〈現代英国本格の頂点〉が贈る、純度100%の謎解き!
肘掛け椅子に座ったまま凍死した男。
現場に残る謎に「名探偵」だけが気付く。

若林踏 Fumi Wakabayashi


 『凍った夏』はアーチ橋づくりを彷彿とさせる小説である。一つ一つ、着実に足場を固めて進みながらも、向こう岸がなかなか見えてこない。だが無我夢中で足場づくりを続けて振り返ると、そこには決して揺らぐことのない、美しく巨大なアーチ橋が出来上がっているのである。

  英国の作家、ジム・ケリーによる本書は「フェンズ」と呼ばれる沼沢地帯の都市・イーリーを舞台にした〈フィリップ・ドライデン〉シリーズの第四作目に当たる作品だ。はじめに断っておくと、シリーズの途中だから本書から読むのはNGだ、なんて心配する必要は全くない。むしろ「ジム・ケリーが“英国本格ミステリの正統な後継者”と聞いて、はじめて作品に興味が湧いた」、あるいは「国内の本格ミステリは読むけれど翻訳ものは苦手で、特に現代海外本格はどれを読めばいいのか分からない」なんて方にこそ本書を手に取ってもらいたい。一本に伸びる、アーチ橋のような謎解きの構造が物語への取っつきやすさを生んでいるからだ。翻訳ミステリを読み慣れていない人にも、恰好の入門書になるはずである。
 橋づくりの出発点になるのは、イーリーで起こったある凍死事件だ。作品の舞台は12月、東イングランド全体を歴史的な寒波が襲い、イーリーもまた氷と雪片に覆われた光景と化していた。そんな極寒の世界で、寂れた公営アパートに住むデクラン・マキロイという男が凍死する。発見したのは隣人で、午前2時にマキロイのフラットの窓が開いていたのを不審に思い部屋に入ったところ、居間の肘掛け椅子で死んでいたという。フラット内の部屋のドアはすべて外されており、窓もまたすべてが開け放たれていた状態だった。警察の情報によればマキロイは長いこと精神を患っており、過去に二度、自殺を図ったことがあるという。おまけにマキロイには飲酒癖があり、今回の凍死は自暴自棄に陥った上での自殺という形で処理されるかに見えた。
 しかしマキロイの死を自殺と片づけることに、ひとりの人物が異議を唱えた。本書の主人公である週刊新聞『クロウ』の記者、フィリップ・ドライデンである。マキロイの部屋を訪れた彼は、そこに奇妙な点があることに気付いたのだ。それは硬貨がたっぷりと補充されたコイン式の電気メーターである。これから自殺する人間が、電気メーターが切れないように硬貨を補充するものだろうか。

 ジム・ケリーが本格ミステリ作家として高い評価を得る理由の一つに、発端の謎かけ、それも不可解な死の状況を使った掴みの巧さがある。例えば第三作『逆さの骨』の冒頭では第二次大戦中の捕虜収容所跡地のトンネルから、収容所の方向に向かって倒れた脱走兵らしき白骨死体が見つかる。脱走兵ならば収容所の外に向かって倒れていそうなものなのに、なぜ白骨は逆さだったのか、という知的興奮を刺激する問いかけが発せられるわけだ。『凍った夏』でも凍死をめぐる状況から物語が動き始める。ただ本書が前三作と異なるのは、謎かけとともに探偵役による論理的な推理が短く織り込まれていることだ。先ほど紹介したあらすじは僅か15頁足らずの展開だが、その中にジム・ケリーは謎の提示、手掛かり、名探偵の活躍という、本格ミステリに不可欠な要素をきっちりと描いている。こうした謎かけとドライデンの閃きが連鎖しながら、『凍った夏』は進んでいく。
 実はこの謎と閃きの連鎖こそが、謎解き小説としての『凍った夏』の最大の武器なのだ。本格ミステリと呼ばれる小説、とりわけ名探偵を主役に配した物語は、たいてい逆三角形の構造を持つことが多い。名探偵は作中に散らばった無数の手掛かりを収集し、一つの解釈を最後に披露することで物語はカタルシスを迎える。建築物に例えれば、逆さまになったピラミッドというべきか。
 『凍った夏』は、そうした逆ピラミッドとはやや異なる手法で謎解きの悦楽へと誘う。本書で読者が体験するのは、射程の短い謎解きを積み重ねていくことである。ドライデンが手掛かりを見つけ、一つの謎に対する解答を得ても、また別の謎が掘り起こされてしまう。謎が解かれた瞬間の快感と、謎が眼前に立ちはだかった時のサスペンスがそれこそ鎖のように繋がれながら続いていくのである。解説冒頭で本書をアーチ橋になぞらえたのも、この積み重ねの構造が強力な推進力になっているためだ。
 積み重ねの構造は、伏線に対するスタンスを見ても明らかだろう。ジム・ケリー作品を評する際に、「伏線の張り方が見事だ」という言葉をよく見かける。確かに〈フィリップ・ドライデン〉シリーズには作中これでもかという位に伏線が盛り込まれている。しかし、ラストに至ってすべての伏線が明かされる、といった展開は、実はこのシリーズには少ないのだ。ここでの伏線はあくまで目の前の疑問を解消するヒントに過ぎず、絶えず伏線回収を行うことによって初めて物語は前進するのである。ジム・ケリーは伏線の張り方が見事な作家、というより、伏線回収を出し惜しみしない作家という方が的確かもしれない。

