ジェイムズ・ヤッフェは、その初期の短編シリーズ「不可能犯罪課」ものが、シリーズ外の二作も含めて、日本では一冊にまとまっています。ヤッフェはティーンエイジャーのパズルストーリイ作家として、EQMMにデビューしたことで有名ですが、その処女作が「不可能犯罪課」でした。1943年のことです。シリーズは「喜歌劇殺人事件」までの六編が1946年までに書かれました。
ありていに言ってしまえば、このシリーズはアマチュアの手すさびで、まあ、読めたものではない。「キロプシ氏の遺骨」のように、クイーンによる欠陥の指摘付きという掲載もあれば、「袋小路」のように、初歩的なアイデア不成立を抱えたものもある。私に言わせれば、どの作品も、そうした指摘されている部分よりも前のところで、小説としての欠点弱点を露呈しているとしか思えません。ヤッフェ自身、当時を正確に省みてもいるようです。強いてあげるなら「皇帝のキノコの秘密」が、まともな作品ということになるのでしょうが、これにしても、もっと巧く結末が書けるはずです。
本来、これらの作品は、将来プロになるアマチュアが十代のころに書いた作品としてなら、立派な部類で、将来性を見込んだクイーンは眼があったとは言えます。ただし、普通、こうした作品は、埋もれたまま陽の目を見なくて当然なのです。ここから伸びなければ、シャーロック・ホームズのライヴァルになれなかった作家止まりだったと言えるでしょう。そんなレベルは、十代で卒業して当たり前なのです。ヤッフェの特殊性は、その卒業が、人知れずではなく公然と行われたことにつきます。
問題はシリーズ外の二編です。「間一髪」は以前に紹介しましたが、もう一編の「家族の一人」の方が出来はいいのです。小さな子どもを持つ夫婦がベビーシッターを探しているところに、運よく、夫が子どものころ彼の子守だったフリーダという女性が、募集記事を見て連絡してきます。よく知った、しかも有能なベビーシッターを得て、一安心したところで、妻が不穏な新聞記事を見つけます。西海岸で、子どもが亡くなった事件があり、子どもの叔母が遺体の検死を要求したところ、砒素が検出され、子どもの乳母が容疑者として手配されているというのです。時期といい、ドイツ系という条件といい、フリーダにあてはまる。そして少しずつ、妻はフリーダへの疑惑をつのらせていく。
解説にもある通り、セイヤーズの「疑惑」を連想させる、ドメスティックなサスペンス小説です。これは不可能犯罪課にも、また「間一髪」にもあてはまりますが、ヤッフェは話のパターンは既存のものを用いることが多く、むしろ、そのパターンの典型として勝負してくるところがあります。つまり、その点では、抽斗は増えたかもしれませんが、不可能犯罪課のころと変化はありません。変わったのは、小説に仕組むていねいさであり、人間関係を描く巧さです。アリグザンダー同様、小説としての魅力を書きこむことで、ミステリを充実させていった姿が、ここにはあります。その結実が、ママ・シリーズにあったことは確かな事実で、作家は年月を経て上達することを示した好例となりました。
ルーファス・キングは、第9回コンテストのオナーロールに「淵の死体」が入り、第11回と第12回の第2席に「マイアミプレスの特ダネ」と「不思議の国の悪意」が入っています。ルーファス・キングは、第二次大戦前に功なり名とげた作家のようですが、日本での紹介は、散発的な例外を除いて、最近になってからのことでした。短編集は、クイーンの定員に選ばれた『不思議な国の悪意』が、邦訳されています。森英俊さんの『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』での紹介が、先鞭をつけた作家というのが何人かいて、ルーファス・キングも、そのひとりでしょう。ただし、そこでも、通俗味が勝っているとか、スリラーに流れるといった評言があるのには意を留める必要があります。
実際、表題作であり代表作でもある「不思議の国の悪意」にしても、アリスの世界を借りて、少女失踪事件を描くという基本アイデアだけで、認められているようにしか思えません。テンポはいいけれど、事件の展開はご都合主義(転居した老婆から、突然、電話がかかってくるところなど)です。この短編は、事件そのものや犯人よりも、魔法使いと少女に思われていた老婆の方が、謎めいていて魅力的なのですから、結末では、そちらに、なんらかのサプライズなり効果なりがあるべきでしょう。それが尻切れトンボになっているのでは、思わせぶりにストーリイを展開するための駒にしかすぎなかったということになってしまいます。
「淵の死体」は、ギャング同士の殺し合いの目撃証人となった老嬢のところへ、裁判を経たのち、死刑になったギャングの娘が復讐にやって来て……という、短いながらサスペンス充分の話で、集中の佳作ではあります。しかし、たとえば、クリスティの「うぐいす荘」が持つような小説的な閃きがないのも確かです。同じように、「ロック・ピットの死体」は、完全犯罪が成就して終わりますが、もう少しニュアンスというか、含みを持たせた終わり方が出来ないものかと、思わせるのです。そうした弱点は、「思い出のために」のような、手がかり一発の話で、もっとも顕著になるもので、見当のつく解決以外に、結末に取り柄がないというのでは、さすがに苦しい。
むしろ、ルーファス・キングの美点であるテンポと早い展開が活きるのは、「マイアミプレスの特ダネ」のような、冒険小説ふう(スリラーふうというべきか)の話でしょう。事件の解決が謎を解く魅力というよりも、主人公が窮地を脱する魅力になっているという意味で、クレイグ・ライスやフランク・グルーバーといった作家に連なる、アメリカミステリのひとつの王道です。にもかかわらず、「マイアミプレスの特ダネ」にも、スピードのために安易に流れた展開や文章がある。森英俊さんの「通俗味」とか「流れる」といった評言が示すのは、そうしたキングの持つ安直さなのかもしれません。
※EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年6月5日)
■小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『小劇場が燃えていた』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』等がある。
ミステリ、SF、ファンタジー|東京創元社