さて、アンブローズ・ビアスの短編小説ですが、サキとちがって、現代に通用するものは、ごくわずかと言っていいでしょう。『生のさなかにも』の訳者中村能三は、その解説で「ビアスほど駄作の多い作家も珍しいのではなかろうか」と書いています。「兵士の物語」では冒頭の2編「空中の騎手」と「アウル・クリーク橋の一事件」(訳題はビアス選集のもの)が、代表作となっていますが、前者がまあまあの因果噺、後者は凡作。ともに、いまとなっては、古めかしいばかりではないでしょうか。西川正身は『孤絶の諷刺家』で前者について、こう書いています。
「軍人としての務めから心ならずも父親を狙撃する物語を読んでも、読者はこうした出来事が当然持っている悲劇性よりも、むしろ物語の意外性のほうに強く心を打たれる。またそこが作者の狙いでもあったはずである」
この文章が書かれた約40年前にあっても、「空中の騎手」の意外性が読者にアピールしたかどうか疑問ですが、そもそも、悲劇性と意外性を対立させるところに、違和感を覚えます。意外性が悲劇性を際立たせるのではないかと、私は思いますが、如何せん、意外性というものは、作品が数多く書かれるにつれて、そのハードルは上がっていきます。読者は多くの作家の手の内を頭の中に蓄積して(そういうのを、すれっからしと言うのですね)いき、その読者以上に、作家は自分の書いたものの意外性に自信を持てなくなるのです。そして、意外性が古びたところでは、おおむね悲劇性も色褪せるのが、この種の小説の宿命です。意外性と小説の褪色というのは、これから何度も出てくる問題ですから、その都度考えていくことになりますが、例外的に古びることのない作品も含めて、短編ミステリに関する重大な問題のひとつです。
怪奇小説に関しても、ビアスの古めかしさは否めません。従来、ビアスは技巧を褒められることもしばしばだったのですが、そもそも、日本で最初にその技巧を称えたのは、芥川龍之介ですからね。ちょっと割り引いた方がいい。しかも、そういう技術以前に、たとえば、次のような部分に問題は現われています。「市民の物語」の1編「死者監視人」は、死体とふたりきりで一晩過ごして、発狂せずにすむかどうかが、賭けの対象になる(発狂せずにすむことは珍しい)というのが、小説の大前提です。現代なら、オッズの切りようがないでしょう。作品の出来不出来以前に、死体というものに対する感覚が違うと言わざるをえません。おまけに、ビアスは凝った書き方を好むところがあって、それが、もってまわった大仰さになることも、珍しくありません。
全集で「親殺しクラブ」と題してまとめられた5編は、ビアス選集第5巻の冒頭に配されていて、その残酷さグロテスクさが、現代にもアピールするかもしれません。とくに「犬の油」の不気味さは、なかなかのものです。ただし、この5編も技術的には少々幼く見えます。どれも殺人者の一人称で、親を殺して平然としているというのが共通点なのですが、自ら語りながら、その語る事柄をそれほど大したことではないと考えているように見せるのは、至難の業でしょう。短編小説100年の洗練を見たのちでは、ビアスの書き方が幼く見えるのは、仕方ありません。にもかかわらず、「犬の油」の不気味さが、私たちに届くのは、描かれている事態とその背景となる社会がともに持つ野蛮さが、技法の洗練といったことを超えて存在するからです。当時のアメリカは野蛮だった。ビアスの短編から読み取れるのは、この一言に尽きます。
ビアスが南北戦争に参加したのは、開戦に伴う義勇兵の募集に応じてのことでした。そこには法律家だったルーシアス叔父(オハイオ州で弁護士として開業し、検事から治安判事になった)の影響があったといいます。『孤絶の諷刺家』には、この叔父についての興味深いエピソードが紹介されています。治安判事としてのルーシアスは贋札作り一味の摘発に奔走するのですが、その首領ジム・ブラウンが贋札を運び出そうとしてニューオリンズで逮捕されると、今度は彼の弁護を引き受けたというのです。さらに、このジム・ブラウンが数年後にはオハイオの治安判事になったというから、わけが分かりません。1820年代か30年代の話です。
