EQMMコンテストの第3回は、諸外国からの5編に最優秀国外作品特別賞を与えたり、最優秀大学生作品特別賞を設けたりして、受賞作にヴァラエティをもたせることで、コンテストの目先を変えようとしています。国外作品のうちホルヘ・ルイス・ボルヘスの「八岐の園」は『伝奇集』の中でも知られた作品ですが、書いた本人が「推理小説である」と言っているのだからそうなのだろうという体のものです。シャーロッキアーナ特別賞の、ロバート・アーサー「謎の足跡」は、戦争中に精神を病んで、自分がシャーロック・ホームズだと思いこんだ男(もともと苗字がホームズなので、子どものころからシャーロックと呼ばれていた)のところへ、彼の病気の一因をつくった叔父が殺されたことを知らせにいくという話です。パスティッシュとしては奇妙な部類で、しかも、「ハムレット」の設定にも似ています。シェイクスピアというよりも久生十蘭の。
こうした企画ものは、賞を安っぽく見せるおそれがあって、とくに、乱発すると危険なものです。第3回のコンテストはその気配なきにしもあらずですが、ひとつだけ注目に値するのは、最優秀はなれわざ特別賞の、ジャック・モフェット「女と虎と」です。ただし、この作品を評価するためには、その前提となる著名な短編を、まず読まねばなりません。フランク・R・ストックトンのリドルストーリイ「女か虎か」です。
「女か虎か」はもともと19世紀の作品で、欧米ではかなり読まれている短編のようですが、この作品もストックトンも、日本語版EQMMに「女か虎か」が掲載されるまで、日本ではあまり知られてはいなかったようです。短編一作が衝撃を与えたという意味で、前々回紹介した「うしろを見るな」と双璧を成すといっていいかもしれません。加田伶太郎に「女か西瓜か」を、小松左京に「女か怪物(ベム)か」を書かせたのですから、なかなかのインパクトだったと言えるでしょう。「女か虎か」は『37の短篇』に収録され、ポケミス版では『天外消失』に入っているので、簡単に読めますから、内容紹介は省きましょう。若者が開いた扉から出てきたのは女か虎か? その答えを書かないまま、読者の想像に委ねたところに、この作品の創意のすべてはありました。読者の想像に委ね、なおかつ、どこまでいってもバランスを崩さないよう考えぬいたところに。
この名短編に続編があることをつきとめたのが、エラリイ・クイーンの自慢でした。EQMMに「女か虎か」を再録したときに、その続編「三日月刀の促進士」をともに掲載したのです。日本語版EQMMに邦訳が載ったときも、二作一緒でした。多くのリストは、日本語版EQMM1958年1月号に「女か虎か」「三日月刀の促進士」が掲載されているとしていますが、当該号の目次には「女か虎か」しか載っていないので、注意を要します。ふたつ併せて「女か虎か」という扱いなのです。「三日月刀の促進士」は、「女か虎か」の話を伝え聞いた他国の使者が、女か虎かを確かめに訪れるという話です。使者を迎えたその国の高官は、それには答えず、別の話を始めます。それは、その国の美女たちの中から妻を娶りたいと訪れた、ある国の王子の話でした。高官の話はそれ自体が、また、ひとつのリドルストーリイになっているという趣向で、正解を言い当てたら、女か虎かを教えましょうと、意地悪く終わっています。
第3回コンテスト最優秀はなれわざ特別賞の「女と虎と」は、この「女か虎か」にひとつの解決を与えたものでした。ジャック・モフェットの創意は、なかなかのもので、なにより、「女か虎か」の一方を取りながら、同時に他方を捨てなかったところに、巧さがありました。それは確かに、ひとつのはなれわざであったと言えるでしょう。ただし、そのはなれわざを成立させるために、モフェットは、王と王女をヘロデとサロメにしなければなりませんでした。そのため、ストックトンが持っていた寓話性とシンプルな強さが失われたことは否めません。
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