【編集部注:本稿は『動乱星系』終盤のストーリー展開に触れています。】
本書『動乱星系』はアメリカの作家アン・レッキーの第四長編Provenanceの全訳である。世界中のSF賞を総ざらいした三部作に続く、《叛逆航路》シリーズの第四作に当たる。
小説本の「解説」には三種類ある――先に読むべき解説、後で読むべき解説、読まなくてもよい解説。拙文は真ん中のカテゴリに属する(最後のには……ならないよう努力する)。物語の謎や伏線をいくつかバラすことになるし、前三部作の特異な世界設定にも触れなければ、同じ宇宙を舞台とした本書の絶妙な立ち位置を理解してもらえないからだ。筋書きや登場人物に直接の繋がりはなくとも、そう言う意味では三部作を先にお読みになる方がいっそう楽しめよう。
原題のProvenanceは「起源・由来・出所」を意味し、物語は国家の歴史的起源と、その証拠または象徴としての「遺物」を巡る人々の情念を描く。舞台は広大なラドチ圏の周縁に位置する辺境の小星系国家フワエ。有力女性政治家の娘イングレイは、自らの将来と全財産を賭け、母の政敵バドラキムに大打撃を与えうる秘密を握った人物を流刑地から脱走させる。それだけが世襲政治家の座を争っている高慢な兄に勝つ手段なのだ。だが、人工冬眠から目覚めた脱走者本人の口から、自分は別人だと言われてしまう。彼人(かのと)を、バドラキム家の遺物を盗み、どこかに隠した養子パーラドと信じ込んでいた彼女(かのじょ)は途方にくれるが、苦境を脱するべく「偽」パーラドを伴って兄と接触する。だが、遺物にまつわるある殺人事件を境目に、事態は地滑り的に辺境国家同士の陰謀と紛争へと発展し、主人公らはひとたまりも無く巻き込まれる。
全編にわたって、家の由緒来歴や国家の起源を証拠立てるさまざまな「遺物」が登場するが、有り体に言ってその真正性や正統性は怪しい。「偽」パーラドことガラルによれば、祖国フワエが隣国ティアから独立したことを象徴する「義務拒否宣言」(アメリカの「独立宣言」のパロディか)も、他国の専門家からは後世の偽作と見なされているし、遺物を偽造することで家系や国家の来歴に箔をつけようとする行為も後を絶たないという。
極めつきが、終盤の舞台であるステーションに「宣言」とともに収められているフワエ議会の「号鐘」。攻撃の名分が欲しいオムケム連邦側が、主人公らフワエ国の号鐘と宣言を奪おうとして紛争が起きるが、日本の読者にはこの「号鐘」の姿や意味合いがピンとこないかもしれない。英米では国や地方議会の議事堂に開会や休憩・散会を告げる青銅製の鐘があることが多い。ロンドンのウェストミンスター宮殿にある「ビッグ・ベン」も、今は大時計や時計台自体を呼ぶようだが、本来は英国議会の号鐘を指す。作者の祖国アメリカでは各州の議事堂に号鐘があり、最も有名なのはアメリカ植民地議会(現ペンシルベニア州議会)にあった「自由の鐘(The Liberty Bell)」で、後に奴隷制度廃止論者たちが奴隷解放の象徴としたところからこの名が付いた。物には本来の利用価値を超えた記号的意味がしだいに蓄積してゆく。本作の号鐘も、フワエ議会の正統性を担保し、開会に不可欠なものとされている。
しかし、ものに象徴的意味を認めることと、争奪戦を演じることとは次元が違う。フワエ議会の号鐘は、モノ自体は「キャベツの酢漬け用の丸鉢」だというのだから、これも出自が怪しいが、そもそも命がけで奪い合う価値はあるだろうか。あるとすれば、動機の源はなんなのか。歴史をひもとけば、こうした紛争は、敵味方の双方が、たとえはかない虚構と知っていても同じ象徴的意味や価値(ここでは、号鐘がなければ議会を開けないということ)を共有する場合に起きる。しかも、双方がより巨大な共通の権力に支配されていなければならない。「自由の鐘」は独立戦争期にはイギリス軍の攻撃を避けて疎開させられたが、争奪戦にまではなっていない。むしろ天皇を戴いているわが国の歴史にこそ、こうした例は多い。奈良時代には皇権の発動に必要な鈴印(御璽と駅鈴)を奪い合って激しい内戦が起き(藤原仲麻呂の乱)、壇ノ浦の合戦で幕を引いた源平合戦も「三種の神器」を巡る争奪戦であった。
