1.
 昼下がりのホテルの一室、ぼくは大いに悩んでいた。
 ノートパソコンで作業をしたいのだが、この部屋には脚の短いソファテーブルしかなく高さが合わない。カーペットに座り、座布団代わりに枕の上に座り、テレビ台を机がわりに使って試行錯誤するが、どれもしっくりこない。ホテルの従業員にテーブルがないか訊いてみても「悪いけど、そういうのはないんだよ」と申し訳なそうに断られた。
 詮なくベッドにうつぶせに寝そべり、枕にあごをおいて作業をする。だがしだいに首まわりが痛くなり、集中力が切れてくる。目がしぱしぱ。かすみだす。ぼうっとする。よし気分転換、とバスタブに湯を張って浸かる。さっぱりしたところでラジオ体操第一、第二。ひと粒、ふた粒と瓶詰めオリーブを突っつき、インスタントコーヒーを飲みながら作業再開。あれ、そういえば今日の試合の結果どうなったんだろ、とサッカー関連のネット記事をあさり、YouTubeでサッカーの試合動画を観始めてその関連動画から関連動画から関連動画から……。
 気づけば、二三時。
 まぁこうなっては仕方ない、明日頑張るとしよう、就寝。
 翌朝、濃いめのインスタントコーヒーでしゃきっとしたところで、ベッドで作業開始。次第次第と込み上げてくる首の痛みに悶絶し、ベッドの端から端へごろんごろん。よし気分転換と入浴し、ラジオ体操第一、第二。三ページ、四ページと作業再開。ちょっと息抜きに、と読みさしの小説を繰る。繰る。繰る。作業再開もくるくる煮詰まり部屋を歩きまわる。端から端はおよそ四歩。厚手のカーテンをほんの少しだけ開ける。いつのまにやら夜。すぐ目の前は駐車場だ。闇とセダン。月と犬。窓辺にちらりほらりと雪片のようなものが。ちらついている。ちかちか光っている。なにかしらん、と目を凝らすと、蛍。あら、雅。ていうか、いま何時だ。
 二三時。
 まぁこうなっては仕方ない、明日頑張るとしよう、就寝。
 そんなふうにして負のスパイラルへ突入し、はや一週間が経過。

 なぜジョージアにいながらにしてこのような事態に陥ったのか。順を追って話せば、そもそもぼくはしがない小説家である以前にしがない翻訳家でもあり、翻訳の仕事をしている以上は翻訳の仕事があるわけでいちおうの締め切りというものを持っているのだ。これまでの旅すがらもひまを見てはちょこちょこと作業を進めていたのだが、度重なるホステルでのドミトリー暮らしのせいでなかなか思うようにはかどらなかった。
 そこで、前回〈アゼルバイジャン編〉で一緒だったナギサちゃんをはじめ、愉快な旅の仲間たちとジョージアの首都トビリシで別れることになったのを機に、たまった仕事を一気に片付けようとインターネットで安いシングル・ルームを探したのだが、これがまたぞんがい難航した。ジョージアは物価が安いとかねがね聞いていたのだが、おそらくそれは物価が高いことでおなじみのヨーロッパ方面から流れてきた旅人たちの言葉で、中央アジアから来たものにとっては高めに感じられてしまう。ことドミトリーとシングル・ルームの価格差は歴然で、ドミトリーは約五〇〇円からはじまるのに対し、シングル・ルームはおおむね約二〇〇〇円から。一泊ならまだしも最低三泊はしたいので、塵も積もれば山となる理論でいけば是が非でも出費はおさえたい。
 そこで目をつけたのがクタイシという、トビリシから西にバスで三時間ほどいったところにある、ジョージアで二番目に大きな街であった。シングル・ルームの相場が比較的安く、運良く一軒だけエアコン付きで一三〇〇円で泊まれるところを発見した。
 そんなわけでさっそく、マルシュルートカという小型の乗り合いバスに乗ってクタイシへ。本題のホテルは中心地から二キロほど離れた郊外の幹線道路に面していた。アメリカの片田舎にあるモーテルといった外観で、館内の壁にもハリウッド映画のポスターが何枚か貼られている。
 レセプショニストは無精ひげを生やしたあんちゃんで、「よぉ、予約してるミスター・イシカワだな?」とぶっきらぼうに挨拶してきた。その口調もハード・ロックなら、着ているTシャツもレッド・ツェッペリンだ。「まぁ、ついてこいよ」と、隠れ家的なバーにでも誘われるような感じで階段を上がり、二〇一号室に案内された。
 立て付けの悪い扉を入った先は赤いカーペットの小部屋。小ぶりの冷蔵庫があり、その上にはガラスのコップと小皿とフォークとスプーン、瞬間湯沸かし器と使いきりのNescafeが三袋置かれている。
 扉がふたつあり、ひとつはタイル張りの浴室とつながっていた。簡素なバスタブのほかバスタオル、使いきりのシャンプーとリンスの小袋も完備されている。
 もうひとつの扉の先が寝室。床は赤のカーペットで、ソファテーブル、ひとり用カウチ、テレビ台とテレビ、ダブルベッド、サイドテーブル、ベッドランプと、このホテルがホテルと名乗るだけの調度がそろっている。しかもあんちゃんがやたらと親切で、エアコンの付け方からテレビのチャンネルの回し方まで、果てはこれがベッドランプでこれがカウチだと指さしながらつぶさに説明してくれた。さもぼくが現代に迷い込んできたネアンデルタール人であるかのように。
「どうだい、気に入ったか?」
 あんちゃんがロック調に訊いてきたので、ちょっと乗ってみた。
「いぇい、最高!」
 
