お待たせしました!
本書の解説は、やはりこの言葉で始めるのが最も適切でしょう。
『クロイドン発12時30分』(以下『クロイドン』と呼びます)は、『樽』と並ぶクロフツの代表作であり、また、欧米本格ミステリの黄金期(諸説ありますが一般に1920年代から30年代にかけてと言われます)が生んだ屈指の傑作といっても過言ではないのですが、ここ十年ほど入手困難な状態が続いていました。その名作が、先に本文庫で刊行された『樽』同様、新訳で読者の皆様にお目見えすることになったのです。
『クロイドン』の素晴らしさを語るには、まず著者である英国ミステリ作家、フリーマン・ウィルス・クロフツの魅力を押さえておく必要があります。先に触れたように、クロフツは「ミステリの女王」クリスティと同年(1920年)にデビューし、戦後まで精力的に作家活動を続けた、「黄金時代」を代表する巨匠ですが、多くの方が指摘されているように、他の黄金期の作家に比べると作風が地味で、ともすれば退屈な印象が否めません。ただし、これはあくまで「印象」に過ぎず、作家ジュリアン・シモンズの有名な指摘「ハムドラム・スクール(退屈派)」という評価が独り歩きした感があります。実際は、『樽』の解説で有栖川有栖さんも書かれている通り、「狭義の本格ミステリの枠内に収まりきらない」多彩な作風を使いこなし、常に工夫を凝らして読者を楽しませようとした、娯楽性豊かな作家なのです。緻密な構成と正確かつ現実に立脚した描写およびプロット、という基本線さえ崩れなければどんな手法やジャンルも試す、進取の気風に富んだミステリ作家とも言えるかもしれません。
そんなクロフツが1934年に発表したのが『クロイドン』です。34年、それは、クリスティが『オリエント急行の殺人』を、ドロシー・L・セイヤーズが『ナイン・テイラーズ』をといった具合に、円熟期に達した黄金時代の作家たちが後に代表作と呼ばれる傑作を発表した記念すべき年となりました。『クロイドン』もまた、乾坤一擲の一作として世に出たのですが、前述の通り著者の代表作であると同時に、ミステリの様々な要素や魅力が渾然一体となった奇跡的な作品として黄金期を代表する傑作に仕上がっていました。以下、紙幅の許す限り、本書の魅力の数々をそれぞれ異なった側面から検討していこうと思います。
●倒叙ミステリとしての『クロイドン』
改めて指摘するまでもなく『クロイドン』は、通常のミステリとは異なり、最初に犯人の行動を描き捜査によって犯行の過程が暴かれるという、叙述の順序が逆転した手法=倒叙形式を採った作品です。この叙述法はクロフツが編み出したわけではなく、オースチン・フリーマンのソーンダイク博士物がその先駆けであり、『クロイドン』発表の数年前既にフランシス・アイルズが『殺意』(創元推理文庫)という長編を書いています。『クロイドン』と『殺意』、そしてリチャード・ハル『伯母殺人事件』(創元推理文庫)が、倒叙ミステリ三大名作と呼ばれているのをご存じの読者も多いでしょう。解説者としては、倒叙ミステリをひとつのジャンルとするよりは、単なる叙述の手法として捉えるべきではないかと考えているのですが、いずれにしろ、クロフツは構成や描き方などが決して容易ではないこのスタイルに挑戦し、自家薬籠中のものとしています。これは後にも検討しますが、倒叙の手法を採ったことで、クロフツらしい現実的かつ綿密な犯行計画のディテールがより実感されますし、本質的には「思いやりのある経営者」である犯人チャールズ・スウィンバーンの人物像が際立ちます(よって同情できる面も多々あるのですが、それゆえ犯行に至る論理の身勝手さも倍増します)。また、本書では敢えて捜査側(フレンチ警部)の動向がカットされ、何故犯行の一部始終が暴かれたのかという「謎解き」は最後の最後まで読者(およびチャールズ)には伏せられていることが、大いにリーダビリティを高めています。
●警察小説としての『クロイドン』
謎解きが始まる第23章「フレンチ語り始める」の冒頭では、弁護士のビングが今回の事件記録を執筆する経緯や、警察の視点から事件を描く着想が語られます。ビングはこれこそが「現実に即した推理小説だ」と断じ、ヘプンストール弁護士も「警察がさんざん受けてきた、愚かな非難への回答さ」と敷衍しますが、これらはひょっとするとクロフツの心の声かもしれません。ご存じの通り、ミステリの祖ポオからコナン・ドイル、黄金期のクリスティの作品に至るまで、多くの場合、警察は名探偵の(大抵は愚鈍な)引き立て役に過ぎませんでした。クロフツはそれに異議を唱えた(少なくとも警官を長編ミステリの主人公に据えた)最初期のミステリ作家のひとりです。『クロイドン』でも、チャールズは初めてフレンチと相対するシーンで、警部を「この男は、思いやりがあるとまでは言えなくても、道理を弁えた人間らしい。だからといって、間抜けでないのは確実だ」と見極め、決して見下すことはしません。そして、フレンチ警部による謎解きで明らかになるのは、天才的なひらめきによって真相解明が進んだのではなく、「可能性を天秤にかけ」ながら犯行方法や毒物の入手経路を特定し、慎重な確認作業や地道な捜査を積み重ねることによって遂に全容解明に至った、警察の勝利の一部始終なのでした。
