昼飯代を浮かして小銭を握りしめ本屋に通ったものだった。
萩原 香 kaori HAGIWARA
自称イラスト描き兼仮面ライターです。酒呑みです。いま雑誌〈ミステリーズ!〉で荻原浩先生の連載『サニーサイドエッグ』に挿絵をつけさせていだいております。いつまで続くかわからん読書与太話ですがお付き合いのほどを。肴は東京創元社の本です。
思い出すに高校生のころ創元推理文庫買いたさに昼飯代を浮かして小銭を握りしめ本屋に通ったものだった。
ところでこれを書きながら聴いているのだが Humanimal の Turn Away はいいねえ。これヘヴィメタル・バンド。中年のくせしてこの3年ほどヘヴィメタルにはまっている。マイケル・スレイド『グール』は連続殺人鬼がぞろぞろ出てきてエログロ本格バカミス極めつけのへヴィメタル色横溢。最初に読んだときはまったくロックに興味がなかったからここの味付けがわからなかった。アイアン・メイデン誰よって。
そのころはかっこつけてジャズばかり聴いていたがチャーリー・パーカーは神様ですなやはり。フリオ・コルタサル「追い求める男」はパーカーをモデルの短編で他社のいまは亡き雑誌〈海〉に掲載。これを読んでジャズを聴く気になった。ノエル・カレフ『死刑台のエレベーター』はタイムリミットもののサスペンスだがルイ・マルの映画化ではマイルス・デイヴィスが音楽を担当。もっともデイヴィスはあまり好きじゃない。パーカーにしてもクリフォード・ブラウンにしても天才は夭折しなきゃ。
で何の話だったか。そうだ高校生のころ昼飯代はたしか150円。学校の購買部のコロッケパンが好きで2本は買えた。よく早喰いしたな。それを我慢して創元推理文庫を買っていたのだ。ウィルキー・コリンズ『月長石』なんか上下2巻本だったな。プラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』はたしかSFマークで出ていたのではないのか。昼飯代150円で文庫一冊買えた時代。ALWAYS 三丁目の夕日か。東京タワー壊したのはモスラだ。
さて何の話だ脈絡がない。酒の呑みすぎか病気か。病気といえば二十代のとき尿管結石を患った。体内のカルシウムだかが小石状に固まって尿道をずたずたに切り裂きながら膀胱へと移動するのだ。死に至りはしないが死ぬほどの激痛を伴う三大疾病のひとつ。あとのふたつは群発性頭痛となんだっけ忘れた。
だから何の話だ。そうだ病気とかの激痛に苛まれながらも人間は正常な思考を維持できるか意志を貫徹できるか。できない。人間はそこまでタフでいはいられない。誰か尿管結石にのたうちまわる私立探偵を主人公に小説書かんかな。ハードボイルドだど内藤陳。カート・キャノン『酔いどれ探偵街を行く』とローレンス・ブロック『聖なる酒場の挽歌』は酒呑みにはたまらん小説だ。あ他社本をとりあげてはいかんのか。
芦原すなお『雪のマズルカ』が好きだ。『ミミズクとオリーブ』『嫁洗い池』『月夜の晩に火事がいて』の一連のユーモア系より個人的にはこっちがいい。on the edge な感覚が痛くて快感。我が国でも数少ない女性ハードボイルドでは桐野夏生がミロ・シリーズを書いている。でも代表作は『ファイアボール・ブルース』だな。女子プロレス・ハードボイルド。これも他社本かい。笹野里子は41歳。愛人のホステスと一緒に車で事故死した亭主の跡を継いで私立探偵になった。残されたのは未払いの家賃と38口径のリボルバー。ときどき亭主の幽霊(?)が彼女を訪れる。この呪縛は『雪のマズルカ』収録の4つの事件をつなぐ縦糸となる。簡潔な文体に素っ気なくも人を喰った会話。抑制された叙情とウィット。里子の自らをも突き放した凜とした佇まい。そして彼女はきっちり人を殺してみせる。「さあ、手を上げなさい。わたしは平気で撃つわよ」で引き金を引く。これは海外(翻訳)ハードボイルドの設計だ。
ハードボイルドといえばタフネス。タフネスは自由を保証する。そして自由は孤独を選び取る。それも湿ったロンリネスではなく乾いたソリチュードだ。画家エドワード・ホッパーの作品〈夜ふかしをする人たち〉に漂う空気。それとも高山の清澄な薄い冷気のなかにひとり佇む気配。これは『ツァラトゥストラ』か。ちょっと大袈裟かな。でも『雪のマズルカ』にはドストエフスキーの名前だって出てくるしな。関係ないか。
やがて亭主の呪縛から解き放たれた笹野里子の最後の台詞――「悲しいくらい、わたしは自由なのだ」里子さんと朝まで酒を呑んでみたい。リボルバー抜きで。
続編を強く要望する。
■ 萩原 香(はぎわら・かおり)
イラストレーター、エッセイスト。文庫の巻末解説もときどき執筆。酔っぱらったような筆はこびで、昔から根強いファンを獲得している。ただし少数。その他、特記すべきことなし。
推理小説の専門出版社|東京創元社