初めにダイムノヴェルがあった。
こう書きだしたものの、私は、ダイムノヴェルの実物を見たことはおろか、翻訳を読んだことさえありません。資料で把握しようにも、詳しいものを知りません。19世紀後半から20世紀初めにかけて、アメリカで流行した安手の小説という、きわめて雑駁な知識を、出所も意識せずに持っていました。孫引きや出典を明らかにしない紹介記事で、覚えたことでしょう。今回、パルプマガジンについて、ある程度まとめて知識を得ようと調べた際に、役に立ったのは、ミステリマガジン1974年1月号から翌年1月号にかけて連載された「パルプ・マガジンの時代」でした。これはトニー・グッドストーンのアンソロジーを部分的に訳出したもので、第一回にグッドストーンの序文とウィリアム・P・マッギヴァーンの短編を載せ、以後、毎月1編ずつジャンルごとに紹介していく感じで12編を掲載していき、最終回には、おそらくグッドストーンの書いた(グッドストーン編となっていますが)ヒーロー・パルプの記事で締めくくっていました。連載時に、さして評判にならず、単行本にもならなかったようなので、不発に終わった部類の企画でしょう。ただ、一回目に載ったグッドストーンの序文「パルプ・マガジンの時代」は、ダイムノヴェルの隆盛から、パルプマガジンへの変容と興亡を簡潔にまとめています。先に「出所も意識せず」と書きましたが、連載中に私は「パルプ・マガジンの時代」もちゃんと読んでいますからね。案外ここで読んだことを覚えていたのかもしれません。
19世紀の中ごろ、正統派キリスト教徒が信者に向けて作った冊子に、ダイムノヴェルの起源は求められるようです。「サリー・ウィリアムズ、のちの酔いどれサリーの哀れな生涯。彼女はなぜ父の家を出て、自分の誘惑した士官のあとを追ったのか? なぜ酒を飲みはじめてついには卑しい売春婦にまでなりさがり、病院で死に、外科医の解剖を受けたのか? ちびちび飲む酒がいかに致命的な影響を与えるかを、ご覧あれ」という題名(なのです!)は、チャールズ・ボーモントも「血まみれのパルプ・マガジン」(日本語版EQMM1964年5、6、8月号)で引いていました。まあ、載っけたくなりますね。そうした冊子を、小間物と一緒に行商人が売り歩いていたというのです。
ボーモントは「何も知らない大衆を向上させ、教育するふりをして、前代のパルプ作家たちは好んで人生の裏面を取り上げた」と書いています。悪への堕落を戒めるふりをして、悪場所を覗き見たいという好奇心を満足させる。教会関係者の偽善を逆手に取るというわけですが、この点に関しては、そう単純なわけでもありません。(偽)善=タテマエ、悪=ホンネと単純に区分するのは、考えものです。亀井俊介の『サーカスが来た!』
ダイムノヴェル最大のヒーローはバッファロー・ビルでしょう。この実在の人物が、ダイムノヴェルでは誇張のかぎりをつくされ、その虚像を、今度は本人がショーでなぞってみせたことは有名ですが、その背後には、西部の真実を知りたいという読者の欲求があったはずです。このあたり、フィクションをフィクションとして楽しむことに慣れた現代人には、理解しづらいかもしれませんが、小説の黎明期にはそうしたことは当たり前にあって、『ロビンソン・クルーソー』
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