2017年8月16日
アルメニア・エレバン



プロローグ

 この〈アルメニア編〉ではふたつの時系列を交互に進めていくことにした。具体的には、アルファベットの断章ではジョージア・トビリシからアルメニア・エレバンまでの道中を、英数字の断章では主に日本人バレリーナと過ごしたエレバンでの日々を綴る。
 こんなふうに。

(A)クリスティーナ
 
「アルメニアについてなにか知ってることある?」クリスティーナがふと思い出したかのように尋ねてきた。「たいていの人はアルメニアのことを知ってるどころか、まず、どこにあるのってところから始まるのよ」
「そうですね」とぼくは前方に目をそらしながら考える。「たとえばムヒタリアンは知ってますよ。マンチェスター・ユナイテッドに所属している有名なサッカー選手なんですけど」
「サッカーはあんまり観ないけど、彼のことはよく知ってるわ。たしかに有名ね。ちなみに有名なスポーツ選手だと、テニスプレーヤーのアガシもアルメニア人よ」
「それにチェスの元世界チャンピオンのカスパロフもアルメニア出身ですよね」
「よく知ってるわね」と彼女はちいさく笑う。「ほかは?」
「……あとはやっぱり、美女が多いことですかね。ぼくら日本人旅行者のあいだだと、美女大国としてけっこう知られてるんですよ」
「そうなの?」目を丸くして、右どなりの友人に嬉々と話しかける。「ねぇ、ちょっと聞いてよ。アルメニアって美女大国って呼ばれてるんだって。なんか悪い気はしないわよね」
 美女大国なる発言は、なにも彼女の気を引くためのおべんちゃらではない。これまでに出会った多くの日本人旅行者がアルメニア人女性のことを賛美していたのだ。たとえばあるものは「天使はこの世に、アルメニアにいた」と、またあるものは「永住を真剣に考えた」と。さらに夫婦で旅をしている夫は、ホステルのきれいなレセプショニストに毎日のように「きれいだねぇ」と話しかけ、奥さんからひんしゅくを買ったと自嘲気味に話してくれた。
 そしてぼくもいま、ジョージアからアルメニアの首都エレバンへと向かうミニバスのなかで早くもそれを実感しているところだ。右どなりに座るエレバンの大学生クリスティーナ。ほっそりとした四肢に、勇ましい黒い眉と流星のようにきらめく垂れ目。鼻は一筆書きしたように細長く、唇はほんのり赤みが差している。
 そのきれいな横顔を見やりながら、ぼくは心密かに誓いを立てた。エレバン到着までの六時間のあいだに連絡先ぐらいは聞き出そう、と。

(1)美女の国

 エレバン到着後、〈ジョージア編〉で一緒だったユミちゃんが宿泊しているホステルを探した。先日SNSでのやりとりで、彼女がいまだエレバンにいることを知って合流することにしたのだ。
 地図を見て、番地を見て、方角を見て、歩く。だがほどなくして、眼が地図を離れ、番地を離れ、方角を離れ、潜望鏡のごとく三六〇度を旋回しはじめる。
 ここは、すごい。
 公園のベンチで紙コップのコーヒーを飲んでいるのも、美女。アイスクリーム・スタンドで肩肘をついて通りを眺めている売り子も、美女。道ですれ違う女性みな、美女、美女、美女。そんな彼女たちが闊歩する華やかな目抜き通りはさながらファッションショーのステージのようだ。
だがそんな浮かれ気分もつかの間のこと。ブランドショップのショーウィンドウに映り込んだ人影を目にしたとたん、気持ちは海の天候のように急激に陰りゆく。
 度重なる手洗いでよれよれになったTシャツ、色あせたサルエルパンツ、土色に染まったピンクのビーチサンダル。なんともみすぼらしい。アゼルバイジャンやジョージアの都市部でも似たような思いを味わったが、美女だらけの大通りを歩いているとかつてない羞恥の念に駆られる。禁断の果実を食べたアダムとイブもこんな気持ちだったのではなかろうか。
 気持ち早足になって、ユミちゃんの泊まっているホステルに赴いた。レセプショニストによると、ユミちゃんはほかの宿泊客と一緒に出かけており夜まで帰ってこないということだったので、この時間を使って洋服でも買おうと思い立ち、さっそく街なかに繰り出した。
 あたりをさまよったすえ、某有名ブランドのフェイク・ショップを発見した。サマーセール中で、それなりの品質の洋服がそれなりのお値段で売られている。Tシャツを物色していると、美人店員らが次から次に洋服を持ってきて、これはどうか、これなんか良いんじゃないかとアグレッシブにすすめてきた。ぼくはそれらすべてをもれなく購入した。Tシャツ三点とジーンズ一点。それでも三〇〇〇円としなかったし、美人店員におだてられて気が緩み、財布のひもも緩んで。
 ホステルに戻ったあと、エアコンのない蒸し暑いドミトリーで新品のTシャツに袖を通し、薄地のジーンズに履き替え、ウェットティッシュでスニーカーにこびりついていた泥を落とした。すこしでも文明人らしく見えますようにという願いを込めながら。
「パーティーにでも出かけるのか」
 ベッドに寝転んでいたスキンヘッドの若者が声をかけてきた。ぼくはためらいながらも正直に答えた。エレバンの華やかな街並みを、きれいな女性たちを見て恥ずかしさを覚えたのだ、と。
「たしかに、そういう気持ちも大事だな」と彼はちいさく笑った。「長旅をしているとおろそかになりがちだけど、身だしなみや人前での振る舞い方、それにいつか戻る日常のことも忘れないほうがいい」
 けれど、そういう彼はパンツ一枚しか身につけていなかった。

