海外ミステリ出張室

2017.11.30

【特別先行掲載】2018年1月刊行予定『ギデオン・マック牧師の数奇な生涯』より「序文」(ジェームズ・ロバートソン著・田内志文訳)

みなさまこんにちは。今回、2018年1月刊行予定の『ギデオン・マック牧師の数奇な生涯』より、「序文」を特別先行掲載いたします! 

この『ギデオン・マック牧師の数奇な生涯』は、翻訳された田内志文先生が長年翻訳刊行したいと切望し、東京創元社に持ち込みしてくださった作品です。著者はガーディアン紙の書評で「スコットランド随一の作家のひとり」と評され、2006年には本書がブッカー賞の候補になりましたが、不思議なことに日本ではほとんど紹介されてきませんでした。しかし今年になって、英米文学翻訳家の柴田元幸先生が責任編集されている「MONKEY」で掌編3作が訳出され、注目度がぐっと高まっています。

本書は、スコットランド国教会のギデオン・マック牧師が、自身の数奇な生涯について手記のかたちで書きのこしたという物語です。ただの手記であるだけでなく、それを読んで本として出版した出版者が書いた序文、牧師の手記、そしてまた出版者が書いた文章という独特の三部構成になっており、客観的な視点がはいることで、およそ本当にあったこととは思えない「手記」のパートに書かれたことが、「もしかしたら事実だったのかも……」と思えてきます。不思議な読み心地のする、魅力的な作品です。

著者が生粋のスコットランド人なので、物語を通してスコットランドの社会や、風俗、文学について描写されています。イギリスといえばロンドンを中心としたイングランドを想像しがちな日本人にとっては、いい意味で異世界的な面白さが感じられると思います。また、宗教や親子関係、文化、情愛、罪業……さまざまなテーマが折り重なって巧みに構成され、ブッカー賞候補作であるのも納得の重厚で本格的な作品となっています。

今回掲載する「序文」は最終稿前の原稿で、WEBで掲載するには長いため、途中を省略し、読みやすくするため適宜一行あけています。そのため、実際の書籍とは異なる部分がございます。また、修正前の誤植等がある場合もありますのでご注意ください。なお、本文中の【 】は翻訳者による注、〔 〕は原注です。

それでは、どうぞお楽しみください!

■ジェームズ・ロバートソン
James Robertson
1958年、イングランド生まれ。6歳の頃に祖父の出身地であるスコットランドへ移る。書籍販売をふくむさまざまな仕事に携わったのち、1990年代に作家となった。数々の短編集や詩集、児童書を上梓しているほか、編集者、翻訳家としての顔も持つ。長編3作目にあたる本書は、2006年のブッカー賞の候補となった。4作目のAnd the Land Lay Stillはサルタイアー・ソサエティが主催する文学賞で、スコットランド文学のベスト1に選ばれている。2014年刊行の掌編小説集365は、2017年に柴田元幸責任編集「MONKEY」vol.13に3編が翻訳掲載された。

■田内志文
Simon Tauchi
翻訳家、物書き。訳書にカウフマン『銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件』『奇妙という名の五人兄妹』、コナリー『失われたものたちの本』、ジャクソン『10の奇妙な話』(東京創元社)、ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』、シェリー『新訳 フランケンシュタイン』、スティーヴンソン『新訳 ジキル博士とハイド氏』、クリスティ『オリエント急行殺人事件』(角川文庫)、チョボスキー『ウォールフラワー』(集英社文庫)など多数があるほか、小説の執筆や朗読も行っている。元スヌーカー選手で、チーム世界選手権、アジア選手権日本代表。

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『ギデオン・マック牧師の数奇な生涯』
序 文

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 世に向けてここに怪奇の一部始終を記すには、まずことの起こりについて説明させて頂かなくてはなるまい。分業の原則を固く信奉する私としては本来、書籍の執筆という業務において自らはしがきの筆を執ることはまずしない。だが、序文の執筆依頼をハリー・ケイスネス氏に断られてしまったのである──氏いわく、辞退の根拠となるのは、(a)本書の完全原稿の写しを一部私に送付したのが自分であるため、(b)氏が後書きの大部分を構成する報告書を提出したという事実は、私に対するあらゆる借りを返してあまりあるものであるためとのことらしい。そのため私は、自ら執筆するよりほかになくなったのである。

