Web東京創元社マガジン

〈Web東京創元社マガジン〉は、ミステリ、SF、ファンタジイ、ホラーの専門出版社・東京創元社が贈るウェブマガジンです。平日はほぼ毎日更新しています。  創刊は2006年3月8日。最初はwww.tsogen.co.jp内に設けられました。創刊時からの看板エッセイが「桜庭一樹読書日記」。桜庭さんの読書通を全国に知らしめ、14年5月までつづくことになった人気連載です。  〈Webミステリーズ!〉という名称はもちろん、そのころ創刊後3年を迎えようとしていた、弊社の隔月刊ミステリ専門誌〈ミステリーズ!〉にちなみます。それのWeb版の意味ですが、内容的に重なり合うことはほとんどありませんでした。  09年4月6日に、東京創元社サイトを5年ぶりに全面リニューアルしたことに伴い、現在のURLを取得し、独立したウェブマガジンとしました。  それまで東京創元社サイトに掲載していた、編集者執筆による無署名の紹介記事「本の話題」も、〈Webミステリーズ!〉のコーナーとして統合しました。また、他社提供のプレゼント品コーナーも設置しました。  創作も数多く掲載、連載し、とくに山本弘さんの代表作となった『MM9―invasion―』『MM9―destruction―』や《BISビブリオバトル部》シリーズ第1部、第2部は〈Webミステリーズ!〉に連載されたものです。  紙版〈ミステリーズ!〉との連動としては、リニューアル号となる09年4月更新号では、湊かなえさんの連載小説の第1回を掲載しました(09年10月末日まで限定公開)。  2009年4月10日/2016年3月7日 編集部

またまた桜庭一樹読書日記 【第6回】(3/3)[2011年1月]


K島氏と悪だくみなう。
【K島氏と悪だくみなう。】近所の蕎麦屋にて。師走の夜。……ちなみに、この右手中指についてる指輪(毛糸で編んだ花の形)が、紋別青年に「絆創膏?」とまちがえられた問題のブツである。(K島撮影)

12月某日

わたしも「総領息子」に生まれず申し訳なく思いましたので負けずに弟をかわいがりました/またこれ以上親をがっかりさせまいと学校では勉学に家では母の手伝いにはげみました/楽しみは裏の白いちらしに絵を描くことでした

わたしは古い女です/いまでも漫画はちらしの裏にしか描きません

いつくるだろう/いざという日は


――「古い女」

 ようやく、今年中に片付ける仕事が一段落して、ほっとした週末。
 同じくいろいろなことが一段落した面々で、うまく予定が合ったので、蕎麦屋で軽く一杯やることにした。集まったのは、わたし、K島氏、米澤君、近所の書店員さんの四人である。(ほんとはもう一人くるはずだったが、年末進行でダウンした……)
 日本酒を飲みながら、あれこれつまむ。およっ、K島氏の顔色がもとにもどっている!(先週まではげっそりしてて白塗りの吸血鬼みたいだった。何度もへらへらと指摘しようとしたのだけれど、やっぱり怖くて、どうしても言えなかった……)わたしが着ているモコモコのセーターを「それ、いいじゃないですかー」と褒めるので、じつは気に入ったから色違いで三色買った、と答える。すると……。

K島氏  「ちなみに、三色って何色ですか?」
わたし  「濃いグレーと、薄茶と、薄汚れた白です」
米澤君  「オフホワイトって言いましょうよ~」
わたし  「いやだっ!」
書店員さん「わははは」

