オスカー・シンドラーは、ドイツ人の実業家で、第二次世界大戦中、もともとはナチス寄りの利益追求しか考えない工場経営者だったのですが、あるときから無力なユダヤ人たちの命を非道なナチスの手から守ろうという活動を始め、多くのユダヤ人を救った人物です。
 映画『シンドラーのリスト』のシンドラーです。
 杉原千畝は、日本の外交官で、第二次大戦中リトアニアの大使館に勤務していた時に、ナチス迫害からポーランドなどの欧州各地から逃れてきたユダヤ人たちに、外務省からの訓令にもかかわらず、大量にビザを発行しつづけ、その数はわかっているだけでも2100枚以上にのぼることが知られています。
 
 そして本書『イレナの子供たち 2500人のユダヤ人の子供たちを救った勇気ある女性の物語』で語られるのが、女性版シンドラーと言われる、イレナ・センドレル(1910―2008)です。ポーランド人の小柄(150センチあるかないかですから、日本人であっても小柄です!)はナチス占領下のゲットー(ゲットーはユダヤ人たちを集めて強制的に居住させた区域)から、2500人ものユダヤ人の子供たちを救い出した人物です。
 劣悪な状況のワルシャワのゲットーから、あるときは少量の睡眠薬をのませて木箱に隠して、あるときはトラックの積荷の下にひそませて、あるときは下水道を通じてユダヤ人の子供たちを救い出したのです。本人はポーランド人のキリスト教徒でしたが、幼い頃からユダヤ人たちと交流があり、父親はというと、利益をまったく考えない人道的な医師として貧しい人々のために身を粉にして働いていました。もちろん差別意識などない家庭でしたから、イレナには幼い頃から多くのユダヤ人の友人がいました。
 ところが、ナチスの占領によってワルシャワが、ポーランド全土が、欧州全土が想像を絶する事態に陥り、ソーシャルワーカーとして働いていたイレナは、ユダヤ人のために命を賭けた活動を開始するのです。
 彼女は決して一人ではありませんでした。大学の友人たち、ユダヤ人の学者たち、恋人……皆が彼女に協力し、子供だけでも助けたいというユダヤ人たちから子供を預かり、匿(かくま)い、偽の書類をつくり、ポーランド名を与え、クリスチャンとして育て、そして2500人にものぼる子供たちの命を救ったのです。
 看護師もいました、医師もいました。自分の孤児院の子供たちを見捨てることはできないと、アウシュヴィッツに、自身も子供たちに付き添って移送され殺されてしまったあの有名な医師、コルチャック先生もいました。
 ユダヤ教徒であることを子供に捨てさせなければならない状況をどうしても受け入れられない親たちもいました。そうしてしまったため、祖父母たちとの関係が壊れ、一家が崩壊した家族もありました。それでも、イレナたちは、子供の命を助けたかったのです。
 ナチスはユダヤ人を一掃しようとしただけではありませんでした。ユダヤ人を助けようとした者もすべてがその粛清の対象になりました。
 そればかりか、ゲシュタポやナチス親衛隊SSの気分次第で、何もしていないポーランド人も、彼らの気分次第で通りすがりに殺されてしまうことなど日常茶飯事だったのです。彼らにとってはドイツ、ゲルマン民族だけが価値ある存在だったのです。
 ですから、彼女の活動はまさに命を賭した活動でした。
 事実、イレナ自身もゲシュタポに捕まり、死刑宣告を受けるのです。

 このノンフィクションの著者、ティラー・J・マッツェオは、膨大な資料にあたっただけではなく、イレナ自身の子供や、彼女が助けたユダヤ人たちにも会い、彼女の活動のすべて、彼女の若き日の知られざるエピソードなどについて聞き出してまとめ上げてくれたのです。
 イレナは決して聖人であったわけではありません。恋もし、悩み、活動する情熱的な女性でもありました。
 本書は、そういったすべてが、小社刊の同じ著者によるノンフィクション『歴史の証人 ホテル・リッツ』をお読みになった方はご存じと思いますが、きわめて読みやすいマッツェオらしい筆致で生き生きと描かれた感動的なノンフィクションです。
 これは実際にあった物語なのです。ユダヤ人たちになされたことも真実、ユダヤ人のために命を賭してナチスと闘ったイレナたちの存在も真実なのです。

 
◆訳していて胸が迫り、キーボードを打つ手を止めて、尊い命が失われていく様に涙した。だが、勇気と強い信念に裏打ちされた人々の姿は実に凜としていて、深い感動を与えてくれた。――訳者の羽田詩津子さん
◆どれだけホロコースト関連の書物を読んできた読者でも、本書には胸を痛め、驚愕し、とりこになるにちがいない。――ジョゼフ・バーガー