 ウォルター・スコット卿──ギデオン・マック牧師はその著作をよく好んだことが、この先を読めばお分かり頂けよう──はかつて、出版ほど「慎重にすべき、危険かつ運まかせの仕事は、競馬のジョッキー稼業を除いておよそ見当たらない」と言った。私はこの実にありがたい警句を三×五インチのカードにタイプライターで打ち出し、机の横の壁にテープで貼り付けておいた。そして、自分はいったいなぜこの稼業で暮らしを立てようとしているのか、もしや何らかの賭け事でもしたほうがもっと楽で儲かるのではないかなどと頭を悩ませたりすることがあれば、ウォルター卿が──彼自身も出版という高き壁の前で強烈な痛手をこうむる、そのずっと以前に──書き残したこの言葉に目をやり、先人たちも同じ気持ちを味わい続けてきたのだと自分に思い出させた。それから深深と息を吸い込み、仕事を続けたのだ。

 この本も、まったく同じである。私の心の声は、こんなものはろくろく人に興味を持たれることのない単なる一時(いっとき)の好奇心に過ぎず、お前の時間と、印刷屋のインクと、フィンランドの森林の無駄使いであると言っている。だが一方、これだけ数奇な物語であれば、どこかに潜在しているかもしれない熱狂的な読者層を呼び寄せる魅力を持っているのではないかと囁(ささや)く声もある。さらに三つ目の声は──おそらくこれは私の良心の声なのだろうが──このような破滅した人物を商業目的で利用することは遺憾であると言う。四つめの声は、これに対して声高に反論する。すでに死んだ人間なのだから利用もへったくれもなく、偽りや狂者の戯言(たわごと)だとする声もあがるだろうが、それでも我々の時代を物語る純然たる資料たりえるというのだ。ギデオン・マック氏の物語についてあれこれ考えはじめると、こうしたさまざまな議論が私の頭の中に巻き起こったのである。それでも私がこれを出版しようと判断したのは、この物語が実に奇妙奇天烈だったからだ。この二十年、こうも数奇な話に出会ったことが、私は一度たりともない。ギデオン・マック氏が実在したのは紛(まぎ)れもない事実なのだから、これは断じて作り話の類(たぐい)ではない。だが、事実と断じてしまうのも迷われる。では、いったい何だったのか? 私はその答えにどうにもたどり着くことができなかったため、ならばいっそのこと公衆の目に触れさせ読者自身にそれぞれ判断してもらうだけの価値があろうと考えたわけである。だがその前に、まずはこの物語がどのような経緯で私の手元にやって来たかを説明させて頂くとしよう。

 二〇〇四年十月が始まりすぐの月曜日、とつぜん旧友のハリー・ケイスネスから一本の電話がかかってきた。私はデスクに着いてその日三杯目のコーヒーをすすりながら、近頃印刷所から刷り上がってきたばかりの我が社のスコッチ・ウイスキー・ガイド、『ポケットの中の一ドラム』最新版をめくっているところだった。これが実に見栄えのよい本で、いかにも売れそうなものに仕上がっていたため、きっとクリスマスあたりにかけて好調な売れ行きを記録してくれるのではないかと期待を膨らませていたのだ。

 ハリーからの電話などずいぶんと久々だったが、しわがれた低い声を聞いて、すぐに彼だと分かった。彼はインヴァネスに住むフリーのジャーナリストだが、東はマレー湾沿岸、そしてフォート・ウィリアムをはじめとする北部と西部の方々にまで活動の幅を広げている。そうしてあれこれとネタを集めては、いちばん高く買ってくれるところに売るのである。よく言う「昔気質(かたぎ)」のジャーナリストだが、これは彼に賞賛の言葉として受け取ってほしいところだ。ハリーは愛煙家の大酒飲みで、不健康な時間に不健康な食事をし、日の高い時間はおよそ好まない。それでも彼は、面白い話を見過ごしたりしない抜け目のなさと、その話を適当に売りさばいたりは決してしない分別とを持ち合わせた、一流のジャーナリストである。彼は『スコットランドのハイランドにおける犯罪と推理小説』という本を書き、私の手により出版もしている。何年も経つが売れ行きは堅調だ。たっぷりと前払い金も支払ったのだが、さらに年に二度、彼いわく、その気になれば一週間の旅行ができる程度の印税小切手を彼は受け取っている。この出版は私にとってはビジネスの一環だったが、いつだったか彼は電話で私に借りができたのだと話してくれた。どんな借りかは、教えてもらえなかったが。

 私が調子を訊ねると、彼は元気にやっていると答えた。久々ゆえに本当ならば社交辞令のひとつも交わすところだろうが、ハリーはそうしたことを好む男ではない。彼はまっすぐに本題に入り、見せたいものがあると切り出してきた。微妙ではあるが、それでも興味深い話なのだという。ギデオン・マックという人物について聞いたことはないか、とハリーは訊ねた。