 多忙の余波か(?)、漢らしさの発揮しどころを、まちがえる……。しかしいまさら後に引けないので、かっこつけて、冷えた日本酒をくいっとあおってみる。
 あと、より進化した顔芸を褒められた。
 この日は、近くの喫茶店でまったりして、一同とわかれた。帰宅して、風呂に入って、こうの史代のエッセイとマンガを集めてぎゅう詰めにした福袋的な本『平凡倶楽部』を読んだ。
 チラシに裏に漫画を描く少女が大人になるまでを描いた「古い女」が面白い。まんま、その漫画もチラシの裏に描かれていて、広告が透けて見えてるのだ。読んでいるうちに、語り手と、この漫画を描いている作者の手が重なってきて足元に汚れた水が迫ってきていたようになんかすげぇ怖い。ぴしゃっ、ぴしゃっ……と、水音が聞こえてくる。あっ。結婚式のシーンには、上質な悪意をもって熨斗袋の裏が使われてる……!
 インタビューを受ける漫画家の独白と、なぞなぞさんことインタビュアーの手元の取材メモが交互に現れる「なぞなぞさん」は、自分の経験を振りかえって、言葉にならないものを、明確な言語にしながら取材に答える苦難と、それをわかりやすい“世間の言葉”に置き換えつつ決まった字数におさめなくてはならない、なぞなぞさんの仕事の困難が同時に見えてきて、苦しい。
 原稿用紙の升目をタイルに模して描かれた、散っていく銀杏の葉や、五線譜の五本線を空にひろがる電線に見立てて描いた、悲しい電信柱など、実験的な作品がごっつぉり入っていて、読んでも読んでもまだ読むところがあって、飽きない。『夕凪の街 桜の国』のときは迷ってたけど、この人はやっぱり高野文子の隣に置こうと思って、読み終わったら入れる棚を横目でチラッと見てから、まだ読んでないページを捜して、ぱらぱら、ぱらぱらと音を立ててめくり続けた……。

(2011年1月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『ファミリーポートレイト』『製鉄天使』『道徳という名の少年』『伏-贋作・里見八犬伝-』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』など多数。最新刊となる読書日記第4弾『本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記』は1月27日発売。


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またまた桜庭一樹読書日記 【第6回】(2/3)[2011年1月]


殺し屋用の見取り図?
【殺し屋用の見取り図?】「こんなにたくさんの人ががっつり働いてようやくイベントが開催できるんだなー」と思ったら、とつぜんいまごろ、沢尻エリカの「……べつに」事件が怒髪天にきた。(←遅いよな……)(桜庭撮影)

12月某日

「これはなにに見える?」
「“オールドランド”。失われた大陸だ。すっげぇ昔にあったんだ。そこには王がいて、そいつは両性具有だったんだ。王には夫と妻がいて、妻の名はヴァージニア。王と妻は一年ごとに交代で息子を産み、彼らと結ばれてこんどは娘を産む……」
「夫の名は?」
「シアドア」
「王の名は?」


――『B-EDGE AGE 獅子たちはノアの方舟で』

 12月前半から半ばは、出版界の三大多忙期のひとつである。「年末進行」といって、年末年始のお休みの分を、前払い状態で一気に片づける混乱状態が二、三週間ぐらい続くのだ。
 わたしも、サイン会が終わってからしばらく、一月末に出る単行本(『読書日記』)と文庫本(『GOSICK』)が重なって、ばたばたしていた。ご飯も、編集さんからの差し入れカレーで補う日が続いた。で、この日。角川書店のK子女史が、今年中に書店さんに配るための色紙を50枚持って、仕事場にやってくることになった。でも、約束の時間の直前になってわたしが「ぎゃーっ、今日歯医者だった! もう三回もキャンセルしたりしてて、まずい……」と、K子女史が「「GOSICK」アニメのシナリオ打ち合わせが長引いてて、遅れますー」と、わたしが「いや、歯医者は昨日でした……。しまった、忘れてた……!」と、混迷の携帯メールが東京の空を幾度か飛びかった後、夕方の五時過ぎ、ようやく顔を合わせた。双方、寝ぐせVS目の下のクマ、ジャージVSごっつい登山靴と、まっこう勝負である。
 コタツに入って、リストを元に、色紙に店名と自分の名前と一言メッセージを書いて、シールを貼っていく。
 あまりにもシーンとしているので、ひとつ空気をなごませようと思って、

わたし「K子さん、もしも一箇所、整形するなら、どこにします?」
K子 「整形? な、なんで?」
わたし「いや……なごやかな……会話を……(小声)」
K子 「…………」

 もくもくとサインを書き、シールを貼る。K子女史はできあがった色紙を一枚ずつ梱包して、封筒に店名をメモしていたが、たっぷり十分も経った後、

K子 「…………首」
わたし「はい?」
K子 「だから、首」
わたし「えっ、なにが?」
K子 「一箇所、整形するなら、わたしは首を長くします」
わたし「……ヘェ?」

