1 アマテラスと蛇
東京を襲ったMM(モンスター・マグニチュード)8級宇宙怪獣による災害から二日目。
上空から見下ろすと、その無残な爪痕がはっきり分かる。浅草付近から南西の皇居にかけて、巨大なブルドーザーが通過したかのように、幅約五〇~一〇〇メートル、長さ約五キロにわたってビルが消滅し、ベルト状に瓦礫の道ができているのだ。特にJR秋葉原駅周辺の破壊がひどく、東西に走る総武線、南北に走る東北上越新幹線・山手線・京浜東北線、それに中央線が、斜めに断ち切られている。ベルト地帯の両側に建つビルも、よく見れば損傷しているものが多い。ベルトから離れた場所にも、破壊の跡がいくつか点在する。怪獣によって撃墜された自衛隊機の墜落地点だ。
怪獣6号が蹂躙した墨田区・台東区・千代田区の一帯では、消防の活躍で、火災はその夜のうちに完全に鎮火。現在は行方不明者の捜索と並行して、ガス・水道・電気・鉄道・道路などのインフラの復旧が急ピッチで進んでいた。だが、台東区では広い範囲で住宅地が破壊されたうえ、まだ停電している地区も多く、家に帰れない被災者の数は五万人を超える。
JRは秋葉原駅の手前でストップして折り返し運転していた。地下鉄も運休している路線が多い。大江戸線は他の路線より深いところを通っていたのでダメージは少なかったが、浅草線・新宿線・千代田線・丸の内線・銀座線などでは、地上を通った怪獣の重みに耐えかねて天井が陥没したところがあり、復旧の見こみが立っていない。
多くのビルやインフラが破壊され、首都の機能に重大な支障が発生したが、政府の機能が集中している永田町と霞ヶ関は幸いにもまったく無傷だったし、犠牲者数も一〇〇〇人を超えそうになかった。この規模の怪獣災害なら、一万人以上の犠牲が出ていてもおかしくなかったのだ。気特対(気象庁特異生物対策部)による怪獣警報発令や避難の指示が的確だったからだろう。
毎年、十数回の怪獣災害に見舞われる日本。こうした都市を襲う怪獣災害も、過去に何度もあった。この東京も、一九二三年の大怪獣災害で一度は焼け野原にされ、一四万人が死亡している。その歴史的惨劇に比べれば、今回はかなり被害が少なかったといえよう。
だが今回は、過去の怪獣災害とは決定的に異なる点がある。
これがただの災害ではなく、侵略だということだ。
皇居東御苑――
皇居のこの一画は一般に開放されており、普段は平日でも観光客の姿が見られる。だが、今日は皇居を取り巻く内堀通りが警察と自衛隊によって封鎖され、一般人の接近が禁止されている。二の丸雑木林の周辺には陸上自衛隊の車両が何台も停まっており、空にも自衛隊のヘリコプターが舞っていた。報道のヘリは皇居上空への侵入を禁じられており、遠く離れた場所から望遠で撮影することしかできなかった。
東御苑は東西に分かれており、かつては江戸城本丸のあった西側の方が、東側より一〇メートルほど高くなっている。東西を隔てる境界に位置しているのが白鳥濠で、本来は本丸を守る濠だった。
その白鳥濠を見下ろす展望台に、MMD-MOT(気特対機動班)の緑色のジャケットを着た室町洋二郎(むろまちようじろう)が立っていた。石垣の縁から眼下を覗きこんでいる。
「解体作業、開始しました」
彼は通信機を使い、気象庁本庁に報告を送っていた。気象庁のビルは五〇〇メートルほどしか離れておらず、ここからでも見える。隣の竹橋合同ビルが倒壊した際に、飛び散った破片で壁面に損傷を受けたものの、機能に支障はなく、すでに活動を再開している。
『何かあったら報せてくれ』気特対本部内にいる部長の久里浜祥一(くりはましょういち)が、憔悴した声で投げやりに言った。『何もなかったら報告せんでいい』
投げやりにもなろうというものだ。久里浜は一昨日の二度の怪獣出現に加え、昨日と今日は本部の機能復旧やら緊急会議やら記者会見やらでとてつもなく多忙で、ほとんど休んでいないのだから。
「了解。何かあったら報告します」
室町は通信を切った。
「部長、だいじょうぶですかね」
室町の横では、部下の藤澤(ふじさわ)さくらが、三脚にビデオカメラをセットし、眼下で繰り広げられている光景を撮影している。
