訳者あとがき
古い屋敷に隠し部屋、密室の謎、一族に伝わる呪いと幽霊。カルダモン風味のショートブレッド、カシミール風豆の煮込みを詰めたジャケット・ポテト。幼なじみの元親友との再会、家族の秘密。クラシック・ミステリへのオマージュと、インドとスコットランドとカリフォルニアの文化、友情と家族愛にひとさじのロマンス、そしてマジックを混ぜ合わせた(マッシュアップ)、盛りだくさんで楽しい一冊をお届けします。
〝マッシュアップのアメリカ人〞を自任する主人公、テンペスト・ラージは、ラスヴェガスの花形イリュージョニストでしたが、公演中の事故で自身と観客の命を危険にさらしてしまい、ショービジネス界を追われてサンフランシスコ近郊の故郷へ帰ってきました。再起を目指すもなかなかうまくいかず、父親に頼まれて不本意ながら家業を手伝うことに。父親が営む〈秘密の階段建築社〉は、呪文を唱えると入ることのできる隠し部屋や、秘密の花園に通じるドアが隠された柱時計など、愉快な仕掛けのある空間造りに特化した工務店なのですが、初仕事の現場で、テンペストは思いがけない事件に遭遇します。およそ築百年の屋敷の壁から、ラスヴェガスで彼女の替え玉(ステージダブル)を務めていた女性、キャシディの死体が出てきたのです。
自分に瓜二つの死体が、出入口のない、いわば密室である空間に、マジックさながらに封じこめられていた――テンペストは、自身の一族に呪いがかかっているという言い伝えを思い出さずにはいられません。その呪いとは、「一族の長子はマジックに殺される」というもの。現に、テンペストのおばのエルスペスはマジックショーの最中に事故死し、結婚前はマジシャンとして活躍していた母親エマも、エルスペスを追悼する特別公演中に忽然と姿を消して五年がたち、もはや生きてはいないだろうと考えられています。まさか、一族はほんとうに呪われていて、今度は自分が殺されるのか? それとも? 真相究明に乗り出したテンペストは、ある晩、母親の幽霊を目撃し……。
冒頭に書いたように、本書にはさまざまな要素が詰めこまれていますが、魅力を無理やり三つにまとめるとすれば、まずあげられるのは個性にあふれたキャラクターでしょう。名前のとおりにエネルギッシュなテンペストは言うまでもなく、彼女の脇を固める人々もそれぞれにおもしろいのですが、訳者がとりわけ気に入っているのは、テンペストの幼なじみのアイヴィです。テンペストはキャシディ事件の謎を解くため、アイヴィに助けを求めます。クラシック・ミステリのオタクであるアイヴィのアイドルは、ジョン・ディクスン・カーの生んだ名探偵、ギディオン・フェル博士。博士の密室講義にならったアイヴィ版密室講義には、訳者も勉強させてもらいました。アイヴィとテンペストのクラシック・ミステリ談義には、著者ジジ・パンディアンのミステリというジャンルと先達への敬愛が感じられます。また、テンペストはアイヴィを相手に推理を展開するうちに、不可能犯罪と、自身が生業にしていたイリュージョンとのあいだに、ひとつの共通点を見出します。その共通点がなにかは、ぜひ本編でお確かめください。それから、つねに人々のおなかを満たすことを考えているテンペストの祖父、アッシュがこしらえるおいしそうな料理の描写にはこちらのおなかがすいてきますが、彼のレシピが巻末に載っていますので、ぜひお試しを。
第二の魅力は、〈秘密の階段建築社〉の作品の数々の楽しさです。テンペストが子ども時代を過ごした寝室は、秘密の階段をのぼらなければ入れませんし、アッシュとモーの住む家はツリーハウスです。だれもが子どものころ、ちょっと特別な自分だけのスペースに憧れ、夢の部屋をあれこれ空想したのではないでしょうか。だからこそ、〈建築社〉の造るギミック満載の小部屋がありありと目に浮かび、ノスタルジーすらかきたてられます。訳者が「これはほしい」と思ったのは、秘密の読書室。壁一面を占める本棚から決まった本を抜き取ると、本棚の一部が音もなくひらき、そのむこうには座り心地のよいソファのある小部屋が。ソファに身を沈め、だれにもなににも魔されず、思うぞんぶん読書に没頭する本好きの理想の空間ではありませんか。
