海外ミステリ出張室

2016.02.05

田口俊樹/「解説」に代えて――東江一紀さんの思い出―― ボブ・ラングレー/東江一紀訳『オータム・タイガー 【新版】』解説(全文)

「解説」に代えて――東江一紀さんの思い出
田口俊樹 toshiki TAGUCHI



 白状をすると、私はこの名作を今回初めて読んだのだが……いやあ、面白かったあ!
 スパイ合戦というのは、つまるところ、狐と狸の化かし合いである。スパイ小説ではその化かし合いがどれほど巧妙かが読みどころとなり、さらに狐と狸に交じって読者も一緒にたぶらかしてもらえると、私なんぞにとってはもう申し分のないスパイ小説ということになる。本書では途中でツッコミを入れたくなるようなところで、逆にたぶらかされ、最後の最後で、ええっ、そうだったのか! と膝を叩いた。ここまで気持ちよくたぶらかされたら、もう文句はありません。
 そうした騙されることの爽快感とともに、戦争の持つむなしい狂気ともいうべきシリアスなテーマもまた読後、印象に残った。戦争という人類の大いなる愚行のなかでは、大きな善を為すためには小さな悪には眼をつぶらざるをえないといった局面など、いくらも出来することだろう。目的が手段を正当化するというやつだ。しかし、この理屈は上位者が自らに都合よく利用することが大半である。本書の結末ではそのまやかしが痛烈に皮肉られている。訳者あとがきに東江さんが「もともと末脚には定評のある作者だが、本書のホームストレッチでの追込みの鋭さは、たぶん『北壁の死闘』をもしのいでいる」と書いておられるが、まったくもって同感である。
 また、改めて言うまでもないが、名訳者と知られた東江さんのいわゆる“東江節”も大いに堪能させてもらった。たとえば本書八六ページ。「その壁一面に弾痕のあばたができている」とあり、原文を見ると、...their walls peppered with shrapnel holes. まあ、些細な部分 である。pepper というのは、あの胡椒のペッパーで、動詞としては「(弾丸などを)一斉に浴びせる」などという意にもなる。だから、まるまる直訳すれば「弾丸を一斉に浴びせられて穴ができた壁」だ。それを東江さんはひとこと「あばた」となさった。このひとことで、穴だらけの壁の状態が読者の眼に一気に飛び込んでくる。繰り返すが、些細なことだ。それでも同業者としては、こういう些細なところにもいささかの嫉妬を覚えつつ、うまいなあ、と感じ入らずにはいられない。もうひとつ。本書は片言隻句の訳に意匠を凝らさなければならないような作品ではないが、それでも翻訳者というのは少しは“遊び”たくなる、あるいは、ちょっとはことばにこだわりたくなる生きものである。本書では、「ふやける」が「ほとびる」、「押しつぶす」が「押しひしぐ」とされているあたりに、私は東江さんの遊び心、あるいはひそかなこだわりを見た気がした。これまた些細なことではあるけれど。

 昨年六月に逝去された東江さんの具合がよくないことを最初に知ったのは、それよりさかのぼること七年、二〇〇七年の夏のことだった。病名は食道ガン。私の中学校以来の友人で、ジム・トンプスンなんかを訳していた三川基好も奇しくも同じ病を同じ時期に得て、その夏にはもう回復の望みのないことがわかっていた。三川の場合、ガンが見つかった時点ですでにステージ3で、東江さんも同じだった。奇跡は起こらず、三川はその年の十月、終の棲家と定めた盛岡で他界した。一方、東江さんのほうは手術が成功し、その後、快癒に向かわれ、毎年催される翻訳者の忘年会にも顔を見せられた。その会場で久々にお会いし、その元気なお顔を見て、三川が他界した直後だったせいもあっただろう、私はつい涙をにじませてしまった。東江さんはそんな私を逆に慰めてくださった。ご自身も眼を潤ませ、元気を出してください、と肩を叩いてくださった。そのときの東江さんのちょっと困ったような笑顔が忘れられない。
 なのに、術後“五年生存率”の五年がそろそろ経とうという頃に、また入院されたという知らせに接することになる。その間、出版社のパーティや競馬場で何度かお会いし、元気なお顔を見ていたので、思いがけない知らせだった。その後、一時退院されて、入院中のつれづれに応募した競馬場の指定席が二名分当たったので一緒に行かないかと誘いを受けた。そのときには私の都合がつかなかった。亡くなる前年の秋に電子書籍に関する諸問題について相談を受けたときには、ちゃんとした答を返すことができなかった。それ以降はもう一度も会う機会がなかった。このふたつの自分のヘマが今でも悔やまれてならない。
 杉並の聖マーガレット教会で執り行なわれた葬儀には、お通夜と告別式の両方に列席させてもらった。心にしみる葬儀だった。ご友人の別れのことばも、遺訳となった『ストーナー』(作品社)の草稿をまとめられたお弟子さんの布施由紀子さんの報告も、奥さまの会葬御礼も、どなたのことばにも胸を突かれた。東江さんは凛とした人だった。凛とした人のもとには凛とした人たちが集まる。気づくと、そんなことを思っていた。肩を震わせ、嗚咽をこらえておられたご子息の姿も忘れられない。告別式の直後、不思議なことが起きた。聖マーガレット教会がある杉並区松庵から三鷹市と調布市にかけて局地的に、季節はずれの雹(ルビ、ひょう)が降ったのだ。六月に雹である。東江さんはおやじギャグが好きな、茶目っ気のある人だった。だから、参列したみんなで言い合った――これはきっと東江さんのいたずらにちがいない。