「ぶっ倒れるんじゃないですか?」
「倒れられると困るな。我々でできるだけフォローしないと」室町も心配そうだった。「部長の裁量を要する事項以外、上には余計な情報は上げないようにしよう」
「そうですね――うわあ、何度見てもグロいな」
さくらは下に向けたカメラをゆっくりとパンしながら、顔をしかめていた。一八歳で気特対に入ってもう九年。新米の頃は、砲撃でバラバラになった怪獣の死骸を見て、気持ち悪くなって吐いたこともあるが、さすがにもう慣れた。
白鳥濠には巨大で異様なものが横たわっていた。
本来は身長五〇メートル以上もある、エイに似た形の二足歩行生物だった。今はぐちゃぐちゃになっていて、元の姿を想像するのは難しい。白い腹は破裂し、透き通った寒天のような内臓が四方に飛び散っている。恐ろしい冷凍光線を放つ口があった顔面のあたりは、完全に潰れている。他にもクレーターのような大穴がいくつも開いていた。半径二〇〇メートル以上の範囲に、大量の体液が飛散している。内臓と同じく透明で、乾燥しかけているものの、まだ強い粘性があった。周囲を歩き回っている迷彩服の人々は、自衛隊の特殊処理班の隊員だ。ブーツの裏が怪獣の体液でねばついて難渋している。
怪獣6号――昨日、「ゼロケルビン」という固有名がついた――は、浅草からここまで進行してくる間、航空自衛隊の戦闘機隊と陸上自衛隊のヘリコプター部隊の猛攻にさらされた。さらにこの皇居東御苑で怪獣ヒメと戦い、倒れたところを、M31誘導ロケット一二発の直撃を受け、ようやく絶命したのだ。
おりしも自衛隊の特殊作業用車両が作業を開始したところだった。坑道掘削装置MRH-S100型ロードヘッダ。全長約一五メートル、ブルドーザーのようなボディで、前部に巨大なアームが装備されている。アームの先端には、切削チップが螺旋状に配列されたドラムが付いていて、それがドリルのように回転し、土を掘り進み、岩でも砕く。
ロードヘッダが前進し、アームがゆっくりと伸びて、回転するドラムが怪獣の死骸にめりこんだ。切削チップによって肉が切り裂かれ、不快な音を立てて、体液と肉片が飛び散る。
何度も何度もドラムを突き刺し、一直線にぶすぶすと穴を開けてゆく。肉を切断して解体しやすくしているのだ。他にも、ブルドーザーやパワーショベル、パケットローダーなどが、ちぎれた肉片や内臓を拾い集めているし、車両が入りこめないところでは、特殊処理班の隊員がチェーンソーを使って肉を切り分けている。骨などは硬いので、爆薬を使って砕くこともある。
「でも――」さくらが心配そうに言った。「これだけ大きいと、解体するのも一日や二日じゃ終わりませんよねえ」
「それでもやるしかなかろう」と室町。「5号を後回しにしてでも、一刻も早く処理しろって、上からのお達しだ――まあ、気持ちは分かるが」
今は五月。空気はかなり暖かい。放っておくと死骸はすぐに腐ってくると予想される。皇居が腐臭に包まれるのは、何としてでも避けなくてはならない。
「慌ただしすぎますよ。できれば、もうちょっと詳しく調べたかったんですけどねえ」
「骨格は超音波で調べたし、サンプルも採った。これで我慢するしかない」
通常、怪獣の死骸はサンプルを採取した後、死んだ場所の近くに深い穴を掘って埋めることになっている。しかし、さすがに皇居の敷地内に埋めるのはまずい。そこでバラバラに刻んで運び出し、埋め立て地に埋めることになったのだ。幸い、放射線量は許容値以下だし、体液も昨日のうちに分析され、有害な成分を含んでいないことが判明している。
しかし、この怪獣の体重はゆうに三〇〇〇トンを超える。運び出すのに何十台のトラックで何往復しなければならないのか。さらに、体液をすっかり洗い流し、たくさん残っている足跡を埋め、折れた樹を片づけ、踏みにじられた庭園を修復し、崩れた石垣を復旧して……といった作業を考えると、東御苑が元通りになるのは何か月も先のことだろう。