 聞き覚えはあるがそれ以上の心当たりはないので、私はそう伝えた。
「この人物はミニスターでね」ハリーが言った。「教会の牧師(ミニスター)のほうのだよ、議会の大臣(ミニスター)ではなくて。今年の早いうちから失踪している御仁だよ」

 彼は、ことの顛末(てんまつ)を私に話して聞かせた。ハリーの話を聞きながら私は、その当時に新聞紙面を賑わしていた内容をいくらか思い出してきた。一月のある日、スコットランド国教会のギデオン・マック牧師が牧師館から忽然と消え、それっきりぱったりと姿をくらましてしまったというのである。失踪の前、マック氏ははなはだしく常軌を逸し、国教会周辺や、自らの教区であるモニマスキットという小さな町にちょっとした騒動を起こしていた。そこで私はてっきりそのギデオン・マック氏がひょっこりと姿を現し、自らの身の上話を売り込もうとしているのだとハリーから聞かされるものと思ったわけだが──正直に打ち明けると、おかげであまり耳を傾けてみようという気にはならなかった──これは私の勘違いであった。マック氏は相変わらず失踪中だが彼にまつわるあるものが見つかり、ハリーが言うには、私に見せるしかないと思ったということらしい。私が詳細を訊ねると、彼が答えた。「それが、マック氏による手記なんだよ。回想録というか、独白というか、まあそんな感じのものさ。君も目を通してみるべきだと思うよ。僕のほうは、この週末に読み終わった。君宛に投函するつもりだよ」

(中略)

 翌日、二〇〇四年十月五日の火曜日、原稿のコピーは間違いなく到着した。これを書いている今も目の前にあるその原稿は、A4用紙で全三百十ページ、ページ番号が振られ、ほぼ全編にわたり非常に几帳面に手書きされており、削除や加筆のなされた部分には明解に記号が付けられ、相当数にのぼる用紙の余白や裏側に追加文章の記載があり、各章の頭にはローマ数字でナンバリングされていた。かなり終盤に限っては手書き文字に乱れが見受けられたが、読みにくいということは一切ない(後に私は、もしやいくつかの修正箇所や削除箇所は第三者の手によるものなのではないかと考えてみたのだが、文体が実によく似ていたため、このような文字の乱れは著者の疲労やストレスによるものだと今では思っている)〔※本書のエピローグに記載された証人たちはひとり残らず、この原稿がギデオン・マックの直筆によるものだと証言している。 P・W〕。私は、読みはじめた。そして二十分後にメイン・オフィスに出ると、私に電話がきても絶対に取り次がないようにと告げた。それからデスクに腰掛け、残りは一日じゅうこの原稿を読みながら過ごしたのだった。

 翌朝、これ以上ないタイミングで、ベン・アルダー山中において人の遺体が発見されたニュースを新聞各紙が報じた。私はすでに、インターネットでそれなりに調査を済ませていた。ギデオン・マック氏に関する情報はかなり多く見つかった。そのようなわけで私は大量の追加情報を得ることができたわけだが、ここに彼の失踪事件が持つ背景をできるだけ正確にまとめておくとしよう。

 スコットランド東岸、ダンディーとアバディーンの中ほどに位置する小さな町、モニマスキットの牧師であるギデオン・マック氏は、二〇〇四年一月十日から十一日の週末にかけて自らが居を据(す)える牧師館から姿を消したと思われる。彼はもう数ヶ月にわたり公務を行っていなかったが、この失踪は日曜礼拝において、すぐさま人びとの知るところとなった。実際にそれが騒ぎになったのは、一月十四日の水曜日になってからのことだった。鉄道駅のすぐそばの通りに、駐車違反のチケットを何枚も溜め込んだまま放置されていた赤いルノーをパース警察が調べたところ、ギデオン・マック氏の名前で登録されていることが判明した。すぐに聞き込みが開始されたのだが、そこでマック氏の同業者であるローナ・スプロット牧師が彼の安全と無事を祈っている旨を表明すると、捜査は一気に全国へと広げられた。彼の痕跡はひとつとして見つからなかった。パースに車を放置し、おそらくわざわざ公共の交通機関を選択している事実は、彼が居場所を突き止められたくないと思っていることを示していた。そして間もなく、彼はすっかり過去の失踪者のひとりになっていたのである。

