大学と街とそして研究者たちのおかしな日常

三村美衣 mii MIMURA


 本書は、北の街の大学に集う研究者たちの驚くべき発見と、ちょっと不思議でほろ苦い日常を描いた連作短編集である。第一回創元SF短編賞受賞作「あがり」にはじまり、この文庫版で初収録となる「幸福の神を追う」など、全六編が収められている。

 学校というのはどこか社会と隔絶していて、その中でだけ通じる文化や言葉がある。松崎有理はそうした大学の持つ豊かさや閉塞感といった独特の雰囲気を見事に活写している。第一回創元SF短編賞の選者の一人である山田正紀は、「舞台となる生物学研究室のリアリティも抜群だった。瀬名秀明さん以来という指摘があり、私は嫉妬さえ覚えたほどである」と選評に記している。単行本版を読んだ現役の研究者も「そのままです」と太鼓判を押したそうだ。ところが、森見登美彦『太陽の塔』で京大生の暮らしぶりが傍目にはファンタジーにしか見えないように、研究者の日常もまたリアルに描けば描くほど、外の世界とのズレが滲み出てくるから面白い。
 饒舌だが軽やかで、ちょっととぼけた語り口は、そのズレをほんのりと悲しみの混じった笑いにかえる。尊敬する作家はアイザック・アシモフと村上春樹だそうで、なるほど、アシモフ譲りの科学解説や論理的思考と、村上春樹の日常を語るセンスがないまぜとなってこの独特の作風が生まれたのかと思うと合点がいく。バスやエレベーターやゼミといった、人名以外のカタカナの日本語置き換えもちょっとスペック説明っぽくて、この作品にはしっくり合っている。
 研究を志す者にとっては、大学は通過地点や一時しのぎの避難所などではなく、一生の大半を過ごす場所となる。だからなのかなんなのか、どうもこの小説の語り手たちには、若者ならではのまぶしさがない。地味臭い研究に明け暮れ、コミュニケーションも苦手で恋人もなく、家庭にも(きっと)恵まれない貧乏な研究者というレッテルを自らに貼り付けている。
 そしてそんな彼らに追い打ちをかける存在が、最近施行された「出すか出されるか法」である。正式名称は長ったらしいので割愛するが、内容は三年の間に一定の水準に達する論文提出ができない研究者は解雇される、というものだ。十八歳で大学に入って以来、この場所が世界の全てに近いのに、いきなり、論文を出すか、大学を出されるかという二者択一を迫られる。途方にくれますよね、そりゃ。そんな苦境に陥った研究者を救うのは、科学と研究成果をおいて他にない。彼らの独創的な思考と几帳面な実験が導き出す発見が、人類の明るい未来につながるかどうかは定かではないが、少なくとも、本人につかの間の夢をもたらしてくれる。
 各編のアイデアは、物語の中であまりにさり気なく提出されているが、自然淘汰のあがり現象、若返り、幸運と不幸の予測、遺伝子間領域による種の分化など、SF的興味をかきたてられる大ネタ揃い。読み心地はどれも素敵な青春小説なのだが、実は一点突破のアイデアSFでもある。それにしても、生物進化の謎が解明されたり、わけのわからない生命体が発見されたり、この大学には世界が転覆するような秘密がどれだけ隠されていることやら……。

 本書収録作品は、全て同じ街、同じ大学を舞台にしているために、あちこちで、他のエピソードの登場人物の足跡を発見することができるし、語り手のモノローグや学内の食堂で耳にする噂話にも、相互の関係や時系列を読み解く鍵が潜んでいる。
 一番わかりやすいのはミクラだ。「代書屋ミクラの幸運」で論文の代書を依頼されたのが二十四歳の一月だが、「不可能もなく裏切りもなく」では二十五歳になっている。そしてこの作品の中で語り手が食堂で耳にする数学科の噂話は、「ぼくの手のなかでしずかに」での研究室のことだと推測できる。そして「ぼくの手のなかでしずかに」の書店にいる老紳士は「へむ」解剖学研究室の教授と同一人物、また「不可能もなく裏切りもなく」には、学部三年生のアトリがチラリと登場するが、「あがり」でアトリは四年生だ。こういった情報を重ねていくと、本書に収められた六本の短編のうち、「代書屋ミクラの幸運」「あがり」の二年前、「ぼくの手の中でしずかに」「不可能もなく裏切りもなく」が一年前であることがわかる。そして「あがり」で登場する保健管理室の女医の描写を記憶して、注意深く他の短編を読んでいくと、本書の最大の謎ともいうべき大ネタの結末がわかる仕掛けになっている。

 さて、著者は文庫本初登場となるので、プロフィールをご紹介しておこう。
 松崎有理は、一九七二年茨城県生まれ。地元の高校を卒業後、東北大学理学部に進学。ばりばりの理系女子で(この経歴は、研究室の冷蔵庫に故郷から送られてきた納豆を常備している「あがり」の語り手を彷彿とさせる)、大学卒業後は、学内をはじめとする各所の医学系研究所に勤務、その後、ソフトウェア製作会社にてテクニカルライティングとデザインを担当。公式HPにあがっている自己紹介の言葉をそのまま借りると「流しの実験屋としてピペット片手に各地の研究所をさすらったあと、体力の限界を感じてデザインと文筆の世界に入」ったとなる。
 そうして二〇〇八年、はじめて書いた長編『イデアル』を第二〇回日本ファンタジーノベル大賞に投稿、最終候補作となったが、惜しくも受賞を逃した。さらに二〇一〇年にやはりはじめて書いた短編「あがり」を第一回創元SF短編賞に応募。これが応募総数六百十二通の頂点に選ばれ、アンソロジー『年刊日本SF傑作選 量子回廊』(創元SF文庫)に収録されてデビューの運びとなった。その後連作化し、二〇一一年九月には書きおろし「へむ」を加えた単行本『あがり』を上梓。その後ミクラを主人公とした本書のスピンオフを、オリジナルアンソロジー『NOVA6 書き下ろし日本SFコレクション』(河出文庫)と、雑誌〈ジャーロ〉で発表し、このほど『代書屋ミクラ』(光文社)として一冊にまとめられた。またミクラが代書するような超科学論文《ユーリー小松崎の架空論文》をデジタル雑誌の〈アレ!〉に連載した(全十回)。
 現在は、《蛇足軒奇譚》をデジタル雑誌〈小説屋sari-sari〉に連載中。また、近日刊行に向けて、前述のファンタジーノベル大賞の最終候補作を改稿中だという。これは、数学の研究成果が一般に公開されていない世界を舞台に、十四歳の主人公が定理を再発見していく架空歴史ものとのことで刊行が待たれる。

 不器用で愛すべき研究者たちが暮らす北の街。この街には、再び訪ねたくなるような、居心地の良さがある。他にも長編の準備を進めているそうだが、この《北の街》シリーズもぜひ書き継いでもらいたい。
 これまで東北大学といえば瀬名秀明『パラサイト・イヴ』で、街のイメージは伊坂幸太郎で作られていた。数年前に所用で仙台を訪れたときに、まず神様をしまったコインロッカーを探しに行ったように、たぶん次は、壱番丁二丁目界隈で『ゆきわたり』を訪ねて歩きまわることになるのだろう。
(2013年10月)


■ 三村美衣(みむら・みい)
1962年生まれ。書評家。現在、〈SFマガジン〉の書評頁でファンタジー欄を、また〈冥〉でも書評コーナーを担当。著書に『ライトノベル☆めった斬り!』(大森望との共著)がある。



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