(B)ミツバチ

「さぁ、ここでビザを取ってこい」
 アルメニアの入国管理局の入口で運転手がミニバンの扉を開けた。クリスティーナをはじめアルメニア人が車内に残るなか、降りたのはぼくひとりだけだった。つまりほかの乗客は全員アルメニア人らしい。
 アライバルビザの窓口ではえらく時間がかかった。ぼくのふたつ前の列にいたインド人の家族がビザの発給でなにか問題があったらしく、ほとんど怒鳴るような声で事務員とやりとりを交わしている。
 ぼくのひとつ前には、べつのミニバスで先に来ていたと思しき三〇代ぐらいのひげ面のアジア人男性がいた。その風貌からしてなんとはなしに見当はついたが、右手に持っていたパスポートで日本人であることが分かった。彼のほうもぼくが日本人だということに気づいていたはずである。何気なくうしろを振りかえってきたとき、ぼくの顔を、手のなかのパスポートを一瞥してきたから。
 こういうとき、まれに気まずい雰囲気が発生する。たがいに日本人だと気づきながら、それでいて話しかけるほどでもないといった感じの独特の間合いが。
 でもこのときは共通の不安を抱いていたので彼のほうから話しかけてきた。「もう行っちゃいましたかね」
 そう、ミニバンに置いていかれるのではないかとはらはらしていたのだ。なにしろもう三〇分近く経っていたので。
「まあ、そのときはそのときですよね」
「たぶん、なんとかなりますよね」
「ですかね」
 沈黙。
「世界一周ですか?」
「いえ、コーカサス地方だけです。そちらは?」
「中央アジアとコーカサスです」
「そうですか」
 沈黙。
 ようやくインド人家族が去り、彼の番がまわってきた。ものの数十秒でビザを取得するときびすを返し、目を合わせることなく声をかけてきた。「おたがい間に合うといいですね」
 そうして名もなき日本人は足早に去っていった。以降、彼とは一度も顔を合わせていない。エレバンまでの道すがらも、エレバンでも。今にいたるまでも。
 こういう場面に出くわすたび、つい想像してしまう。いまこの瞬間どれだけの人が世界中を旅行しているのだろうか。飼い猫や観葉植物を知り合いに預けて、家を留守にして。マンションの一室をからっぽにして。その光景はどことなくミツバチを連想させる。世界中を飛びまわって、思い出という甘い蜜をため込むのだ。帰巣後は、持ち帰った蜜を糧にもう一年、二年と生きる。すべて消費したら羽を広げ、また飛び立ってゆくのだ。

(2)ゲストブック

「久しぶりだねぇ。ていっても、一週間ぶりだっけ?」
 二〇時ごろ、ドミトリーのベッドで暑さのあまりうんうん唸りながら転がっていたとき、ユミちゃんが帰ってきた。ほかの宿泊客とともにオーナーの車で郊外の公園に行き、バーベキューをしてきたのだという。ありがたいことに、その残り物であるナスやタマネギや肉を今晩の夕食としていただいた。
 コモンルームで四方山話をしていたときには、宿泊客が三々五々にやって来てユミちゃんに声をかけてきた。彼女も英語で挨拶をかえし、それからぼくのほうに向き直ると日本語でひとりずつ説明してくれる。
 まずは長い黒髪のアジアン・ビューティー。
「彼女は中国人の大学生で、ヨーロッパをめぐってるんだって。中華鍋と中国の調味料を持ち歩いてて、すごく料理がうまいんだよ。わたしもこの前、すごいおいしい中華料理を作ってもらったんだ」
 さっきドミトリーにいたスキンヘッドの若者。
「あのフランス人の彼はチャリダーで、次はイランに行く予定なの。もうイランビザも取得してるんだけど、明日こそ行く、明日こそ行くって毎日のように言いながら出発できないでいるんだ。このホステルの居心地があんまりにも良いせいでね」
 きれいな青い瞳のブロンド女子。
「あの子はサンクトペテルブルクの学生で、たしか一八歳ぐらいなんだけど、今回がはじめての海外旅行なんだって。すごい寡黙だけど、話してみるとすごく良い子なんだよ」
 ユミちゃんはこのホステルの宿泊客のすべてを知るゲストブックだ。
〈ジョージア編〉でも述べたが、ユミちゃんは彼氏と世界を巡っており、その彼は現在イランで彼女が来るのを今か今かと待ちわびている。彼女もエレバン到着早々イランビザを申請したのだが、その手続きが今なお長引いているせいで一週間以上もこのホステルに滞在するはめになり、宿泊客や従業員とすっかり仲良くなったのだという。
「ここにいるとぜんぜんお金つかわないんだよ。今日みたいにオーナーがいろんなところにごはんに連れていってくれるし。それ以外でも、そこのキッチンで誰かしら宿泊客がごはんをつくってくれて、毎日のようにユミも一緒に食べないって誘われるんだ……」
 そう言っているあいだにも、またもべつの宿泊客がやって来て「ハァイ、ユミー」
「ハァイ、ケイシー」
 一通り挨拶がすんだところでまたもやこちらに向き直り、「それで今の女の子はね……」とゲストブックはなおも語る。

(C)サムライ

 ビザ取得後、ぼくも大急ぎで表に出た。幸いミニバンはまだ停車していたが、乗客はみなぐったりとしていた。うちわをあおぎ、ペットボトルの水を飲んで、うつろな目でスマホをいじっている。なぜか扉が開けっ放しだったせいで、エアコンの冷気がすべて逃げてしまったようだ。
 ぼくが乗り込むとすぐさまエンジンがかけられ、ミニバンが発車した。クリスティーナが「遅かったわね」と無表情に述べてくる。おそらくそれは乗客全員の気持ちでもあっただろう。
「ちょっと、ビザ待ちの列が長かったもので」
「なにか面白いものでもあった? ビザの窓口って、わたしにとっては知らない世界なのよね」
「面白いかは分からないけど、窓口で日本人に会いましたね」
「旅先で出会う同郷の人ってどんな感じ?」
「すこしぎこちないです」
「どうして? 日本人ならうれしく思わないの?」
「いや、日本人だからですよ。海外では日本人と会うことをあまり想定してないので」
 彼女はかすかに首をかしげた。「わたしだったら興味を持つけどな。どうしてここにいるか、なにをしてるのかって。わたしはトビリシでおばあちゃんの家にずっといたんだけど、夜、バーに行ったりしてアルメニア人に会ったときにはいろいろ話したものよ」
「ぼくもいろいろ話したい気持ちはあるんですけど、日本人同士だと間合いが独特なんですよ。おたがい距離を詰めるのが難しいというか。一度縮まったら、いろいろ話せるんですけど」
 クリスティーナが興味深そうに眉をつり上げる。「まるでサムライね」
「サムライ?」
「映画で観たことあるけど、サムライってじりじりにらみ合ったあと、とつぜんわぁって斬りかかるじゃない。あれとおんなじ」