本作におけるスーパーパワーとはもちろん、ローマ帝国を彷彿させる帝国ラドチであり、はるかに進んだ科学技術を持ちながら人類とは思考回路が異なる蛮族(エイリアン)プレスジャーだ。人類を代表したラドチとプレスジャーを含む蛮族諸国とが締結した「条約」は、国際法に匹敵する重要性を持ち、各国ともそれに違反することを、あるいは違反したとプレスジャーに判断されることを極度に恐れている。
だから、陰謀を巡らしたり、主人公らを銃で脅迫する時でさえ、各国の当事者たちはどこか腰の引けた、腫れ物に触るような対応をする。この辺りの背景は、前三部作の読者でなければ分かりにくいかもしれない。どの登場人物も、その行動を制約している家や国家といったシステム自体も、さらに上位からの強い制約を受けている。母の政治基盤を世襲しようとするイングレイの野心も、当然こうした拘束・制約の場にある。この特殊な状況下における感情の揺らぎや人間関係の諸相を、作者は実にていねいに、共感を込めて書き綴る。
扱う世界が大きいためか、SF作家はとかく人類学者とかイデオロギー的な歴史家の視点で俯瞰的・分析的に語りがちだ。そうした目には、人類発祥の惑星も分からなくなったはるかな未来に、家柄や建国史や宗教にこだわり、それらを象徴する遺物を奪い合い、ときには偽造に手を染めることは、あるいは無意味でささいな事柄と映るかもしれない。だが、ある社会の内部で生活している人間にとって、そうしたささいな事柄の集積、それらが織りなすテクスチャーこそがまさに「文化」なのである。そして過去からの光は、その表面に陰影をつける。作者レッキーの関心は異文化と、そこでの生活を描くこと自体にあり、その視点は学者よりも、むしろ旅慣れた旅行者を思わせる。長年世界中を見聞きするうちに、「どこに行っても人々の生活があるだけだな」という詠嘆に似た感慨が生まれるものだが、それでもなお旅を続けるとすれば、それぞれの場所の生活の細部(ディテール)と手触りを味わいたいからではないか。
そう言うイングレイの不安を、作者は共感を持って受け止める。美味しそうなお茶会シーンも、不味そうな食事シーンも、仮想敵国から政治献金を受け取る政治家も、世襲の座を争ってのきょうだい喧嘩も、メカを駆使するようになってもしつこいマスコミ取材も、同性や無性(ネマン)の恋愛感情も、自らの選択で蛮族(エイリアン)の仲間入りをすることも、みなこの辺境文化の一部であり、永遠に変わらない人間性の表出なのだ。それらが戦闘や救出劇のシーンと同じ重要さをもって書き込まれていることに、この作者の著しい個性がある。
繰り返し論じられてきた作中の性別表記を巡る問題も、結局はそこに帰着する。三部作を未読の方に簡単に解説すると、ラドチ圏内でも、男女、それに無性という性別(セックス)自体は存在するが、誰もそれを気にしていないため、言葉の表面に性別が反映されず、たとえば三人称はすべて「彼女」と表記される。読者は登場人物の性別を判断する手がかりを文面から何一つ得られない。これはテクストという鏡に読者自身のジェンダー意識が映り込む、なかなか巧みな仕掛けだが、実は三部作のストーリー自体には別段影響していない。小説の場を借りた作者の「社会実験」だったのである。脳にAI人格を上書きされ、多くの場所に同時に存在できる属躰(アンシラリー)という、ヒトがヒトでなくなるぎりぎりの設定、多視点による認識の描写は、もう一つの際立った特徴だったが、作者の眼はやはり、それによって可能になる行動や戦闘より、意識のあり方や人間関係の変容へと向いていた。
