前回の最後で推奨しておいたチャールズ・ボーモントの「ロバータ」は、ボーモントの第一短編集が、1957年の原著刊行の半世紀後に邦訳されたとき、「残酷な童話」という邦題がつけられて、それがそのまま短編集の書名にもなりました。もともとの表題作は「餓え」という一編で、これも風変わりな作品です。シアトルに近い小さな町で、連続強姦殺人が起きている。その町に住む三人の姉妹がいて、そのうちの末娘は、暗くなるまで出歩いていて、心配されている。一方、ところどころに挟まるのが、〈餓え〉と呼ばれ描かれる、ある男の抽象画的な描写で、これがどうやら犯人らしい。話は、このふたりが出会うまでを、説明的な文章は最低限に、描いていくことに終始します。男の描き方からも分かるとおり、ちょっと気取った書き方で、そのわりには効果が薄く、私はあまり買いません。しかし、異様なシチュエーションにおける、ひとつの出来事を、説明を極力排した描き方で物語るという、ボーモントの特徴的な作品ではあります。「ロバータ」と同じように。
「名誉の問題」(なんだってやれるんだから)は、主人公の青年が、チンピラの仲間内で一人前と認められるための通過儀礼の夜を描いています。ボスから与えられた仕事は、嫌味なユダヤ人を殺すことでした。「夜汽車」(夢列車)は、夜汽車の中で空想を膨らませているのか、夜汽車の空想の中にいるのか、なかなか分からないような書き方で、少年の列車に対するちょっぴり怯えを含んだ、ファンタスティックな嗜好を描いていました。「変態者」(しのび逢い/倒錯者)は、初めは同性愛者専用のバーの話と見せかけて、異性愛が病的なものとされ法的に治療の対象となった世界での、隠れた(というには無防備で危険な)しのび逢いが、当局に露見するまでの一場の話でした。これらの話は、そのシチュエーションの種類によって、クライムストーリイ(名誉の問題)だったり、ファンタジー(夜汽車)だったり、SF(変態者)だったりします。
 もちろん、そうしたパターンの話だけではありません。「人を殺そうとするものは」(殺人者たち)は、退廃的で観念的な青年ふたりが、自分たちの非凡な自由さを証明するために、殺人を犯そうとします。被害者におあつらえ向きな老人を道端で拾い連れ帰る。さあ、どっちが殺ろうかという段になって、一方が未成年と分かる。そこから、一気の展開で、青年たちのズッコケぶりは、平凡なアイデアとはいえ、愉快でした。「無料の土」(ただの土)は、吝嗇な主人公が無銭飲食するところから始まります。とにかく金をかけないことが生きがいのこの男は、ある墓地で、土をただで好きなだけ持っていっていいという看板を見つけます。これを放っておくはずがなく、隣家からトラックを借りて(というのが、おかしい)土をどっと運び込む。そして野菜を作り始めるのです。ファンタスティックなホラーであると同時に、ユーモラスなホラーでもありました。 『残酷な童話』は、50年代の半ばごろに雑誌に発表されたものと、どうやら、発表出来ないまま書き溜めておいたらしい作品から、構成されているようです。ボーモントは、若くしてレイ・ブラッドベリの知己を得て、ブラッドベリも自分に似ていたと発言したことから、ファンタジーの作家と見られることがありましたし、カルト的に現在も人気を得ている「トワイライトゾーン」の脚本家・原作者としての側面から、ファンタジーよりも、さらに広いジャンルにおける作家と考えられてもいます。それらの意見は間違いとは言えませんが、しかし、ファンタジーという言葉は、もともと、どうもボーモントにはしっくりこないと、私は考えています。
『予期せぬ結末2 トロイメライ』――例の扶桑社ミステリーのシリーズです。つまり、コリア、ボーモント、ブロックと出ているわけです――の序文で、編者の井上雅彦さんは『夜の旅その他の旅』を、「ボーモントのもっとも洗練された作品集」で「『普通じゃない小説』を書き尽くしたのちに到達した『普通の小説』が多く含まれ」ていると指摘しています。しかし、それは本当でしょうか。たとえば、私には、知り合ったブラッドベリに読んでもらいアドヴァイスを得ていたという「ロバータ」は、普通の小説に思えてなりません。確かに『夜の旅その他の旅』は、「普通の小説」――私に言わせれば、アメリカの商業誌つまりスリックマガジンに載るような短編――が多いのは事実です。しかし、それはホラーやSFやファンタジーを書き尽くしたのちに書いたものなのでしょうか?




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