編集者としてのエラリイ・クイーンは、この連載の第34回で、評価をしておきました。
 ただし、そこでは、ミステリ・リーグに関しての記述が多くて、EQMMについては、成功したとしか書いていませんでした。しかし、編集者クイーンを考えるとき、もっとも評価しなければならないのが、EQMMであることは、間違いありません。それは、単に、雑誌として成功しましたと書いて、終わりに出来るほど、軽い業績ではありません。それどころか、EQMMこそ、第二次大戦後の短編ミステリの主要な舞台であり、そして、とりわけ重要なのが、EQMMコンテストであると、私は考えています。EQMMコンテストという、画期的、かつ、きわめて戦略的な手法で、クイーンはEQMMを成功させたのみならず、短編ミステリの発展と隆盛の礎を築きました。おまけに、このコンテストからは、クイーンも計算してはいなかったに違いない、望外の才能も生まれました。先月読んだ「清算」の作者、スタンリイ・エリンです。
 EQMM、エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジンの創刊は、1941年の秋でした。当初、再録ものばかりだったことは、以前に引用したアントニー・バウチャーの指摘するところですが、すぐに新作を掲載できるようになっていきました。それでも、再録ないしは発掘作品が、雑誌の目玉であることに変わりはありません。フランシス・M・ネヴィンズJr.は『エラリイ・クイーンの世界』で、41年~45年に作られたアンソロジーと、EQMMの再録作品とのダブリが、極力抑えられていると書いています。しかし、定期刊行物の雑誌が、旧作の再録ばかりで、もつわけがありません。質の高い短編の新作が必要なことは明らかです。ミステリ・リーグの収録短編の質が上がっていかなかったことは、以前に触れました。その轍を踏むわけにはいきません。そこで、クイーンが打ち出したのが、世界中から短編ミステリを公募するという、大規模なコンテストでした。それがEQMMコンテストです。
 第1回のコンテストは戦争の終わった1945年でした。従来、このコンテストは年度表記がまちまちで、混乱することが多々あったので、きちんと整理しておきましょう。第1回のコンテストは1945年末に締め切られ、翌46年に発表、EQMMに掲載され、受賞作によるアンソロジーThe Queen's Award 1946が出版されました。年末締め切り、翌年発表のスケジュールは、以後、守られることになります。ただし、そのコンテストのことを表記する場合、作品の執筆、応募の45年をとるか、発表の46年をとるかで、年次に狂いが出るのです。この原稿では、出来るかぎり、コンテストの回数(第1回)でカウントすることにしますが、年号がほしい場合もあるので、そのときは執筆・応募の年をとることにします。つまり、1945年度の第1回コンテストです。
 第1回のコンテストは、マンリイ・ウェイド・ウェルマンの「戦士の星」が、第1席を獲得し、EQMM46年4月号に掲載されました。以後、第2回コンテストが、46年に募集、47年に発表され、順次、続いていきました。そして、第12回コンテストが、56年に募集、57年に発表されて、そこで一度中断します。4年のブランクを経て、61年に第13回コンテストが開催、翌年、結果が発表されました。第1席は、コーネル・ウールリッチの「一滴の血」でした。そして、それを最後に、EQMMコンテストは、その使命を終えます。
 コンテストの第1席作品13編は、名だたる粒ぞろいで、のちに『黄金の13/現代篇』として一冊にまとめられました。これほどハイレベルな、短編ミステリのアンソロジーも珍しく、クオリティの高いことでは、世にミステリのアンソロジーはあまたあれど、確実に五指に入るでしょう。第1席作品、すなわち、受賞作と言っていいでしょうが、それらにこれほどの作品群を集めえたというだけでも、コンテストとして有意義だったに違いありません。けれど、EQMMコンテストが画期的だったのは、それだけが理由ではないのです。




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