冒頭のショッキングで不可解な場面から、
二百年余りに及ぶ因果の糸の絡まりが明かされていく
スリルとサスペンス満載の
エンターテインメントSFだ。

渡邊利道 Toshimichi WATANABE


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 本書は、アメリカの作家ムア・ラファティが2017年に発表した長編小説Six Wakesの全訳である。翌年のヒューゴー賞、ネビュラ賞およびフィリップ・K・ディック賞などのファイナリストに選ばれた作品で、冒頭のショッキングで不可解な場面から、二百年余りに及ぶ因果の糸の絡まりが明かされていくスリルとサスペンス満載のエンターテインメントSFだ。

 マリア・アリーナがクローン再生の不快なまどろみから目覚めたとき、培養タンクの前を黒い液体──血が漂っているのが見えた。
 ありえないことが起こっていた。
 時は二十五世紀の末。温暖化による環境の悪化から世界各地で紛争が続発し、一部の富裕層を中心とする人々が地球を脱出して、くじら座のタウ星を公転する惑星アルテミスへ向かって恒星間移民船ドルミーレ号で宇宙を航行していた。船内には二千人の人間がコールドスリープし、またサーバーには五百人分ものクローンの「マインドマップ」が保存されている。数十年に及ぶ航海の間ドルミーレ号を操る六人の乗組員は、それぞれ訳ありの犯罪者たちで、目的地に無事到達した暁には罪の一切が赦免され、未踏の惑星での新しい生活が待っているという約束になっていた。
 船長である元軍人のカトリーナ・デラクルス(女性)、副長で月出身の巨人ウルフガング(男性)、航海士の陽気な日本人アキヒロ(ヒロ)・サトー(男性)、船医で義足のジョアンナ・グラス(女性)、機関長で繊細なポール・スーラ(男性)、そして保守係兼機関長補佐、つまり食事や掃除など生活の細かいメンテナンスを担当するマリア(女性)の六人が、乗組員の顔ぶれだ。また彼らに加え、ドルミーレ号を管理するAIのイアンがいる。
 培養タンクから出たマリアは、船内の重力が失われて、イアンは機能を停止しており、自分以外の五人もいままさにクローン再生されたところであり、また自分を含めた乗組員たちの血まみれの死体が宙を漂っているのを知る。調べた結果、クローン室には鋭利な刃物で殺害されたと覚しい四つの死体があり、ブリッジには縊死したヒロの死体、そして医務室には意識不明で重篤な状態の年老いたカトリーナがいた。死体と船の様子から、すでに二十五年近い年月の航海が続けられてきたらしい。しかし再生した彼らは地球出発直後以降の記憶が綺麗さっぱり消去されており、コンピュータがハッキングされて、新しいクローン再生がまったく不可能になっていた。誰が皆を殺したのか、あるいは殺しあったのか、いったい何があったのか。一癖も二癖もある乗組員たちは疑心暗鬼に陥り、一触即発の緊張感が高まっていく。しかしその裏には、人間とクローンの共生をめぐる二百年を超える暗闘の歴史が隠されていた……。