同じ舞台世界でも辺境の小国家を舞台にした本作では、またパラメータを変えた社会実験が行われている。属躰は登場しないので「個とは何か」と悩むことはないが、三部作では徹底して抑圧されていた性別描写が許容され、主人公イングレイが、緊張するとスカートを握りしめたり、銃口を向けられれば涙目になってしまう、いたって普通の女子として描かれていることに安堵しつつ読み進めると、ちょっと惹かれ合うペアが女性と女性、男性と無性だったり、無性のくせに(これってセクハラ?)「お嬢さん、ひとつ教えてやろう。いいか」などとセクハラおやじめいた発言をする登場人物もいたりで、作者独特のジェンダー的揺さぶりも健在だ。どうも作者には、ジェンダーの多様化を足掛かりに文化的に多様な物語世界を築き、読者の一考を促す意図があるようだ。
となるとなおさら、人間存在の境界に突き進む三部作の文化と、古き良き本作の文化とが、今後の作品でどのように融合してゆくかが気になる。2019年前半に本国で刊行予定の次回作はファンタジー長編The Raven Towerだそうだから、《叛逆航路》シリーズの続編はしばしお預けのようだが、本作のラストでイングレイは、AIを人類や蛮族(エイリアン)と同格の「意義ある存在」と認めるかを議題とする「コンクラーベ」への参加が暗示されている。誰も知らないラドチの「巨大なダイソン球」の内側や、それを目の当たりにしたイングレイのカルチャーショックを早く読みたいのは、もちろん私だけではないはずだ。
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本書『動乱星系』はアメリカの作家アン・レッキーの第四長編Provenanceの全訳である。世界中のSF賞を総ざらいした三部作に続く、《叛逆航路》シリーズの第四作に当たる。
小説本の「解説」には三種類ある――先に読むべき解説、後で読むべき解説、読まなくてもよい解説。拙文は真ん中のカテゴリに属する(最後のには……ならないよう努力する)。物語の謎や伏線をいくつかバラすことになるし、前三部作の特異な世界設定にも触れなければ、同じ宇宙を舞台とした本書の絶妙な立ち位置を理解してもらえないからだ。筋書きや登場人物に直接の繋がりはなくとも、そう言う意味では三部作を先にお読みになる方がいっそう楽しめよう。
原題のProvenanceは「起源・由来・出所」を意味し、物語は国家の歴史的起源と、その証拠または象徴としての「遺物」を巡る人々の情念を描く。舞台は広大なラドチ圏の周縁に位置する辺境の小星系国家フワエ。有力女性政治家の娘イングレイは、自らの将来と全財産を賭け、母の政敵バドラキムに大打撃を与えうる秘密を握った人物を流刑地から脱走させる。それだけが世襲政治家の座を争っている高慢な兄に勝つ手段なのだ。だが、人工冬眠から目覚めた脱走者本人の口から、自分は別人だと言われてしまう。彼人(かのと)を、バドラキム家の遺物を盗み、どこかに隠した養子パーラドと信じ込んでいた彼女(かのじょ)は途方にくれるが、苦境を脱するべく「偽」パーラドを伴って兄と接触する。だが、遺物にまつわるある殺人事件を境目に、事態は地滑り的に辺境国家同士の陰謀と紛争へと発展し、主人公らはひとたまりも無く巻き込まれる。
全編にわたって、家の由緒来歴や国家の起源を証拠立てるさまざまな「遺物」が登場するが、有り体に言ってその真正性や正統性は怪しい。「偽」パーラドことガラルによれば、祖国フワエが隣国ティアから独立したことを象徴する「義務拒否宣言」(アメリカの「独立宣言」のパロディか)も、他国の専門家からは後世の偽作と見なされているし、遺物を偽造することで家系や国家の来歴に箔をつけようとする行為も後を絶たないという。