 もくもくと作業を続ける。
 と、数分後。とつぜん堰を切ったように、

K子 「だいたいね、首さえ長ければ、なにを着てももっとお洒落に見えるはずなんですよ。タートルネックが似合う大人の女というか。そして、吉野朔実の漫画に出てくるようなロングコートも似合ってね、えーっと、それから……」
わたし「だから、一箇所だけ整形するなら、首を長くする、と。予想外の答えだなー」
K子 「じゃ、桜庭さんならどこをどう直すんですかっ?」
わたし「…………(熟考)」
K子 「…………(待ってる)」
わたし「うぅ、背を、高く、したい。漫画のような八頭身になりたい」
K子 「ほ~ら~ね~?」

 また、沈黙が落ちる。
 こういう忙しいときにするドーピング(すっぽん、ユンケル、にんにく注射など)って、どこかで宙に浮いてるフリーの元気をもらえるわけじゃなくて、自分の“元気の前借り”してるだけだから、ドーピングが切れるとドッときますねぇ、という話になる。
 さらに「今年の酷暑だった夏に、なぜかちょっと体重が増えちゃって、もどらないんですよねぇ」と言うと、K子女史が封筒からのっそりと顔を上げて、

K子 「かれいですよ」
わたし「なるほど、かれいか。やっぱりね」

 ところが、この後しばらく会話がぜんぜん噛みあわなかった。これは変だなと思って、しだいに言葉少なになっていき……。互いの顔を、不安げにちらちら見始めた。
 やがて、ほぼ同時に、

K子 「まさか、カレーライスの話、してたんですか!?」
わたし「加齢って言ったの? 齢食ったって話!? まさか」
K子 「そうですよ!(←怒ってる)」
わたし「わっかりづらいなー」
K子 「そっちこそ、人の話、三分の一ぐらいしか聞いてなーい!」
わたし「………ヨッ!」
K子 「ギョッ」

 と、座っていたビーズクッションの上に仰向けになって“イナバウアー”そっくりのポーズになりながら、後ろにおいてあったシールの束をつかんだ。と、K子女史と目があったので、仕方なく……イナバウアーのまま、にやり、と笑いかける。
 起きあがったところで、

K子 「……いまの、いったいなんですか」
わたし「いや、加齢とか言うから、元気いっぱいなところを見せようと思って」
K子 「へんな努力、しなくていい! 紛らわしいなぁっ、もう……」
わたし「いま、半分ちょっときたところですね。もうひとがんばり(と、真顔でリストを見る)」
K子 「たったいま、仕事のことで、割と重大なことを話そうとしてたんですけど、へんなポーズを見て忘れちゃった……」
わたし「加齢~、加齢~(にやにや)」
K子 「い、いまのはちがう! 人災だーっ」

 と、ひっきりなしにもめながらも、ようやく色紙を書き終わった。
 二人でコタツに入って、加齢気味の猫のようにきゅっと目を細めて、サイン会でいただいた紅茶を出してきて、飲む。「そうだ。月末にある「GOSICK」先行上映会イベントの詳細資料ができました。これです~」と出されたおおきな紙を受け取って、「どれどれ~」と広げながら、おもむろに仰向けに寝転んだら、K子女史がまた「ワッ!」と目をむいた。

わたし「……なんすか?」
K子 「ねっ、寝転ぶんすか?」
わたし「だって、へんな努力するなって言うから……(←正論?)」
K子 「だからって、最低限シャキッとしてくださいよ! あぁ、びっくりした」
わたし「びっくりして首が伸びました?」
K子 「そんなことで首が伸びても、うれしくないっ。こらーっ、起きろっ。打ち合わせ中に寝転んだ作家を見たの、生まれて初めてですよっ」
わたし「………(起きない)」
K子 「また、そんな、反抗的な目をしちゃって……」