(3)バレリーナ

 翌朝、ユミちゃんがここエレバンで知り合ったという日本人バレリーナ、マオちゃんとワイナリー見学をするというのでぼくもついていった。
 バレリーナというから宝塚女優のような容貌を想像していのだが、待ち合わせ場所にいたのは目鼻立ちこそ整っているものの、どこかあどけなさが残る女の子だった。つば付きの白い帽子、Tシャツ、短パンという軽装で、エレバンに来たとたん慌てふためき着飾ったどこかの人と違って好感が持てる。
 さて、目指すワイナリーはエレバン南東のアレニという町にあるので、まずは地下鉄でバス乗り場まで移動した。エレバンの地下鉄は南北を走る一路線しかなく、一律五〇円ほどで乗車可能だ。
 下車。
 エレバンのバス停は行き先ごとに散在しているのでけっこう不便である。今回はパン屋の前という非常に分かりづらい場所で、バスもだいぶ年季の入ったマルシュルートカ(小型の乗り合いバス)だった。車内は補助席も使われるほど満員で、ぼくらは最後尾の座席に身体をちぢこまらせながら三人並んで座り、さきほどパン屋で購入したチーズパンで朝食を取った。
 道中ぼくは、サムライが間合いを詰めわっと斬りかかるかのごとく、マオちゃんの生い立ちを根掘り葉掘り尋ねた。彼女は一〇代後半に単身ウクライナの首都キエフで三年間バレエ留学し、現在はモスクワのバレエ団でプロバレリーナとして働いている。今回はロシア・ビザ更新のためにエレバンに来たそうで、あと一週間ぐらいでモスクワに戻る予定だという。
 ぼくも五年ほど前にウクライナでバレエ観賞をしたことがあったので、ここぞとばかりにバレエ知ってるんですアピールをした。国や席によって値段はピンキリだが、旧ソ連圏の物価が安い国ならだいたい一〇〇〇円未満で、バレエのみならずオペラやオーケストラまで観賞できるのだ。
「そういうところは、ヨーロッパはさすがって感じですよね。先進国でも日本よりずっと安いし、バレエがもっと身近にあるので」
 さらにマオちゃんはバレエ人生について現実的な計画を立てており、引退後は日本の地元でバレエ教室を開きたいのだという。「わたしはお金が欲しいんです。うちはこれまでけっこう苦労したから、いっぱいお母さんに孝行したいんですよ」
 不意打ちめいた告白に一瞬言葉が詰まった。が、バレエ好きとへたに文化人アピールする人よりよっぽど誠実で好感が持てる。
 しかし彼女はこうも続ける。「だから結婚するなら、堅実な人が良いですね。アーティストとかバックパッカーとかぜったいに無理ですよ」
 うんうん、と気丈にうなずいてみせるも、翻訳と小説を生業とするバックパッカーとしては勝手にふられた気がしてうら悲しい。
 そんなふうに感動したりがっかりしたりしているうちに、道もだんだん起伏が激しくなってくる。
「すごいですねぇ」とマオちゃんは窓外に目を向ける。「あ、あそこに馬もいますよ。それにしても緑がぜんぜんないですね。そこらじゅうチョコレートみたいな色してますよ」

(D)チョコレートの大地

 クリスティーナによるアルメニア語講座。
「こんにちは」は「バレヴゼス」、「ありがとう」は「シュノラカルチューン」というらしい。「でも若い人なら英語を話せる人も多いし、そんなに使わなくてもすむんじゃないかな」
「そういえば、あなたも英語がうまいですよね」
「わたしはアルメニア人学生が海外で働くためのNPO団体でバイトしてるんだけど、そこにインド人が大勢いて、日常的に英語を使うからなんとなく上達したのよ」
「へぇ、そんなにインド人が。けっこう国際的な都市なんですね、エレバンって」
「うーん、そのNPO団体にたまたまインド人が多いだけな気がするけどね。エレバン自体はとってもちっちゃくて、中心地は車だったら数十分もあれば端から端まで行けちゃうのよ。それでも、アルメニアはエレバンに一極集中してるから、あれでもいちばん大きいんだけど。ほかのエリアは本当になんにもないのよ。エレバンと、それ以外って感じで」
 彼女の言うとおり、越境してしばらくすると緑がだんだんと薄れてゆき、焦げ茶色の荒涼とした小山が連なりはじめた。ミニバスは曲がりくねった山道をすさまじい速さで走り、頻繁に反対車線にはみ出して車を追い越すので、窓外の山々は攪拌されるホットチョコレートのように波打っている。
 そのことを口に出すと、クリスティーナは忍びやかな笑い声を漏らした。「アルメニアならブランデーのほうがしっくり来るわね。エレバンには『アララト』っていう有名なブランデーブランドがあるんだけど、知らない? わたしには、ブランデーがじゃぶじゃぶ波打ってるみたいに見えるわ」
 すこしのち、ひとつ前の座席に座っていおばさんがビニール袋をひざのうえに載せ、なかからザクロを両手いっぱいに取り出した。食べるのかと思いきや、ハンドバッグのなかにザクロを放り込み、からになったビニール袋を広げて嘔吐しはじめる。
 それを見たクリスティーナは、頭上のエアコンの送風口の向きをそっと変えた。