 そうして忘却されてしまうまでの間、ギデオン・マック氏の物語はスコットランドのメディアをあれこれと賑わしたわけだが、タブロイド紙による行きすぎた誇張はここでは無視することにしよう。ギデオン・マック氏に関する事実は下記のとおりである。二〇〇三年九月、彼は〈黒の顎門(あぎと)〉の呼び名で知られる、モニマスキットから数マイルほどの渓谷にて事故に巻き込まれた。崖で身動きの取れなくなった犬を助けようとして(ローナ・スプロット牧師の飼い犬である)足を滑らせ、百フィート以上も下の滝壺に滑落してしまったのである。救出が試みられたが、あれこれ手を尽くしたところ上から滝壺に人を降ろすのはどうしても無理であると判明し、さらに下流から〈ケルドの水〉と呼ばれるこの川に入るのは危険極まりなく、これも駄目だった。誰もが、牧師はきっと転落死か溺死で命を落としてしまったものと諦めた。長さおよそ半マイル、狭く人が踏み入ることも許さない渓谷を流れるこの川は、海岸へと抜けるまでの途中で一度すっかり地下に入り込んでいるものと考えられており、牧師の亡骸(なきがら)が発見される希望も薄いと思われた。

 だが事故から三日後、町がまだ牧師を失った悲しみに暮れているところに、マック氏が〈黒の顎門(あぎと)〉のすぐ下流で川岸に打ち上げられているのが見つかったという一報が舞い込んだ。どこをどう水に運ばれてきたのかも謎だったが、さらに驚くべきは、彼が生きており、そのうえ体じゅうどこを調べても骨折のひとつも見つからなかったことであった。無論彼はぼろぼろで、側頭部には大きな痣(あざ)があったし、右脚は何らかの内部的損傷を受けたせいで、その後は足を引きずりながらしか歩けなくなるほどだった。しかしそれでも彼は三夜にわたり外で、それも魚類以外は生存する生きもののいないようなところで、生き延びてみせたのだ。ダンディーの病院に搬送された彼は一日半にわたり昏睡状態だったが、容態は安定していた。そして事故から一週間も経たずに回復して退院、帰宅を果たして医師たちを驚かせたのである。

 モニマスキットに戻ったマック氏は、通常の巡回業務に急いで戻る様子も特に見せず、牧師館で療養を始めた。何人かの人びとを相手に事故の体験談を語りだしたのは、この時である。彼は、川が通り抜ける洞窟に住んでいるある人物に救い上げられ、世話をしてもらったという。どうにもありえない話のように思われたが、マック氏はこの男は悪魔に他ならないと言い張り、三日の間に何度か長い会話を持ったというのだった。この話を聞いた牧師の友人たちは、牧師はこの過酷な経験の中でひどいショックを受け、おそらくは脳に障害を負ってしまったのだろうと考えた。他の人びとは彼の体のことよりも、牧師の話がスコットランド国教会の名声に傷を付けることになるのではないかと、そのほうを恐れた。

 数日後、マック氏はまだまだ肉体的にも精神的にも衰えているように見えたが、モニマスキットで長くともに過ごした旧友の葬儀を自ら執り行うと言ってどうしても聞かず、そのとおりにした。だが、その葬儀における彼の姿を見て、これは伝統を無視した無礼な振る舞いであり、スコットランド国教会の牧師としては許されざることだと感じる者は少なくなかった。埋葬を終えると彼はまたしても、自分は悪魔と邂逅して語らったのだと、公衆に向けてあの話を繰り返した。そして、埋葬後に教会内にて行われた集会においてマック氏の口から飛び出した数々の破廉恥極まりない講話を受け、モニマスキットの教区会は、この問題は地域の中会に持ち込む以外に道はなしと判断を下したのだった。

 中会の査問制度は複雑だが、ここでは手短に済ませるとしよう。訴えを聞いた中会は、自己弁護の機会を与えるためにマック氏を召喚した。彼は自らに対して起こされた訴えの内容については真実であると認めたものの、自分が何か過ちを犯したとは思わないと否定した。中会はすぐさまマック氏を停職処分にした。そして、調査や国教会の法律顧問との協議が進んで、やがて中会の委員会を前にした審理の日を待つことになったのである。告訴状が作成され彼にも届けられたが、まだ聴聞の日時も定まらないうちに、マック氏がまたしても姿を消してしまい、すべての手順を停止せざるをえなくなってしまった。