 とまあ、チェックインした当初こそ、エアコンの冷風を身体いっぱいに浴びながら喜びの舞いを踊っていたものの、その一時間後には冒頭で述べたテーブルの高さ問題にさいなまされることになったのだ。
加えて、食事も問題だった。この手の缶詰生活には自炊が最適だが、あいにくキッチンがない。そこでハード・ロックあんちゃんに、周辺に割安なレストランがないか尋ねてみた。
「中心地まで行かないとなんもないなぁ」と彼は腕組みしながら答える。「ただ、レストランじゃなくてもいいんなら、ここを出てすぐの交差点のところにパン屋があるから、そこでケバブサンドを買えるよ。おれもよく買って食べてるんだ。まあまあうまいよ。ただ、ほかの菓子パンとかはあんまりうまくないんだけどな」
 さっそく、くだんのパン屋へ。
 ケバブサンドは中、大、特大とスリーサイズから選べるようになっていた。なぜ小がないのかよく分からないが、ぼくは数回に分けて食べられるように中サイズをふたつ注文した。その場で一口食べてみると、たしかにまあまあうまい。ついで、ほかの菓子パンをいくつか買って食べてみると、たしかにあんまりおいしくない。
 つづいて近くの商店で、黒糖パン、オリーブの瓶詰め、ソーセージ、コーンフレーク、インスタントラーメン、インスタントスープ、ヨーグルト、牛乳、ポテトチップス、リンゴ、オレンジ、ピーチを冬眠前のリスのごとく大量に買い込み、ホテルに持ち帰った。これらを翻訳の合間にちびりちびりと食べ、二、三日後、あまねく胃のなかに消失したらまた買い出しに行くというサイクルを繰り返した。 
 その結果、ジョージアまで足を運んでおいてホテルの半径約一〇〇メートルからまったく出ないという日々を送ることになったのだ。

 この単調な日々におけるささやかな楽しみが、お風呂であった。
 こんなことをあえて言葉にするのもなんだけど、ぼくは『ドラえもん』のしずかちゃんと肩を並べるぐらいお風呂好きだと自分で思っている。日本でもお風呂で読書をするのが日課だったし、一〇代の頃はよく湯船に浸かりながら数学や英語の問題集を解いていた。かくいう今も、自宅の湯船にノートパソコンを持ち込み、あなたが目にしているこの文字をタイピングしている。ものはためしにと思って。
 風呂から出てさらにタイピングを続けます。
 好きな小説も風呂関連が多い。たとえばサリンジャーの『フラニーとゾーイ』。兄妹のさりげないやりとりも秀逸だが、冒頭でフラニーがシェーバーや石鹸を扱うさまなど、石けんの香りが漂ってきそうな細々とした浴室の描写がうっとりしてしまうぐらい素敵なのだ。そしてなにをおいても、ジャン・フィリップ・トゥーサンの『浴室』。主人公がバスタブに居心地の良さを見出し、実質居を構えて、半引きこもり状態になるという筋がもうたまらなくすばらしい。たしかに引きこもるなら浴室にかぎる。余生を過ごすにしても、陽だまりの縁側とかではなく浴室でいい。死んだときには、棺桶がわりにバスタブに入れてほしい。だれか出版業界のお偉いさん、お風呂アンソロジーでも編纂してくれないかしらん。
 話を元に戻そう。
 周知の通り、海外では通常、星のつくようなホテルでないかぎりバスタブはないので、風呂好きは難渋するはめになる。せめてもの慰みにシャワーを長時間浴びてみても、やはり母胎のようなぬくもりと安堵をもたらすかの神秘的体験には遠くおよばない。それだけにここの浴室の扉を開いて、純白の輝きを放つ大いなる陶の器を見出したときにはもう天にも昇るような心地になった。
 嗚呼、蛇の口から注ぎ出る命の水よ! 古今東西の宝石とてくすんで見えるほどの、透きとおったきらめきよ! 立ちのぼる湯けむりは恍惚のハーモニー。ゆらめくレコード盤につま先を浸ければ、口からハミングが漏れ出る。さぁ、愛しきあの娘へのプレゼントのように、この身をあますところなくそっと包み込んでおくれ!
 ……などと、総毛立つほどの快感に震えながら、昼となく夜となくじゃぶんを繰り返した。一文訳しただけで、じゃぶん。ごはんを食べて、じゃぶん。映画を観て、じゃぶん。じゃぶんをして、じゃぶん。
 電話が鳴ったのは、まさにそんなふうにしてバスタオルで身体を拭い、浴室から出てきたおりであった。
「いまどこですか、もうメスティア行きました?」

2.
 朝九時半、クタイシのバス停。
 気温はすでに四〇度近く、汗が止まらない。ここのところエアコンの涼風に当たりっぱなしだったので忘れかけていたが、いまは真夏なのだ。
 水風呂に浸かりたいという並々ならぬ欲望をおさえながら待つこと約一〇分、三名の日本人バックパッカーがやって来た。
 まずは、『Dr.コトー診療所』よろしくとある離島で小児科の先生をしていた通称「先生」。
 現在は世界一周中で、ぼくとはトビリシで知り合い、ジョージア北部をともに周遊したあと単独でアルメニアに旅立っていった。特徴は大きな黒縁メガネと、マイナスイオン出しまくりのヒーリング・ボイス。その声で数々の児童の身体と心をいやし、ついで母親のこころも射止めてきた。というのが、ぼくの勝手な妄想。ちなみに昨日、ぼくに電話をかけてきたのがこの先生であり、これからメスティアに向かうというのでぼくも便乗することにしたのだ。翻訳の作業がまだ残っているが気分転換にもなるし、メスティアで居心地の良い滞在先を見つけたらそこで作業を続けようと思った次第である。
 二人目はマゴさん。
 なにを隠そう〈ウズベキスタン編〉に登場した「スウィート・ドリーム」の科白で(ぼくのなかでは)おなじみの心優しき元長距離トラック運転手。ウズベキスタンのあとはトルクメニスタン、イランへと渡り、アルメニアで先生と出会ったあと、ここまで一緒に来たのだという。ジョージアではマゴさんをはじめいろんな旅人と再会したが、こうしてかつて出会った人とふたたび旅をするというのはRPGゲームのパーティー編成のようでこころが踊る。
 最後は紅一点ユミちゃん。
 明るい陽気な理学療法士で、先生とマゴさんとはトビリシのホステルで偶然一緒になり、旅人特有のノリでクタイシまでついてきたとのこと。ボーイフレンドと一緒に東まわりで旅をしているそうだが、現在は別行動を取っておりイランあたりで落ち合う予定なのだとか。
 以上、医者、トラック運転手、理学療法士、翻訳家という色もの四名でメスティア行きのマルシュルートカに乗り込んだ。近頃は浴室のタイルしか目にしていなかったので、緑豊かな車窓の風景を眺めているだけで自分が旅行者だったことをだんだんと思い出してゆく。
 六時間という微妙に長い道中では、となりの席になったマゴさんからアルメニアの首都エレバンのゲストハウスで盗難に遭ったことを聞かされた。ただ、もとより明鏡止水とした人柄だからか「まぁ、ぼくの場合は数十ドルぐらいの少額で済んだからいいんですけどね」と淡々としたものだったが。
 だがここで、うしろの席にいた先生が身を乗り出し「ぼくの場合は一〇〇(USドル)以上もやられたんですよ」と怒り気味に言葉を継いだ。
 先生いわく、その盗人は某国の旅行者で、そのとき宿泊していた日本人全員が出払っているすきにそれぞれの荷物から抜き取ったのだという。それもあり金ぜんぶを盗むのではなく、それぞれの荷物から分からない程度の額をすこしずつ取っていったのだとか(とはいえ、金銭管理に長けたバックパッカーたちはお金がなくなっていることにすぐ気づいたらしいが)。先生はゲストハウスのオーナーにこのことを報告し、盗人に「金を返せ!」と詰め寄り丁々発止とわたりあったが、まったく罪を認めようとしなかった。
「最終的にはオーナーまでぼくのほうがおかしいみたいな感じで言ってきて、もう泣き寝入りするしかなかったんです。そりゃもちろん証拠はないですけど、状況からして犯人はあいつ以外考えられないんですよ!」
 死語同然の言葉をあえて使わせてもらうなら、激おこぷんぷん丸である。