(4)現代のワイナリー、最古のワイナリー

写真1_アレニのワイナリー

「シュノラカルチューン」
 と、運転手にお礼を告げ、アレニで降車した。山間の小さな村で、幹線道路沿いに大きなワイナリーが二軒並んで建っていた。うち一軒はなかがレストランになっており、大勢の観光客がオリーブをつまみにワインのテイスティングを堪能していた。ぼくらもさっそく白、赤、ロゼのほか、イチゴ、アプリコット、ザクロ、ピーチとさまざまなワインを試飲する。
「カクテルみたいに飲みやすいね」とユミちゃん。
「でも、ワインならブドウがいちばんしっくりきますね」とマオちゃんは言う。「アプリコットでもイチゴでもなく、ブドウのワインが世界中に広がったのもすこし納得です」
 その後参加したワイナリー見学では、アルメニア人の女性ガイドが貯蔵タンク、地下のワイン樽、ボトルに注入する機械などを説明してくれた。だが残念なことに、詳細はあまり覚えていない。ワインに酔っていたのか、きれいな女性ガイドに見とれてぼぉっとしていたせいか。
 近くに世界最古のワイナリーと靴が発見された洞窟があるというので、徒歩で向かった。途中、沿道には小さなワイン直売所が点在し、軒先の木造の棚には赤ワインの入った透明なペットボトルが並べられていた。
「本当か知らないですけど」とマオちゃん。「このあたりは隣国イランを往来するトラックが多いらしくて、運転手がこっそり飲めるようにコカ・コーラのペットボトルに赤ワインを入れて売ってるそうですよ」
 試飲したい気持ちもあることにはあったが、晴天、猛暑のせいで酔いがまわり、身体がダンシングフラワーのように揺れている。思いかえしてみればアゼルバイジャンあたりから飲む機会が激増し、行く先々で酔っ払っている気がする。
 かたや、節度を守ってワインを試飲した女の子ふたりはしっかりとした足取りで、地元の人に洞窟の場所を尋ねまわっていた。ここまでの道中もふたりが率先してバス停を探し、ワイナリー見学の手続きもしてくれたのだ。ぼくはというと始終キーホルダーとなって彼女たちにぶら下がっているだけである。
「ふたりとも海外の滞在歴が長いし、最近テレビでよくやってる、海外に住む日本人の紹介番組で取材されそうだよね」
 そう言うと、ボランティアでスリランカに二年間滞在していたユミちゃんがあっさり答えた。「それだったらオファーされたことあるよ。でも結局は引き受けなかったけどね」
「わたしもありますよ」とマオちゃんも言う。「わたしの場合は、予定が合わなくて断っちゃいましたけど」
 脳天炸裂、かるいジャブを繰り出したら強烈なクロスカウンターが返ってきたような衝撃だ。
 ふらふらっと洞窟到着。
 一般開放されていると聞いていたのだが、ゲートには大きな南京錠が掛けられていた。すこし手前の仮設テントに管理人らしきおじさんがいたので、マオちゃんがロシア語で交渉してくれた。はじめこそ断られたものの、そのうちテントの裏手から学者然とした太っちょのおじさんがひょっこり出てきて、「もしかして日本人かい」と尋ねてきた。
「そうですけど」とマオちゃんが戸惑い気味に答えると、「じゃあ特別に入れてあげるよ」と太っちょのおじさんは優しげな声で言う。「わたしには日本人の知り合いがたくさんいてね、みんな良い人だし、日本の人は大好きなんだ」
「やったー!」と大喜びの日本人女性ふたり。キーホルダーも一緒になってかちゃかちゃと喜びに揺れる。
 断崖絶壁にあいていた洞窟はほの暗く、ごつごつとした岩肌は滑りやすくて、奥にいくほど天井が低くなっていった。いまだ調査中なのかそちこちにロープが張り巡らされており、一緒についてきてくれた管理人のおじさんがなにもない穴ぼこを指さしながら「ここが靴の見つかったところだよ」「ここがワイナリーだ」と親切に教えてくれる。なんでも発見された靴は約五五〇〇年前のモカシンの革靴で、ワイナリーのほうは約六〇〇〇年前のもの、当時のワインは足踏み式で醸造されていたのだという。
 ただ、あとになって知ったところジョージアにも世界最古のワイナリーがあるというので、どちらが世界最古なのかはよく分からない。「ああいうのって言ったもの勝ちなのかもしれませんね」とマオちゃんは言っていた。

(E)アルメニア概説

「ロシア、アメリカ、ギリシャとか、アルメニア人は世界中にいるのよ。国内より海外に住むアルメニア人のほうがずっと数が多いのね」
「いわゆるディアスポラですね」
「そう。アルメニア人は昔から商売上手で、その交易関係で世界中に散らばっていったんだけど、否応なしに移住をせまられたこともあったの。たとえば一〇〇年ぐらい前にはオスマン帝国時代のトルコ人に大勢のアルメニア人が虐殺されるという事件が起きたのね。トルコとはいまでもあんまり仲がよくなくて、アララト山のあたりでは領土問題も残ってる。あのあたりも昔はアルメニア人が住んでいたし、アルメニアの領土だったのよ」
「たしかに、トルコとの関係は交通の便からも分かりますよね。隣国なのに、アルメニアからトルコまでの直通バスはないですから。ジョージアを経由しなくちゃいけない」
「それに、アゼルバイジャンとも仲が悪いのよ。その代表的な例がナゴルノカラバフ」
 ナゴルノカラバフとは、アゼルバイジャンとアルメニアのあいだで現在もなお領土問題が繰り広げられている地域である。ここを国として承認しているのはアルメニア一カ国のみで、国際的にはアゼルバイジャンの一部とされている。現在のナゴルノカラバフは比較的情勢が安定しており、観光客も訪れることは可能だが、中心地からすこし外れると打ち捨てられた戦車や廃墟がそこここに残っている。現在は事実上アルメニアの管理下にあるため、アゼルバイジャン側からは入境できず、アルメニアの首都エレバンから乗り合いタクシーで一二時間かけて行くほかない。
 ぼくもアルメニアにいるうちにナゴルノカラバフへ行くつもりだと言うと、クリスティーナはかくのごとく私見を述べていた。
「わたしも旅行したことがあるけど、とってものどかな良いとこだったわよ。危なくないし、自然もきれいだし。地元の人たちとも何人か話をしたけど、わたしから言わせれば、彼らはアルメニアになりたがっているように見えたけどね」

