『13のショック』の基調となっているのは、平凡な生活を送っているアメリカ人が、平凡な生活のただ中で、突然、落とし穴へ突き落されるような恐怖でした。その感覚は「ノアの子孫」ひとつ読めば、了解していただけると思います。小説のタイプや現実感の濃淡といったものは、それぞれに違いはあっても、その点が多くの作品に共通しています。
たとえば、マシスンの代表作のひとつに数えられる「長距離電話」――『37の短篇』にも選ばれました――は、寝たきりの女性のところに謎の電話がかかってくるという、怪奇現象を真っ向から描いたホラーでした。いささか真っ向すぎる気がしないでもありませんが、足が悪くてベッドに寝たきりの女性を苦しめる深夜の電話を描く段どりの巧さと、別題のSorry,Right Number(の方が断然良いと思います)が持つ皮肉な味わいが、見事でした。自分のことを明らかに良く知っている、しかし、自分は彼のことをまったく見覚えのない男と出会うのが「次元断層」です。この話も不可解さが募っていく手順が巧みで、その不可解さが高まったところで、SF的な発想を主人公がとるので、「狂った部屋」や「奇妙な子供」といった失敗作パターンかと思いきや、その発想そのものの逆手をとる展開と、それによる結末のつけ方――オチそのものよりも、その直前に「それだけは言わないでくれ、たのむ!」と主人公がすがるのが非常によろしい――は、SFの発想を自家薬籠中のものとしたうえで、現代のホラーを描くマシスンの面目躍如でしょう。この作品と、前述のいかにもSFという平凡な二作を比較することで、マシスンがどのように短編作家として成熟していったかが、分かるというものです。
パラノイアックな主人公が破滅に到る「陰謀者の群れ」も読ませる作品――こういう発想の果てに、たとえばトマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』といった作品があるのではないでしょうか?――ですが、私は、むしろ「休日の男」のぬけぬけとした感じを愛好します。結城昌治の「葬式紳士」の味わいと似ていないでしょうか。もっとも、原著には入っているものの「翻訳不可能な箇所が多い」として「顔」――この作品は買えませんが――に差し替えられ、のちに『リアル・スティール』が出たときに邦訳された「ジョークの起源」や、ロサンジェルスが実は生物で東へ東へと攻めてくる(!)という話を真顔のユーモアで描く「忍びよる恐怖」といった作品は、意図は分かるものの空振りの感は否めません。「忍びよる恐怖」は、個人的にはなんとかなってほしかったと思うアイデアなのですが、仕方ありません。もっとも、ユーモアというのは、訳者で変わるものですが。アイデア倒れという点では「人生モンタージュ」も買えません。
そして、巻末に据えられた「種子まく男」です。主人公の人となりは、つまびらかには描かれませんが、おそらくは平凡な男なのでしょう。「そろそろ引っ越すべき時期」と小説は始まり、主人公がその町へ引っ越してきます。日付を追った日録ふうに記述が進んでいく主人公の行動は、近隣の人々に対する悪意に満ちています。当人になりすました広告を打ってみたり、庭の蔦を引っこ抜いてみたり、プライヴァシーを暴きブラックメイルを送る。あるいは近所の人同士が諍いを起すよう企む。主人公の人となりが描かれないと書きましたが、それだけではありません。彼の内面も、また描かれることはありません。描かれるのは、悪意に満ちた、しかし法律的には微罪を構成するのが関の山といった、たちの悪い陰湿さです。そして、動機も不明なまま主人公の行為はエスカレートしていき、露見すれば犯罪となるような悪事をも働きます。ご近所の人々は、二度と元の平和な暮らしに戻れそうもないくらいのダメージを受け、小説は突然終わります。「そろそろ引っ越すべき時期」という文章で。
ありきたりな日常から、ありえないような恐怖の事態に転げ落ちる人々を描いてきたマシスンが、ありきたりな日常の中にありえるものとして、悪意に満ちた理由のない策動を実行する男を描いたのです。1958年にプレイボーイに発表されたこの作品は、すぐにやって来る短編クライムストーリイの黄金時代の先触れでもあり(翌年のMWA賞の短編賞は、やはりプレイボーイに掲載されたダールの「女主人」が射止めます)、同時に、作品数は少ないものの、「次元断層」「レミング」と続く、この年のマシスンの充実を示していました。なにより「ノアの子孫」に始まり「種子まく男」に終わるという『13のショック』の構成は、「特別料理」に始まり「決断の時」に終わる、エリンの第一短編集を彷彿させるものでした。
ありきたりな私たちの生活は、それほど平穏なものなのだろうか? SFを通過した恐怖とサスペンスの作家が、ショートストーリイに切り取ってみせたのは、そんな意識でした。リチャード・マシスンは、そんな作家の中でも、典型的かつ力のある作家でした。そして、クライムストーリイが、とりわけ短編のクライムストーリイが、似たような問題意識の下に華々しい成果をあげる時が来るのは、すぐ目の前に迫っていました。
※EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)
■小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』
ミステリ、SF、ファンタジー|東京創元社