 ことはついで、ここで「旅と盗難」というショートエッセイを寄稿しておこう。
 このふたつは牛丼と紅ショウガぐらい切っても切り離せない関係にあり、サッカー日本代表の決定力不足ぐらいの永遠の課題である。こと中南米は有名で、貴重品は持ち歩くよりも宿に置いておいたほうがまだ安全とされている。
 個人的にはエクアドル・キトの路線バスで、ショルダーバッグに入れてあったデジタルカメラを電光石火の早業で盗られたことがある。また、アルゼンチン・ブエノスアイレスでは、夜八時にひと気のない路地を歩いていたところケチャップ強盗に引っかかった。
 ちなみにケチャップ強盗というのは、どこからともなくトマトケチャップが全身に降りかかってきて、偶然そこを通りかかった人(犯人もしくは共犯者)がナプキンペーパーでケチャップを拭き取り、その隙に財布をくすねるという集団犯罪だ。危険察知能力や予備知識があればいくらでも防げるが、ぼくはもとよりアホなうえなにも知らなかったため呆気にとられ、ズボンのポケットに入っていた財布もきれいにとられた。
 こうしたケチャップ強盗をはじめ、世界各地の窃盗関連の犯罪にはさまざまな手段が存在し、そのいくつかはどうしたって防げないものもある。
 たとえばある旅人は、ホステルのドミトリーでバックパックのジッパーに南京錠をかけ、ワイヤーロックでベッドの脚に結んでおいたところ、ワイヤーを切られバックパックごと盗まれた。
 ある旅人は、バス停の裏路地で大勢の男たちに神輿みたいに担ぎ上げられ、中空で身ぐるみを剥がされた。
 ある旅人は夜行バスに乗り込んだところ、どこぞのミステリ小説みたいに乗客全員が強盗犯であった。
 こんなの、もう笑うほかない。

「もう泣き寝入りですよ」
 激おこの先生が腕組みしながら目を閉じ、ほかの三人もうとうとしてきたところでメスティア到着。さっそく、先生ら三人がクタイシで泊まっていたゲストハウスのオーナーからすすめられたという宿を探した。
 ここでユミちゃんが大車輪の活躍を見せ、道行く地元民や商店のオーナーに流暢な英語でゲストハウスの場所を尋ねまわった。なんのためらいもなく、ときには愛嬌さえふりまきながら情報収集してゆくさまはさながらRPGゲームの女勇者だ。
「なんか、ユミちゃんって男前だよね」
「かわいいけど、たよりになるっていうか」
「そうですね。もうなんか、いいですよね」
 とは、彼女のうしろをひょこひょこついていった一介の旅人三名の弁である。
 そんな女勇者一行が探し当てたゲストハウスは「嘘でしょ?」とつい口走ってしまうほどのおんぼろ屋敷であった。苔むした高い石垣に囲まれており、その向こうに覗く家の石壁には蔦が絡まっている。家門の木材はところどころひび割れ、腐食し黒ずんでいる。門をたたきでもしたら、毒を盛る気満々の魔女がひょっこり顔を覗かせそうだ。
「住所的にはここであってるんすけどね」
 先生が戸惑い気味に言うも、ゲストハウスの看板はどこにも見当たらない。
「……もしかしたらあそこに見える、あのきれいな建物のほうなんじゃないかな?」
「あぁ、たしかにあれも宿っぽいね」
「いちおう訊いてみましょうか」
 みんなして現実から目をそむけ、きれいな宿のほうに足を運んでみるが、やはり違うとのこと。それでもどうしてもこっちのほうに泊まりたかったのでダメ元で値段を尋ねてみると、ぼくらの予算を遙かに超えるセレブ的料金であった。
「仕方ないので、戻りますか……」
「まぁ、なかは意外とふつうかもしれないしね」
「何事も見た目で判断しちゃいけないっていうし」
「人間も、家も……」
 と、ぼそぼそ励まし合いながら来た道をもどり、おんぼろ屋敷の門をたたいた。しかして門を開けてくれたのは、あの映画『アメリ』でおなじみのオドレイ・トトゥによく似た女性だった。紺のタンクトップとジーンズというラフな出で立ち、光沢美しい黒髪をうしろで結んでおり、クロスグリめいた大きな黒目でぼくらのことを不思議そうに見つめている。英語こそほとんど通じなかったものの、先生がゲストハウス名を連呼するが早いかにっこり微笑み、ちいさな口をちいさく開く。
「イエス」
 タン・タタン・タン、タン・タタン・タン、と『アメリ』のサントラが脳内でリズミカルに自動再生されるなか、ぼくらは彼女について軽やかなステップで門をくぐった。
 石垣のなかはけっこう広く、ところどころ剥げた芝生が広がり、木造の軒先には薪が山積みになっていた。玄関を入った先がリビングキッチンで、どの調度品も使い込まれているものの清潔に保たれている。ソファにはこれまたタンクトップすがたの女性が一人座っており、キッチンカウンターの陰では愛らしい三人の子供がくすくす笑いながらぼくらのことを眺めていた。ユミちゃんがさっそく子供と戯れ、男三人はアメリ談義を続ける。
「あれはアメリの姉と子供かな」
「アメリの子供かもしれませんよ」
「あのアメリが子持ちだなんて信じがたいな」
 カフェで働いていた劇中のアメリよろしく、メスティアのアメリもてきぱきとポットでお湯を沸かし、ウェルカムティーとクッキーでもてなしてくれる。茶目っ気たっぷりのウィンクつきで。
「ボナペティ」
 たぶんこのときアメリは片言の英語でべつのことを言ったのだろうが、そんなフランス語が勝手に脳内翻訳された。
 寝室は急な石階段をのぼった先にあった。ブランケットが花柄やアニメのキャラクターとばらばらだったり、ベニヤ板のついたてでベッドとベッドが仕切られていたりと生活感や工夫にあふれている。トイレは最近改装したらしく、ぴかぴかタイル張りの洋式だ。総じてきれいだし、値段も安いし、なによりアメリがいるし、ここに二泊することに文句なく決定。
「やっぱり、何事も見た目で判断しちゃいけないってことですね」と感慨深げにうなずく先生。
 まぁ、アメリがいるからっていうのは見た目にほかならないけども。

