さて、アンブローズ・ビアスです。
うかつなことに、今回調べるまで、ビアスの短編集が創元推理文庫に入っていたことを、私は知りませんでした。2009年6月現在、品切れのようですが、中村能三訳の『生のさなかにも』がそれです。創土社から出たものの文庫化なんですね。1892年にアメリカとイギリスでほぼ同時に出版された、ビアスの最初の短編集で、「兵士の物語」と「市民の物語」の二部構成となっています。最初の短編集といっても、以後、出版されるたびに、収録作品が入れ替えられ、数も増えていって、ビアスには生前に自身の編集になる全集があるので、最終的には、それが定本となっているようです。兵士というのは、南北戦争の兵士を指していて、ビアスは北軍の志願兵として従軍し、そのときの体験をもとに書かれています。一般には、この短編集がすぐれているとされ、日本では、芥川龍之介が第二短編集 Can such things be?(怪奇小説集なのですが、こちらも版によって収録内容に異同があるようです)を買っていた分、そちらも同等に読まれていたようです。芥川の力は大きくて、戦前から読まれ訳されていたのも、そのおかげというところがあります。
邦訳は独自編集が多いなか、東京美術が全5巻のビアス選集で、全短編を翻訳しています。第1巻の「戦争」が『生のさなかにも』の「兵士の物語」。第2巻の「人生」が「市民の物語」プラス3編。第3巻の「幽霊I」と第4巻の「幽霊II」で、Can such things be?をすべてと、その他の怪奇小説をいくつか。第5巻の「殺人」は、全集に収録されたその他の短編をまとめたものです。ちょっと誤解が生じそうですが、「兵士の物語」の中にも幻想的な手法のものがあり、「市民の物語」の中にも怪奇小説が含まれているので、幻想と怪奇は、ビアスの小説作法の根幹にあるものなのです。前回紹介した「スィドラー氏のトンボ返り」は、この第5巻の中の作品でした。全5巻に全集収録の短編が全部入っているというのは、ありがたいのですが、翻訳はどうもよろしくない。
岩波文庫の『いのちの半ばに』(『生のさなかにも』の抄訳にあたります)を訳した西川正身には『孤絶の諷刺家アンブローズ・ビアス』
逆の面からながめてみます。つい先ごろ、岩波文庫から出た行方昭夫編訳『たいした問題じゃないが』
ところが、集中の1編E・W・ルーカスの「N一字の差 上流社会での悲劇」を読むと、ちょっと印象がちがってくる。これは全部で14の短い文章(手紙や原稿の抜粋)から成っています。ある原稿が活字になる際に、誤ってnが一字脱落したことから、てんやわんやの騒ぎになるという、一種のファースですが、上質なユーモアで、本書の中でも一、二を争う面白さです。ただ、エッセイという言葉で示されたものを連想するとき、入ってくる種類のものではないでしょう。書簡体のショートショートといったところで、そもそもフィクションでしょうし、小説といっても通用します。アメリカのユーモアスケッチに連なる内容でもあります。一口にコラムといっても、こうしたものも含まれるだけの幅があり、短編小説は、それらと一緒の紙面(ないしは誌面)に、並存していたと考えられるのです。
ビアスの小説以外の文章を、日本語で読むのは、かなり難しいのですが、例外的に読めるもので、もっとも有名なビアスの著作として『悪魔の辞典』