ロイ・ヴィカーズの迷宮課シリーズの顕著な傾向のひとつに、事件の決め手となる、あるいは事件を象徴する小道具があって、それが題名になるというものがあります。思いつくままにあげてみても「ゴムのラッパ」
「なかったはずのタイプライター」の最初の章は、こんな終わり方をします。
「しかし、ハヴァーストンは、幸か不幸か、それと気づかなかったのだ、事件において、なんの役割も演じなかったタイプライター――いや、それどころか、それは存在してもいなかった。そのタイプライターが、事件が不適当な見出しのもとに印をつけられて、迷宮課のファイルにとじこまれたあとになって、危険な手がかりとなる可能性があるということに」
小説の始まりで、こんなふうに読者を釣りこむような書き方をするのも、ヴィカーズのよくやる手のひとつです。もっとも、この場合はさすがに趣向倒れで、タイプライターがなかったことが必要だったという形の解決ならまだしも、代わりに何があったのかという形になっていては、どうしても、インパクトが弱くなってしまいます。かといって、ネタばれになるので、その小道具を題名には出来ませんしね。それに、ヴィカーズの謎解きはシンプルさに欠けるというか、解決の部分が細かいディテイルに左右されることが多いわりに、その細かさを描く手立てが単調で、解決部分に面白みがないことがしばしばあって、この「なかったはずのタイプライター」も、その例に漏れません。
また「盲人の妄執」のように、殺害現場における被害者の行動に関して、細かく論理を展開しているように見えながら、結局、自殺・他殺どちらの場合にも当てはまるといった失敗作もあります。こうして見ていくと、推理の面白さ、解決の面白さが迷宮課シリーズには欠けていて、代表作とされることが多い「百万に一つの偶然」
ミステリ、SF、ファンタジー|東京創元社