 あらためて、メスティア散策。
 標高は約一五〇〇メートル、気候はおだやかで、周囲の山々はただ見ているだけで目が良くなりそうなほど緑に萌えている。こぢんまりとした山間の町ではあるが、二〇〇〇年代半ばよりツーリズムが活発化し、スキーリゾート施設が相次いで建設され、トビリシからの飛行機も就航した。中心地には新しめのヨーロッパ風のオープンカフェやレストラン、立派な構えのツーリスト・インフォメーション・センターまである。
 ただ、メスティアはトレッキングの拠点の町なので、言ってしまえば見どころはアメリひとりを除いてあまりない。ぼくらが遠路はるばるメスティアに来たのも明日赴く予定のウシュグリという村が目当てだったので、今日のところは町ぶらがてら土産物屋を見てまわり、黄昏時、観光客でにぎわうレストランでジョージア料理を堪能した。
 トマト風味のとろけるような舌触りのビーフシチュー、オーストリ。
 見た目もかわいらしい目玉焼きの載ったチーズ入りパン、ハチャプリ。
 ニンニクとサワークリームで煮込んだ鶏肉料理、シュクメルリ。
 ジョージア料理は長期旅行者のあいだでおいしいともっぱらの評判だが、こと中央アジア料理に比べると見栄えも味付けも格段に種類豊富である。どれを食べてもおおむね外れがなく、味蕾があまねく感涙むせび泣くかのようにしてよだれが出てくる。
 わけても印象的だったのはヒンカリという水餃子だ。皮を一口かじると、なんだかありがたそうな黄金色の肉汁がじゅわっとあふれだす。実のところ今回の旅では水餃子を食す機会がままあり、中国ではチャオズ(チベット圏ではモモ)、中央アジアではマンティと呼ばれていたが、ここジョージアではヒンカリという名に変わった。さらにはなぜか西に向かうにつれて少しずつすこしずつ巨大化してゆき、いまやこぶし大にまで変貌を遂げたのだ。
「子供の成長でも見守ってるみたいな気持ちですよね」
「餃子の進化の歴史を早送りで見てるみたいっていうか」
「水餃子っていうより小籠包じゃないの、これ?」
 と三者三様につぶやきつつも、みんなすぐに夢中になって肉汁をチューチュー吸いはじめる。
 食卓のお皿がきれいさっぱり片付いたところで、こんどぼくは夢中になってユミちゃんに質問を浴びせた。彼女はけっこうな人間びっくり箱で、過去にはJICAの海外青年協力隊として二年間ほど、ちいさな商店が一軒があるだけのスリランカ辺境の村に滞在したことがあり、英語もスリランカ語もぺらぺらなのだとか。ただ、田舎での生活は相当な苦労がつきまとったらしい。
「日本もそうかもしれないけど、ああいう田舎はとにかく噂が広まりやすいんだよね。贅沢とかしたらすぐに目についちゃうし、陰口もたたかれるから、甘いものも買えなかったんだ。だから村にいるときは、仕事の時間以外ずっとホームステイ先にいたんだよ。それでたまに大きな町に用事があって出かけたりしたとき、ついでにお洒落なカフェに寄って息抜きするんだ」
 エピソードがいちいちたくましくて感服する。さらに現在別行動中のボーイフレンドとはともにアフリカを縦断し、ネパールでは約二週間かけてエベレスト・ベースキャンプをトレッキングした。つい最近はイギリスで治験を受けたのだという。
「あれって身体検査がけっこうシビアでさ、彼氏のほうは体重が足りなくて失格しちゃったんだけど、あたしだけ合格したんだ。まぁ、彼にはすこし悪い気もしたけど、せっかく受かったし、なんかもったいなかったからあたしだけイギリスに残って治験を受けたんだよね。で、そのあいだ彼にはヨーロッパをまわってもらって、これからイランで合流する予定になってるんだ」
 ちなみに治験は旅人の小遣い稼ぎとして知られており、とくにイギリス、フランス、ドイツといった西欧諸国が有名だ。内容によって報酬や待遇はさまざまだが、治験施設には頻繁に通わなくてもよく時間を比較的自由に使えるものもあれば、ホテルの滞在費まで払ってくれるものもある。
「いや、ぼくもやってみようかと思ってたところなんですよ」と先生も言う。
「でも、治験って危険なことはないんですか?」とぼくは素朴な疑問をぶつける。「素人目からみて、危ないイメージが付きまとうんですけど」
「ぜんぜん安心ですよ。何度も試験したうえで人間に適用するんですから。時間に余裕があるんならおすすめしますよ」
 本物のお医者さんからヒーリング・ボイスでそんなこと言われると、お金はもちろんのこと一種の経験としてやってみたくなる。とはいえ、このときの先生は自分の発言をこの旅行記で書かれることになるとはつゆほども思っていなかったろうし、彼のためにもここはアメリさながらきりりとカメラ目線になって一言述べておきたい。
「責任はいっさい負いません」