●リアリズム・ミステリとしての『クロイドン』
クロフツの作風がリアリズムと呼ばれるのは、捜査のプロセスだけでなく、犯行手段やトリックが詳細に描かれ、あくまでも実行可能なものとして読者の眼前に供されるからでもあります。レイモンド・チャンドラーは、エッセイ「簡単な殺人法」(創元推理文庫『チャンドラー短編全集2 事件屋稼業』所収)の中で、クロフツを「あまり奇想に淫しないときは、もっとも安定した作家といえる」と評価していますが、この奇想(原文では“fancy”)とは、例えば一人二役などのやや現実離れしたトリックを指しており、大抵のクロフツ作品で、よりリアリティのある解決策が提示されている点を支持しているのだと思われます(実際、機械式トリックや当時のハイテクを駆使した犯行手段が採られることが多いのです)。『クロイドン』の場合、犯行方法はシンプルですが、トリックとは別に解説者が「成程!」と膝を打ったリアルな場面を二点紹介します。ひとつは、ある書物を完全に焼却するために、棒でつついてページの間に空気を入れるところ。もうひとつは、錠剤をすり替えた犯人が、薬瓶と蓋が規格通りかどうか一瞬不安に駆られるシーン。どちらも些細な描写ながら、鮮やかに力強く現実性が立ち上がってきます。こんな迫真性のある場面が味わえるのも、倒叙という形式がもたらすメリットなのです。
●経済・企業ミステリとしての『クロイドン』
クロフツ作品の多くが企業ミステリの側面を有している点は、本文庫『シグニット号の死』巻末の紀田順一郎氏の解説に詳しいのですが、『クロイドン』で描かれる犯罪の通奏低音となっているのは、当時の世界を襲った大不況です。1929年、ウォール街での株価暴落に端を発した世界恐慌の波はやや遅れて英国に到達し、本書の舞台となる30年代前半には、貿易活動の縮小などを通じて国内経済を大きく毀損していました。チャールズが経営する小型モーターの製作会社も、事業縮小による人員過剰、追加融資獲得の失敗、有望な契約の失注、設備投資資金不足などの苦境にまみれ、これらが遂に彼を恐るべき犯罪に駆り立てます。邪悪な行為を着想しながらも踏みとどまろうとするチャールズの葛藤を打ち砕き、正当化するのは、倒産や従業員解雇の危機という現実と、英国の思想家ベンサムの功利主義「最大多数の最大幸福」です。そして、いったん歪んでしまったチャールズの思考は、殺人行為自体を「無用な一つの命」対「有用な多くの命」という算術の問題に単純化し、あまつさえ第二の殺人に繋がっていくのです。これと全く同様の設定と論理が、『クロイドン』と同年に発表された『サウサンプトンの殺人』(創元推理文庫)の犯人たちをも衝き動かすことになります。思えば、ミステリの黄金期とは二つの大戦の狭間であり、世界恐慌という未曾有の経済危機を抱える時代でもありました。こういった現実世界での出来事をどう作品に取り入れるか(または無視するか)は、作家の資質や作劇法など複数の要素に左右されるでしょうが、少なくともクロフツは自覚的かつ積極的に自作に反映しようとし、本書を含む作品群で見事に成功を収めたと言えるでしょう。
●心理スリラーとしての『クロイドン』
クロフツが本書に倒叙という手法を用いたことで得た効果は既にいくつか指摘しましたが、その最も大きな功績として、犯人の心理の深層に迫ることが可能になった点を評価する向きも少なくありません。その代表格としてジェイムズ・サンドーの『クロイドン』評を見てみましょう(引用は研究社出版『推理小説の美学』所収「心の短剣」より)。サンドーは、「ある意味で探偵小説はすべて、少なくとも理論の上では、心理小説でなくてはならない」と自説を述べた上で、多くの探偵小説が動機の分析をおざなりにしていると嘆きますが、「伝統的探偵小説から心理スリラーへの第一歩はフリーマン・ウィルズ・クロフツが踏み出したようなものかもしれない」と論を展開し、『クロイドン』に注目します。「この小説は念入りに積み上げられていて、読者を夢中にさせるに十分なものをもっている。その理由は何よりも哀れな主人公の心中で起こる葛藤を読者もともにするからである」など物語上の美点を挙げながら、「殺人者の心を探る小説を書くことで心理スリラーへの第一歩を踏み出した」とその歴史的意義を称えています。論文自体の発表年が古く(1946年)、素直に首肯できない箇所もありますが、少なくとも『クロイドン』が犯罪心理小説の要素も織り込んだ傑作ミステリであるという点に疑う余地はなさそうです。
