特別寄稿
墓碑銘2011年
――岡田正哉さんの思い出に


高橋良平 ryohei TAKAHASHI


●去る2011年5月17日、SF研究家・岡田正哉さんが亡くなりました。享年68。名古屋在住のビッグ・ネーム・ファンで、1960年代から70年代にかけてファンダムで活躍。20世紀前半の欧米SFをファンジンで紹介するとともに、膨大な雑誌をコレクションされ、SFコンベンションでは見事なオークショニアをつとめられました。70年代後半にSFファン活動を退かれましたが、以後も昆虫研究家として活動され、主宰していた地元の昆虫の会からは数多くの昆虫学者が輩出しています。ご親交の深かった高橋良平さんが追悼文を寄せられました。(編集部)

 「これ読んどる?」と、読みさしの“ハヤカワ・SF・シリーズ”の新刊をショルダーバッグから取りだして、「翻訳が良くないんだわ」と名古屋弁で声をかけられたのが、岡田正哉さんと初めて言葉をかわすきっかけだった。
 場所はクローバーという喫茶店。名古屋駅の新幹線ホーム側出口から駅裏に出て、線路脇の道を下り方面に少し歩くと、左手にその喫茶店はあった。うなぎの寝床のような店内の奥に、10人ほどが座れるボックス席があり、そこを定席に毎週土曜の夕刻から“ミュータンツクラブ”の“金曜会”が開かれていた。土曜なのに“金曜会”とはこれいかに、と疑問に思うのは当然だが、当初の金曜日だった例会を土曜日に変更しても、会の名はそのままほうが話のネタになるから面白いと考えたとか……。
“金曜会”の世話人の広道隆夫さんから、岐阜の昆虫館にお勤めと紹介された岡田さんは、学者肌の温厚篤実な感じで、たいてい聞き役にまわりながら、ときどきユーモアをまじえた辛口の言葉をもらす。このときも、眼鏡の奥の柔和な目は変わらぬものの、その翻訳がよほど腹にすえかねてか、穏やかな口調にちょっぴり怒りがこもっていた。
 その風貌は、小柄で童顔だが、髪をおかっぱ風にし、黒メガネに変えて、パイプをふかせば、写真で見知っていた澁澤龍彦に似てなくもない。そんなミスティックな雰囲気もあるけれど、〈宇宙塵〉65年8月号「おたより」欄に、
〈今月は少々忙しく、SFM8(月号)、同増刊、宇宙塵7(月号)の三冊がたまってしまい、どれから読もうかとオロオロしましたが、(宇宙塵訳載の)「シャムブロウ」は真先に読みました。こういう話は大好きです。悪漢に怪獣、美女に裸女に宇宙船と出てくると心の底からうれしくなっちゃうんです。異常でしょうか? 野田さんの「英雄群像」の英雄ひとり一話ずつでも宇宙塵に載せてもらえたらたのしいんですけどね〉
 なんて書き送っている。この手紙から2か月後の65年10月、宇宙冒険活劇を待望する岡田さんの夢が叶えられる。創元推理文庫のSFマークから、E・R・バローズの『火星のプリンセス』が発売されたのだ。たちまちベストセラーとなって、以後、同文庫は、「火星」シリーズにつづいて「金星」シリーズ、野田さんの「SF英雄群像」を頼りに「レンズマン」シリーズや「スカイラーク」シリーズ等々を陸続と出せば、ライバル(本家?)のハヤカワ・SF・シリーズもそれに負けじと、66年2月に「キャプテン・フューチャー」シリーズの『太陽系七つの秘宝』を皮きりにパルプSFに力を注いだから、一挙に“スペース・オペラ”は花盛り。

 さて、そんな岡田さんのSFファン歴をさかのぼると、ファン活動の中核だった同人誌〈宇宙塵〉を発行する科学創作クラブに入会したのは、1962年の10月のこと。
 翌年6月、岐阜県各務原に住むヨーシュミッツ・デンドリッヒこと吉光伝さんの呼びかけで、中部日本SF同好会“ミュータンツクラブ”が発足。早速参加した岡田さんは、9月に出た会誌の〈ミュータンツ〉創刊号にショート・ショートの「新世界」を発表している。ちなみに〈ミュータンツ〉は、〈宇宙塵〉、筒井康隆さんの〈NULL〉、SFM同好会の〈宇宙気流〉につづく4番目のSFファンジンだった。
 その岡田さんを、ファンダムで一躍有名にしたのが、65年の晩秋に出した『宇宙生物分類学』である。A5判タイプオフ印刷の冊子ながら、SFに登場する宇宙生物を、本職の昆虫学よろしく図版も付けて学術的に分類しちゃおうとマジメに研究した論文風読み物で、未知の異星生物を分類してみる演習問題のオマケまである。SFファンならではのユニークかつ楽しい趣向にあふれている。
 その1年後、岡田さんは自ら〈ベム〉というファンジンを出しはじめる。
 同誌を紹介した〈S‐Fマガジン〉72年4月号(ちなみにこの号は、半村良の“絶賛「石の血脈」の新鋭が放つ全八百枚の新連載長篇第一弾!「神変ヒ一族」産霊山秘録第一話”が載り、ハーラン・エリスン特集が組まれております)の「ファンジン・パトロール」欄の文章を引くと、
〈本年度日本SF大会の立役者たる岡田氏の個性がよく出た雑誌だ。1966年11月、SFに現れるベム族と、事実・架空両面にわたるその周辺の研究を標榜して発刊、次第に間口をひろげ、6号「スカイラーク・インデックス」などの労作でファンダムの話題をさらったが、69年に一時中絶、この1月にA5判タイプオフ36頁の9号で返り咲いた。内容は代表の外国秘境SF紹介を中軸に、外国マンガ、スペースオペラ解説など古きよき時代をなつかしむファンの交流をめざしている。日本ファンダムも成長した今、このように対象を絞った研究グループがもっと現われてほしいものだ。発行は季刊の予定。会員組織はとくに設けていない。(C・R)〉
 筆者のC・R氏とは、小隅黎(こずみ・れい)こと〈宇宙塵〉主宰者の柴野拓美さん。ちなみに、小隅黎の頭文字が、K・RでなくてC・Rなのは、ペンネームの由来が“Cosmic Ray”(宇宙線)のため。