 謎解き小説としての『凍った夏』の美点をもう少し挙げておこう。第一に謎の膨らませ方が圧倒的に巧い。唯一の手掛かりというべきデクランの姉・マーシーへの聞き取りを起点に、ドライデンの調査は丹念に進んでいく。その過程でドライデンが指摘した電気メーターの矛盾という些細な謎は徐々に変貌し、やがて時間的にも空間的にも全く異質な謎がドライデンの前に屹立するのだ。探偵役が取り組むべき謎が段階的に膨らみ、すっかり様変わりしてしまうことに驚きを感じるわけである。その際には『凍った夏』という、意味深長な邦題のこともぜひ心に留めておいて欲しい。これ以上に無いほど内容にぴったりの、秀逸なタイトルであったことが良く分かるはずだ。
 第二は探偵役であるドライデンの立ち位置が大きく変化を遂げることにある。作中、「彼にとって人生とはたいていが観察するものであり、参加することには慣れていなかった」とあるように、ドライデンの役割は事件の外側から関係者の証言を集め、悲劇の構図を再現することにある。だが『凍った夏』では、その役割を変えざるを得ない事態がドライデンを待ち受けているのだ。しかも本書ではこれまでのシリーズにない、逼迫した状況下での謎解きがドライデンに課せられることになる。ドライデンが探偵として動き回ることに段違いの説得力が生まれ、引き締まるような緊張感が漂っていることにこのシリーズを読み続けてきた方なら気付くだろう。
 シリーズのマンネリズムを打ち破るこうした工夫を加えつつ、ジム・ケリーは寂しいフラットの一室から始まったアーチ橋を丁寧に完成させていく。うっかりすれば読者がミスリードされてしまうような罠をも忍ばせながら、謎と解決の繰り返しによって堅牢な橋をつくり上げてしまうのである。

 謎解き以外の要素にも目を向けておきたい。〈フィリップ・ドライデン〉シリーズでは天候や自然の描写が、起きる悲劇の象徴として効果的に使われている。第一作『水時計』ではあらゆる形に姿を変えて流れる“水”が、登場人物たちを不意に襲う因縁と重ね合わせるように描かれていた。『凍った夏』で“水”と同じ役目を果たすのは、言うまでもなく大寒波である。今回はイーリーのみならず東イングランド全域に及ぶ現象であるところがポイントで、登場人物が過去の悲劇へ無慈悲に飲み込まれていく様と、どこまでいっても広がる氷と雪の風景が絶妙に呼応し合っているのだ。“水”にせよ、寒波にせよ、それは個人の思惑など簡単に吹き飛ばしてしまう力として存在しており、人はその力から決して逃れることができないという運命論のようなものが物語の根底に流れている。自然は人知の及ばぬものとしてジム・ケリーの作品内に君臨しており、それゆえに人工美を備えた謎解きの道筋が一層映えるわけだ。
 ドライデンの妻ローラについても、触れておかねばならないだろう。彼女こそはジム・ケリーが描き続ける重要なテーマ――止まっていた過去が動き出すときに新たな悲劇が生み出されてしまう――と分かち難く結びついた、シリーズを語る上で絶対に欠かせないキーパーソンである。ローラはドライデンがロンドンの大新聞社に勤めていたころ自動車事故に遭い、“閉じ込め症候群”と呼ばれる症状に陥っていた。“閉じ込め症候群”とは、ある程度意識はあるものの、外的刺激に反応できず昏睡に近い状態を指す。まさに過去と現在の狭間に取り残された人物なのだが、そのローラの病状がシリーズを追うにつれ少しずつ変化を迎えるのである。
 だがローラの変化はドライデンに小さな喜びを与える反面、新たな苦悩の種となっていた。本書ではその種が成長し、ドライデンの苦悩はピークに達するのである。過去を暴く役目を負う探偵役もまた、過去に囚われた人間であるという一種の皮肉めいた図が〈フィリップ・ドライデン〉シリーズに深い陰影を与えているのだ。

 最後に一つ。ジム・ケリーが人生を変えた一冊としてドロシー・L・セイヤーズの『ナイン・テイラーズ』を挙げ、『水時計』がその本歌取りとしての魅力を備えた作品であることは、幾度となく紹介されていることだ。セイヤーズ以外にもエドマンド・クリスピンなどをお気に入りの小説家として挙げる彼が“英国本格の伝統を継承する作家”として賛辞を浴びるのはごく自然な成り行きだろう。
 だからといってジム・ケリーは先行作家を模倣するだけの、懐古主義的な探偵小説家ではない。それはイーリーという都市の描き方を見ても良く分かる。確かに〈フィリップ・ドライデン〉シリーズに登場するイーリーは荘厳な大聖堂がシンボルとしてそびえる、セイヤーズが描いたような古き良き英国の姿を残す町だ。しかし一方でジム・ケリーは老人の孤独死、聖職者による児童虐待といった、優雅な町の風景にそぐわぬ生々しい社会問題も、ドライデンの眼を借りて描写している。先達から舞台を受け継ぐだけでなく、現実の社会に根差した探偵小説を作り上げようとする姿勢がそこには感じられるのだ。
 謎解きミステリの伝言ゲームは続いている。先人の築いたものをアップデートしようと試行錯誤する作家、ジム・ケリーの手によって。



■ 若林踏(わかばやし・ふみ)
ライター。「ミステリマガジン」海外ミステリ書評担当。「週刊新潮」文庫書評担当。「本の雑誌」書評担当。「小説現代」書評担当(隔月)。『この作家この十冊』(本の雑誌社)、『映画秘宝EX にっぽんの刑事スーパーファイル』(洋泉社)などに寄稿。創元推理文庫では、オコンネル『ウィンター家の少女』、アリンガム『幻の屋敷』、マクロイ『ささやく真実』などの解説を担当。