前回に引き続き、マイケル・イネスの短編を、もう少し読んでみましょう。
『アップルビィ警部の事件簿』
6編のうち「ビレアリアスの洞窟」は、前回出てきた「ベラリアスの洞窟」で、癖のある訳をする英文学の先生なので、この短編集では、ビレアリアスとなっています。この短編は、トリックと改めて取りざたするほどのものでもないような、あるアイデア一発の話ですし、同様なことは「ウイリアム征服王」にも言えます。こちらはトリックというよりは、(アプルビイがなぜ真相に気づいたかの)手がかりのアイデアと言ったほうが、いいかもしれません。ともに、思いつきひとつで軽く書いた作品に見えて、さして買えるものではありません。むしろ、さる王家の紋章が不用意に飾りつけられたという事件が、あれよあれよというまに、王冠奪回を姫に誓ったふたりの騎士の対決の話へと展開していく「獅子と一角獣」が、奇譚の趣十二分で、異色の一編となっています。とても第二次大戦後の作品とは思えない。その大時代ぶりたるや、半世紀はズレていて、シャーロック・ホームズより、もうひとつ古い。スティーヴンスンの『自殺クラブ』
こうした遊びの感覚は、イネスにはしばしば見られるのですが、残念ながら、それが作家の芸の域に達していることは稀で、「ダービー出走馬の消失」のような作品が成功しないところに、この作家の限界を見てしまいます。
セイヤーズのところでも書きましたが、時代的には30年代以降であっても、シャーロック・ホームズのライヴァルと呼びたくなるところが、このイネスにもあって、フェアプレイを守ったパズルストーリイを書くことを第一義にするのではなくて、ヒーローとしての名探偵を書くことを主眼にしているところに、たとえばクイーンやカーとの違いが表われています。ともに堂々たるインテリで、冒険する貴族を探偵に据えたセイヤーズやイネスには、パズルストーリイの進化を実現するといった考えはなかったのかもしれません。少なくとも、短編においては。
もっとも、「獅子と一角獣」におけるアプルビイが名探偵かというと、一概にそうとも言えないものがあります。ここでのアプルビイは、単なる奇譚の語り手、あるいは狂言まわしとも思えるのです。この作品だけではなく「ペルシャからのニュース」や「トムとディックとハリー」といった短編も、同じような感じを与えます。前者では、犯人のトリックはありますが、それがなぜ露見したか、アプルビイが看破したのなら、それはいかにしてなのか、読者にはさっぱり分かりません。後者にも、犯人のトリックはありますが、それを見破ったのは、アプルビイではありませんでした。ふり返ってみれば、ホームズ譚にも、こうした例は見られて(そうした話でさえ、ホームズの冒険譚に見せてしまうだけの、腕力というか強引さが、ドイルにはあって、イネスには欠けていると思いますが、それこそ、時代の制約かもしれません)シャーロック・ホームズのもたらした物語パターンというものが、いかに根が深く、汎用性の高いものだったかに、いまさらながら気がつきます。
マイケル・イネスが短編に手を染めたのは、第二次大戦後になってから、EQMMに作品を投じたのが、始まりのようです。アプルビイというシリーズキャラクターを使うことで、遅れてやって来たシャーロック・ホームズのライヴァルたちの末席に、イネスのアプルビイものは座を占めましたが、同時に、数人の会話でアプルビイの過去の事件を描くという枠組みを多用する結果となりました。短編で同じ行き方を多用した、イギリスのパズルストーリイ作家が、もうひとりいます。エドマンド・クリスピンです。
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