 タン・タタン・タン、タン・タタン・タン。
 翌朝、軽妙な調べが脳内に響くなかアメリのゲストハウスを出て、中心地のトラベル・エージェンシーのオフィスに向かった。朝八時、首尾よくジープ・タクシーに乗車し、ウシュグリへと出発する。
 ウシュグリとはヨーロッパで最も標高の高い村(約二一〇〇メートル)で、世界遺産にも登録されており、ヨーロッパ最後の秘境という異名でも知られている。その一因が道の悪さ、交通の便の悪さである。夏のあいだはトラベル・エージェンシーが出すジープ・タクシーが走っているが、冬場は半年間近く雪に閉ざされるらしく、各々がジープを高額で貸し切るしかないのだ。
 ぼくらを乗せたジープも数十分ほどででこぼこの未舗装路に入った。大嵐を進む船舶のように右に、左にと大きく揺れ動く。途中、切り立った崖の隘路に差し掛かったときには、対向車が来るたび崖ぎりぎりまで車を寄せるはめになった。好奇心にかまけて谷底を一瞥でもすれば「ほぇぇえっ」と縮み上がる。 
 まだ見ぬ土地への期待か恐怖のせいか心臓を高鳴らせながら、二時間ほどでウシュグリに到着。
 一見したところ、ウシュグリは手のひらに収まりそうなほどこぢんまりとしている。小川を背に石造りの家々が寄り集まっている様は円形劇場の舞台のようで、これをなだらかな緑の山々が観衆のごとく取り巻いている。そして遠方には、白い衣をまとったコーカサス山脈最高峰のシュハラ山(約五二〇〇メートル)が主賓席に座した王のごとく居丈高にそびえたっている。

写真1_ウシュグリの山

 帰りのジープまで五時間ぐらいしかないので、さっそく村のなかを散策した。うららかな日差しが降り注ぐなか、何頭ものウシが家々のあいだに伸びる細長い未舗装路をのっそりと歩いている。深い静けさに包まれており、小川の瀬音から靴が枝を踏みしめる音まで明瞭に聞こえる。
とある一軒家を横切ったときには、大きな歌声が聞こえてきた。覗いてみると、男たちがワイングラス片手に食卓を囲み、民謡らしき歌をうたっている。以前、ジョージアを訪れたことのある知り合いから、この国では食堂などで偶然居合わせた者同士が一緒にうたいだすことがあると聞いていたが、このことかもしれない。
 村外れの丘の上にのぼってみると、一二世紀頃に建てられたという石積みのラマリア教会があった。手前には色とりどりのミツバチの巣箱が並び、入り口には古色蒼然とした鐘がみっつ吊り下がっている。礼拝堂のなかはひんやりとしていて、靴音、ひそひそ声、咳払いが忍びやかにこだましていた。明かり窓からは白みがかった光芒が差し込み、壁一面に描かれたフレスコ画をそっと包み込むようにして照らし出している。
 教会前のなだらかな斜面にみなで腰を下ろし、持参したパンを食べていたときにはユミちゃんが「ほんと素敵なところだよね」と感嘆の声を上げていた。「ゲストハウスもけっこうあるし、日帰りじゃなくて一泊ぐらいのんびりしても良かったかも」
 こうした牧歌的な風景もたしかにすばらしいが、ウシュグリにはそれ以上に目をひきつけてやまない、高さ二五メートル、幅五メートルほどの構造物が林立している。
 ウシュグリ名物、復讐の塔だ。

写真2_復讐の塔_

 いちおうメスティアにも相当数の復讐の塔が点在していたが(そっちは重複するので説明を省いた)、ウシュグリのそれは村の規模(人口約二〇〇名)に対して数が二〇以上とかなり多く、剣山のようにも見える。
 某ガイドブックによると、メスティアやウシュグリふくめ、ここスヴァネティ地方は約一七五の復讐の塔が現存しており、その起源は九から一三世紀ごろにさかのぼると言われている。この起伏の激しい土地では城壁で村全体を囲うのが難しく、それぞれの家が敵の侵入に備えて要塞を築き上げる必要があったため、このような塔が建てられることとなった。敵の侵入や自然災害のときの避難場所のほか、一族の貴重品の隠し場所としても使われたそうだ。
 また一説によると、スヴァネティ地方にはかつて「血の掟」なるものが存在しており、一族の一員が危害や屈辱を受けた際、相手の一族に復讐をする習慣があった。この塔にはそうした復讐から身を守るための役割もあったのだのたという。
「ここの人たちから見れば、日本の昼ドラなんてかわいいもんなんでしょうね」とひしめく塔を一望しながら、先生が苦笑交じりに言う。
 誰が命名したのやら知らないが、「復讐の塔」は相当に罪深いパワーワードだと思う(ちなみにガイドブックやインターネットで調べたところ、日本語では「復讐の塔」という用語が頻繁に使われているのに対し、英語では「Svan Tower(スヴァネティの塔)」とだけ表記されているものが多かった)。その響きから自然浮かび上がってくるのは、ご近所さん同士が血なまぐさい戦いを繰り広げる昼ドラ版『バトルロワイヤル』といった惨憺たる情景だ。
「だけど」と先生は続ける。「こんな素敵な牧草地で血みどろの復讐が行われてただなんて、かなり非現実感がありますよね」
 まあたしかに。何事も相対的だというが、周囲の景観が牧歌的であればあるほど、それとは不釣り合いの「復讐」というイメージがよけい際立ってくる。
「そういえば」とマゴさんもぼそりと言う。「映画だとときどき残酷なシーンにクラシック音楽が使われますけど、あの効果にも似てる気がします」
「それに環境も大きそうですよね」と先生。「冬場とか雪に閉ざされて、家にこもりきりになったら怨恨だってどんどん膨らんじゃいますよ」
「なんか『シャイニング』みたいにおかしくなりそう」とはユミちゃん。
 思いのほか早くウシュグリを見終えてしまったぼくらはそんなふうに、帰りのジープ・タクシーの時間までえんえんと妄想を育みつづけた。巡りめぐってたどり着いた結論は、映画を実現するならやはり『アメリ』にかぎるということである。