「でも、意外に柔らかそうですね」解体作業を撮影しながら、さくらが言った。「ミサイルが何発も当たっても平気だったから、もっと硬いかと思ったのに」
「基本的な組成は地球上の生物とたいして変わらんだろ。少なくとも、先に死んだ5号のサンプルからは、それほど突飛なものは見つかってない。アミノ酸の構造は特殊だが、構成元素は、酸素、水素、炭素、窒素、ナトリウム、カルシウム……成分比は地球の生物とたいして変わらんらしい」
「それがあれだけの攻撃に耐えたってことは……やっぱり多重人間原理?」
「おそらくな」
戦艦に穴を開けることのできる93式空対艦誘導弾でさえ、怪獣を傷つけてひるませた程度で、たいしたダメージにはならなかった。巨大怪獣とはいえ、皮膚の厚さはせいぜい五〇センチほどしかないし、鋼鉄に比べれば柔らかいはずだ。全長四メートル、直径三五センチのミサイルが直撃したら、サイズ的には人間が大口径の銃弾で撃たれたのと同じようなもので、大穴があいて即死していてもおかしくないのだが。
「以前から言われていたが、怪獣の中には近代兵器が効きにくいものがいる。体内の物理法則が違うせいで、火薬が計算通りに爆発しなくて、成型炸薬弾のモンロー効果がうまく発揮されないのか、あるいは肉体の強度が高くなっているのかもしれない――M31の着弾の映像は見ただろ?」
「ええ」
空から降り注いだ一二発のM31が、瀕死のゼロケルビンにとどめを刺す光景は、上空にいた自衛隊の観測ヘリによって撮影されていた。その映像は今朝、資料として気特対に届けられた。MM8級怪獣が倒される瞬間の映像は世界的に貴重で、今後の怪獣対策の資料として役立つ。
「奴は最初のうちは苦しんでもがいていた。だんだん動きが鈍くなっていって、一〇発目で完全に動きが止まった。そして、一一発目と一二発目では、明らかにそれまでより派手に肉片が飛び散っていた――」眼下に横たわる怪獣の腹を指差して、「――あの大穴は、最後の二発が開けたものだ」
さくらは考えこんだ。「つまり死ぬと同時にミサイルの威力が増した……」
「と言うより、本来の威力を取り戻したってことだろうな。我々の属するビッグバン宇宙の法則に従うようになって」
この地球上には二つの物理法則が存在する。ニュートンやアインシュタインの法則に従うビッグバン宇宙と、神話世界の法則に従う神話宇宙だ。三〇〇〇年以上前の世界では神話宇宙が優勢だったが、現在では逆転し、世界のほとんどはビッグバン宇宙の法則に支配されている。例外は怪獣で、その体内は神話宇宙の法則に従っていると考えられている。これが多重人間原理だ。
今回の怪獣のサイズは人間の三〇倍以上。体重はサイズの三乗に比例するが、断面積は二乗にしか比例しないから、単位断面積あたり人間の三〇倍以上の重量がかかっていたことになる。人間が自分の体重の三〇倍の荷物を背負っているようなもので、歩くどころか、立つことさえできないはずだ。にもかかわらず、怪獣は二本足で立ち上がり、五キロも歩いてきた。根本的に人間とは異なる物理法則に支配されているということだ。
他にもゼロケルビンは、口から冷凍光線を吐いたり、重力に反発して宙に浮いたりした。対するヒメも、質量保存則に反して巨大化したり、手から光の粒子を発したりできる。どれも科学では説明のつかない現象だ。
「だから、あの肉を調べたって、たいしたことは分かるまい」室町は解体されてゆく怪獣の死骸を見下ろして言った。「あれはもう普通の物質――ビッグバン宇宙の法則に従う物質になってる」 「生命がある間だけ、神話宇宙の法則に支配されてる……」
「だと思う。もしかしたら、M31でとどめが刺せたのも、ヒメの攻撃で弱っていたからかもしれんな」
「怪獣が弱ったせいで、神話宇宙の影響力も弱くなった?」
「かもしれん。案野(あんの)先生がいれば、もっといろいろ解説してくれるんだろうが」
案野悠里(ゆり)は気象庁に勤める宇宙物理学者で、かつては気特対に所属していたこともある。
「そう言えば、案野先生、どうしてるんでしょうね?」
「さあ」室町は気のない口調で言った。「昨日、一騎(いっき)くんといっしょに、警察に連れてかれたきりだな……」
