私の元職場にもうわさはありました。
同じフロアのとある片隅に、「出る」と。

『配達あかずきん』につづく、注目の新進による第2弾
(06年9月刊『晩夏に捧ぐ 成風堂書店事件メモ(出張編)』)

大崎 梢 kozue OHSAKI

 

 その昔、ディスプレイ関係の仕事をしてる方から、お話をうかがう機会がありました。主にデパートのイベント会場を手がけているそうで、閉店後、大急ぎでそれまでの飾りを撤去し、翌日の開店時に間に合うよう新しいブースを整える。あらかじめ段取りを決め、役割分担もして、作業が滞りなく進むよう打ち合わせをしているのだけど、こぼれ話はいろいろあり、そうか、世の中にはいろんな仕事があるもんだと、いたく感心したものです。中でも、とりわけ私が面白く感じたのは、閉店後のフロアの様子です。
 もちろん、お客さんはひとりも残っていません。BGMも消え、照明も落とされ、作業をしている人のまわりは明るいけれど、他はすべて暗がりにしずんでいます。ポーズを決めるマネキンがシュールに乱立し、警備員さんたちの靴音だけが遠くに響く。空調は止まっているはずなのに、なぜかレジそばのポスターだけが揺れている。
 いかにも何か出そうじゃないですか。何か、いそうじゃないですか。
 ふだん明るくにぎやかで、人も物もごった返している場所だけに、そのギャップは別世界の趣を強くします。
 デパートに限らず、おそらくどの店舗にも昼とは違う夜の顔が存在していて、ときどき従業員たちをひやりとさせているのでは?
 私の元職場にもうわさはありました。同じフロアのとある片隅に、「出る」と。近隣のテナントが入れ替わり、働く顔ぶれが一新しても、なぜか似たり寄ったりのうわさが流れるのです。あの場所に、白っぽい人影を見た──と。
 幸いにして、本屋の中で見かけたという話は聞きませんでしたが、もし出たら、どうしましょう。書物が詰まった棚の前にひっそりたたずむ姿は、どう考えても風情ありすぎ。さぞかし絵になるでしょうね。
 そこから先の物語は、杏子と多絵にバトンタッチします。
 非常灯だけがぽつんと輝く駅ビルのフロアでも、舞台としてはじゅうぶん素晴らしいと思いますが、今回はさらなる上を目指し、ふたりには出張してもらうことにしました。年季の入った什器や、角のすりへった階段や、ご当地物の本が店頭にずらりと並ぶ、地方の老舗ですよ。書店に出る幽霊には、やっぱりとびきりの味わい深さがなくては。
 事件と聞きつけ、妙に張り切る多絵とは裏腹に、付き添い役の杏子は終始ため息がち。そこにもうひとり、やたら威勢のいい元同僚が加わり、不気味さも物哀しさも踏みつぶす勢いで、事件の解明が進みます。
 夏の終わりの信州、「過去」と「今」が交錯する数日間、三人の元気だけが空回りしてないか、いささか心配です。


 そういえば、第一弾の『配達あかずきん』をお読みいただいた方から、「杏子と多絵のロマンスも期待しています」との言葉を、複数ちょうだいしました。
 けれど第二弾でも……。いやその、続く第三弾でも……。いやいや、多くを語りますまい。
 書店に注ぐ人々のロマンならば、たくさん詰まっています。憧憬も、羨望も、執着も、祈りも、願いも、喜びや哀しみも。
 「地球にやさしく」という標語がありましたが、どうぞ「書店にやさしく」もお加えください。身近に本屋さんのある暮らしを、失わずにいられますように。
 『晩夏に捧ぐ』は、つまり、そういう話です。

(2006年10月)

大崎 梢(おおさき・こずえ)
東京都生まれ。神奈川県在住。2006年5月刊行の連作短編集『配達あかずきん』でデビュー。 書店を舞台にしたハートウォーミングな作風が支持される。『晩夏に捧ぐ』はシリーズ第2作。