シャーリイ・ジャクスンが生きている間には、彼女の短編集は一冊しか編まれていません。それが『くじ』です。彼女の死後、1966年にThe Magic of Shirley Jacksonという短編集が編まれ、続いて68年には、遺稿となった未完の長編『こちらへいらっしゃい』を生かす形で、短編や講演を集めたものが一冊になりました。邦訳はフィーリング小説集の一巻となった『こちらへいらっしゃい』です。その年の暮れにサタデイ・イヴニング・ポストに掲載された「悪の可能性」が、翌年MWA賞を獲りました。その後96年に、未発表作品を大量に含む、短編集未収録の作品を集めたJust an Ordinary Dayがまとめられます。昨年、創元推理文庫から出た『なんでもない一日』は、そこからセレクトされた短編集でした。2015年にはLet Me Tell Youという短編集も編まれています。
シャーリイ・ジャクスンの本邦初紹介は、1960年5月号の日本語版EQMMに訳された「これが人生だ」(レディとの旅)だと思われますが、やはり、異色作家短篇集に『くじ』が入ったことで、多くの人に読まれるようになりました。「くじ」そのものも、『ニューヨーカー短篇集』をはじめとして、いくつかのアンソロジーに選ばれていますしね。70年代以降は、『山荘綺談』(たたり/丘の屋敷)や『ずっとお城で暮らしてる』といった長編小説が翻訳され、むしろ、ホラー作家として知られていたのではないでしょうか。
『こちらへいらっしゃい』は三部構成で、第一部が中絶した「こちらへいらっしゃい」の全編。第二部が「十四の短篇」と題した作品集。第三部が「自作を語る」で、講演記録を起こしたものです。講演の際には自作朗読が付きものだったらしくて、その作品「家じゅうが流感にかかった夜」と「くじ」も収録されています。第二部は発表順に並んでいるようで、ジャクスンがシラキューズ大学二年生のときの作品「ジャニス」から始まっています。それらの中で「くじ」に先行するのは、「新しき新来者」までの5編です。「女奴隷トゥーティー」は、がさつで無教養な女トゥーティーと、その背後にいる男を描いていますが、上品で洗練されたはずの女性(語り手も、彼女の友人であるトゥーティーの雇い主も)は、ふたりのがさつさの前になす術がありません。「わが愛する人は」は、イギリスの小説かと思わせるような、母親に人生を押しつぶされた娘の話でした。ミステリないしはホラーの風味が強いのは、夫が突然別人になってしまう(あるいは、ヒロインがそう思ってしまっただけなのか)という「新しき新来者」でしょう。面白かったのは「カリフラワーを髪に」という一編で、私の好みかもしれませんが、ミステリマガジンに載れば都会小説と銘打たれたことでしょう。娘が友だちの女の子を家に連れて来た一景を描きながら、父親だけが彼女を異なった目で見ていることを、そして、彼女もそれに応えていることを、それと一言も語らずに、巧みに読者に伝えていました。
『こちらへいらっしゃい』は、シャーリイ・ジャクスンの多様性を示すように短編を選んだと、夫である編者のスタンリー・ハイマンも述べています。確かに、描かれる状況、物語は多様ですが、そこには共通するものがあります。上品さと野蛮さの対比、上品さの陰に見られる弱者や目下の者への容赦なさ、ある日突然、日常が崩れていく恐ろしさ。総じて言うと、上品で洗練された秩序のある日常が、いつかどこかで綻びる瞬間を描く。
シャーリイ・ジャクスンの短編、とりわけ初期の作品群の背後には、ある種の階級制というか社会の持つ秩序感が見て取れます。『くじ』の中の作品で言うと、「伝統ある立派な会社」は、そのことが作品の中心となっていました。そこまであからさまでなくても、「酔い痴れて」のような大がかりなパーティは、富裕層のものでしょう。「魔女」や「麻服の午後」といった作品の持つ、残虐さや不公正が表面的な上品さによって取り繕われ隠された様は、イギリスの小説を思わせるものがありました。一方で、「背教者」や「大きな靴の男たち」といった作品では、野蛮さは田舎というものに結びついている。その野蛮さも生々しいもので、ビアスあたりまで遡らなければ、知己を見いだせないようなものでした。そうした粗野で野蛮な何物かが、平穏な生活の底にじっと潜んでいる。
かつて小林信彦は、アメリカ映画のシチュエーションコメディについて「第二次大戦の影響で、有閑階級を描くコメディというのが、殆どなくなってしまった」と書きました。私流に補足すると、大恐慌からルーズベルト政権を経て、第二次大戦に参戦したことの影響だと思いますが、40年代に作家としてスタートを切ったシャーリイ・ジャクスンの小説が、その根っこに持っていた生活感あるいは秩序感――都会小説の書き手として認められていたのは、そこを巧みに描いたからでしょう――は、すれ違いに、アメリカ社会から失われていくものでした。貧しさを根底に持つ野蛮さと、富を独占することで一部の階級が獲得した上品さ。アメリカ社会はその双方をなくすことで、巨大な中産階級を作り上げようとしていました。その時勢を象徴するともいえるテレビの三大ネットワークが出そろった1948年に「くじ」は世に出ました。そして、そこに描かれた、純粋な野蛮さとでも言うべきものは、かつてのもの(つまり歴史的な存在)ではなく、いまもどこかに、剥き出しの形であるものとして描かれていたのでした。
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