東京を襲ったMM(モンスター・マグニチュード)8級宇宙怪獣による災害から二日目。
上空から見下ろすと、その無残な爪痕がはっきり分かる。浅草付近から南西の皇居にかけて、巨大なブルドーザーが通過したかのように、幅約五〇~一〇〇メートル、長さ約五キロにわたってビルが消滅し、ベルト状に瓦礫の道ができているのだ。特にJR秋葉原駅周辺の破壊がひどく、東西に走る総武線、南北に走る東北上越新幹線・山手線・京浜東北線、それに中央線が、斜めに断ち切られている。ベルト地帯の両側に建つビルも、よく見れば損傷しているものが多い。ベルトから離れた場所にも、破壊の跡がいくつか点在する。怪獣によって撃墜された自衛隊機の墜落地点だ。
怪獣6号が蹂躙した墨田区・台東区・千代田区の一帯では、消防の活躍で、火災はその夜のうちに完全に鎮火。現在は行方不明者の捜索と並行して、ガス・水道・電気・鉄道・道路などのインフラの復旧が急ピッチで進んでいた。だが、台東区では広い範囲で住宅地が破壊されたうえ、まだ停電している地区も多く、家に帰れない被災者の数は五万人を超える。
JRは秋葉原駅の手前でストップして折り返し運転していた。地下鉄も運休している路線が多い。大江戸線は他の路線より深いところを通っていたのでダメージは少なかったが、浅草線・新宿線・千代田線・丸の内線・銀座線などでは、地上を通った怪獣の重みに耐えかねて天井が陥没したところがあり、復旧の見こみが立っていない。
多くのビルやインフラが破壊され、首都の機能に重大な支障が発生したが、政府の機能が集中している永田町と霞ヶ関は幸いにもまったく無傷だったし、犠牲者数も一〇〇〇人を超えそうになかった。この規模の怪獣災害なら、一万人以上の犠牲が出ていてもおかしくなかったのだ。気特対(気象庁特異生物対策部)による怪獣警報発令や避難の指示が的確だったからだろう。
毎年、十数回の怪獣災害に見舞われる日本。こうした都市を襲う怪獣災害も、過去に何度もあった。この東京も、一九二三年の大怪獣災害で一度は焼け野原にされ、一四万人が死亡している。その歴史的惨劇に比べれば、今回はかなり被害が少なかったといえよう。
だが今回は、過去の怪獣災害とは決定的に異なる点がある。
これがただの災害ではなく、侵略だということだ。
皇居東御苑――
皇居のこの一画は一般に開放されており、普段は平日でも観光客の姿が見られる。だが、今日は皇居を取り巻く内堀通りが警察と自衛隊によって封鎖され、一般人の接近が禁止されている。二の丸雑木林の周辺には陸上自衛隊の車両が何台も停まっており、空にも自衛隊のヘリコプターが舞っていた。報道のヘリは皇居上空への侵入を禁じられており、遠く離れた場所から望遠で撮影することしかできなかった。
東御苑は東西に分かれており、かつては江戸城本丸のあった西側の方が、東側より一〇メートルほど高くなっている。東西を隔てる境界に位置しているのが白鳥濠で、本来は本丸を守る濠だった。
その白鳥濠を見下ろす展望台に、MMD-MOT(気特対機動班)の緑色のジャケットを着た室町洋二郎(むろまちようじろう)が立っていた。石垣の縁から眼下を覗きこんでいる。
「解体作業、開始しました」
彼は通信機を使い、気象庁本庁に報告を送っていた。気象庁のビルは五〇〇メートルほどしか離れておらず、ここからでも見える。隣の竹橋合同ビルが倒壊した際に、飛び散った破片で壁面に損傷を受けたものの、機能に支障はなく、すでに活動を再開している。
『何かあったら報せてくれ』気特対本部内にいる部長の久里浜祥一(くりはましょういち)が、憔悴した声で投げやりに言った。『何もなかったら報告せんでいい』
投げやりにもなろうというものだ。久里浜は一昨日の二度の怪獣出現に加え、昨日と今日は本部の機能復旧やら緊急会議やら記者会見やらでとてつもなく多忙で、ほとんど休んでいないのだから。
「了解。何かあったら報告します」
室町は通信を切った。
「部長、だいじょうぶですかね」
室町の横では、部下の藤澤(ふじさわ)さくらが、三脚にビデオカメラをセットし、眼下で繰り広げられている光景を撮影している。
