海外ミステリ出張室

2012.09.05

吉野仁/マイクル・コリータ『冷たい川が呼ぶ』解説[2012年9月]

(2012年9月刊『冷たい川が呼ぶ』解説[全文])


吉野仁 jin YOSHINO


 ここに新たなるホラー・ミステリの傑作が登場した。
 恐怖やサスペンスをじわじわと高めていく語り口の巧さ。ホラー要素を形成する道具立ての効果的な扱い。悩みや葛藤を抱える人々のぶつかり合いから生まれるドラマの迫力、いくつもの何気ない出来事が重なり、やがて抜き差しならぬ状況へと発展していくストーリーテリングの妙。もちろん、メインにしっかりと据えられた謎とその真相をめぐる展開の面白さに加え、さりげない伏線やひねりのあるプロットもぬかりなく織り込まれている。
 いったい、作者マイクル・コリータとは何者か。
 コリータは、私立探偵リンカーン・ペリーが活躍するハードボイルド小説『さよならを告げた夜』で2004年にデビューした書き手だ。その後も同じ私立探偵リンカーン・ペリーを主人公にした作品を二作ほど手がけたのち、第四作にあたる単独長編サスペンス『夜を希う』を発表。第五作でふたたび〈私立探偵リンカーン・ペリー〉シリーズに戻るも、六作目にあたる本書で、はじめて本格的なホラー・サスペンスに挑戦したのである。
 そもそもコリータはスティーヴン・キングの大ファンだったという。そのほか、リチャード・マシスンをはじめ、多くのホラー小説に親しんでいたようだ。キングの息子ジョー・ヒルもお気に入りで、彼の第一長編『ハートシェイプト・ボックス』からは大いに影響を受けたらしい。
 そうした読者体験をもとに新たなジャンルへ挑戦したコリータは、本作『冷たい川が呼ぶ』で、見事にホラー・ミステリ作家としての実力を発揮してみせたのである。
 超自然的な力、“負”の帯電に満ちた土地、地下を流れる冷たい川の水、邪悪な者との戦いといった要素をうまくまとめあげ、ページをめくる手をとめられない、息もつかせぬスリラーを描き上げた。
 物語は、シカゴ郊外の葬儀場から幕をあける。主人公エリック・ショーは、映画界での活躍をめざしながらも挫折し、ロスからシカゴへと移り住み、いまは記念日のビデオをつくる仕事をしていた。とくに葬式用のビデオが得意分野になっていたのだ。
 じつはエリックには若い頃から“見えないはずのものが見える”特殊な能力が備わっていた。死者にかかわる仕事をしていると、ほかの何をしているときよりも直感が働くという。
 エリックは、ある葬式用ビデオが縁となり、思いがけない仕事を請け負うこととなった。依頼してきた女性の義父にあたる九十三歳の大富豪、キャンベル・ブラッドフォードの個人史ビデオを製作してほしいというのだ。そのときエリックが手渡された手がかりは、ガラスの壜に入った「プルート水」。義父の故郷と関係のある唯一のもので、彼がこれまでずっと手放さずに持っていたという。
 キャンベルの故郷へ向かう前日、エリックは、直接話を聞こうと彼の病室を訪れた。健康状態によってはこれきりになるかもしれないと言い渡されていた。エリックがキャンベルに例の壜を見せたとき、「あの川は本当に冷たかった」という謎めいた言葉を残した。
 そしてキャンベルの故郷インディアナ州のリゾート地を訪れたエリックだが、予想もしない異変が彼を襲う。壜に入った「プルート水」を飲んだところ、奇妙な光景を幻視してしまったのだ……。
 と、本作の導入部は、いわゆるハードボイルド私立探偵小説の定番プロットのひとつといえる「大富豪の家族から受けた特別な依頼」ではじまっている。仕事で挫折し、妻との関係もうまくいってない男という設定も、ありがちな主人公のプロフィールかもしれない。
 だが、この小説がホラー・ミステリとしての凄みを見せていくのは、インディアナのフレンチ・リックとウェスト・ベイデンの町に到着してからである。
 まず、特異な雰囲気を醸し出しているのは、エリックが滞在するホテルの存在だ。作者あとがきに記されているとおり、本作の舞台となった〈ウェスト・ベイデン・スプリングス・ホテル〉は実在する。ネットの画像検索でWest Baden Springs Hotelと入力すると実際にホテル内の大きなアトリウムを見ることができるのだ。現在の〈ウェスト・ベイデン・スプリングス・ホテル〉は、改修後のもので、作者コリータは、子供の頃に廃墟同然だった以前の姿を見ているという。なるほど、このホテルに出会ったことが物語の着想につながったというのもうなずける。
 コリータは、実在するホテルや町の歴史を調べた上で、そこにおぞましい怪奇現象や架空の過去をつくりあげ、独自のホラー・ミステリに仕上げていった。「プルート水」を飲んだことによってエリックが見る幻視――機関車、山高帽の男、もしくは耳にするヴァイオリンの曲――という超自然的な現象をなんとも不気味に描いている。
 物語にもうひとつ深みを与えているのが、その町で暮らすアマチュア気象観測家である八十六歳の老婦人アン・マキーニーの存在だ。彼女が観測する、天候、風、気圧、さらに嵐や竜巻といった気象の変化は、そのままエリックの身にふりかかる危険な状況と連動しているかのようである。
 そして、調査の協力者となる長身の黒人ケレン、エリックと電話でやりとりをする妻のクレア、そして問題児ジョサイアと彼の幼馴染みダニーの悪党コンビといった主要人物の登場により、物語は大きく動き出す。不可解な事実とともに、「プルート水」の影響も加わり、見えない邪悪な何かにエリックはどんどんと追い込まれていく。不調にさいなまれ、さまざまな異変や恐怖が彼に襲いかかってくるのだ。
 地方の風景にせよ、幻視の光景にせよ、視覚的な描写が印象的なのに加え、静から動へ、ある出来事の反復および増幅と、巧みなプロットにより最後まで高いテンションを保ったままクライマックスへと読ませていく。ぜひとも多くの読者に堪能してほしいものである。
 また、本作は映像にすればそれはそれで見応えがあるのではないかと思ったが、すでに映画化の話も持ち上がっているらしい。