(5)合わせ鏡

 世界最古のワイナリーのあとは、タクシーでノラヴァンク修道院に向かった。一一〇五年に建造された聖カラペト教会、聖グリゴル教会、聖アストゥサツィン教会の複合体で、乾いた山の中腹に寄り添うようにして建っている。
 ここではそうした文化遺産よりも、至るところで笑い声をあげていた五〇人ほどの若者のグループのほうが目を引いた。みなおそろいのTシャツで、教会の前から二階部分まで埋め尽くし、集合写真を撮っている。
 ぼくらが石垣に腰掛けていたときには、ひとりの女の子が「どこから来たの?」と話しかけてきた。日本だと答えると「日本人なんて初めて会ったわ」と目を大きくする。
「あなたたちはどういうグループなの?」とユミちゃん。
「わたしたちは海外に住むアルメニア人学生なの。そうした人たちが母国を知るために集まって、国内を一緒に旅行するプログラムがあるんだけど、ここにいるのはみんなその参加者なのよ」
 つまりは、ディアスポラの子供たちらしい。
「じゃあ、みんな初対面なんですか?」とマオちゃん。
「人によるけど、ほとんどはそうかな。でもみんなすごく仲良しよ。あなたたちはどうなの?」
「わたしたちは旅先で会ったの」
「わたしと彼はジョージアで」とユミちゃんがぼくを指さしながら。「あとはそれぞれエレバンで」
「へぇ、偶然出会ったもの同士で旅行するなんて素敵ね」と女の子は微笑む。「あなたたちはふだんなにをしてるの? 学生?」
「ううん、理学療法士だよ」
「翻訳と小説をしてます」
「バレリーナです」
「あら、そう」
 と、女の子は目をしばたたかせる。ちょうどそのとき、すこし離れたところにいた学生らが彼女の名を呼んだ。女の子は大声で返事したあと、ぼくらに早口で告げる。「もっと話を聞きたかったけど、もう行かなきゃ。アルメニア楽しんでね」
 小走りに去り、ほかの学生らの輪に加わった。そしてその数秒後、たくさんの好奇な視線がいっせいにこちらへと向けられる。
「つい忘れがちだけど」とマオちゃんはひそひそ声で言う。「あっちからすれば、こっちのほうが珍しいんですよね」

(F)第三の目

 クリスティーナが挙動不審だ。ジーンズのポケットをまさぐり、ハンドバッグを漁り、前屈みになって足下に目を向ける。なにかを探しているようだが、そういうダンスの振り付けのようにも見える。
 どうしたのかと尋ねると、「ケータイをなくしちゃったのよ」と彼女は答える。「ズボンのポケットに入れてあったから、このへんに落ちちゃったと思うんだけど」
 小説家らしからぬことに車内の描写を忘れていたのだが、今さらながら書き足しておくと、運転手席のうしろには三人がけの席が二列ある。ぼくとクリスティーナとその友人は最後尾の座席に並んで座っており、トランクスペースにはバックパックやスーツケースや段ボール箱が山積みになっている。
 クリスティーナは座面にひざで立ち後ろを向くと、バーゲンセールのかごでも漁るように荷物と荷物のあいだに手を突っ込む。段ボール箱の隙間にまで手を入れる。それから居直ると、座席と座席のあいだの隙間にさっと手を突っ込む。淡いカプチーノ色の瞳が泳ぐ。その姿態は、隙間のずっと奥にいる得たいのしれぬ生きものを手探りでつかまえようとしているかのように見える。
「エレバンに到着したときにあらためてゆっくり探せばいいんじゃないですか」
「それもそうね……」
 そういっておとなしく座り直すものの、またしばらくすると「ちょっとごめんなさい」と言って、ぼくの座席の下に手を伸ばす。
「なにか緊急の用事でもあるんですか?」
「べつにないけど、どうも落ち着かないのよ。ケータイって目みたいなものだから」
「目」
「目を落っことしでもしたら、だれだって落ち着かないでしょ?」
 説得力があったので、ぼくも座席の下に手を伸ばして探した。クリスティーナの第三の目を。

(6)運命の一択

 エレバンに帰ってきたあと、マオちゃんの希望でジョージア料理店へ赴いた。ヒンカリ、オーストリ、シュクメルリと一カ国前の〈ジョージア編〉で紹介した料理がテーブルにずらり並ぶ。アルメニアでジョージア料理を食べるというボタンの掛け違いのような違和感、これも日本で中華料理を食べるみたいなものなのだろうか。
 すこしのち、シンタロウくんが合流した。ユミちゃんとマオちゃんが先日ここエレバンの日本食レストランで知り合ったという短髪長身の男の子で、ゴーグルのような縁なしメガネをかけている。元銀行員らしく、数年前に世界一周旅行をし、帰国後は遺跡発掘のアルバイトでお金を貯め、現在、世界二周目の旅行に出ているとのことである。突っ込みどころがいくつかあるが、世界二周目に関していえば意外とそういう人は少なくない。一周目で行けなかったところ、人から聞いて行ってみたくなったところなどを二周目で漏れなくまわるのだ。
 シンタロウくんいわく、アルメニアは世界一周目ではあまり時間をかけなかった国のひとつで、このたびの二周目では重点的に各地の教会めぐりをしているという。これまでのところアルメニアは「かなりの当たり」で、「やっぱりアルメニアはきれいな女性が多い」と続ける。さらには、とあるアルメニア人女性と色恋沙汰があったようなことまでにおわせるのだが、ぼくが羨望まじりに問い詰めても、具体的になにがあったのかまでは教えてくれない。マオちゃんとユミちゃんもすかさず追撃する。
「なんで隠す必要があるのかな。もったいぶる意味がわかんない」
「ホントはなんにもないのに虚勢張ってるだけなんじゃないの?」
 そのときぼくはシンタロウくんのたじろぐ様を見ながら大笑いしていたのだが、夕食後にはぼくが窮地に立たされることになった。マオちゃんとシンタロウくんがぼくとユミちゃんの泊まっているホステルを見てみたいというので行ってみると、レセプショニストの男性から無情通告を言い渡されたのだ。
「悪いんだけど、今晩はベッドがいっぱいなんだ。きみがもう一泊するとは思わなくてさ、もう先約が入ってるんだよ」
 どうせ明日もベッドがあるだろうと思って、延泊を告げることを怠ったツケがここに極まり。
「なんだかごめんね、こんなことになっちゃって」と目を細めるユミちゃん。
「ユミちゃんのせいじゃないから。ぜんぜん気にしないで」
 精一杯つよがってみせるものの、すでに二二時をまわっている今から宿を探すというのは泣き崩れたい気分だ。
ここで大小ふたつの手が差し伸べられる。
「良かったら、ぼくのホステルに来ませんか」とシンタロウくん。「中心地から一駅ぐらい離れるんですけど、ここと値段おなじぐらいですよ」
「あたしが泊まってるホステルに来ても良いですよ」とマオちゃん。「ここより値段は高いけどきれいだし、朝食つきですから」
 運命の二択……。
 とか言いつつも、考えるまでもなかった。すまん、シンタロウくん。男なら黙ってバレリーナ。