3.
 翌朝、アメリが小さく手を振って見送るなか、ぼくらはバックパックをかついで振り返り振り返りゲストハウスをあとにした。
 ここのゲストハウスは居心地が良いし、いつでも本物のアメリを鑑賞できるという最大最強の利点もあったが、先生とマゴさんがクタイシに引き返すというのでぼくもそれに便乗することにしたのだ。そもそもぼくにはまだやるべき翻訳作業が残っており、アメリのゲストハウスは宿泊するならまだしも作業をするにはあまり向いていない気がしたのである。一人きりになれないし、なによりアメリが気になって集中できなさそうなので。
 一足先にトビリシに向かうというユミちゃんともバス停でお別れとなった。「また会おうね」と快活な笑みを湛えながら女勇者は去っていく。
 マゴさんと先生が留守番を命じられたワンワンみたいに悲しげな目をするなか、ぼくはとても明るく彼女のことを送り出した。すごくメタ的な予告をすると、ユミちゃんとは次の〈アルメニア編〉で再会する運命になっているのでまったくもって悲しくないのだ。
 クタイシ行きのミニバンではタケシくんという日本人の男の子と偶然一緒になった。日本の大手メーカーのITエンジニアで、今回は夏期休暇を利用してコーカサス地方を周遊しているのだそう。そういえばもう八月上旬だし、お盆休みも近いのだな、と日本のサイクルをこんなところで間接的に実感。
道中は行きと違って静かなものだった。
 まず、一度通ったルートをたどるほどつまらないものはない。
 そして、紅一点のユミちゃんがいなくなったとたんむさ苦しくなったせいか、会話が一気に弾まなくなった。『ドラゴンクエスト』でたとえるなら、寡黙な武闘家四人でパーティーを組んでバランスが一気に崩れたみたいな。

 無骨な男四人が四方の車窓にそれぞれ目をやりながら、クタイシに帰還。マルシュルートカを降りるなり、猛烈な暑気が全身にまとわりつき、汗がどっと流れ出した。涼しいメスティアにいたので忘れかけていたが、いまは真夏なのだ。
 と、ここでとつぜん、先生が医学論文の続きを書くためカフェに行くと言い出した。
「医者はやめたんじゃないんですか。論文って、なにを書いてるんです」
 ぼくが疑問をぶつけると、先生はいつものヒーリング・ボイスで説明してくれた。
「つまり小児科の△※☆が◇▲で◎☆■■※というわけなんですよ……」
 異世界の言語めいていてほとんど意味不明だったが、ひとつだけ分かったのは、ただ医学界に貢献したいからという純粋な動機から現在も論文を書き進めているということ。まさかそんなファンタジーの登場人物みたいな聖人がこの世に存在するとは……。
 武闘家から本業の医者に立ち返った先生といったん別れ、三人で有名なゲストハウス「メディコ&スリコ」へ向かった。マゴさんはクタイシ滞在中、先生とユミちゃんと一緒にこのゲストハウスに泊まっていたので、道中、ぼくとタケシくんに「注意喚起」に等しい説明をしてくれた。
「メディコとスリコというのはそこのオーナーの名前なんですが、とくにそのスリコさんがすごいんですよ。行ってみれば分かりますが、いきなり飲まされます。夕食の前にも飲まされて、夕食の最中も飲まされます。夕食のあとにも飲まされるんです」
 実を言うと、スリコさんの名は旅人のあいだでけっこう広く知れ渡っている。パキスタン・フンザのハイダーじいさん、イスラエル・エルサレムのイブラヒムじいさんと、世界各地には旅人のあいだで有名なじいさんがたくさんいるが、このスリコじいさんもそのひとりなのだ。いまにして思えば〈アゼルバイジャン編〉のシェキで出会ったイラン人の若者がすすめていた、アホほどワインが飲めるゲストハウスというのもここのことだったのだろう。
 さて、本題の「メディコ&スリコ」は中心地から一〇分ほどゆるやかな坂道をのぼった住宅街のなかにあった。白塗りの一軒家で、庭先にはぶどうの木が植わり、家の壁にまで蔦が伸びている。玄関の外階段を上がり、敷居をまたぐと、キッチンで調理をしていた白髪の女性が「あら、いらっしゃい」とにこやかに出迎えてくれた。
「この方がスリコさんの奥さん、メディコさんですよ」とマゴさん。
 丹念にくしが入れられた白髪はティアラのように美しく、目鼻立ちも楚々としている。「若いときはきれいだったんだろうね」というよくある言葉を裏切っていまでもべっぴんさんだ。英語はあまり話せないものの、その挙措は貴婦人のように気品がありながら多弁で、身ぶり手ぶりを見ているだけで字面を読むがごとく科白が浮かび上がってくる。
「あら、またお客さんが来たのね。あらあら困ったわ、ベッドはまだあったかしら。ちょっと見てみましょうね。あなたたちも一緒についてきなさい」
メディコさんに案内されたドミトリーは、リビングルームのとなりの一室だった。グランドピアノをはじめ、使い込まれた調度品が部屋のそちこちにあり、そのあいだあいだに白いシーツのかけられたベッドがはめ込まれるようにして置かれている。
「よかった、まだいくつか空いてたわね。しょっちゅう人が出入りしてるものだから、ときどき分からなくなっちゃうのよ。さぁ、どうか好きなベッドを選んでちょうだい。重い荷物はおろして、一休みするといいわ」
 言われるがままにバックパックをおろし、ベッドの端に腰を下ろした。一息つき、周囲の家具をひとつひとつ見やりながらふと想像する。
 リビングにはメディコさんの子供らしき写真もいくつか飾られていたし、ここはかつて家族のリビングルームで、子供たちが長じて家を出ていったあと、スリコさんとメディコさんはゲストハウスをはじめたのではなかろうか。がらんとした部屋を寂しく思い、旅行者の賑やかさでその埋め合わせをしようと思ったのではなかろうか。メディコさんのたたずまいといい、部屋の模様といい、この家は恍惚とした物語性に満ちている。
「たぶんスリコさんは地下の自室にいると思うので、ちょっと行ってみますか」
 勝手知ったるマゴさんにつづき、いったん外に出て、玄関横の地下へと続く小階段を下りた。ヨーロッパの伝統家屋によくある半地下で、両手に小部屋があり、窓はちょうど地面の高さに位置している。扉が開かれた一室では、白髪頭の男性がシングルベッドに寝そべっていた。
「これがスリコさんです」とマゴさんが小声で言う。
 イメージどおりと言えばイメージどおりだが、スリコさんは半袖ネルシャツのボタンをすべて開けて、ぐーすかいびきをかいていた。窓際のテーブルには白ワインのデカンタと飲みかけのグラスが置かれ、テレビもつけっぱなしになっている。
「起こすのは申し訳ないし、またあとにしますか」
 そう言って立ち去ろうとしたとき、背後からとつじょ大声が鳴り響いた。
「ウェルカーム!」
 振り返ると、スリコさんが上半身を起こし、赤ら顔をしわくちゃにして笑みを爆発させている。 
「ドリーンク!」
 起き抜けとは思えぬ早業でウシの角のグラスに白ワインをなみなみと注ぎ、ぼくらに差し出してくる。このウシの角はジョージア伝統のワイングラスで脚がなく、飲み干すまで置けないという曰わくつきだ。