 下記は、ギデオン・マック氏に届けられた告訴状の要点をまとめたものである。

モニマスキット教区内、モニマスキット・オールド・カーク牧師、ギデオン・マック殿。同カーク小会書記ジョン・グレス、同カーク長老ピーター・マクマレー、そして(氏名多数)らにより、下記のように申し立てがされている。貴殿は二〇〇三年九月の複数日において耳を疑うような妄言奇弁を弄(ろう)して悪魔もしくはサタンと思しき第三者と邂逅し対話を持ったことを語り、その対話を報告する際にキリスト教の根本的な教義および国教会牧師として遵守を誓ったスコットランド国教会の信仰告白と相容れぬ発言をし、二〇〇三年九月二十二日にモニマスキット・オールド・カークにおいて執り行った葬儀の最中には幼い子供を含む大勢の参列者の前においてキリスト教の精神に反する儀式の数々を行い、違法薬物の使用を看過したばかりか自らも同薬物を大量に所持し、後にオールド・カーク講堂において神を冒涜(ぼうとく)する不敬虔(ふけいけん)かつ破廉恥な言語を用いてよりにもよって教区内に住む既婚女性と肉体関係を持った事実に言及したばかりか、同時に長老会の総会規定に反して教会地所内におけるアルコール飲料の供給を容認したとされる。これらすべての振る舞いは尊厳と禁酒を重んじる義務を伴う国教会牧師としての責任を放棄したものである。全詳細は本書面の付録に記載し、さらにこれら申し立てが真実であることの証明として証人各位の氏名を下記に列挙のこと……

 やがて歯科治療記録をはじめとする証拠の数々を元に、ベン・アルダー山で発見された遺体はギデオン・マック牧師のものと確認された。そして法医学検査が行われ、検察官に報告書が提出された。それによると遺体は誰にも見つからず数ヶ月にわたり放置されていたようで、つまりマック氏が死に見舞われたのはダルウィニー逗留の直後と思われる。遺体の損傷が激しかったため死因をはっきりと究明することは不可能だったが、第三者が彼の死に関与していたことを示す証拠はひとつとして見つからなかった。検察官は他殺の疑いなしと判断し、遺体はいかなる葬儀も行うことなくインヴァネスにおいて墓地に埋葬された。ギデオン・マック氏には老年性認知症をわずらい一部始終をほぼ理解していない老母を除き誰も身寄りがなかったが、彼の埋葬に友人や教会代表がひとりとして現れなかったことは特筆すべきだろう。

 二〇〇四年十月、私とハリーはもう何度か電話で話をした。報道はまたしてもギデオン・マック氏の記事で賑わい、なぜ彼がベン・アルダー山へと出かけていったのか、さまざまな仮説が飛び交っていた。よくよく考え抜いた末に人生最後の場としてそこを選んだに違いないという声もあれば、牧師は情緒不安定となり自らの行動もよく分かっていなかったのだという声もあった。モニマスキットの住人たちは取材を受け、自説を語る町民もいくらかいたが、どれを取っても真相を明らかにするには至らないものばかりであった。その間、私はハリーから送られてきた原稿を読み終えては読み返し続けていた。どうも、誰もたどり着いていない情報に自分の手が届くような気がしたのだ。無論警察もコピーと原本を所持してはいたが、彼らは遺体の身元を突き止めた時点でこの件に関する職務を終えた気持ちになっていたのである。一方、私の職務はまだまだ始まったばかりなのだった。

 ハリーは警察からさらにいくつか情報を聞き出すと、それを私にも伝えてくれた。ここにもその情報を含めておくが、何しろ異状死といえば必ずどこからか湧いて出てくるような典型的な話ばかりなので、理性ある読者諸兄に真に受けてもらえるとは、大して期待しないでおくとしよう。行方不明となっている牧師の捜索が九月から再開されること、そしてベン・アルダー山近辺を中心に捜索が行われることが公表されると、新たに三人の証人たちが警察署に連絡してきた。

最初のふたりはショーン・ドビーとレイチェル・アナンドである。二〇〇四年八月半ば、ふたりはコラーの鉄道駅を出発し、オシアン湖とパタック湖を経由してダルウィニーに向けて歩いていた。スコットランド有数の野生あふれる眺望に囲まれ、西から東に向けて長旅をしていたのである。オシアン湖でユース・ホステルに宿泊したふたりは翌朝早くに出発し、目的地までの十二マイルかそこらを歩きはじめた。よく晴れた朝で、自分たちが歩く道が遙か前方にそびえる山々を抜けて延びているのがふたりからもよく見えた。正午ごろ、ベン・アルダー山の北西に広がる山裾を回り込んで歩いていたふたりは、同じ道のおよそ半マイルほど前方を、ひとりの男が歩いているのに気がついた。どうやらずいぶんとゆっくり歩いているようで、ふたりは徐々に男との距離を詰めていった。見たところ背が高く痩せこけた、長く伸び放題になった髪の持ち主で、ライトブルーのジャケットを身につけ、足を引きずって歩いていた。その様子から、ふたりはもしや男が困っているのではないかと考えた。道は緩やかな上り坂になり、その先でやや下ってからふたたび上り坂になっている。ドビー氏とアナンド女史がひとつめの上り坂に差し掛かると、ふたつめの上り坂をさも大変そうに登っていく男の姿がはっきりと見えた。ふたりは、二、三分もすればきっと追いつくはずだと目算を立てた。そして下り坂を降りきって次の上り坂を登ったところで……ふたりは目を丸くした! 男が消えてしまったのだ。左手には原野が広がり、右側にはベン・アルダー山の斜面がそびえていたが、広大なその景色のどこを見回しても、生きものの姿などひとつも見当たらなかったのである。ドビー氏とアナンド女史はそのまま歩き続け、午後のうちにさらに何人かの人びとと行き交ったが、あの時見かけた男に出会うことはなかった。さらには訊ねてみても、男を見かけた人物に出会うことすらなかったのだ。ふたりはそのせいですっかり困惑しきっていたのだが、たまさかマック氏の捜索に関する記事を新聞で読み、これを警察に届けたというわけだ。