 フンッ、と寝転んだまま資料を読む。
 1月の頭から、毎週放映されるアニメの第一回の先行上映イベントで、お客さんは抽選で選ばれた300名、壇上にわたしや監督などスタッフさん、声優さんも上がってトークする、というものだ。会場のビルの、上から見た俯瞰図と、真横から見た図に、細かな指示がたくさん書きこんであって、目をひきつけられた。
 入口にわかりやすい看板。観客のエレベーター使用禁止の徹底と、整理番号順に階段に並んでもらうためのスタッフ、通過した観客の人数をカウントするスタッフ。キャスト(わたしたち)の移動時のみ稼動するエレベーターの管理。遅れてきた観客のすみやかな誘導。また、当日トイレの列ができている可能性のある場所が点線で囲んである。
 キャストの進む道筋。カメラ位置。ステージ上のそれぞれのポジション。帰り際の葉書回収と、その枚数をカウントするスタッフ、プレゼントを渡すスタッフ……。
 これだけの人数がきちっと管理されて、すみやかなイベント進行になっている。すごい……。と、最初は感心して心囚われていたのだけれど、だんだん……映画の中で爆弾犯とか狙撃手がアジトで広げている見取り図みたいに見えてきた。
 壇上に上がったわたしを、撃つなら、果たしてどこからがいいのか!?
 二ヶ所あるカメラ位置、非常口、関係者用ドアに、使用不可のちいさなドア……ここか!?
 黒尽くめの服を着たイ・ビョンホン(映画『甘い人生』の銃撃戦、よかったなー。あとドラマ「アイリス」のナマハゲの扮装をした殺し屋も面白い……)が、片目をつぶって、冷静沈着に、自分の額に銃の照準を合わせてるシーンを想像する。これは、危機一髪だぞ。と、こっそりにやにやし始めたところで、

K子 「その顔は、また、ろくでもないことを考えてるでしょう」
わたし「えっ、誤解ですよ。やだなぁ、もぅ……」

 で、この日は、色紙50枚を抱えたK子女史を送りだして、ご飯を食べてから、三分の一ぐらい読みかけで止まっていた『ズリイカ・ドブソン』を読む……つもりだったけれど、急遽、変更して、ものすごく久しぶりに自分の絶版本『B-EDGE AGE』を取りだした。で、蒲団で寝転んで読んだ。
 初めてシリーズ物を書けたけれど、二巻で打ち切りになってしまった作品だ。K子女史が“重大なことを話そうとした”と言っていたのが、来年、この作品を復刊しないか、という件だったのだ(その後、無事に思いだした)。
 失意のうちにアメリカに渡った天才少年、美弥古は、武器となるはずの頭脳を鍛えて、日本に帰ってきた。かつて救えなかった幼なじみの少女を、再び守るために……。
 トンデモ展開や、伏線が足りなくてアンフェアな部分もあるけれど、それよりも気になったのは、これを書いたころの自分は、小説や読者のことを信じられていなかったんじゃないか、ということだ。自分が本を読むときに、いやだな、と思う、作者の“斜め目線”や、“自信のなさ”や、そのせいで“読者を疑ったりなめる気持ち”が、ときどき不気味にヌッと顔を出す。流れていく物語を、不快な金属音とともに、いやがらせみたいにいちいち止める。
 自分はこの時期、こんなだったのか。
 ――小説のそばからは離れず、でも背を向けて、黙って拗ねてるんじゃないか。
 しかし二巻の途中から、作者(自分だ……)の卑屈なせせら笑いはすこしずつ薄れてくる。光は、見える。
 そうだ。これが打ち切りになった後、『赤×ピンク』を書き、ついで『GOSICK』シリーズを立ちあげたんだ。
 いまの自分があるのは、立ち直らせ、育ててくれた編集者や読者の存在があったからだ。
 夜も遅いので、K子女史の会社のアドレス宛に「これは復刊できない」とメールをする。すると「いや、一巻にある“自分の価値が信じられない子供だけが発見するサイコキラーの学校”というダークパラダイス感と、“それに立ち向かう戦士もまた自分を信じられない子供である”という対立構造が面白い。二巻のWP(ウォーターパーソナリティ人格障害)という精神疾患も」と返事がくる。「でも、やめたほうがよい」と返事を書くと「しょんぼり!」という返事がくる。「いや、これはいかん」と返事をすると、「しぶしぶ了解した。しかし、世界の残酷さの前で被害者である子供が、その立場に甘んじず、そのあいだを埋めていく。それこそが成長であり、世界を変える力だというこのテーマを、いつの日かべつの作品で書け!」と返事がくる。
 あれっ、メールだと、しごくまともな対話だな……と、夕方の首が伸びるだのイナバウアーだの起きろといったやりとりを思いだして、ちょっとだけ不思議になった。
 それから目を閉じて、これを書いたころの自分の、絶望と疑いの日々を思い返そうとした。だけども過去は遠くて、怖くて、ずるい。波間の向こうに浮かぶ暗い蜃気楼みたいだ。あまりにも霞んでいて、気分次第で、良くも悪くも見える。
 二度と小説を疑うまい。そして二度と読者に甘えまい、と思いながら、寝ようと思って、でもいつまでも布団の上を、右にゴロゴロ、左にゴロゴロと、醜い難破船のように揺れていた。