●法廷ミステリとしての『クロイドン』
さて、解説者のように本書を再読した読者も、初読の方も、一様に驚かれると想像するのが、法廷場面の比重の大きさです。法廷ミステリをどう定義づけるかにもよりますが、物語の大半が法廷シーンで推移する作品といえば、前述のサンドーらが古典として評価しているフランセス・N・ハート『ベラミ裁判』(1927年、日本出版共同)を除けば、黄金時代で記憶に残る作品は少なく、パーシヴァル・ワイルド『検死審問』(1940年、創元推理文庫)あたりがかろうじてその範疇に入るかもしれません。長編の一部にでも裁判場面が採用されている作品なら、例えば前出のアイルズ『殺意』やクリスティのデビュー作『スタイルズの怪事件』(創元推理文庫)が想起されますが、いずれも本書ほどのボリュームはありません。その意味で、『クロイドン』こそが法廷場面を巧みに取り入れた黄金期ミステリの嚆矢といっても言い過ぎではないと思われます。それは、本書の法廷シーンが長編内の単なる飾り物ではなく、密度の濃い論争が描かれている点からも納得できる見方でしょう。特筆すべきは、倒叙形式を採った必然として、裁判の結果が読み手には自明だということです。有罪であることが確実な裁判の行方をこれだけサスペンスフルに描けるのですから、クロフツ作品は退屈だという一部の見方が的外れであることは明白でしょう。
●傑作ミステリとしての『クロイドン』
最後にもう一度、何故クロフツが本書で倒叙形式を採用したのかという疑問に立ち返ってみます。クロフツが、作中でいみじくもチャールズに語らせている「オースチン・フリーマンによる二部構成の諸作品」に触発されて『クロイドン』を著したのは確かでしょう。では、そもそもフリーマンが倒叙というスタイルを考案した狙いは何か。この点で解説者は、『フレンチ警部と毒蛇の謎』(創元推理文庫)解説の戸川安宣氏の見解に強く同意します。戸川氏はフリーマンの狙いを、あくまで真相究明に到る経緯を重視し、事件の進行を描写し、推理に係るデータを読者の前にすべて明らかにした実証的なミステリを描くこと、と看破されています。この見方に立てば、本稿の前半で指摘した通り、「緻密な構成と正確かつ現実に立脚した描写およびプロット」を重視するクロフツが、自身の作風を活かし、かつ読者にフェアなミステリを書こうとして、倒叙というスタイルに挑戦したのは意外でも何でもありません。本書における心理スリラー的な要素や読者が法廷場面でチャールズに心情的に肩入れしてしまう展開などは、その挑戦の副次的な効果に過ぎないのです。さらに、クロフツはフリーマンが作り上げたフォーマットを単純になぞるだけで満足してはいません。倒叙形式は、犯人側と捜査側という二重の構成だったり、両者の視点が頻繁に切り替わったりすることで、ともすれば(特に長編の場合)冗長な記述に陥りがちですが、既に指摘した通り、本書では捜査側の動きを圧縮してラストに置くことで、この欠点を克服しています。また注目すべきは本書のオープニングで、本来なら犯人の視点で描かれるはずの犯行場面ではなく、通常のミステリと同じく劇的な死体発見場面から始まるのも巧みな演出です(これはメインのアリバイ・トリックにも繋がっていきます)。
このように『クロイドン』は、倒叙形式を導入し、それに工夫を加え、同時代的な問題意識を物語の背景に据えながら、犯人の心理にも肉薄し、さらには法廷場面を大胆に取り入れるなど、新たな試みに溢れ、それらが悉く成功しているという奇跡的なミステリなのです。
冒頭に記したように、何年もの間、ミステリ史上に残るこの名作が手に入りにくい状況が続いていましたが、今回、霜島義明さんによる新訳刊行と相成りました。『樽』同様、従来よりも各段に読みやすくなった黄金期ミステリの傑作をどうぞ心ゆくまで堪能してください。
■神命明(しんめい・あきら)
1964年生まれ。京都大学卒。書評家。雑誌コラム、文庫解説等。本格ミステリ作家クラブ会員。
■神命明(しんめい・あきら)
1964年生まれ。京都大学卒。書評家。雑誌コラム、文庫解説等。本格ミステリ作家クラブ会員。