 もうひとりの新たな証人は、ローランド・タナー博士である。彼はダルウィニーからエリクト湖北岸を経由してランノホ湖を目指し、ひとりでハイキング中だった。これもまた、ベン・アルダー山を回り込んで国の中心部を抜けていくルートである。タナー博士は、この旅をするにあたり日誌をつけていた。彼からの報告を受けた警察側が書き写した日誌の該当箇所、八月一日日曜日の記述は、下記のとおりである。

 ベン・アルダーの避難小屋の横にてキャンプ。小屋は空からだったが昆虫まみれだったため、やむを得ずテントを張ることになった。起床は朝七時。よく眠れたがあちこち虫に噛まれた。忌々しい虫連中を数え切れないほど払いのけながら、簡単な朝食を済ませる。今にも降り出しそうな空模様のため、早々にテントを畳んで出発する。四分の一マイルほど行ったところで、ひとりの男が岩に腰掛けているのと出くわした。近くでキャンプしていたものと思ったが、テントは見当たらず、リュックサックも他の装備品も持っていなかった。挨拶をしてみた。返事はなかったが、男は笑うと片手を挙げてみせた。男にはどうも妙なところがあった。どこかは分からない。そのまま歩いた。ふと男が無事かどうか不安になった。まだそこから五十ヤードしか進んでいなかったが引き返した。男は消えていた。山小屋のすぐ近くまで引き返してみたが、気配も、足跡ひとつすらも見つからなかった。だんだんとひとり歩きをするのが恐ろしくなってきた。とても薄気味の悪いことだ。

 タナー博士は、この男がライトブルーのジャケットを着ていたと断言している。歩いている姿を見たわけではないので、足を引きずっていたかは分からないという。マック氏の写真を見せられたドビー氏とアナンド女史は、それが例の男かどうかは分からないと答えた。ずっと背中を向けていたし、近くまで追いついたわけではないからである。一方のタナー博士は、岩に腰掛けていた男はまさにマック氏にそっくりだったと答えている。警察はこの両者に対し、マック氏がひとりだったかと質問をした。ドビー氏とアナンド女史は、そのとおり、他には誰もいなかったと答えた。タナー博士のほうは、周囲に他の誰かがいたにせよ、男はそんな素振りなどまったく見せなかったと話している。

 このふたつの別々の目撃談は、十月六日にマック氏の遺体が発見される前に報告されたが、目撃された日時は、マック氏の検死報告書に記載された推定死亡日時の七ヶ月後のものである。これが、ハリー・ケイスネスの好奇心を掻き立てた。「そこで僕はこのタナーなる人物に電話をかけてみたんだ」彼が言った。「警察の友人から詳細を手に入れていたからね。博士は中世を専門とする歴史家だった。最初は僕と話などしたくないような感じだったが、僕がしてきた最高の登山体験をいくつか話してご機嫌を取ったのさ。こうした愛山家の連中っていうのは、有名な山の名前を出されると黙っていられなくなるものなんだよ。グレンコーでアオナッハ・イーガッハに登頂したと言ったらすっかり感心してね。博士自身、二年前に登頂したらしい。それで完全に氷が溶けたってわけだよ」