(G)ふたたび、アルメニア概説

 クリスティーナは第三の目の捜索をひとまずあきらめて、アルメニアのおすすめを教えてくれる。
「エレバンの南にはホルヴィラップ修道院があって、そこからならアララト山がきれいに眺められるわよ。あと、南東にずっと行ったところにはタテブ修道院があるわね。崖の上に建っていて、あそこも景色がすばらしいわ。タテブ修道院には世界一長いロープウェーに乗っていけるのよ」
「それだったら聞いたことがあります。たしか長さが五キロぐらいあるんですよね」
「そう、わたしみたいな高所恐怖症の人にはちょっとつらいけどね。それに、セバン湖もおすすめね。標高が二〇〇〇メートルぐらいあって涼しいから、いまの季節に行ったら気持ちが良いと思うわ。湖でとれるマス料理もおいしいし」
「料理っていうと、アルメニアの有名な料理はなんですか」
「いろいろあるけど、たとえばホロバツとかかな。お肉と野菜の串焼きなんだけど、それを薄い生地のパンと一緒に食べるの」
「シシカバブみたいな感じですか?」
「そんなイメージ。あとはピザね。アルメニアは牛の挽肉がたっぷり載ったピザが有名なの。でも、わたしはふつうのピザのほうが好きだけど。エレバンにはタシールっていう有名なピザ・チェーンがいっぱいあって、みんなよくそこで食べるのよ」
 クリスティーナはそう言うと、またなんの脈絡もなく座席と座席のあいだに手を突っ込む。ついさっきもおなじ場所を探したというのに熱心と。彼女はケータイが車内の暗がりをこそこそ移動しているとでも思っているのだろうか。

(7)キーホルダー生活

 マオちゃんのホステルは、中央広場からほど近い高層マンションの八―一〇階に入っていた。彼女は割高な四人部屋に宿泊していたが、ぼくは最安の約一二〇〇円の八人部屋にチェックインした。それでも十二分に清潔だったし、冷房もきいており、ふかふかのベッドは寝返りを二回打てるぐらい大きかった。広い食堂では紅茶とインスタントコーヒーが無料で飲め、ビニール製のソファが置かれたコモンルームには共用パソコン、本棚、テレビ、Playstationまである。
 なによりすばらしかったのはバイキング形式の朝食だ。オレンジジュース、オムレツ、目玉焼き、サラダ、チーズ、オリーブ、果物、ヨーグルトと、なんでも好きなだけ食べられて感涙にむせび泣く。
「ね、良かったでしょう?」と朝食の席で微笑みかけてくるマオちゃん。いやホントに、彼女のキーホルダーになって良かった。
 かくてその日からヒモならぬキーホルダー生活がはじまり、彼女がどこに行くにしてもついていった。
 あるときはサマーセール中の洋服店めぐりをして、クリスティーナが教えてくれたタシール・ピザでピザをたらふく食べた。あるときはエレバン中央広場の噴水ショーを観て、スーパーでお総菜とワインを購入し、ホステルのバルコニーで飲んだ。
 ある夜にはユミちゃんも一緒に、在アルメニア日本大使館の職員の方々との飲み会に参加した。場所は日本食レストラン「櫻田」、店主の櫻田さんも面白い人で、はじめはカンボジアとアルメニアどちらで店を開くか迷っていたらしく、アルメニアは店を開くときになってはじめて来たのだという。そんな背景からも察せられるとおり、櫻田さんは豪胆かついぶし銀だ。
「べつにそんなことねぇよ」
 首をちいさく振りながら謙遜するその口調は、江戸っ子だ。
 ちなみにこのレストランは日本人旅行者のあいだでも有名で、エレバンに来たらとりあえずここで日本食を食べるのがある種の慣わしになっている。ユミちゃん、マオちゃん、シンタロウくんもここで知り合ったと言っていたし、これから来る日本大使館の方々も櫻田さんがマオちゃんに紹介してくれたそうで、つまりはここが日本人同士のミーティング・ポイントになっている模様だ。
 噂をすればなんとやら、日本大使館の職員三人がやってきた。
丸の内オフィス街あたりを歩いていそうなきれいな身なりで、日本語で乾杯し、日本食を箸でつっつく。三人とも名字を名乗ってきたのでぼくも「イシカワといいます」と名乗りをあげた。旅行中は外国人、日本人を問わず下の名前で名乗ることがほとんどなので新鮮である。このあらたまった雰囲気のなか天ぷらや寿司を食べ、日本酒を飲むと気分はもう日本だ。
 宴会中、職員一同の関心はプロバレリーナであるマオちゃんに集中した。
「いまはアパート暮らし?」
「いえ、ホステルのドミトリーで暮らしてます。公演で留守にする機会も多いので、アパートを借りるよりも安くすむんです。来月には南アフリカに行く予定なんですよ」
「南アフリカ! それはすごいねぇ」
 といった具合に。
 そのさなか、ぼくは大使館職員らの一挙一動に熱い視線を送っていた。
 個人的な所感ではあるが、ぼくはこれまでどんなに長いこと旅をしていても大使館にはお世話になったことがなかった。だから各国に大使館があることは当然知りつつも、そこに勤める人たちはぼくとはけっして交わることのない妖精のような架空の存在にまで昇華されていた。だが、そんな架空の登場人物たちがいま目の前にいて、おなじテーブルでおなじごはんを食べている。その事実には言いようのない感慨を覚えたし、彼らの見せる人間的な振る舞いに少なからず驚かされもした。
 たとえばひとりの女性はマオちゃんの話に聞き入りながら、厚焼き卵をおいしそうにほおばっていた。もうひとりの若い女性はテーブルの端っこですこしばかり物憂そうにビールを飲んでいた。そしてひとりの男性はその若い女性のことをやたらといじっていた。さも中学生の男子が気のある女子にちょっかいを出すかのように。
 そうした彼らの人間味あふれる仕草のひとつひとつが、ぼくにとってはセンセーショナルな出来事だった。

(H)旅のゆくえ

「そういえばあなたはエレバンに着いてからどうする予定なの」
「まだなにも決めてませんけど、二週間後にはトルコに向かう予定です。もう航空券も買ってあるので」
「まだ旅行をつづけるのね。うらやましいわ」
「あなたはどうするんですか」
「べつになにも。このまま家に帰るわよ」
「だったら、このあとすこしお茶でもどうですか」
 と、言おうかどうか大いにためらった。会話の流れからしてしごく自然な、千載一遇のタイミングであった。
 しかしてその言葉が出かかったとき、チャンスはするりと逃げていってしまった。クリスティーナがさっとうしろを向いたのだ。そして座面のうえでひざを立て、背後の荷物の山をかさかさと漁りはじめる。