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またまた桜庭一樹読書日記 【第6回】(1/3)[2011年1月]


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フリル王子とミンクのマフラー
【フリル王子とミンクのマフラー】『伏-贋作・里見八犬伝-』サイン会当日のフリル王子。装丁にあわせた赤紫色のミンクのマフラーとスカート。お話に合わせた犬模様のネクタイ。女性陣完敗(100対ゼロぐらいで……)の夜……。(桜庭撮影)

12月某日

 あやまらない。誰にもあやまらない。たとえ兄に最悪のことがあってもだ。他人が兄やわたしをどう思おうと、兄さん、わたしはあやまらないわよ。もしもどこかで道に迷いそこから出てこられなくなったのだとしたら、それは兄さんが自分で望んだ時だけだ。

「厭になっちゃう」

――『海炭市叙景』


「この体におまえを宿した日を一生呪うわ」

 つまりは、この自分も両親に負けず劣らず異常だったというわけか。

――『罪深き愛のゆくえ』


「中国の昔話に超猿(スーパーエイプ)の話があるのを知っているな。人間ってのは、結局、あの猿なんじゃないかね? どんなに遠くまで行っても、《神》の掌から逃げだすことはできないのさ」

「それが、《神》のやりくちなんだ。かれと取りひきしようとひとりの人間が考える――その結果、おそろしく多勢の人間が苦しむ羽目になる」

《神》のユーモアを、私は憎悪する。

〈われわれと共にいる神は、われわれを見捨てる神〉

――『神狩り』


プロデューサーさん「そのエリンギ……」
わたし      「エリンギ!?」
プロデューサーさん「邪魔だから、どかしていいですか?」
わたし      「む、むむっ……」

 師走には、まだまだ早いものの、街にはクリスマスソングが溢れ始めて困ったなぁ、というころ。 『伏-贋作・里見八犬伝-』が無事に刊行されて(よかった……)、週末に開催されたサイン会も終わって、週が明けた日。
 いまでは普通のカーテンがかかっている仕事場に、TVクルーがどやどやとやってきた。「王様のブランチ」の撮影隊だ。
 前日、へろへろであちこちを掃除したものの、無駄に広いせいでなにがなんだかわからない。どこかに掃除し忘れてるところはないか、目が慣れてるせいで自分だけ気にならないけど、じつは異様なものが転がってたりしないか、と心配しながらクルーを招きいれたとたん、「そのエリンギ……」と床を指差されて、固まった。
 なに、エリンギ?
 担当S藤女史も、ライターさんも、リポーターさんも、わたしと一緒に女四人、そろってちょっとだけ中腰になり、せわしなくキョロキョロする。
 しばしの間をおいて、

プロデューサーさん「あっ、まちがえた! デロンギだった」
わたし      「…………あぁ!」

 と、デロンギヒーターを、エイエイと蹴ってどかす。
 撮影は二時間ちょっとで無事に終了して、その後、文春の編集さんたちと試写会を観にいくことになった。時間があるので、S藤女史と軽くご飯を食べて、ブータンノワールのムースというのを「なんだかわからんけどめちゃうまいすね」「自分では作れないご飯ってうれしいですねー」と薄切りの外国のパンにのっけてもりもり食べながら、さいきん面白かった本の話をした。
 わたしは、ちょうどいま山田正紀祭りを開催中。なぜかというと「GOSICK」のアニメの監督がファンクラブに入ってたというほどの読者だ、と聞いたからだ。担当のK子女史も好きらしくて、お勧めを聞いたのだけれど、初期作品は『神狩り』の新装版が今年の春に出てるものの、監督一押しの『チョウたちの時間』と、K子女史偏愛の『宝石泥棒』は、残念ながらいま手に入らないのだ……。

