私は企業に勤務しサラリーを得て生活している被用者である。だからだろうか、ピエール・ルメートルの『監禁面接』(橘明美訳 文藝春秋 2000円+税)を読み、いたたまれない気持ちになった。本書の主人公アランは、妻帯者である。娘も二人いて、上の娘は結婚して、下の娘は弁護士となって、既に家を出ている。ここまでなら、糟糠(そうこう)の妻と二人三脚で老後を迎える準備中だ、となっていてもおかしくなさそうだ。
ところがアランは三年前に勤務先を首になっており、それからずっと求職中なのである。倉庫のアルバイト店員として安い給与で糊口(ここう)をしのぎつつ、再就職活動をしている。年齢がネックで失敗続き、心も荒(すさ)む中、とうとう朗報がもたらされる。大企業――ただし選考を委託された人材派遣会社は、どの大企業の求人かを明かさない。この時点で怪しい――の人事部のポストの書面審査に通ったのだ。喜び勇んで筆記試験と面接に向かったアランに、選考を取り仕切る人材派遣会社の社長が、異様な最終試験の内容を告げる。何と、就職先企業の会議を襲撃し、重役候補たちの危機管理能力を査定せよ、というのだ。新たな幹部候補の能力と、アランたち就職希望者の能力を同時に試す、画期的な選考らしい。
道義的には問題の多いやり方であり、アランが妻に話すと彼女も大反対で、選考を辞退するよう言う。しかし、彼は妻に内緒でこの話を受けることにした。ただし徒手空拳(としゅくうけん)で試験に臨(のぞ)むつもりはなく、各種の準備を始める。効果的な襲撃のため元警官に教えを乞う。重役候補が誰か探るため探偵も雇う。これらの費用は、下の娘をだまくらかしてマイホーム資金を巻き上げて賄(まかな)った。意気軒昂(いきけんこう)に準備を進めるアランだったが、そこに人材派遣会社の社長の女性助手から、衝撃的な情報がもたらされる。そこでアランがとった選択とは。
ここまでで百八十ページほど。これ以降の展開は黙(もく)すが花だろう。ただし次のことは保証しておきたい。題名が示す状況は作中で実際に起きると。その後、物語は一気呵成(いっきかせい)に緊張感と意外性をもって進展すると。『その女アレックス』などの三部作で大評判をとったピエール・ルメートルの実力は、凄惨な暴力シーンを欠く本書においても、遺憾なく発揮されていると。
本書のポイントは、疑いなく、主人公アランの人物造形にある。奇妙な求人に釣られた人がとんでもない事件や出来事に巻き込まれる、という筋立ては、かの「赤毛連盟」の昔からミステリにはよく見られた。『監禁面接』もそのパターンを踏襲する作品だ。しかしこの手の話の主人公に、アランのような人物はあまりいなかったように思う。多くの場合、応募者たる主役たちは、経験が浅いか世間を知らないか頭が悪いか、その全てを兼ね備えていたかであった。
要は、とる行動がとんでもなく愚かしいのであり、その愚かさが状況を一層悪化させていたのである。しかしアランは元は大企業の人事部長だったのであり、ビジネスの世界の酸(す)いも甘いもかみ分けている。また現時点の仲は微妙なところもあるとはいえ、子供を二人、立派に育て上げていて、私生活での経験値もなかなかのものである。決断力も高い。もちろん物事に動じないわけではなく、頻繁(ひんぱん)に動転しているが、知恵を絞って策略を巡らし、敵を手玉に取ろうとする気概がある。その性格・性質が、一八十ページ以降に活きてくる。アランがこういう人物でなければ、後半部を説得力を持っては構築できなかったはずだ。
さてここで、彼に関して、全く逆のことを言わせてもらいたい。アランはとても愚かだ。前職の栄華を、地位による自尊の充足を、収入が生む(とアラン自身は信じている)妻子からの敬意を、娘の夫に引け目を感じないでいられる自信を、彼は全く忘れられない。だからこそ彼は、このめちゃくちゃな再就職活動に挑む。娘はもう自立しているし、愛人を囲っているわけでもないのだから、糟糠の妻と静かにつましく暮らす、という選択肢だってあったはずだ。実際彼の妻はそれでもいいと言い、本当に腹も括(くく)っていた。妻も娘も、大企業の部長職である彼だけを見ていたわけではない。ちゃんとアラン自身を見てくれていたのである。
ところが、彼はそのことに気付かず、気付こうともせず、見るからに危ない橋を渡ることを自分一人で決断する。娘すら騙(だま)す。それはやはり愚かなことだ。自己満足でしかないとも思う。物悲しさを漂わせる本書の幕切れは、その表徴である。