700年後の現代にまで残る
“宇宙人漂着”のかすかな痕跡を、
歴史学者はどのように拾い上げ、史実を再構築していくのか

(10年10月刊『異星人の郷(さと)』訳者あとがき[部分])

嶋田洋一 youichi SHIMADA

 

 本書は2007年のヒュ-ゴー賞候補となった、マイクル・フリン著 Eifelheim (Tor, 2006) の全訳である。ただし「用語と出典に関する註記」の冒頭の2段落、ドイツ語の単語を英語に移す際のルールを述べている部分は、英語版でのみ意味を持つ内容なので、邦訳は省略した。
 この作品の現代パートのみから成る原型の同題中篇は1986年に発表され、翌年のヒューゴー賞中篇部門にノミネートされている。
 14世紀ドイツ南部の小さな山村に宇宙人の一団が漂着したら、村人たちはどう反応するのか? 当時の知識人は異星人の文物をどのように解釈し、領主ははるかに進んだ科学力をどう利用しようと考えるのか? 700年後の現代にまで残る“宇宙人漂着”のかすかな痕跡を、歴史学者はどのように拾い上げ、史実を再構築していくのか? 知的興奮に満ちた物語が幕を開ける……
 著者のフリンはペンシルヴェニア州イーストン生まれ、数学の学位を持ち、ハードSFの書き手として知られている。デビューは1984年で、長篇8冊と短篇集2冊を上梓している。長篇のタイトルは以下のとおり。

 In the Country of the Blind (1990)
 Fallen Angels (1991) ラリー・ニーヴン、ジェリー・パーネルと共著。
 Firestar (1996) Firestarシリーズ
 Rogue Star (1998) 同上
 Lodestar (2000) 同上
 Falling Stars (2001) 同上
 The Wreck of The River of Stars (2003)
 Eifelheim (2006) 本書
 The January Dancer (2008)
 Up Jim River (2010)

 受賞歴としては、In the Country of the Blind がプロメテウス賞とコンプトン・クルーク賞を、Fallen Angels (邦訳『天使墜落』創元SF文庫)がプロメテウス賞と星雲賞を受賞しているほか、短篇 "House of Dreams" でシオドア・スタージョン記念賞を、"Quaestiones Super Caelo et Mundo" でサイドワイズ賞を受賞している。また“小説によって宇宙開発を促進した”との理由で、ハインライン賞も受賞している。
 本職は品質マネジメント・コンサルタントで、生まれ故郷のイーストンに妻とともに暮らしている。子供が2人と、3人の孫がいる。