S藤 「じゃ、古書で買うとか……?」
わたし「むー。でも、いままでの経験から言って、一生懸命捜してようやく手に入れたとたんに、どこからか、ヒョイッと復刊するわけですよー。あのパターンにまた引っかかって、おなじみのガックリポーズをするのもなぁぁと思って、微妙に静観中なのです。でも、結局、捜して買っちゃうのかも……」

 S藤女史のほうは、これから観る映画『海炭市叙景』の原作小説をさいきん読んで、とても気に入ったらしい。芥川賞に五度ノミネートされた作家の、自死によって未完に終わった最後の作品だ。
 映画館に向かって、試写会を見て、帰り道。どこかで一杯飲みますか~、と言っていると、そういえば久しぶりに会った紋別君(いまは〈月刊文藝春秋〉編集部)が、

紋別君「あれーっ、怪我したんですか?」
わたし「ヘッ?」
紋別君「指に絆創膏が、ほら、ぐるりと(指差す)」
わたし「(見る)これは指輪です」
紋別君「………しまったッ!(と、顔色が変わる)」

 編集部にいちどもどるとかで、急いで横断歩道を渡りながら、振り向いた。黒縁眼鏡を光らせながら、なぜか、

紋別君「いまの失言、フリルにだけは、ぜったい、ぜったい、言わないでくださいよーッ」

 と、作家に口止めして、茶色いコートの裾を煙のように揺らしながら、雨の渋谷を颯爽と走り去っていった……。
 い、いまの、なんだったんだろ……(たしかフリル王子は一年後輩)。
 その後、二、三杯飲んで、軽く酔っぱらって、一時過ぎにタクシーで帰宅した。雨だなーと思いながら窓の外を見ていると、車内でラジオがかかっていて、世界の天気予報が静かな声で流れてきた。「伯林は、雨。マイナス5度……。リオデジャネイロは、雨。23度……。東京は、雨……。8、度……」目を閉じた。あぁ、今夜は世界中が雨だ。
 帰宅して、風呂に入って、出てきて、誰かが(また誰から聞いたのか忘れちゃった……)“ロマンス小説界のケッチャム”だとお勧めしていたアナ・キャンベルのデビュー作『罪深き愛のゆくえ』を読んだ。
 舞台は十九世紀のロンドン。弟妹を育てるためにいやいや高級娼婦になったヒロインは、魔性の女ソレイヤと、信心深くおとなしいヴェリティという二つの人格を意図的に使い分けて28歳まで生きてきた。ある日、年増になったので引退しようと失踪するが、ソレイヤに恋するイケの伯爵が執拗に追いかけてきて、彼女を拉致し、すごい古城に監禁する……。
 そして、延々、美男美女の大喧嘩が続く……(そうとう、続く……)。
 ヒロインが当初の反骨心から、誘拐犯への愛情に侵食されていく“ストックホルム症候群”の流れと、狂気の血筋に生まれ、父親からの虐待の記憶と、自らの危険で残虐な衝動に苦しむ伯爵の心の謎が、双方から語られて、盛りあがる! ……読みながら、美男美女じゃなくてどちらかが不細工で、欠落と過剰のぶつかり合いになったら、自分にとってはもっと“面白狂おしい”気がして、ソレイヤは絶世の美女だが伯爵がエレファントマン、と脳内で変換してみた。すると禁忌と生理的嫌悪感がつのってきて、さらに盛りあがる。
 著者の二作目は、ポテポテと歩いていた美人の未亡人が、娼婦と間違えられて誘拐されて、叔父によって監禁されていたイケの若い伯爵のもとに連れていかれて、いがみあいながらも次第に惹かれあう『囚われの愛ゆえに』らしい。じゃ、こっちでは未亡人のほうを『ペネロピ』のクリスティーナ・リッチにしてみたらどうかなぁ……いや、『ゴーストワールド』のソーラ・バーチとか……と、いちど本をおいて、目を閉じ、贅沢にも“ちょうどいい苦しみ”を捜して、いつまでも、あーだこーだと考えていた。




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