写真3_牛の角のグラス

 戸惑うぼくらを見て、スリコさんもグラスを手に取りワインを注いで、こうするんだぞと言わんばかりにぐいっと飲み干してみせる。詮なくぼくらも一気飲み。すると息つく暇もなく、今度はチャチャ(ジョージアのウォッカ)のショットグラスを突きつけられる。いや、よくよく考えればまだ名乗ってもいないし、スリコさんはぼくらが宿泊客だということも知らないはずなのだが、それなのにいきなり酒を飲まされるとはおそろしい。
 ぼくらがようようショットグラスを干すと、スリコさんはくしゃっと破顔し「カム、カム!」と半地下の奥へ案内してくれた。そこはワインセラーで、ワインを貯蔵したプラスチックボトルやぶどうの圧搾機などが置かれていた。一角の棚には自家製のジャムやらピクルスやらのガラス瓶が並んでおり、これがベリー、これがオリーブだ、とスリコさんが片言の英語で説明をしてくれる。
 色とりどりの保存食や漬け物もたしかに気になるが、それよりも真っ赤に染まったスリコさんの鼻頭やはだけた胸元のほうに目がいってしまう。どうやらほかならぬ彼自身が、この半地下ですっかりアルコールに漬けられている模様だ。

 スリコさんによる酒の洗礼をどうにか切り抜けたあと、昼寝をするというマゴさんをひとり残し、夕食の時間までタケシくんとクタイシを観光することにした。実を言うと、一週間以上も滞在しておきながらクタイシを観光するのはこれがはじめてなのである。
 まず向かったのは中心の噴水広場。
 クタイシは日本の京都のようなところで、長い歴史を通じて何度となく首都になってきた。紀元前は、古代ギリシャ神話『アルゴナウタイ』で知られたコルキス王国の首都で、ギリシャの勇士たちはこの地にある金羊毛を求め、アルゴー号で大航海をしたのだ。現在、この中心地の噴水には金羊毛を再現したとおぼしき金色のヒツジの像が飾られている。
 急な上り坂をのぼってクタイシ随一の観光名所、バクラティ大聖堂へ。

写真4_バクラティ大聖堂

 一一世紀に建造されたこの大聖堂は、世界遺産に登録されながらも過度な改修を行ったがために、数年前、世界遺産から除外されてしまった。ある意味、世界遺産よりも珍しい「元」世界遺産だ。ひときわ美しい翡翠色の屋根も改修時に塗装されたものらしく、一昔前の朽ち果てていた大聖堂の写真と見比べると、およそおなじ建物とは思えない。その余波なのか、ぼくらが足を運んだときもなお内部で改修工事が行われていた。
 ここで印象に残ったのは、大聖堂そのものよりも「世界遺産から外れたせいで、とことん開き直っちゃったんですかね」とぼそりと漏らしていたタケシくんだった。余談ではあるが、彼はとても気の利く好青年である一方非常に寡黙な人柄でもあったので、あとにもさきにも本旅行記における彼の発言はこれきりである。
 いちおうその後もバザールを見てまわり、ロープウェイで街中の小山の頂上まで行ったが(小さな遊園地があった)、端的に言うとクタイシの見どころはそれぐらいだ。四〇度近い炎暑のなか歩きまわるのはけっこうしんどく、さきのスリコさんの洗礼もあいまって頭も足もふらふらしはじめたので早々に宿に帰還した。
 一九時、医学論文を書き終えた先生も交えて、待ちに待った夕食タイム。
 リビングの長テーブルに着いたのは、ぼくら日本人四人とフランス人の若者、麗しの貴婦人メディコさん、すでに酔っ払っているスリコさん。そして現在べつのゲストハウスに宿泊している先生の旅仲間だという日本人三名も、これから夕食を食べにやって来るとのこと。
 食卓にはすでにワインのデカンタとチャチャのボトルに加え、ソーセージの炊き込みご飯、トマトソースの香り漂うスープ、トマトとキュウリとタマネギのサラダ、ピクルス、カッテージチーズなど、メディコさんによる豪華な手料理が並んでいる。
 この垂涎もののごはんに一刻もはやくありつきたいところだったが、先生の仲間たちがいくら待てどもやってこない。先生がいく度となくスマホでメッセージを送るも、返答はなし。「遅いですねぇ」と先生が怒気を込めながらつぶやき、ほかの面々も「食べたい」「食べたい」「飲みたい」とマントラのごとく連呼しつづける。
 約三〇分が経過。
 悟りの境地に行き着く前にしびれを切らしたぼくらは、さきに食べましょうとメディコさんに提案した。だが、麗しの貴婦人は慈愛に満ちた口調でさとしてくる。「さきにはじめるなんてありえないわ。どんなときも、ごはんはみんなで一緒に食べるものよ。そのほうがずっと楽しいでしょう?」
 食と酒の欲望にまみれたぼくらと違って、本当に情に厚い。