「ぶっ倒れるんじゃないですか?」
「倒れられると困るな。我々でできるだけフォローしないと」室町も心配そうだった。「部長の裁量を要する事項以外、上には余計な情報は上げないようにしよう」
「そうですね――うわあ、何度見てもグロいな」
さくらは下に向けたカメラをゆっくりとパンしながら、顔をしかめていた。一八歳で気特対に入ってもう九年。新米の頃は、砲撃でバラバラになった怪獣の死骸を見て、気持ち悪くなって吐いたこともあるが、さすがにもう慣れた。
白鳥濠には巨大で異様なものが横たわっていた。
本来は身長五〇メートル以上もある、エイに似た形の二足歩行生物だった。今はぐちゃぐちゃになっていて、元の姿を想像するのは難しい。白い腹は破裂し、透き通った寒天のような内臓が四方に飛び散っている。恐ろしい冷凍光線を放つ口があった顔面のあたりは、完全に潰れている。他にもクレーターのような大穴がいくつも開いていた。半径二〇〇メートル以上の範囲に、大量の体液が飛散している。内臓と同じく透明で、乾燥しかけているものの、まだ強い粘性があった。周囲を歩き回っている迷彩服の人々は、自衛隊の特殊処理班の隊員だ。ブーツの裏が怪獣の体液でねばついて難渋している。
怪獣6号――昨日、「ゼロケルビン」という固有名がついた――は、浅草からここまで進行してくる間、航空自衛隊の戦闘機隊と陸上自衛隊のヘリコプター部隊の猛攻にさらされた。さらにこの皇居東御苑で怪獣ヒメと戦い、倒れたところを、M31誘導ロケット一二発の直撃を受け、ようやく絶命したのだ。
おりしも自衛隊の特殊作業用車両が作業を開始したところだった。坑道掘削装置MRH-S100型ロードヘッダ。全長約一五メートル、ブルドーザーのようなボディで、前部に巨大なアームが装備されている。アームの先端には、切削チップが螺旋状に配列されたドラムが付いていて、それがドリルのように回転し、土を掘り進み、岩でも砕く。
ロードヘッダが前進し、アームがゆっくりと伸びて、回転するドラムが怪獣の死骸にめりこんだ。切削チップによって肉が切り裂かれ、不快な音を立てて、体液と肉片が飛び散る。
何度も何度もドラムを突き刺し、一直線にぶすぶすと穴を開けてゆく。肉を切断して解体しやすくしているのだ。他にも、ブルドーザーやパワーショベル、パケットローダーなどが、ちぎれた肉片や内臓を拾い集めているし、車両が入りこめないところでは、特殊処理班の隊員がチェーンソーを使って肉を切り分けている。骨などは硬いので、爆薬を使って砕くこともある。
「でも――」さくらが心配そうに言った。「これだけ大きいと、解体するのも一日や二日じゃ終わりませんよねえ」
「それでもやるしかなかろう」と室町。「5号を後回しにしてでも、一刻も早く処理しろって、上からのお達しだ――まあ、気持ちは分かるが」
今は五月。空気はかなり暖かい。放っておくと死骸はすぐに腐ってくると予想される。皇居が腐臭に包まれるのは、何としてでも避けなくてはならない。
「慌ただしすぎますよ。できれば、もうちょっと詳しく調べたかったんですけどねえ」
「骨格は超音波で調べたし、サンプルも採った。これで我慢するしかない」
通常、怪獣の死骸はサンプルを採取した後、死んだ場所の近くに深い穴を掘って埋めることになっている。しかし、さすがに皇居の敷地内に埋めるのはまずい。そこでバラバラに刻んで運び出し、埋め立て地に埋めることになったのだ。幸い、放射線量は許容値以下だし、体液も昨日のうちに分析され、有害な成分を含んでいないことが判明している。
しかし、この怪獣の体重はゆうに三〇〇〇トンを超える。運び出すのに何十台のトラックで何往復しなければならないのか。さらに、体液をすっかり洗い流し、たくさん残っている足跡を埋め、折れた樹を片づけ、踏みにじられた庭園を修復し、崩れた石垣を復旧して……といった作業を考えると、東御苑が元通りになるのは何か月も先のことだろう。
「でも、意外に柔らかそうですね」解体作業を撮影しながら、さくらが言った。「ミサイルが何発も当たっても平気だったから、もっと硬いかと思ったのに」
