おもな活躍の場がスリックマガジンであったために、SFやファンタジーといったジャンルの区分けから逸れた印象を与えていたという点で、ジャック・フィニイと似たような位置にいたのが、シャーリイ・ジャクスンでした。彼女の場合は、早世したことも手伝って、「くじ」でセンセイショナルな光の当たり方をした一方で、生前の評価はどこかしら曖昧なところがありました。遺族による眠っていた作品の地道な掘り起こしが、復権の大きな力となったのは間違いないところで、そもそも、MWA賞の短編賞を獲った「悪の可能性」が、サタデー・イヴニング・ポストに発表されたのが、死後のことでした。21世紀に入ってシャーリイ・ジャクスン賞が創設され、これは、(短編よりも)彼女の長編作品の持つ傾向が、より反映されている印象を受けます(正確な判断は、受賞作を読んでいないので保留しますけれど)が、一定の評価を得たことの総仕上げとは言えるでしょう。
 1948年6月号のニューヨーカーに掲載された「くじ」は、シャーリイ・ジャクスンの名を一躍著名にしましたが、作品そのものは、ジャクスンの短編の中では毛色の変わったものでした。そのことは、おそらくは「くじ」の巻き起こしたセンセイションの結果編まれたであろう短編集『くじ』――異色作家短篇集第3期の最高の短篇集――を読めば、簡単に分かります。
「くじ」は、アメリカの小さな田舎の村を舞台にした、大人のための残酷童話であり、端正な物語として、ほぼ完璧な出来栄えです。あまりにも有名な短編の上に、分かりにくいところもないので、傑作とだけ言いおいて、あとは触れませんが、この一編が、とんでもない反応を引き起こしたことは触れておかねばなりません。ジャクスン自身が「ある短篇小説伝」と題する文章を書いていて(『こちらへいらっしゃい』に収録されています)、そこには「くじ」という一編に戸惑った人々の反応が、多く紹介されています。この作品の描いた残酷さ野蛮さが、現実のものであると信じる思い込み、ないしは、現実の人々への――おそらくは、それを読まされた(!)自分への――当てこすり以外の何物でもないと判断する思い込みが、そこに紹介された反応には見て取れます。こうした、ほとんど没論理に近い、しかし強烈な反応は、たとえば、70年近くが経過した現在のネット環境にも、似たものが観察できますし、1948年の「くじ」でさえ、必ずしもフィクションとして読まれなかったという点で、雑誌掲載の短編に対する読まれ方には注意を要するという教訓を残してくれています。
 さて、では「くじ」の毛色が変わっていたのなら、シャーリイ・ジャクスンの短編の本線とは、どのようなものだったのでしょう。短編集『くじ』の多くの作品は、ニューヨークのような都会か、そこに向かう交通機関を舞台にしています。その点だけでも「くじ」とは大違いです。巻頭の「酔い痴れて」は、パーティでの酔いざましにキッチンへ避難した客が、その家の娘と出会う一場面を切り取った掌編です。こう書いただけでもお分かりかもしれませんが、ニューヨーカーに代表される都会小説なのでした。
「ヴィレッジの住人」のスノビムズ(題名のヴィレッジは、もちろん、グリニッジ・ヴィレッジです)へのあてこすりや、「おふくろの味」の都会での近所づきあい(というものが存在しえたのですね、まだ)における、ある種のあつかましさと、それに逆らえない小心さなど、これほど都会小説という言葉がぴったりくるものも珍しいでしょう。もちろん「魔性の恋人」のように、題名からして、のちのシャーリイ・ジャクスン賞を裏切らない一編もありますが、これとても、結婚相手を待つ女性の姿をヴィヴィッドに描くうちに、その描写というか彼女が相手を待つ姿勢そのものが、常軌を逸するまでにエスカレートしていって、魔性の領域に入るといった話で、出だしは若い女性の日常的な話に見えるのです。「どうぞお先に、アルフォンズ殿」は、黒人差別に敏感な良心的な白人の戸惑いという、それこそ『ニューヨーカー短篇集』にいくつも見られる話のジャクスン版(子ども同士のつきあいに母親がからむのが、いかにも)ですし、マイノリティに対する戸惑いという点では「アイルランドにきて踊れ」も同様です。「伝統ある立派な会社」は、戦地(対日戦争です)で息子同士が知り合ったふたつの家庭の出会いが、徐々に、エスタブリッシュメント社会を浮かび上がらせる様を、短い一景に描いて秀逸でした。どれも皮肉な社会観察に裏打ちされた視点で、みごとに切り取られた一瞬を描いて、サキのアメリカ版と呼びたくなる作品群です。