第三は、もちろん謎解きのおもしろさです。だれが、なぜテンペストのステージ・ダブルを殺したのか、そしてどうやって死体を密室空間に封じこめたのか? 先ほど書いたように、テンペストは不可能犯罪とイリュージョンとのあいだに共通点があると気づき、それをきっかけに、じつにイリュージョニストらしい視点で謎を解いていきます。しかも、アイヴィと推理を進めるのが、これまた〝あったらいいな〞のミステリ専門の図書館! 棚には古今東西のミステリがずらりと並び、オリエント急行の客車のような集会室で読書会もできてしまいます。さらには、自身やラージ家にまつわる謎もテンペストの前に立ちはだかります。すべての謎を解くには、テンペストの母親が遺した〝遺産〞のほんとうの意味を探らなければなりません。テンペストと一緒に、ばらばらだったパズルのピースが少しずつはまっていくのを楽しんでいただければ幸いです。
著者のジジ・パンディアンは、テンペストと同様にミックスルーツの女性です。父親は南インド、母親はニューメキシコ州の出身で、ふたりとも文化人類学者だったため、子どものころは両親の調査旅行でいろいろな国へ連れていかれたそうです。旅先でひまつぶしにミステリを書きはじめた彼女は、大学院生だった二〇一二年、世界中を旅するインド系アメリカ人、ジャヤ・ジョーンズを主人公にした〈Jaya Jones Treasure Hunt Mystery〉シリーズの第一作となるArtifactでミステリ作家としてデビューしました。このシリーズはほかに長編が五冊、中短編集が一冊あり、本書に出てくるザ・ヒンディー・フーディーニことサンジャイは、長編第五作のThe Ninja’s Illusionでジャヤとともに京都を旅しています。どうやらパンディアンは日本に興味があり、とくに新本格ミステリを愛読しているようです。〝多くの作品が英語に翻訳されていますが、このジャンルを愛するわたしたちはもっともっと読みたがっています。いわゆる黄金時代の密室ミステリにくらべて暴力的な場面が多い点には注意が必要ですが、おもしろさではまったく引けを取らない〞とのこと。
アガサ賞やアンソニー賞などさまざまな賞を受賞し、人気作家として順調にキャリアを積んでいたパンディアンは、三十六歳のときに乳癌と診断されました。つらい治療を受ける一方で、齢数百歳の錬金術師、ゾーイ・ファウストを主人公にしたパラノーマル・ミステリ〈The Accidental Alchemist Mystery〉シリーズの執筆を開始。こちらも長編七冊に中編一冊からなる人気シリーズに成長しました。
癌が寛解してから十年がたち、満を持して二〇二二年に発表したのが、〈秘密の階段建築社〉シリーズの第一作である本書です。惜しくも受賞は逃しましたが、レフティ賞にノミネートされました。第二作のThe Raven Thiefで〈秘密の階段建築社〉が造るのは、新本格ミステリをテーマにした読書室です。完成した部屋のお披露目パーティの余興として催された降霊術の会の最中、有名なミステリ作家が殺され、なんとアッシュが犯人ではないかと疑われることに。テンペストは祖父の容疑を晴らすため、ほんとうはなにがあったのか探りはじめます。こちらも創元推理文庫より刊行が予定されていますので、楽しみにお待ちください。
*本記事は2024年7月刊のジジ・パンディアン『壁から死体?』訳者あとがきの全文転載です(編集部)
■鈴木美朋(すずき・みほう)
大分県生まれ。英米文学翻訳家。早稲田大学第一文学部卒。訳書にスローター『ハンティング』、クカフカ『死刑執行のノート』、リン『ミン・スーが犯した幾千もの罪』、ガルマス『化学の授業をはじめます。』などがある。