「基本的な組成は地球上の生物とたいして変わらんだろ。少なくとも、先に死んだ5号のサンプルからは、それほど突飛なものは見つかってない。アミノ酸の構造は特殊だが、構成元素は、酸素、水素、炭素、窒素、ナトリウム、カルシウム……成分比は地球の生物とたいして変わらんらしい」
「それがあれだけの攻撃に耐えたってことは……やっぱり多重人間原理?」
「おそらくな」
戦艦に穴を開けることのできる93式空対艦誘導弾でさえ、怪獣を傷つけてひるませた程度で、たいしたダメージにはならなかった。巨大怪獣とはいえ、皮膚の厚さはせいぜい五〇センチほどしかないし、鋼鉄に比べれば柔らかいはずだ。全長四メートル、直径三五センチのミサイルが直撃したら、サイズ的には人間が大口径の銃弾で撃たれたのと同じようなもので、大穴があいて即死していてもおかしくないのだが。
「以前から言われていたが、怪獣の中には近代兵器が効きにくいものがいる。体内の物理法則が違うせいで、火薬が計算通りに爆発しなくて、成型炸薬弾のモンロー効果がうまく発揮されないのか、あるいは肉体の強度が高くなっているのかもしれない――M31の着弾の映像は見ただろ?」
「ええ」
空から降り注いだ一二発のM31が、瀕死のゼロケルビンにとどめを刺す光景は、上空にいた自衛隊の観測ヘリによって撮影されていた。その映像は今朝、資料として気特対に届けられた。MM8級怪獣が倒される瞬間の映像は世界的に貴重で、今後の怪獣対策の資料として役立つ。
「奴は最初のうちは苦しんでもがいていた。だんだん動きが鈍くなっていって、一〇発目で完全に動きが止まった。そして、一一発目と一二発目では、明らかにそれまでより派手に肉片が飛び散っていた――」眼下に横たわる怪獣の腹を指差して、「――あの大穴は、最後の二発が開けたものだ」
さくらは考えこんだ。「つまり死ぬと同時にミサイルの威力が増した……」
「と言うより、本来の威力を取り戻したってことだろうな。我々の属するビッグバン宇宙の法則に従うようになって」
この地球上には二つの物理法則が存在する。ニュートンやアインシュタインの法則に従うビッグバン宇宙と、神話世界の法則に従う神話宇宙だ。三〇〇〇年以上前の世界では神話宇宙が優勢だったが、現在では逆転し、世界のほとんどはビッグバン宇宙の法則に支配されている。例外は怪獣で、その体内は神話宇宙の法則に従っていると考えられている。これが多重人間原理だ。
今回の怪獣のサイズは人間の三〇倍以上。体重はサイズの三乗に比例するが、断面積は二乗にしか比例しないから、単位断面積あたり人間の三〇倍以上の重量がかかっていたことになる。人間が自分の体重の三〇倍の荷物を背負っているようなもので、歩くどころか、立つことさえできないはずだ。にもかかわらず、怪獣は二本足で立ち上がり、五キロも歩いてきた。根本的に人間とは異なる物理法則に支配されているということだ。
他にもゼロケルビンは、口から冷凍光線を吐いたり、重力に反発して宙に浮いたりした。対するヒメも、質量保存則に反して巨大化したり、手から光の粒子を発したりできる。どれも科学では説明のつかない現象だ。
「だから、あの肉を調べたって、たいしたことは分かるまい」室町は解体されてゆく怪獣の死骸を見下ろして言った。「あれはもう普通の物質――ビッグバン宇宙の法則に従う物質になってる」 「生命がある間だけ、神話宇宙の法則に支配されてる……」
「だと思う。もしかしたら、M31でとどめが刺せたのも、ヒメの攻撃で弱っていたからかもしれんな」
「怪獣が弱ったせいで、神話宇宙の影響力も弱くなった?」
「かもしれん。案野(あんの)先生がいれば、もっといろいろ解説してくれるんだろうが」
案野悠里(ゆり)は気象庁に勤める宇宙物理学者で、かつては気特対に所属していたこともある。
「そう言えば、案野先生、どうしてるんでしょうね?」
「さあ」室町は気のない口調で言った。「昨日、一騎(いっき)くんといっしょに、警察に連れてかれたきりだな……」