(8)観光ラッシュ

 シンタロウくんが去り、ユミちゃんがイランビザを取得してイランに旅立っていったあとも、ぼくはマオちゃんのキーホルダーとして一緒にエレバン郊外をめぐった。
まず向かったのは世界遺産のゲガルト修道院。
「行き方がけっこう複雑なんですけど」とマオちゃんが道中スマホを見ながら説明してくれた。「ガイドブックとネットの情報を参考にするかぎり、まず中心街のスーパーの前から一、二五、四四番のどれかのマルシュルートカに乗ります。これが一〇〇ドラム(アルメニア通貨)ぐらいですね。それで郊外のメルセデスベンツショップで降りたあとは、そこのバス停から二六五、二六六、二六八番に乗り換えます。これが二五〇ドラム。この番号だとゲガルト修道院の手前までしか行かないらしいんですけど、二八四番だったらゲガルト修道院まで行ってくれるみたいですよ」
 なるほど、さっぱり分からない。
 ぼくもガイドブックを持っていたので、ふたりしてひとつずつステップを確認しながら修道院を目指した。二時間ほどで無事到着。
「槍」を意味するゲガルト修道院は、キリストを刺したかのロンギヌスの槍が発見された場所であり、扉には槍のレリーフが施されていた(槍自体は現在、エレバン郊外にあるエチミアジン大聖堂で保管されている)。そもそもアルメニアは世界で初めてキリスト教を国教として定めた国で、ゲガルト修道院もその頃の約四世紀に創建されたものだ。建物は岩山を掘り抜いて造られており、慎ましげな陽光に照らし出された洞窟のような一室では、聖歌隊が幻想的なコーラスを歌っていた。
 ただ、夏休みシーズンのせいか観光客が多く、おちおち見てられなかったので、早々にほかの観光客とタクシーをシェアしてガルニ神殿へ向かった。
 ガルニ神殿とは紀元前ごろ、ミトラ教の神殿として使用されていたアルメニア唯一のヘレニズム建築の建物で、かのパルテノン神殿のミニチュア版といった外観をしている。こうしてギリシャ文化が出てくると、ヨーロッパに近づきつつあるのだということをあらためて実感させられる。
 ここも観光客でごみごみしていたので早めに切り上げ、今度は徒歩一五分の距離にあるというストーン・シンフォニーを目指した。Googleマップで道のりを確認し、神殿前の坂道をくだって未舗装路を進んでゆく。
「ほんとに大丈夫ですか」とマオちゃんが不安げな声で言う。「この道って正規のルートじゃないですよね。劇団からけがにつながるようなアクティビティは禁止されてるんですよ」
「きっと大丈夫だよ。すぐ近くだし、地図で見るかぎり道はあったから」
 と、たまには彼女を引っ張ってみようと勇み足で向かってみたのだが、すぐに半分水没した道に迷い込んだ。ぬかるんだ道の端を慎重に一歩ずつ進み、大きな水たまりをぴょんと飛び越えて、もぉーっと鳴くウシのそばを通り過ぎる。しまいには民家の木枠の柵に行き当たった。
「ごめん、やっぱり引き返そうか」
そう言おうとうしろを振りかえってみたら、マオちゃんがいない。
 駆け足で来た道を戻ると、ガルニ修道院へとつづく坂道を戻っていく彼女のうしろすがたを発見した。聞けば、さっき道ばたにいたウシに驚いて引き返したのだという。「あんな道、わたしには無理です。わたしはバックパッカーじゃないんですよ」と彼女は声を荒らげる。
 ぼくは何度も謝り、自省した。長旅をしているとぬかるんだ道を歩いたり、ウシの真横を通り過ぎたりすることぐらいふつうの感覚になってしまう。身だしなみしかり、そういうイレギュラーなことをイレギュラーだと思うこころも忘れないようにしないといけない。帰国後、日本社会に融け込めなくなってしまうので。
 その後、キーホルダーとしての名誉を挽回するべくあっちこっちの人に訊きまわって正規ルートを発見し、やっとこストーン・シンフォニーに到着した。
 切り立った崖の表面を線状の凹凸が無数に走っており、シンフォニーなる呼び名よろしく、その形状はパイプオルガンのパイプ部分によく似ている。気の遠くなるほど長い時を経て形成されたことは分かるが、いかような浸食プロセスを経ればこのようなかたちになるのか。そう首をひねらずにはいられないほど、圧巻の眺めだ。

写真3_ストーンシンフォニー

「これはたしかにすごいですねぇ」
 と、マオちゃんも上機嫌になったところで記念撮影し、エレバンに帰還。すでに昏時時だったが、その足で中心街のカスケードという場所に向かった。
 そこはカスケード(滝)をコンセプトにした階段状の大規模な近代建築物で、外側は階段、内側はエスカレーターで上り下りできる構造になっている。バリー・フラナガンやフェルナンド・ボテロといった彫刻をはじめ、数々の近代・現代アートが展示されており、各階にはアート・ギャラリーまであった。世界広しといえど、このような展示の仕方にはお目にかかったことがない。アルメニアの底力みたいなものを垣間見たような気がする。
 頂上からはエレバンの街並みが一望できた。近隣で採掘される石材が薄茶色をしているため、街全体もほぼ同色に染まっている。これに斜陽が混ざり合い、だんだんと赤が深まってゆく。遠方には、アララト山が透かし絵のごとくうっすらと浮かび上がっていた。

写真2_エレバン街並み

 そんな暮れなずむ街を眺めながら、マオちゃんからバレエ劇団の裏事情、日本人バレリーナとしての葛藤や奮闘などさまざまなエピソードを聞いた。小説家の端くれにはなんら具体的なアドバイスを贈れなかったが、自分にできないことをやってのける人は無条件で尊敬するし、遠き異国の地でたったひとり闘うさまは素直に応援したくなる。
「そろそろ、いきますか」
 エレバンが薄闇に沈んだあと、ぼくらはカスケードを一段ずつくだっていった。今し方のしんみりとした雰囲気もたちまち失せ、「なに食べようか」「もうピザは飽きましたね」と言い合いながら。