 私のような翻訳者は――自分で言うのもなんだが――たまたまいいときにいいところに居合わせたおかげでなれた翻訳者である。が、東江さんはなるべくしてなった翻訳者だった。亡くなる二、三年前のことだ。何かでお会いした際、ご本人のほうからわざわざ私のところにやってこられて、心底訳したいと思える本にやっと出会えました、と実に嬉しげに得意げに言われた。東江さんは理系にも強く、なかでも数学が大好きということで、それは数学に関する本だった。おそらく二〇一三年刊の『数学小説――確固たる曖昧さ』(草思社)のことだったと思われる。翻訳者で翻訳が嫌いな者などひとりもいまい。言うまでもない。みな好きだからこそ、この労多くして益少ない(ことが少なくない)孤独な仕事を黙々とやっているのである。そして、かかる思いにおいては誰にも負けない、とたいていの翻訳者が思っている。かく言う私もそう思っていた。が、心底訳したい本にやっと出会えたと東江さんに言われたとき、私はこの人には負けたと思った。キャリア三十年を経てなお眼をきらきらと輝かせて、そんなことが言える翻訳者はそうそういまい。このことひとつだけでも、私は東江一紀という不世出の翻訳者は、なるべくしてなった翻訳者だったと思う。

 東江さんは優秀なお弟子さんを多く育てたことでもよく知られている。どんな先生だったのだろう?「わたしにとっての東江先生は、とてもあたたかくて、とても厳しい師匠でした。生徒さんの名前は必ず『さん』付けで呼び、いつも『です』『ます』体で話をして礼儀正しく距離をとっておられました。授業中も美しい言葉遣いで訳文にコメントをくださいましたが、その指摘内容はかなり手厳しいものでした……どんな意味にもとれる玉虫色の言葉をお使いになるので、感受性の鋭い生徒さんは非常に傷つきます。でも、わたしのように能天気な者はにこにこしてその場は終わり、あとで気づく、といった具合でした。褒められているのかけなされているのかわからない。そういう厳しさです。わからないやつはいつまでもそこ(底)にいろ! と言われているような怖さがありましたが、逆に言うと、いつまででもそこ(there)にいていいよ、というやさしさもあったのです」これは布施由紀子さんの弁。もうおひとりのお弟子さん、那波かおりさんにも訊いてみた。「心やさしき師匠でした。人生の恩人です。ときに恩を受けたことを忘れそうになるほど憎らしい口を叩かれましたが、いまはそこにいちばん深く恩を感じています」それぞれのことばにおふたりそれぞれの思いのにじむ師匠評だが、ここでもまた凛とした東江一紀像が浮かんで見える。では、東江訳とはおふたりにとってどんな訳だったのだろう? 布施さんにとっては「とくに個性を感じるのは、語りのリズムでしょうか……東江先生ご自身は、いつも『作品ごとに綿密に戦略を立ててのぞむ』とおっしゃっていましたが、ほんとうに計算し尽くして訳されたわけではないと、わたしは思っています。むしろ憑依型の翻訳家だったのではないかと思うのです」ということになり、那波さんにとっては「周到な計算ととことん吟味された緻密な細部の積み重ね。それが九九パーセントで、残り一パーセントがまさかと思わせるような華麗な跳躍。でも、それが超訳ではなくて、まさしく原文どおりなんです。ぜったいにまねできません」ということになる。どちらもなるほどとうなずかされる訳評である。私はおふたりほど東江訳に精通しているわけではないが、厚かましくつけ加えさせてもらうと、読んだかぎり、どの作品でもなぜか元気を与えてもらった気分になった。元気の出る訳。それが私にとっての“東江節”だ。そんな訳者はほかにはいない。

 最後に私事ながら――東江さんは私の競馬の師匠だった。忘れもしない二〇〇〇年の二月、寒風吹きすさぶ府中競馬場に東江さんに連れていってもらったのが私の競馬デビューだ。そのとき馬券の買い方から競馬新聞の読み方から何から何まで手ほどきを受けた。以来十五年、競馬は今でも続けている。私の数少ない趣味(と言えればだが)のひとつだ。友達の少ない私に競馬を通じて、得がたい仲間もできた。そんな意味では、東江さんは私の恩人でもある。おかげで以来どれだけ損をしてきたことか。それは田口さん本人の問題ですね――眼をくりくりっとさせて、可笑しみを噛み殺したようにおっしゃる東江さんのあの笑顔が懐かしい。

  二〇一五年十一月




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