レイ・ブラッドベリやロバート・ブロックといった人たちは、アーカムハウスから最初の作品集を出したとはいえ、H・P・ラヴクラフトの後継者として、怪奇小説恐怖小説の本流を受け継ぐ作家ではありませんでした。ブラッドベリには、もともと、もっと大きなキャパシティがありましたし、ブロックはアイデア・ストーリイの職人技を身につけることで、より広い執筆の場を確保しました。では、怪奇小説の後継者はいないのかと考えるとき、まず浮かび上がってくるのが、アーカムハウスの創始者である、オーガスト・ダーレスでしょう。
ただし、ダーレスの日本への紹介は、そう早いものではありませんでした。60年代に入って散発的に紹介され始めましたが、そこにはソーラー・ポンズものも含まれていて、必ずしも、怪奇小説や恐怖小説の作家としてではありませんでした。ブラッドベリやブロックはもちろん、チャールズ・ボーモントやリチャード・マシスンといった作家の後塵をも拝す形になっていたのです。ぽつぽつ作品が紹介され始めたのは、異色作家短篇集がほぼ出そろったあたり。短篇集『淋しい場所』が国書刊行会のアーカム・ハウス叢書から出版されたのは1987年になってでした。むしろ『ソーラー・ポンズの事件簿』が、創元推理文庫から1979年に出ていますが、これは、シャーロック・ホームズのライヴァルたちの影響があってのことでしょう。
『淋しい場所』は62年にアーカムハウスから出された短篇集の全訳です。戦後の作品18編が収められ、ダーレスの代表作といってもいいでしょう。表題作(原著でも)の「淋しい場所」は48年の作品ですが、巻頭を飾り、日本でも1967年にミステリマガジンに訳出されました。『淋しい場所』を読んで、まず気がつくのは、落ち着いた文章で怪奇現象をまっこうから描いた小説群であることです。怪奇現象を描くといっても、初期のロバート・ブロックのような、あくどさ、アクの強さは見当たりません。
たとえば「パイクマンの墓」は、墓碑銘収集が趣味という男が、奇妙な墓とその墓碑を発見し、ひょんなことから、封印されていた、その墓の呪文を解いてしまうという話ですが、その結果解き放ってしまった怪異の登場も、それが主人公を侵していく過程も、語り口そのものは静かです。主人公が行方不明になり、その捜索を探偵が依頼され、足取りを追うことで、霊を呼び覚ました主人公がどうなったかを示すというエンディングは、小説としては不恰好でしょう。ただし、この手の結末のつけ方は、ダーレスには珍しいものではありません。「キングズリッチ214番」や「レコード録音機」といった、怪異の原因となった過去の犯罪が暴かれるという形の結末をとっているものはいくつもあって、それらはいささか肩透かしの気味はあります。
しかし「キングズリッチ214番」の、交換手に電話がかかって来たと訴え続ける、ひとり暮らしの女性という趣向は、ダーレスの落ち着いた筆致と、ゆったりと怪奇を盛り上げていく筆にはあっていて、佳作であると私は思います。リチャード・マシスンの「長距離電話」と比較してみてください。同じ電話を伝わってくる怪奇現象ではあっても、直接的なショックを派手に描くマシスンと、交換手の側から間接的に描くダーレスとでは、雰囲気が異なります。もっとも、このつつましさと地味なところが、紹介を遅らせたと見ることも出来るかもしれません。
さらに「閉まる扉」のように、教会の扉が日没とともに、閉じれども閉じれども開いてしまうという怪異など、コメディそこのけのユーモアを伴っていました。寺男が椅子を寄りかからせようが、用事をすませて戻ろうが、扉が勝手に閉まってしまうのです。平然とした筆致で、しかも描写一本で進められる怪奇現象は、そんな不思議な効果も伴っていました。
このように、オーガスト・ダーレスは大上段に振りかぶらず、しかし、奇怪な現象、ありえない現象を正確な描写力で描く作家でした。「シデムシの歌」の結末など、描写力のない作家では成立しないでしょう。ロバート・ブロックのようなハッタリはなく、それだけに恐怖感もまた薄いものかもしれませんが、小説としてはなかなかしっかりしています。そんなダーレスが日本で受容されることになったのは、ミステリマガジンのある特集を背景としていました。
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