 さて、中世ヨーロッパと聞くと、反射的に「暗黒時代」という言葉が思い浮かぶ方は多いと思う。
 魔女狩り、錬金術、免罪符、地動説の迫害、黒死病など、確かに中世ヨーロッパには迷信と腐敗と病気がはびこっていたような印象がある。
 でも、本当にそうだったんだろうか? 錬金術が近代科学誕生の母体となったことはよく知られている。魔女狩り(異端審問)も、民衆レベルのリンチまがいのものはともかく、教会がかかわった場合はルールにのっとっておこなわれている。ガリレオの地動説にしても、批判されたのは地動説そのものではなく、神を否定するような表現を使ったことだと言われている。
 腐敗や堕落が存在しなかったわけではないにせよ、中世ヨーロッパがまったくの暗黒時代で、ルネッサンス期になってすべてがいっせいに花開いた、というわけではない。科学にせよ芸術にせよ、知の伝統は中世においてもずっと受け継がれていたのだ。
 実は中世ヨーロッパは、論理というものがきわめて重視された時代だった。もちろんそれはキリスト教を絶対の真理として、その上に構築される論理なのだが、その制約のおかげで、アクロバティックなまでに精緻な論理構成が追究されることになったともいえる。それは一方で「一本の針の先端で何人の天使が踊れるか」といった空虚な議論も生み出したが、実体験と論理によって真理に迫ろうとする中世の自然哲学者の態度は、現代の自然科学者の態度と大きく異なるものではない。
 本書の主人公ディートリヒ神父は、そんな中世の自然哲学者である。時代は14世紀なかば、黒死病がヨーロッパを席巻しはじめた時期。場所はドイツの黒い森(シュヴァルツヴァルト)の南西のはずれで、現代の地図ではドイツとスイスとフランスの国境が接するあたりだ。ただし当時はシュトラスブルク(現在のストラスブール)を中心とするアルザス地方はドイツ領なので、フランスとの国境はかなり遠い印象がある。
 そんな辺鄙な山の中に、宇宙人の乗り物が不時着した……というところから生じるファースト・コンタクトと異文化交流を、(たとえばスタニスワフ・レムの短篇「アルデバランからの侵略」のように)コミカルに描くのではなく、相互理解/相互誤解の問題として真正面から扱ったのがこの作品である。
 中世ヨーロッパを舞台とする以上、避けて通れないのが政治と宗教――世俗の権威と教会の権威の複雑な関係だろう。作中でもあちこちで言及される問題なので、この時代の政治状況を簡単におさらいしておきたい。
 舞台となっているのは、1348年8月から49年7月までの1年間である。
 イングランドとフランスは百年戦争のさなかで、46年8月にはイングランド軍のノルマンディー上陸を受けてクレシーの戦いがあり、フランス軍が大敗している。47年に休戦協定が成立し、フランスに加勢して出兵していた諸侯の軍勢も帰還する。マンフレートが参戦していたのがこの戦いである。
 教会に目を向けると、西ヨーロッパ全域に影響力を及ぼしているローマ・カトリック教会の教皇(ローマ法王)は、ローマではなくフランスのアヴィニョンに居住している。いわゆる“アヴィニョン虜囚”である。物語の時点の教皇はクレメンス6世、先代はベネディクトゥス12世である。ベネディクトゥス11世の名前もちらりと出てくるが、これはそのさらに3代前、1303~04年の教皇になる。
 世俗政治においては、神聖ローマ帝国が大きな権力をふるっている。これは一つの国家というより諸侯の連合体のようなもので、この物語の時代には、ほぼ「ドイツ王(ローマ王兼任)=神聖ローマ皇帝」という状態が定着していた。本来は教皇による戴冠をもって即位するのだが、その習慣もすでになくなっている。
 クレンク人がやってきた時期の神聖ローマ皇帝はカール4世である。先代のルートヴィヒ四世は一三四六年に教皇から廃位を申しわたされたが、これを拒否。しかしその翌年には事故死してしまい、対立ドイツ王だったカール四世が皇帝に即位した。
 対立王というのは、正統性を失った王(ここではドイツ王ルートヴィヒ4世)に対抗して反対勢力が擁立する王のことで、対立教皇、対立皇帝などもこの時代にはしばしば見られる。
 古代ローマ帝国以来の伝統で、皇帝は選挙で決められた。その選挙権を持つ者は“選帝侯”と呼ばれ、この時代には慣例として、マインツ、トリーア、ケルンの各大司教、ボヘミア王、ライン宮中伯、ザクセン・ヴィッテンベルク公、ブランデンブルク辺境伯の7名がこれに当たっていた(のちに金印勅書で法制化)。
 ここで重要なのが家系である。この時代には主にルクセンブルク家、ヴィッテルスバッハ家、ハプスブルク家の3家が覇を競っている。カール4世はルクセンブルク家出身、先代のルートヴィヒ4世はヴィッテルスバッハ家で、ハプスブルク家はその前の選挙でルートヴィヒ4世と皇位を争ったフリードリヒ3世が敗れたため、力を失っている。なお、ルートヴィヒ4世とフリードリヒ3世はその後和解し、ルートヴィヒが皇帝兼ローマ王、フリードリヒがドイツ王として、フリードリヒが死去する1330年まで共同統治をおこなった。
 ……とまあ、ざっと書いてみたが、細かいできごとや人名はまだいくらもあって、とても全部は解説できない。そもそも、訳者も専門家ではないので、勘違いや思い違いはあると思う。本文中で気になった点があれば、ご指摘いただければ幸いである。
 (中略)
 ともすれば一発もののアイデア・ストーリーになりがちな題材を、綿密な書き込みで一大巨篇にまとめ上げた著者の力量はすばらしいものがある。最後の章にだけ登場する二人の作業員さえ、その名前や職業を考えると、思わず気持ちが晴れるような仕掛けになっている。隅々にまで目配りの行き届いた、みごとな作品だと思う。どうかじっくりとご堪能いただきたい。

(2010年10月)

嶋田洋一(しまだ・よういち)
1956年生まれ。 静岡大学人文学部卒、SF翻訳家。主な訳書に、M・M・スミス『みんな行ってしまう』、ロワチー『戦いの子』、シモンズ『ザ・テラー』、マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』、マッカーシイ『コラプシウム』ほか多数。


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