 ハリーがする運動といえば、ビールの注がれたパイントグラスをテーブルから口に運ぶくらいのものだろうと思っていた私にとって、これは意外だった。
「君が山登りをするとは、思ってもみなかった」私は言った。
「しないさ」彼が答えた。「少なくとも現実ではね。でも人は、 山登り(マンロー・バギング)〔※この言葉を知らない読者のために、解説しておかなくてはなるまい。マンローとはスコットランドにある標高三千フィート超の山岳のことである。全国に全二百八十四峰がありこれを登山(バギング)するのが最近流行してきている。一八九一年、この山々を最初にリストに整理したのが、ヒュー・マンロー卿である。P・W〕のためにあらゆるウェブサイトを作り上げてきたじゃないか。僕は、難峰なんてほとんど実質的に踏破してしまったよ。僕がまだ絶頂期だったころにね、君なら分かると思うが。それにしても、ちょっと山の話をしただけでいろんな扉が開いてしまうんだから驚きさ。たとえば誰かからベン・マクドゥイ登頂をほとんど諦めかけた体験談を聞き、自分はそこで雪嵐に遭って遭難したのだと話をすれば、それが絆となって連帯感を生み出し、すると相手はどんな種類の情報だろうとどんどん話してくれるようになるものなんだ。ともあれ、ギデオン・マック氏の話を持ち出してしばらくしてから、僕はタナーに、亡霊を見た気持ちはどうだったかと訊ねてみたんだ。するとタナーは、質問の意味が分からないと言った。だから僕は『あなたが避難小屋の近くで岩に腰掛けた男を見てギデオン・マック氏だと思ったのは、彼の推定死亡時期から半年以上が過ぎてのことだったんですよ。だから、あなたの見間違いか、そうでなければ亡霊を見たに違いないというわけです。そう思われますか?』と訊ねたのさ」

「それで、彼はなんと?」私は訊ねた。
「見間違いなんかじゃない、間違いなくマックだったと言うんだ。だから僕は、じゃあ亡霊を見たんだと言ってやった」
「そうしたら?」
「しばらく何も言わなかった。だから『タナー博士、大丈夫ですか?』と訊ねると、『大丈夫、考えていたんですよ』と彼は答えた。『何を考えてらしたんです?』僕は訊ねた。『ちょっと出かけて、でかいグラスでウイスキーでもやろうかってね』と、彼が答えた。そこで電話は終わりさ。話を聞き出すのは、もう諦めるしかなかった。それっきり電話にも出てくれないんだ。何度かけても留守番電話になっちまったよ」
「あんまり怖がらせるからさ」私は言った。
「どうだろうな」ハリーが言った。「まあ、そのとおりかもしれん。何かが怖くなったんだろう。タナーに?をつく理由なんてない。きっと誰かを見たのは事実なんだ。びくびくしているような話しぶりだった。まあ、ウイスキーに逃げようってのも、分からんでもないな」

 いかにタナー博士が優れた歴史学者とはいえ、私には信頼に足る目撃証人のようには思えなかった。むしろ、現実離れした話じゃないかとハリーに言ってやったのだ。するとハリーは、だからこそ私に連絡したのだと答えた。
「君は亡霊やミステリや、そういうのが大好きだからな」
 私は、これは訂正しなくてはと思った。「確かにその手の本は出版しているが、だからといって信じてるわけじゃない」
「それはギデオン・マックだって同じさ」ハリーが答えた。「ただし、森の中で例の岩に出くわすまではね」
「ああ、そうだね」私は言った。「森の岩からすべては始まり、洞窟に住む悪魔の話になっていったんだ。こんなのは馬鹿げているよ。もしや何もかも、頭がどうかしてしまったマックの戯言なんじゃないのかね」
「そうとも考えられる」ハリーが言った。「でも、だからといって彼の回想録を出さない手はないだろう。あれを気に入るようなとち狂った連中はごまんといるぞ」
 私は、なぜこの原稿を私に送ってきたのか、ハリーに訊ねてみた。彼は私に借りがあるのだと言ったが、私はそんなものはないと答えた。すると彼は、それならそれでいいが、ともあれ原稿を手にした今、どうするつもりなのかと訊ねてきた。私は、少し考えてみると答えた。

 受話器の向こうから煙草でしわがれた笑い声が聞こえ、ハリーは私がギデオン・マック氏の原稿を出版すべき理由をいくつか挙げた。断じて言うが、彼の説明はどれひとつとして、私のように名のある出版人の高い志を理解しているとは言いがたいものばかりであった。何せ、スコットランド国教会の発行する『人生と仕事』誌に丸々一ページをさいてレビューを載せようと企んでいるだろうなどと、茶化すように提案してみせるのだ。私がそれを否定すると、ハリーはきっとこの本は強烈なベストセラーになると言った。私がそれにも疑念を表すと今度は、最低でもモニマスキット周辺ではよく売れるはずだと食い下がった。「きっとこのあたりじゃあ、ここ百年で最大のセンセーションを巻き起こすぞ」彼が言った。「何せ自分たちの牧師が悪魔(オールド・ニック)とおしゃべりをしてから凍てつく荒野に彷徨(さまよ)い込み、そのまま死んじまったんだからね。それにマックは他にもわんさか騒ぎを起こしてるだろう? ネタに困ることはない。みんなスキャンダルが大好きなんだからな」