 最後に、作者マイクル・コリータについて、もうすこし詳しく紹介しておくことにしよう。1982年9月20日生まれ。出身はインディアナ州ブルーミントン。冒頭で『さよならを告げた夜』がデビュー作と紹介したが、そもそもはPWA(アメリカ私立探偵作家クラブ)が主催する〈私立探偵小説コンテスト〉で最優秀作となった作品だ。当時インディアナ大学に在学中の二十一歳。“早熟の天才”と呼ばれた。さらにこの小説は、MWAのエドガー賞処女長編賞にノミネートされたのである。
 残念ながら日本における〈私立探偵リンカーン・ペリー〉シリーズの紹介は第一作『さよならを告げた夜』のみだったので、都合四作まで書かれたシリーズの詳しい内容は分からないが、もしかすると私立探偵ハードボイルド・シリーズのマンネリ化や限界を感じたのかもしれない。
 というのも、たとえばコリータがこのジャンルを書くきっかけとなった作家デニス・ルヘインは、デビュー作以来書き続けていた〈探偵パトリック&アンジー〉シリーズを第五作目『雨に祈りを』で小休止し、2001年にノンシリーズ『ミスティック・リバー』を発表した。ちょうどコリータより十年先に作家デビューしたルヘインは、その後、『シャッター・アイランド』『運命の日』と作品ごとにタイプの異なる大作を発表している。このころからルヘイン以外の私立探偵小説作家も次第に人気シリーズのほかに単発作を刊行するようになっていった。そうした流れに倣ったのかもしれない。
 もっともデニス・ルヘインは、実力派作家としての成長を見せている一方、一作ごとに大きく作風を変えているのはひとつの迷いとも受け止められる。だがコリータの場合、本書で大きく化けたといっても過言ではないだろう。自分の語りをつかんだのだ。
 実際、その後、第七作The Cypress Houseは、CWAゴールド・ダガー賞の候補になり、ディーン・クーンツやダニエル・ウッドレルといったベテラン作家が賛辞をおくっているほか、クリス・コロンバス脚本&監督で映画化が進んでいるそうだ。第八作The Ridgeはスリラー・アワードの最終候補に選ばれたとともに、マカヴィティ賞の最優秀長編賞にノミネート中である。そして本年、第九作The Prophetが発表された。すでに出版前にもかかわらず映画化権が売れたという。
 どうやらThe Cypress Houseはゴシック・ホラー、The Ridgeは超自然的な要素を含む犯罪スリラー、The Prophetは地方高校を舞台にした犯罪もののようだ。もはや私立探偵小説作家から、ひとつのジャンルにとどまらないエンタテインメント小説の書き手へと成長したようである。これらの作品の邦訳もぜひ読んでみたいものだ。
 現在、まだ三十歳という若さでこれだけの実績を見せているマイクル・コリータだが、今後の活躍が楽しみでならない。


 マイクル・コリータ作品リスト(*は〈私立探偵リンカーン・ペリー〉シリーズ)

1 Tonight I said Goodbye(2004)*『さよならを告げた夜』(早川書房)
2 Sorrow 's Anthem(2006)*
3 A Welcome Grave(2007)*
4 Envy the Night(2008)『夜を希う』(創元推理文庫)
5 The Silent Hour(2009)*
6 So Cold the River(2010)本書
7 The Cypress House(2011)
8 The Ridge(2011)
9 The Prophet(2012)


(2012年9月)

吉野仁(よしの・じん)
書評家。内外のミステリーを中心に雑誌・新聞などで書評を担当するほか、文庫解説などを多数執筆。共著として『ミステリ・ベスト201 日本篇』『海外ミステリー事典』など。



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