極めつきが、終盤の舞台であるステーションに「宣言」とともに収められているフワエ議会の「号鐘」。攻撃の名分が欲しいオムケム連邦側が、主人公らフワエ国の号鐘と宣言を奪おうとして紛争が起きるが、日本の読者にはこの「号鐘」の姿や意味合いがピンとこないかもしれない。英米では国や地方議会の議事堂に開会や休憩・散会を告げる青銅製の鐘があることが多い。ロンドンのウェストミンスター宮殿にある「ビッグ・ベン」も、今は大時計や時計台自体を呼ぶようだが、本来は英国議会の号鐘を指す。作者の祖国アメリカでは各州の議事堂に号鐘があり、最も有名なのはアメリカ植民地議会(現ペンシルベニア州議会)にあった「自由の鐘(The Liberty Bell)」で、後に奴隷制度廃止論者たちが奴隷解放の象徴としたところからこの名が付いた。物には本来の利用価値を超えた記号的意味がしだいに蓄積してゆく。本作の号鐘も、フワエ議会の正統性を担保し、開会に不可欠なものとされている。
しかし、ものに象徴的意味を認めることと、争奪戦を演じることとは次元が違う。フワエ議会の号鐘は、モノ自体は「キャベツの酢漬け用の丸鉢」だというのだから、これも出自が怪しいが、そもそも命がけで奪い合う価値はあるだろうか。あるとすれば、動機の源はなんなのか。歴史をひもとけば、こうした紛争は、敵味方の双方が、たとえはかない虚構と知っていても同じ象徴的意味や価値(ここでは、号鐘がなければ議会を開けないということ)を共有する場合に起きる。しかも、双方がより巨大な共通の権力に支配されていなければならない。「自由の鐘」は独立戦争期にはイギリス軍の攻撃を避けて疎開させられたが、争奪戦にまではなっていない。むしろ天皇を戴いているわが国の歴史にこそ、こうした例は多い。奈良時代には皇権の発動に必要な鈴印(御璽と駅鈴)を奪い合って激しい内戦が起き(藤原仲麻呂の乱)、壇ノ浦の合戦で幕を引いた源平合戦も「三種の神器」を巡る争奪戦であった。
本作におけるスーパーパワーとはもちろん、ローマ帝国を彷彿させる帝国ラドチであり、はるかに進んだ科学技術を持ちながら人類とは思考回路が異なる蛮族(エイリアン)プレスジャーだ。人類を代表したラドチとプレスジャーを含む蛮族諸国とが締結した「条約」は、国際法に匹敵する重要性を持ち、各国ともそれに違反することを、あるいは違反したとプレスジャーに判断されることを極度に恐れている。
「でも、条約に影響しかねないから、いうことをきくしかなかった?」と、イングレイ。条約の縛りがなくなったプレスジャーは想像するだけで恐ろしいし、通常でも蛮族(エイリアン)の使節団は細心の注意と配慮をもって迎えられる。そしていまは、通常のときではない。「今度のコンクラーベには、どこもぴりぴりしているでしょう」(本書58ページ)
だから、陰謀を巡らしたり、主人公らを銃で脅迫する時でさえ、各国の当事者たちはどこか腰の引けた、腫れ物に触るような対応をする。この辺りの背景は、前三部作の読者でなければ分かりにくいかもしれない。どの登場人物も、その行動を制約している家や国家といったシステム自体も、さらに上位からの強い制約を受けている。母の政治基盤を世襲しようとするイングレイの野心も、当然こうした拘束・制約の場にある。この特殊な状況下における感情の揺らぎや人間関係の諸相を、作者は実にていねいに、共感を込めて書き綴る。
扱う世界が大きいためか、SF作家はとかく人類学者とかイデオロギー的な歴史家の視点で俯瞰的・分析的に語りがちだ。そうした目には、人類発祥の惑星も分からなくなったはるかな未来に、家柄や建国史や宗教にこだわり、それらを象徴する遺物を奪い合い、ときには偽造に手を染めることは、あるいは無意味でささいな事柄と映るかもしれない。だが、ある社会の内部で生活している人間にとって、そうしたささいな事柄の集積、それらが織りなすテクスチャーこそがまさに「文化」なのである。そして過去からの光は、その表面に陰影をつける。作者レッキーの関心は異文化と、そこでの生活を描くこと自体にあり、その視点は学者よりも、むしろ旅慣れた旅行者を思わせる。長年世界中を見聞きするうちに、「どこに行っても人々の生活があるだけだな」という詠嘆に似た感慨が生まれるものだが、それでもなお旅を続けるとすれば、それぞれの場所の生活の細部(ディテール)と手触りを味わいたいからではないか。