 ワンワンでいうところのお預けをさらに三〇分ほど堪え忍んだあと、ようやく日本人三名が到着した。ぼくら全員こころなし殺気だっていたが、メディコさんとスリコさんは平生どおりにこやかに応対していたので、それにならって精一杯の笑みで出迎える。でもやはり、ほほをすこし引きつらせながら。
 ではまあ、気を取り直して、
「カンパーイ!」
「ソンテ!」
「ガウマルジョス!」
 と日本語、フランス語、ジョージア語で乾杯。
 ぼくらがワインを一口飲んでいるあいだに、スリコさんはソムリエの存在を全否定するかのような豪快な飲みっぷりでグラスを干す。ぼくらが飛び跳ねたくなるほどおいしいメディコさんの料理に舌鼓を打っているあいだにも、テーブルをまわってぼくらのグラスにワインとチャチャをわんこそばのごとく注ぎ足し、アルコールの海に沈めてゆく。
 みな、南の海を浮遊しているみたいにぽわぽわ気持ちよくなってきたところで、スリコさんがCDラジカセにカセットテープを挿入した。流れてきたのはジョージアの民謡でもポップスでもなく、かつて日本人旅行者にもらったものだという日本の民謡であった。
 これをBGMに、空飛ぶスリコ劇場が開演。
 スリコさんはガラスのワイングラスふたつを上下二段に片手で持ち、下側のグラスを口元にそえてわずかに傾ける。すると上側のグラスに入っていたワインが表面を伝って下側のグラスに流れ落ち、それを飲んでゆく。
「ブラボー!」
 床に置いたグラスを口でくわえ、手を使わずに飲む。
「ブラボー! ブラボー!」
 てのひらにグラスを逆さに置き、わずかに傾けて、その隙間から漏れ出したワインをすするようにして飲む。
「ブラボー、ブラボー! ブラボー!」
 拍手喝采に上機嫌のスリコさんは、メディコさんをがばっと抱き寄せ「メディコ、アイ・ラブ・ユー」と雨あられとキスを浴びせはじめる。メディコさんも嫌な顔ひとつせず、ひそやかに微笑みながら愛にこたえる。「イエス、アイ・ラブ・ユー・トゥー」
 先生とマゴさんも、以前泊まったときにほぼ同様の飲み芸を見たと言っていたし、きっとスリコさんは毎日のように宿泊客の前で芸を披露し、メディコさんとキスを交わして愛を確かめ合っているのだろう。ローレル&ハーディーのコメディ映画のようなある種の形式美として。大ヒットロングランの愛の喜劇として。
 などと物思いにふけっているあいだに、空飛ぶスリコ劇場は第二幕に突入。
 スリコさんが日本の民謡に合わせて踊りながらワインを飲む。ブラボー! ぼくらを立ち上がらせ、たがいに腕を交差させながら一気飲みする。ブラボー! みなでグラス片手に輪になって踊る。ブラボー!
 見ているぶんにはまだよかったが、参加するとなるとまた話はべつだ。
 ウシュグリの牧草地と復讐の塔、殺戮シーンにクラシック音楽、酔いどれのスリコさんと麗しのメディコさん、そうした相反するふたつの要素が劇的な相乗効果を産むがごとく、『おもちゃのチャチャチャ』『およげたいやきくん』『アイアイ』のラインアップを聴きながら浴びるように酒を飲み、やっほやっほと踊っていると狂気にも近しい感情に呑み込まれそうになる。「おれはここでいったいなにやってんだろう」とせせら笑う自分をどこかに追いやるべく、よりいっそうアルコールをあおるという悪循環。
 二二時をまわったころには外食してきたというポーランド人の若者三人組も加わり、一気飲みに次ぐ一気飲みがはじまった。国籍も、言語も、グラスもごった混ぜになって、繰り返される乾杯の音頭。グラスとグラスがきぃんと弾け、あおりあおられあおられる。くほほほほと飲んでは笑い、やっほほほほと飲んでは踊っているうちに視界が白みだす。あれよあれよというまに酔いと時計がまわる。
 気づけば、二三時。
 ふと、先生がいなくなっていることに気がついた。
「屋上かもしれませんね」
 そういうマゴさんにつづいて屋上にあがってみると、先生が木製のベンチにぐったり横たわっていた。声をかけると、「もう、無理っす」ときれぎれの言葉。
「ここで寝るつもりなんですか、先生?」
 いくら問いかけても、もう返事がない。
「ここならきっと大丈夫ですよ」とマゴさんが微笑する。「この前泊まったときも、先生はここで寝てましたから。実はここのほうがドミトリーより涼しかったりするんです」
 たしかに、ときおり吹きつけてくる夏の夜風が心地よい。ひんやりとした風の指先がほほを撫でまわし、熱っぽかった頭がだんだんと冷めてゆく。階下から響いてくる笑い声が山彦のようにずっと遠くに、おぼろげに聞こえる。
 こういうふうに酔いからふっと醒めるとき、なぜだか一日の終わりを実感としてともなうことがままある。それは日本でも、ジョージアでも、世界のどこでも変わりない。空飛ぶスリコ劇場も、もう閉幕だ。
 去りぎわ、マゴさんが物言わぬ先生に向かって恒例の決め科白を投げかける。
「スウィート・ドリーム」

 
 翌朝、宿泊客がかわりばんこにトイレに駆け込むなか、先生が次の目的地キプロス島に向かうべく空港行きのタクシーに乗り込んだ。
正午にはマゴさん、タケシくん、ぼくの三人がチェックアウトし、中心地から路線バスに乗り込んだ。「メディコ&スリコ」はすばらしいゲストハウスだったが、どこをどう考えても腰を据えて翻訳作業をできるような場所ではないと思ったのだ。
 マゴさんはこのあとトルコに、タケシくんはアルメニアに向かうため、バスターミナルの前でふたりと別れた。
 ぼくはそのまま路線バスに乗り続けて、あの見慣れた交差点の前で降車した。行きつけのパン屋と食料品店の前を通り過ぎ、横断歩道をわたってあのホテルの扉を開けた。
「こんにちは。部屋、空いていますか」
「もちろんだよ」とレセプショニストのあんちゃんが気さくに答える。今日の口調もハード・ロックなら、Tシャツもレッドツェッペリンだ。「案内するまでもないだろうけど、まぁついてきな」
 ふたたび二〇一号室。
 あんちゃんが出ていったあとエアコンのスイッチを入れて、ベッドに寝そべりながら翻訳作業を再開する。その合間にバスタブにお湯を張って、じゃぶんと浸かる。じゃぶん、じゃぶんと幾度なく浸かっているうちにまたもや思い出す。
 ジャン・フィリップ・トゥーサンの『浴室』。
「直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺の二乗の和に等しい」という言葉を引用したあの小説も、たしかこんなあらすじをたどったような気がする。浴室にこもりきりになった「ぼく」に恋人のエドモンドソンがせっついてきたり、オーストリア大使館から招待状が届いたりする。そのうち「ぼく」は居心地のよかったようやくバスタブから出るのだが、あっちこっちをさまよった挙げ句、結局はまた浴室に引きこもることになる。そしてまたあの妙に艶めかしいエドモンドソンがやって来て、オーストリア大使館から招待状が届いて……。
 そんなことを考えながらお湯のほとばしる蛇口をしめたとき、扉の向こうからスマホの着信音が聞こえてくる。