企画編集した藤原編集室だったかもしれません。それでも晶文社ミステリによる短編集の連続企画は、一九九〇年代に、クリスチアナ・ブランド、シャーロット・アームストロング、シーリア・フレムリンといった作家の短編集を出した創元推理文庫と並んで、忘れられることなく高く評価されるべき企画であったと考えます。
晶文社の短編集で新しく訳されたものの中では、「いつもお家に」が出色の出来です。本国での第二短編集の表題作なんですね。夫以外に知り合いのいない妻というのは、アメリカのミステリに時おり見かけます。子どももいない。夫は留守がちで不用心なので〈いつもお家に〉装置が備えつけてある。「電子システムによって、屋内にあたかも人がいるような気配を創りだす」のです。誰ともしれぬ会話が流れ、確かにパーティでもしているように聞こえる。留守中に流して、戸外の人間に聞かせるものなのですが、実際は、ひとりの淋しさをまぎらわせるために、残された妻が、のべつ流しっぱなしにしているのでした。それがために、夜どおし人がしゃべっている変な家だと思われて、近所づきあいに支障をきたし、ますます孤立するというのが、巧い展開です。やがて、この声は、実際にこの部屋にいた前の住人の声の盗聴録音とわかり、やがて、越してきた彼女たちの声が録音された部分が流れ始めます。このあたりから、異常さと面白さが加速し、流れている人声が、録音されたものなのか、自分や夫の声なのかが分からなくなり、ヒロインはどんどん混乱していくのです。
七〇年代に入って、イーリイの作品は、アメリカ社会に潜む異常性を浮き彫りにしたもの一辺倒ではなくなります。しかし、小野田寛郎さん発見にあやかってニセの生き残り軍人で一山あてようという「最後の生き残り」のような、軽い冗談のような作品(ずいぶん、小野田さんをナメたアメ公どもの悪だくみですが、あのころは日本人も小野田さんをナメてましたしね)でも、期せずして、アメリカ人ぶりを発揮――その結末!――することになりました。
ミステリマガジンが400号を記念して、一冊まるごとアンソロジーを組んだとき、選ばれたイーリイは「そこだけの小世界」でした。『タイムアウト』では「理想の学校」という題名になっています。教育の美名のもとに、社会に適応しない子どもを一生飼い殺す。親は金を払うことで、あとは目をつぶる。そんなグロテスクな不気味さを抑制された筆致で描いた、イーリイの代表作のひとつです。しかし、今回読み返して、現実の日本と引き比べるとき、イーリイの筆さえ及ばない荒廃が、すでに目の前にあるように思えて、私は素直に感心できませんでした。イーリイは、ミもフタもない本音として姥捨て山のような学校を経営する人間を描きました。しかし、現実の日本は、社会の外側の姥捨て山ではなく、社会の内側で同じ問題を同じように抱え込んではいないでしょうか。それも、自覚することもないままに。
あるいは、奇想天外な中編の「タイムアウト」です。核の誤射でイギリスが一瞬にして消滅したらしい世界で、その失敗を隠した米ソ両国は、極秘裏に、消滅したイギリスを消滅した期間の歴史ごと、再生しようとします。途方もない労力をかけて。しかし、半世紀経って、国家が、歴史をそのように大切にあつかうとは、とても思えなくなっています。為政者の過ちは、徹底的に隠し糊塗するのではなく、いい加減にやりすごしてしまえば、それで済む。
これからの世界で、ディヴィッド・イーリイは生き残れるのでしょうか?
※ EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)