「もし、祖先の遺したものが偽物だとしたら、わたしたちはいったい何者?」(本書239ページ)
そう言うイングレイの不安を、作者は共感を持って受け止める。美味しそうなお茶会シーンも、不味そうな食事シーンも、仮想敵国から政治献金を受け取る政治家も、世襲の座を争ってのきょうだい喧嘩も、メカを駆使するようになってもしつこいマスコミ取材も、同性や無性(ネマン)の恋愛感情も、自らの選択で蛮族(エイリアン)の仲間入りをすることも、みなこの辺境文化の一部であり、永遠に変わらない人間性の表出なのだ。それらが戦闘や救出劇のシーンと同じ重要さをもって書き込まれていることに、この作者の著しい個性がある。
繰り返し論じられてきた作中の性別表記を巡る問題も、結局はそこに帰着する。三部作を未読の方に簡単に解説すると、ラドチ圏内でも、男女、それに無性という性別(セックス)自体は存在するが、誰もそれを気にしていないため、言葉の表面に性別が反映されず、たとえば三人称はすべて「彼女」と表記される。読者は登場人物の性別を判断する手がかりを文面から何一つ得られない。これはテクストという鏡に読者自身のジェンダー意識が映り込む、なかなか巧みな仕掛けだが、実は三部作のストーリー自体には別段影響していない。小説の場を借りた作者の「社会実験」だったのである。脳にAI人格を上書きされ、多くの場所に同時に存在できる属躰(アンシラリー)という、ヒトがヒトでなくなるぎりぎりの設定、多視点による認識の描写は、もう一つの際立った特徴だったが、作者の眼はやはり、それによって可能になる行動や戦闘より、意識のあり方や人間関係の変容へと向いていた。
同じ舞台世界でも辺境の小国家を舞台にした本作では、またパラメータを変えた社会実験が行われている。属躰は登場しないので「個とは何か」と悩むことはないが、三部作では徹底して抑圧されていた性別描写が許容され、主人公イングレイが、緊張するとスカートを握りしめたり、銃口を向けられれば涙目になってしまう、いたって普通の女子として描かれていることに安堵しつつ読み進めると、ちょっと惹かれ合うペアが女性と女性、男性と無性だったり、無性のくせに(これってセクハラ?)「お嬢さん、ひとつ教えてやろう。いいか」などとセクハラおやじめいた発言をする登場人物もいたりで、作者独特のジェンダー的揺さぶりも健在だ。どうも作者には、ジェンダーの多様化を足掛かりに文化的に多様な物語世界を築き、読者の一考を促す意図があるようだ。
となるとなおさら、人間存在の境界に突き進む三部作の文化と、古き良き本作の文化とが、今後の作品でどのように融合してゆくかが気になる。2019年前半に本国で刊行予定の次回作はファンタジー長編The Raven Towerだそうだから、《叛逆航路》シリーズの続編はしばしお預けのようだが、本作のラストでイングレイは、AIを人類や蛮族(エイリアン)と同格の「意義ある存在」と認めるかを議題とする「コンクラーベ」への参加が暗示されている。誰も知らないラドチの「巨大なダイソン球」の内側や、それを目の当たりにしたイングレイのカルチャーショックを早く読みたいのは、もちろん私だけではないはずだ。
【編集部付記:本稿はアン・レッキー『動乱星系』(創元SF文庫)解説の転載です。】
■山之口洋(やまのぐち・よう)
1960年東京生まれ。東京大学工学部卒業。松下電器産業株式会社などを経て、現在、明治大学兼任講師、東洋大学非常勤講師。1998年『オルガニスト』で第10回日本ファンタジーノベル大賞を受賞。他の著書に『0番目の男』『われはフランソワ』『瑠璃の翼』『完全演技者』『天平冥所図会』『麦酒(ビール)アンタッチャブル』『暴走ボーソー大学』がある。人工知能(AI)の研究者でもあり、独立行政法人 情報処理推進機構(IPA)より「スーパークリエイタ」として認定された。
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