(I)銀の指輪

 エレバンまであと一時間というところで、小休憩のためミニバンが路肩に停まった。道ばたの細長い管から勢いよく出ている清流の水を、乗客は手ですくい、ないしは空のペットボトルに注いで飲んでいく。ぼくも水筒に注ぎ入れ、冷たい水でのどの渇きを癒やした。
 一方、クリスティーナは女友達と車内にとどまっていた。座面を外し、這いつくばるようにして床の隅々を見まわしている。さらには運転手の手も借り、トランクに積まれた荷物をひとつずつ動かして、外に出しはじめた。
 そして突如、歓喜の声があたりに響きわたる。
「あったわ! ほら、座席のすぐうしろに落ちてたのよ」
 クリスティーナはそう言ってぼくにもスマホを見せてきた。けれど、ぼくの目はスマホではなくそれを持つ手のほうに釘付けになった。そのときになって気がついたのだ。薬指に銀の指輪がはめられていることに。
「結婚してるんですか」
 それとなく尋ねると、「あぁ、これのことね」と彼女は薬指に目を向けた。「彼も学生なんだけど、つい二ヶ月前に結婚したのよ」
 ぼくは外れた座面をもとに戻し、座席にすわった。

(9)外れたキーホルダー

 マオちゃんがロシア・ビザを更新してモスクワに帰ったあとも、ぼくは一週間近くおなじホステルに留まり続けた。
 このホステルの居心地の良さは尋常一様ではない。朝起きればバイキング形式の朝食が待っているし、冷房の効いたドミトリーで昼となく夜となく快眠できる。エレバンの居心地の良さも尋常一様ではない。昼・夜のごはんはスーパーのお総菜で安くすませられるし、オープンカフェでコーヒーを飲みながら行き交う美女を観賞できる。
 ときには観光もした。下記のとおり、エレバンはこぢんまりとしていながらもけっこう見どころが多いのだ。
  • セルゲイ・パラジャーノフ博物館―映画『火の馬』で知られるパラジャーノフ監督のミュージアム。一日中いても見飽きないほど素敵なコラージュ作品ばかり展示されていた。
  • アルメニア虐殺博物館―アルメニア人虐殺の歴史を学べる貴重な資料館である。
  • ナショナル・アート・ギャラリー―中央広場前にある立派な建物で、アルメニア絵画が思いのほか良かった。
  • マルティノス・サリアン博物館―アルメニア・アート巨匠のひとり、マティスやゴーギャンにも通ずるものがあり、小規模ながら良い。
  • Yervand Kochar博物館―アルメニア・アート巨匠のひとり、超小規模で学芸員がほぼつきっきりで解説してくれた。
  • 古文書館マテナダラン―数々の古文書が展示されている。いずれも挿絵が素敵で、ユークリッドの原本の写本もあった。
  • エチミアジン大聖堂―エレバン郊外にある世界遺産かつ世界最古の教会で、教会内の博物館にはロンギヌスの槍とノアの箱船の木片が展示されている。
 またときには、ホステルの本棚にあった小説を読んだ。このホステルをはじめ、世界各地の安宿には本棚が置かれていることがけっこうある。そこには旅行者が置いていった本も交ざっており、自然、海外や旅行関連の本が多い。ぼくはそうした安宿の本棚に並ぶ本を眺めたり、読んだりするのが好きなのだ。題名は忘れたが、過去にはアボリジニに関するノンフィクションを読んだ。コエーリョの『アルケミスト』を読んだ。ヴォネガットの『青ひげ』を読んだ。ちなみに『青ひげ』はオスマン帝国時代のアルメニア人虐殺を題材にした小説である。
 このときはブローディガン『愛のゆくえ』の原書を見つけたので、それに読みふけった。既読だったが、どうしても読み返したかったのだ。タイムリーな話題だと思ったから。その小説にはヴァイダという男をあまねく魅了する女神のような女性が登場するが、ここアルメニアの地を踏んだ男たちは誰しもが、ヴァイダを目の当たりにしたかのような恍惚とした想いにとらわれるのではなかろうか。それも、街じゅうにあふれかえったおびただしい数のヴァイダを。

(J)アルメニアのはじまり

「中心地だったら地下鉄に乗ればすぐ着けるわよ。じゃあ、エレバン楽しんでね」
 ミニバンがエレバン鉄道駅に到着したあと、クリスティーナは春風のようなさわやかな笑みとともに去っていった。
 そのシルエットが雑踏のなかに消えていったのを見届けたあと、ぼくもユミちゃんが泊まっているホステルを目指して歩きはじめた。せめてクリスティーナから教えてもらった見どころをたくさんまわってアルメニアを思うぞんぶん楽しもう、とみずからを奮い立たせて。

(10)アルメニアのおわり

 しかしながら明日こそ行こう、いやきっと明日こそ行こうと思いながら日々が錚々と流れゆき、ナゴルノカラバフも、ホルヴィラップ修道院も、タテブ修道院も、セヴァン湖も結局行かなかった。ジョージア料理は食べても、アルメニア料理は食べなかった。そして一度としてエレバンから出なかった。言うなれば、これが〈アルメニア編〉のオチに相当する。
 本稿序盤では、フランス人のチャリダーがホステルの居心地が良いがあまりイラン行きを延期し続けていたが、あれは実際にあった出来事とはいえこの物語を語る上での重要な伏線でもあったのだ。

今なおプロローグ

 八月二九日の深夜二時、森閑としたエレバンのズヴァルトノッツ国際空港。
 ぼくはセキュリティゲートを通過したあと、搭乗口近くのベンチに座り、財布のなかのドラム通貨をクレジットカードやUSドルが入っているマネーベルトのほうに移し替えた。ドラムは数千円相当があまっていたが、両替するのはやめた。またいつかアルメニアに戻ってきたいから、今回行かなかったところをまわりたいから、そのための動機付けとして残しておくことにしたのだ。
 三〇分ほどして搭乗口が開くと、ぼくはイスタンブール行きの飛行機へと続くタラップをそっと渡った。一歩、また一歩と、今回アルメニアで過ごした日々が次回この国を訪れたときの伏線になることを祈りながら。

■ 石川宗生(いしかわ・むねお)
1984年千葉県生まれ。米大学卒業後、イベント営業、世界一周旅行、スペイン語留学などを経て現在はフリーの翻訳家として活躍中。「吉田同名」で第7回創元SF短編賞を受賞。2018年、同作を収録した短編集『半分世界』で単行本デビュー。