 これは的を射ている。誰もが──まともな出版社を含む誰もが──スキャンダルを愛しているのだから。だが、そう思うとまた別の懸念が私の胸に湧き起こった。「誰かに訴えられたらどうする?」私は訊ねた。「この手記の中身が真実じゃないとしたら、厄介な火種になるようなことも書かれているんだよ」
「真実?」ハリーが訊き返した。「おいおい、寝言を言ってるのかい? まさか、悪魔が弁護士に掛け合って君を訴えるとでも思ってるのか? 悪魔の弁護士に?」彼が笑った。 「黙れよ、ハリー」私は言った。「私が言っているのは、現実の人びとの話だよ。現実にモニマスキットに暮らしている人たちのことさ」
「勘弁してくれよ」ハリーが言った。「君は、毎日いつ訴えられてもおかしくない危険と背中合わせの人生を送っているだろう。いつ何に噛みつかれるかもしれないと知りながら、情報を出版している男じゃないか。死んだ男が書いたものを出版したからって、誰かに訴えられるなんて本気で思うのかい?」
「分からない。弁護士に相談してみないと」私は答えた。
「君はそこに原稿を持ってる。まあコピーではあるが。マックがそれを書いたのは、疑いようがない。死人の名誉なんて、僕ならどうなってもかまやしないよ」
「死人のことをとやかく考えているわけじゃない」私は言った。「もちろん、死人を訴えることはできないし、誹謗(ひぼう)されたと感じたところでどうすることもできはしな い。だが、それを出した出版社を訴えることはできるだろう」
 ハリーは言った。「君はいったい誰のことを言ってるんだ?」
「モファット家の人びとだよ」私は答えた。「具体的に言うなら、エルシー・モファットだ」
「彼女のことなら、もうたっぷり新聞が記事にしているよ。でも、彼女が誰かを訴えたなんて話はひとつも聞かない。僕だったらそんなことは心配しないね」

 だが、私はやはり不安だった。例のウォルター卿の言葉が、すぐ目の前の壁に貼られていたのである。それに、ギデオン・マック氏の遺産のこともある。当時私はマック氏の母親がまだ生きているかどうか知らなかったが、遺産は当然あるはずで、それがどんな事態を引き起こすのか想像もつかなかった。

「ハリー」私は言った。「出版へと向けて進むとしたら、君にも手伝ってもらえるかい? もちろん、金なら払う。必要経費のすべては私が持とう」
「手伝うというと?」彼が言った。
「モニマスキットに行って、人びとに話を聞いてほしいんだ。ジョン・モファットとエルシー・モファットにもね。マックが狂っていたと思うかどうか、彼らに訊いてほしいんだよ。マックは夫婦の友人だったわけだからね。他にも、ローナ・スプロットに会って、何が真実で何がそうでないのか、確認してもらえないか?」
 今度は、ハリーが躊躇(ちゅうちょ)する番だった。「そいつはちょっと、僕の範囲外だなあ」彼が言った。「地理的に範囲外だっていうことだよ」
「出版に踏み切るなら、どうしても必要なことなんだ」私は言った。
「自分でやったらいいじゃないか」彼が提案した。
「君はジャーナリストだろう」私は答えた。「ならば君の仕事だよ。何をどう訊ねるべきか、君なら熟知している」
「モファット家には歓迎されんだろうね」彼が言った。
「他の連中から何か聞き出せるかもしれないが、モファット家はとことん嫌がるだろうよ」
「だからこそ、やらなくちゃいけないんだ」私は言った。
「彼らこそが重要人物なんだから」
 しばらく押し問答が続いた後、ハリーはようやくモニマスキット行きを承諾してくれた。彼の取材結果はもっとも相応(ふさわ)しいしい場所、本書の巻末に掲載されている。私がすべきことはただひとつ、この奇怪かつふたつとない手記を出版することのみである。僭越(せんえつ)ながら『ギデオン・マックの遺書』と題させて頂いたが、他にはほとんど手を加えていない。必要な箇所にひとつふたつ注釈を入れさせてもらったのと、顧問弁護士の助言により多少の付記、改稿、削除の類を行った以外は、ほぼすべて著者が書いたとおりである。これを読みどう判断するかは、読者諸兄にすべてゆだねることとしたい。

パトリック・ウォーカー   二〇〇五年六月 エディンバラにて
(2017年11月30日)



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