 冒頭からいきなり五つの死体と意識不明の半死人が登場し、誰が殺したのか、どうやって殺したのか、なぜ殺したのかという〝謎〟を軸として物語が展開するため、本作は多くのメディアで〝SFミステリ〟と紹介されている。しかし、シチュエーションとしてはいわゆる〝クローズドサークル〟ものにあたるこの小説は、謎解きをメインにする〝本格もの〟ではなくて、前述した通りスリルとサスペンスを主体にしたスピード感溢れる作品である。もっとも、最近のミステリでやや流行しはじめた、特殊な世界設定における異様なルールを利用したゲーム的小説のヴァリエーションとして読むこともできる。その視点から見れば、本作での物語の〝ルール〟となるのはクローン技術(マインドマップのハッキング技術、詳しくは後述)なのだが、その設定はさすがに緻密で、立ち現れるヴィジョンの思弁性は挑発的だ。先端技術がもたらす哲学的問題をエンターテインメントとして提供するという、伝統的なスタイルのSF小説と言えよう。
 では、本作品のなかで〝クローン技術〟はどのようなものと設定されているのか。もちろん作品内で緻密に描かれているのだが、物語の現在時ではすでにすべては〝当然のこと〟という前提で、歴史上の経緯については、二百年余りに及ぶ年月を六人の登場人物の視点でカットバックしながら断片的に描いていくスタイルになっているので、一読しただけではわかりにくいだろうから、ここで少しわかりやすく整理しておきたい。
 まず、タイトルのすぐ後に〈クローンの作製と管理に関する国際法附則〉という条文が掲げられているのが目を引く。これは物語の現在時におけるクローン技術の運用の取り決めで、建前としてはここから出発して(つまり皆がこの条文を遵守していることを前提として)話が進む。
 しかし、この条文は、往年のSFファンであればすぐに連想するに違いない、アイザック・アシモフの「ロボット三原則(一、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。二、ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。三、ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのない限り、自己をまもらなければならない)」のような絶対的な前提条件ではない。さまざまな先端技術が実際にそうであったように、本作の物語世界内においても法制化は技術の進歩についていけず、社会を根底から揺るがす事態に陥ってから慌てて枠組作りから始める、というふうに歴史上の物事は進んだことになっている。ゆえに、法律の条文はやってはならないと倫理的に禁止しているだけであって、実際には〝できること〟なのだ。
 クローン技術の中身についていえば、これは基本的に心身二元論をベースにした理論を前提としたものになっている。すなわち、人間存在を物質の延長としての〝身体〟と、物質的ではない、意識や自我などの心的実体を想定した〝精神〟のペアとして理解する立場である。本作の物語世界内では、クローンは遺伝子情報を基にした身体のコピーと、記憶や気質などの精神(人格)を情報化した「マインドマップ」として保存・複製が可能になっていて、LYFEと呼ばれる高タンパク流動体によって人体の複製を作り、それにマインドマップをインストールして完全なクローンとして再生できることになっている。もっとも、〝精神〟を情報化可能なものとして扱うのだから、これは心身二元論ではなく、情報一元論だという見方もできるかもしれないが、物語の展開上、〝身体〟と〝精神〟は、かなりはっきり区別されている。
 また、マインドマップをハッキングすることで、ちょうど遺伝子治療で先天的な疾患や障害を治癒できるのと同じように、人格の矯正や記憶の改変などが可能になり、高度な技術を有したマインドマップのハッカーたちは、法整備が追いつかないスピードでどんどん人間精神への介入を進めていった。またクローン再生の実現が、死ぬことの現実的な意味合いを変容させ、信仰に代表されるような伝統的価値観に大きな打撃をあたえたことから、人類社会で大規模な反クローン運動が巻き起こり、弾圧されたクローンによる反乱と武力衝突などの悲劇的な顚末を経て、〈クローンの作製と管理に関する国際法〉が成立したのである。
 そして物語では、多かれ少なかれこのクローン法に関してさまざまな事情を抱えた犯罪者たちが、その事情を回想しつつ、現在の事件の解決のため対立しながらも協力していく。恒星間移民船という巨大な閉鎖空間のなかで、長い年月に及ぶクローンをめぐる政治的暗闘の歴史が展開し、現在のサスペンスへとなだれ込んでいく。本作の最大の読みどころは、この空間と時間のせめぎ合いから鮮やかに立ち上がってくる、マリアを中心とする登場人物たちの個性豊かなキャラクターだ。誰もが何かを隠していて、もちろんクローン技術があるのだから見た目とはまったく異なった年齢と経験を有しており、一筋縄ではいかない性格と能力を持っている。誰も信用できないが、まったく誰とも協力しないことには事態の解決は望めない。その葛藤が、登場人物たちの間に絶妙な距離感を作っている。そしてその緊張感を保ったまま迎えるラストでは、原題Six Wakesつまり「六つの航跡波(船舶などの後方や下流側水面に生じる波のパターン)」におそらく「目覚め(wake)」と、アイルランドの風習で死者の思い出を語り合いながら飲み明かすという「徹夜祭(wake)」と呼ばれる儀式が重ね合わされていて、物語全体に対するメタレヴェルでの仕掛けになっている(訳題はそういった複数の意味合いを汲んで単に『六つの航跡』とある種象徴的につけられている)。ここらへんは本当に巧みで、このままシリーズ化してもいいんじゃないかというくらい登場人物たちに集団としての愛着を抱くようになってしまう。まさに、これぞエンターテインメントと言いたくなるような作品なのだ。

 最後に、作者についての情報をまとめておこう。ムア・ラファティ(Mur Lafferty)は、1973年7月25日生まれ。White Wolf Publishingなどのロール・プレイング・ゲーム関係のライターから出発し、2004年からノースカロライナ州ダーラムをベースにポッドキャストでSF、ファンタジー、ホラーなどのエッセイや小説を発表。サイエンス・ポッドキャストのEscape Podなど、さまざまな番組の敏腕編集者としても知られ、2018年に商業作家向けの番組Ditch Diggersでヒューゴー賞ファンキャスト部門を受賞している。2013年には、アンソロジーに発表した商業作家デビュー短編"1963: The Argument Against Louis Pasteur"などが評価されてジョン・W・キャンベル新人賞を受賞。同年Orbit Booksから長編小説The Shambling Guide to New York City(邦訳は創元推理文庫『魔物のためのニューヨーク案内』2017年)を刊行した。これは実在の都市を舞台にしたファンタジーで、好評を博し、現在はシリーズ第二作が発表されている。本格的なSF長編は本書が初めてとなるが、キャリアは十分であり、その巧みな筆さばきは折り紙付きだ。また、今年の9月に本国刊行予定の映画『スター・ウォーズ』シリーズのスピンオフ『ハン・ソロ』のノヴェライズを担当し、話題をさらっている。個人のwebサイトはhttp://murverse.com、ツイッターアカウントはID @mightymur である。



【編集部付記:本稿はムア・ラファティ『六つの航跡』(創元SF文庫)解説の転載です。】



■ 渡邊利道(わたなべ・としみち)
1969年生まれ。作家・評論家。2011年、「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」で第7回日本SF評論賞優秀賞を受賞。2012年、「エヌ氏」『ミステリーズ!』vol.90掲載)で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。