また、1837年にカナダ(もちろんイギリス治下です)で反英の蜂起が起きると、ルーシアスは「百二、三十名ほどの同士を率いてカナダへ侵入し、国境近くのある町を占拠した」というのです。アメリカは中立を保とうとしていたので、彼は法廷に立たされるのですが、「大陪審の中に彼を英雄視する者が多く、けっきょく彼は罰せられず」にすみます。前回紹介した「スィドラー氏のトンボ返り」で、スィドラー氏は友人の死刑の恩赦を受けるために州知事に働きかけますが、最後に知事が恩赦を出す理由は「君のしつこさにこの冬じゅうずっと悩まされるのは本意ではない」ためでした。この部分はフィクションであり、ギャグでさえありえますが、そのように当てこすりをされる、法を私する現実はあったと見てよいでしょう。
こうしたことから分かるのは、アメリカの国家としての統治能力のなさ。法治国家としての未成熟でしょう。デュパンをパリの名探偵として創造した、ポオの気持ちも分かろうというものです。その後、南北戦争を経験したアメリカは、19世紀後半の金ぴかの時代を迎えるのですが、そこは巨大な独占企業が牛耳る、剥きだしの資本主義の社会でした。それは買収することで問題を解決する社会であり、資本家は企業を買収すると同時に、政治家や警察や新聞を買収したのでした。ビアスはプロテスタントの潔癖さから、ジャーナリズムと実業の結びつきを嫌悪していたようですが、実際の新聞界は、資本家自身の野心の道具か、政敵攻撃のためのキャンペーンの道具としてしか、考えられていませんでした。そして、一攫千金を狙う多くの人々が黄金を求めて西へ向かう一方で、アメリカの小説家の大半は、東側つまりヨーロッパに顔を向けていました。ビアスが作家らしくなく見えるのは、イギリス滞在経験があり、ロンドンで出版出来るコネクションもありながら、西部に住みつづけ、最後はメキシコへ行ってしまうといったところに、その理由があるように思えます。小説も都市を舞台にしたものは、ほとんど見当たりません。サンフランシスコを舞台にした話はあるのですが、ビアスのサンフランシスコは、単なる大きなブームタウンにすぎません。私が「スィドラー氏のトンボ返り」を推奨する理由のひとつは、平原に鉄路だけが伸び、どっちがどっちの方角だか分からなくなるという感覚が、面白いところにあります。ホラ話であると同時に、そこには、アメリカの真実がかいま見えると思うのです。このあたりの感覚は、ミステリの作家とも異なるところで、ポオ以来のアメリカのミステリは、基本的に都市の小説だったことに、思い当たります。それが地方へ回帰するのは、20世紀も後半から末のことになるというのが、私の考えですが、それは、この連載で書くことになるでしょう。
もうひとつ、ビアスに特徴的なのは戦争経験です。西川正身の指摘ですが、南北戦争に従軍したアメリカの文人というのは、きわめて例外的な存在だそうです。確かに、あまり聞きませんね。ビアスが戦争の中でくり返し描いたのは、肉親を自らの手で殺すエピソードと、部下を打算や無能から死へ追いやる上官のエピソードです。ビアスの小説につきものの死への関心が、戦争体験の中で培われたものであることは確かでしょう。西川正身はビアスの戦時体験エッセイのドライなスタイルを「のちの言葉を使えば、ハードボイルド」と書き「ヘミングウェイらの世代の専売特許とは言えないだろう」としています。もっとも、戦争経験者が死を即物的に描くというのは、頻繁に見られることです。西川正身の指摘は示唆的ですが(ロバート・ゴダードの『リオノーラの肖像』
で、ひとりの老人が、多くの人が第一次大戦で気づいたことを、クリミア戦争の体験を通して先取りしていたというくだりを、私は想起しました)、同時に、ロストジェネレーションととりたてて呼ばれるほど特徴的な存在を、なぜ第一次世界大戦後が輩出したのかという方向に考えたい気持ちがあります。もちろん、第二次世界大戦もヴェトナム戦争も、ともにアメリカの小説に大きな影を落とすことになるのですが、それは、また、のちの話。
■小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』