みなさまこんにちは。いよいよサスペンスの巨匠ウィリアム・アイリッシュの代表作『夜は千の目を持つ』を新版でお届けいたします。本書は創元推理文庫から1979年11月20日に刊行されましたが、今回文字組みを読みやすくして、新カバー、新解説に変更しリニューアルしました。
著者のウィリアム・アイリッシュの本名はCornell George Hopley-Woolrich。主にコーネル・ウールリッチという名前で創作活動をしていましたが、日本ではウィリアム・アイリッシュの名前で呼ばれることが多いです。ウールリッチ名義では『黒衣の花嫁』などの〈ブラック〉ものを、アイリッシュ名義ではタイムリミット・サスペンスの傑作『幻の女』や、江戸川乱歩が絶賛した『暁の死線』などが刊行されています。多数の長編のほかにも、200以上の短編を発表しており、1949年にはアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の短編賞を受賞しています。
さて、そして先ほどご紹介したアイリッシュの本名をご覧ください。真ん中にGeorge Hopleyという名前があります。実はこのジョージ・ハプリー名義でも作品を発表しておりまして、その名義での初めての作品が、本書『夜は千の目を持つ』なのです。このあたりの名義についての考察は、ぜひ村上貴史先生による新解説「千の目を持つようになった夜に」をお読みいただけますと幸いです。弊社ではアイリッシュ名義で邦訳を刊行しているので、本稿でも、アイリッシュの名前を使わせていただきますね。
さて、『夜は千の目を持つ』ですが。美しいタイトルですよねぇ。物語は、深夜1時、青年刑事ショーンが家に帰るために川べりを歩いているシーンからはじまります。星の降る夜、ショーンはいつも通る道に、5ドル紙幣が落ちていることに気づきました。そして次は風に乗って1ドル紙幣が……。それらに導かれるようにして、ショーンは川に身をなげようとしている若い女性に気がつきます。ショーンは駆け寄り、自殺をくい止めますが、彼女は絶望に支配されていました。ふたりは終夜営業のレストランへ移り、ショーンは彼女――20歳のジーンから、身をなげようとした理由を聞き出します。それはあまりにもおそろしく、あまりにも不可解な「予言者」にまつわる話でした。
もう、ここまでの第一章を読んでいただければ、アイリッシュのあまりにも美しい文章とシチュエーションにやられてしまうこと間違いなし! そして第2章、本文の約37パーセントを占める(!)ほどの分量で書かれたパートが、めちゃめちゃ読みごたえたっぷりなのです!
あるとき、ジーンと父親の前に現れた謎の予言者。彼は正確極まりない予言を繰り返し、ジーンと父親を混乱の渦へと落とし、そして父親の「死」を宣告して、ふたりを絶望へと導くのです。死を予言されたジーンの父親が財産家だったことから、ショーンは犯罪のにおいを嗅ぎつけ、上司であるマクマナス警部や仲間の刑事たちとともに、予言者の真意を調べる捜査に乗り出します。
アイリッシュは捜査パートと同時に、おびえるジーンやその父親の姿を克明に描いていきます。彼女たちのあまりにも生々しい不安や焦燥が読んでいるこちらにも伝わってきて、もうとにかくページをめくる手がとまらなくなります。
人々の不安と絶望を、極限まで美しく描く。本書の魅力はまさにこういうところだと思います。サスペンスの巨匠による不朽の名作を、この機会にぜひ手に取っていただけますとうれしいです。
(東京創元社S)