ミステリマガジン恒例の幻想と怪奇特集は、1967年8月号が第1回でした。当時の編集長は常盤新平でしたが、実質的に毎号の作品選定を行っていたのは、のちに次の編集長となる太田博だったそうです。現在の各務三郎ですね。異色作家短篇集のファンだったので、早川書房の入社試験を受けたという太田博は、幻想小説的な作品をミステリマガジンに持ち込むことに積極的でした。かつて本人にインタビューした際に、幻想と怪奇特集の先触れとして、67年6月号で〈奇妙な子供たち〉という特集をやっていて、そのあたりから自分のカラーを出し始めたと発言していました。幻想と怪奇特集は毎年8月号の恒例となり、78年8月号まで12年間続いて、一度途切れます。
 太田博がセレクションをしていた時期、編集長でいうと常盤-太田時代は、この特集がその個性を形作った時期と言えます。どんな作品が並んでいたか、ながめてみましょう。

67年6月号(奇妙な子供たち)
「木馬を駆る少年」D・H・ローレンス
「蠅の偶像」ジェイン・ライス
「写真」ナイジェル・ニール
「公平でなくっちゃ」ジェイン・スイピード
「月曜日は静かな場所」マージョリ・カールトン

67年8月号(恐怖・怪奇小説特集)
「墓を愛した少年」フィッツ=ジェイムズ・オブライエン
「ねずみ狩り」ヘンリイ・カットナー
「ハリー」トーズマリイ・ティンバリイ
「淋しい場所」オーガスト・ダーレス
「ノーク博士の島」ロバート・ブロック
「死人は憶えている」ロバート・ハワード
「待っている」クリストファー・イシャーウッド
「分裂病の神」クラーク・アシュトン・スミス
(エッセイとして「復帰妖怪変化」矢野浩三郎/「怪奇小説の条件」D・ハメット/「なぜ幽霊譚を書くか」ウェイクフィールド)

68年8月号(幻想と怪奇)
「悪魔と契約」ロード・ダンセイニ
「ダーク・ボーイ」オーガスト・ダーレス
「義眼」J・K・クロス
「海への悲しい道」ジェラルド・カーシュ
「水際」ロバート・ブロック
「牝猫ミナ」J・ヨネ
(エッセイとして「恐怖の構造」矢野浩三郎)

69年8月号
「葦毛に乗った女」ジョン・コリア
「血は命の水だから」マリオン・クロフォード
「ドラキュラの客人」ブラム・ストーカー
「死の半途に」ベン・ヘクト
「エスターはどこ?」アヴラム・デイヴィッドスン
「ヘンショーの吸血鬼」ヘンリイ・カットナー
「大きな、広い、素晴らしい世界」チャールズ・E・フリッチ
「女」レイ・ブラッドベリ
(エッセイとして「枯尾花奇譚」矢野浩三郎)

70年8月号
「マイヌーク」ナイジェル・ニール
「独房ファンタジア」ジャック・フィニイ
「水槽」カール・ジャコビ
「子守唄」チャールズ・ボーモント
「植民地」フィリップ・K・ディック
「アムンゼンの天幕」J・M・リーイ
「父子像」都筑道夫
「メリイ・クリスマス」L・P・ハートリイ
「弔花」ロバート・ブロック
(エッセイとして「恐怖小説の」H・P・ラヴクラフト/「悪夢を見よう」片岡義男)

71年8月号
「静かに! 夢を見ているから」ローラン・トポール
「ひめやかに甲虫は歩む」ジョン・コリア
「家のなかに何かが」シリア・フレムリン
「死の扉」ロバート・マクニア
「タローとハナコのパパ」村山広三
(エッセイとして「私の好きな漫画」都筑道夫)

72年8月号
「愛のヴァリエーション」ジョン・コリア
「赤い脳髄」ドナルド・ワンドレイ
「ロバータ」チャールズ・ボーモント
「情事」メイ・シンクレア
「幻の乗合馬車」E・M・フォスター
「想い出」デウィヴィッド・H・ケラー
(仁賀克雄による名作リストと作家辞典)


 ここで、とくに着目しておきたいのは、第一回の特集の折に、太田博が次のような発言をしていることです。
「これまでの恐怖小説の概念からはずれる小説を幾つか掲載しています。ダーレスの『淋しい場所』オブライエンの『墓を愛した少年』がそうです。恐怖・怪奇小説といえば、すぐさまオドロオドロしい幽霊譚を想い起こす人もありましょう。しかし恐怖とはいったい何なのか?(中略)ものに驚きやすい初々しい心が、対象の核心をずばり把握した瞬間に生れる感動のことをいうのでしょう。そしてここに恐怖小説へのアプローチがあります。鬼面をかぶって見せても今の私たちは驚きはしない。(中略)フクロウの鳴き声に怯えながら夜の便所に通った子供の心こそ、闇への恐怖を確実に受けとめているはずなのです」 「淋しい場所」は、オーガスト・ダーレスの怪奇小説の代表作としてのみならず、新しい形の怪奇小説として紹介されたのです。
「淋しい場所」は過去の子どもの自分をふり返る、主人公の一人称による小説です。子どものころ、陽がくれて町へのお使いを命じられて、通らなければならない暗くて「淋しい場所」があります、主人公とその友だちの少年は、その場所に何かがいることを怯えながら確認しあいます。昼間はなんでもないその場所は、ひとたび闇が支配すると、魔物の潜むThe Lonesome Placeになるのです。大人になるまでに、何度か怖いおもいをしながら、しかし、長じて、その恐怖を語り手は忘れてしまいます。そして、忘れたがゆえに、ある悲劇が起こったというのでした。
 子どものころの暗闇に対する恐怖を思い出す。ありそうでなさそうな着想ですが、ダーレスの静謐な筆致は、ここで最大限の効果をあげています。そして、結末。一見、ごくありきたりな結末に、この小説は見えてしまうでしょう。それも古めかしいタイプに。なぜなら、事件の結末が怪異現象だったという形で終わるからです。淋しい場所にいたのは枯れ尾花ではなかった。けれど、この小説が19世紀の怪奇譚と異なるのは、怪異が人間の外側にいるわけではないのです。「淋しい場所」に怪異を感じたのは、まず主人公たちでした。そう。主人公たちが怪異を感じることで、怪異は生じたという発想が「淋しい場所」のユニークなところだったのです。
 同様な発想は「暗い部屋」にも見ることが出来ます。また、ミステリマガジン67年8月号で「淋しい場所」とともに、名前をあげられていた、フィッツ=ジェイムズ・オブライエンの「墓を愛した少年」も、多感な少年の感傷的なひとり遊びが、超自然的な結末をもたらしました。ここでも、まず、少年がそう感じることが怪異の始まりになっていたのです。自然のいたるところに怪異を見る人間が、まずそこにはいる。恐怖の種子は、人間の外側だけにあるのでもなく、人間の内側にだけあるのでもない。太田博=各務三郎が怪奇小説に見出した新しさは、そこにあり、その典型として、ダーレスの「淋しい場所」が選ばれたではないかと、私は思います。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』等がある。


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