 そんな作品の中で、私がもっとも推奨するのが「曖昧の七つの型」です。ある書店で、おそらくは棚ざらしになるであろうエンプスン――なんて、誰も知らないでしょう? 私も知りませんでした――の本を、くりかえし手にとる青年は、明らかに読書家です。そこへ読書とは縁のない男が、金が出来たからディケンズでも読みたいと、あつらえた書棚を埋めるための全集本を買いに来る。店主にかわって青年は店を案内し、男に相応しいであろう作家のリストを作ってやります。短い場面の簡潔な描写で、対照的なふたりを描き、無慈悲な結末がやって来る。本を読むことのないであろう人間という、小説の書き手と読み手が、共犯関係を結んで弾いてしまえる人間を描いてほろ苦い。以前紹介したブラッドベリの「山のあなたに」を、私は思い出しました。
 シャーリイ・ジャクスンには未発表の草稿がたくさんあり、遺族が見つけては活字化しています。昨年、創元推理文庫から出た『なんでもない一日』は、その集大成をもとに作られた短編集です。その序文は「思い出せること」と題して、彼女が16歳のとき、推理小説を書こうとしたことが、ユーモラスに語られています。そうした嗜好はあったと見ていいのでしょう。第一短編集に都会小説が多かったのは、それまでの彼女の執筆の場がスリックマガジンであり(そこに、エイジェントが売り込んだということです)、ニューヨーカーに発表された「くじ」を軸にして、それまでの彼女の読者をまず想定した短篇集を編んだということでしょう。しかも、前段でサキのアメリカ版と書きましたが。それはミステリに容易に接近しうる作風とも言えました。
 たとえば「歯」「塩の柱」は、ニューロティックなサスペンス小説の一歩手前といった話でした。とくに、後者は、短期滞在しているニューヨークでの生活が、建物のひびから始まって、非常に細かい部分から崩れていっていると、ヒロインが感じていく話です。その崩れていく過程で、ばらばらに切断された死体の一部を発見するというディテイルが描かれています。殺人事件が社会の劣化ないしは疲弊を表わすというのは、いまでこそ珍しくありませんが、1940年代のアメリカでその発想を持ちえたということには、驚きを禁じえません。
『くじ』に収められた作品以外で、このころの作品を『なんでもない一日』から拾ってみましょう。「おつらいときには」(若島正編の『ベスト・ストーリーズⅠ』にも採られていて「世界が闇に包まれたとき」という題名になっています)のような苦い話や、「店からのサーヴィス」のように、それと一言も言わずに、コンゲームを描いてみせる話を、ニューヨーカーに書いています。
 これらの小説は、巧妙に書かれ、洒脱で意地悪な小説でした。そして、確かに、これらの小説には、のちの「くじ」を予感させる部分がないとは言えません。けれど、それまでの短編と「くじ」は、やはり決定的に異なっているように思います。では、「くじ」は、ただ一度だけ、シャーリイ・ジャクスンに降りて来た奇跡の一編なのか? それとも、それを転機に、シャーリイ・ジャクスンは新しいステージに入ったのか? それを知るためには、当然、後続の作品群を読む必要があります。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。


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