海外ミステリ出張室

2016.03.07

ショーン・ステュアート『モッキンバードの娘たち』(鈴木潤 訳)訳者あとがき(全文)[2016年3月]

鈴木潤 jun SUZUKI

 主人公のトニにとって、母エレナの死は悲しむべきものではなく、祝福すべき新しい人生のスタート地点だった――こんな風に書くと、冷酷に聞こえるだろうか。でも、なかには共感を覚える人もいるかもしれない。母親とは、わが身を生み、育み、慈しんでくれる存在だ。だがときとして、わが身を歪めて映す鏡に、あるいはわが身を閉じこめる檻になることもある。本書はそんな母と娘の一筋縄ではいかない関係を、哀しく、おかしく、愛おしく、そして少々魔法のスパイスが効いた物語に仕立てた家族小説である。

 舞台は一九九〇年代半ばのテキサス州ヒューストン。トニは三十歳の独身女性。保険数理士として投資会社に勤め、そこそこの年収を稼ぎあげているエリートだ。見目麗しいとはいえないが、物事を堅実かつ合理的にさばく頭脳の明晰さには自信がある。ところが、母親のエレナはまるで正反対。ヴードゥーの魔術めいた不思議な力の持ち主で、主婦業のかたわら、祈禱や占いなどを請け負っている。もともと気まぐれで、大酒飲みで、浪費家のトラブルメーカーなのだが、さらにいただけないことに、ときおり〈乗り手〉と呼ばれる憑きものにつかれ、周囲の人間を縮み上がらせるような厄介事を引き起こす。
 物語はエレナが埋葬される場面、トニの「新しい人生のスタート地点」から幕を開ける。もうママに振り回されることもない。憑きものに怯えることもない。晴れて自分だけの人生を生きることができる――だがほっとしたのもつかの間、〈乗り手〉たちが今度はトニに取り憑きはじめる。遺言により、忌み嫌っていた「ママの才能(ギフト)」が、よりによって彼女に授けられてしまったのだ。しかし、トニはあくまで冷静に人生計画を推し進めようと、独身のまま人工授精で妊娠するという思いきった決断を下す。かくして子供を身ごもった矢先、なんと上司からクビを申し渡されてしまう。予想もしていなかった苦境に立たされたところに、さらに思いがけないニュースが入ってくる。エレナはトニの父と結婚する以前に娘をもうけていた。つまり、トニには異父姉がいるというのだ――
 波乱含みのトニの物語が、物静かで優しいパパ、美人で楽天家の妹キャンディ、投資会社の経営者のフリーゼン親子、エレナの親友メアリ・ジョー、キャンディの恋人カルロス、ハンサムな人類学者のマンゼッティ博士などなど、個性的な面々に彩られて進んでいく。そして物語の合間を縫うように、ママが語り聞かせてくれるお話の主人公、〈小さな迷子の女の子〉は歩いて歩いて歩きつづける。はたして女の子はおうちを見つけられるのだろうか? トニは母親から解放され、自分の人生を歩みはじめることができるのだろうか?

 射るように注ぐ真夏の日差し、大きなライブオークの木陰、けだるくたゆたうバイユー、スパイシーなテックス・メックス料理、石油精製所の排煙と西日が織りなす夕暮れのタペストリー……ページを繰るごとに、テキサス州ヒューストンという街の空気や色彩が鮮やかにたちあらわれるようだ。この地は全米屈指の大都市であり、重工業の街でありながら、昔ながらのアメリカ南部の文化、そしてメキシコ系のヒスパニック文化の影響を色濃く残す土地である。高層ビルから見下ろす緑多き街は野生の密林にも映り、しばらく車を走らせれば、人種差別の歴史の生々しい傷跡や、ゴシック風の街並みが車窓を流れる。ピューリタン的なアメリカの風景とは一味違う、土臭い魔術や妖術が当たり前のように溶けこんでいる風土。そこには、小さな迷子の女の子のいる世界への入り口が、さりげなく口を開けていても不思議ではない。
 魔法が溶けこんでいるという点ではストーリーもおなじだ。トニの一人称の語りは鋭く軽妙で、まるで実際に頭の切れる(そしていくぶん皮肉屋の)女友達の話を聞いているようだ。”保険数理士的”結婚観や、赤裸々な妊娠体験記は、大真面目ながらもどこか滑稽で、だからこそいきいきとしている。妹のキャンディとの会話のくだりなどは、コーヒーショップでたまたま隣り合わせた妙齢の姉妹のお喋りを聞いているような気分にさせられる。二人は娘として、姉として、妹として、そして独身女性としての本音を、あけすけに語ってくれる。ところが、とてつもなく現実的で醒めた意見を吐きながら、彼女たちはママに憑依する六人の〈乗り手〉たちがまぎれもない真実であることを理解している。未亡人を恐れ、説教師を疎み、ミスター・コッパーに一目置き、シュガーに翻弄され、ピエロに手を焼き、マネシツグミを探し、そして、小さな迷子の女の子を迎え入れようとする。
 人生の悲喜こもごもは、往々にして神秘や奇跡や呪いにたとえられるものだ。だが姉妹の体験するそれらは、神話や寓話といった言葉では片付けられない。おかしな言い方かもしれないが、じつに人間臭い魔法として、彼女たちに降りかかる。ステュアートのファンタジイは、幻想的なスペクタクルを見せるものではない。むしろ、ありふれた現実に魔法の糸を紡ぎ合わせ、妙にリアルな手ざわりの人生を織りなしてみせてくれるものだ。たっぷりの笑いとともに。

 読者のみなさまには、まずは手放しでそんな作品の風合いを楽しんでいただけたらと思う。だからあまり解説の必要はないのだけれど、すこしだけ補足をしておこう。
 一つめは、タイトルについて。原題はMockingbirdで、〈乗り手〉のマネシツグミのことである。南部を舞台にしたアメリカの国民的小説(二〇一五年に思いがけず続篇が刊行され、出版界の一大ニュースとなった)、ハーパー・リーのTo Kill a Mockingbird(邦題『アラバマ物語』)の題名でもおなじみで、テキサスの州鳥でもある。本作品ではこの物真似鳥が、小さな迷子の女の子とともに、魔法と現実を継ぎ目なく縫い合わせる役目を果たしている。
 二つめは、保険数理士という職業について。日本でも原語のまま”アクチュアリー”と呼ばれることがあるが、彼らは確率論・統計学などの手法を活用し、保険料率の算出や投資におけるリスク管理や分析、企業活動における長期計画の策定などを手がける、いわば数理のプロフェッショナル。トニは自嘲ぎみに「つまらなさには定評のある人種」というが、見方によったら、魔術とおなじくらいのスーパー・スキルだ。
 次に、作中に出てくる食べ物について。ゴンザレス夫人ご自慢のメキシコのお袋の味にはじまり、一つ星(ローン・スター)の州のご婦人がたの手による南部料理や、ハラペーニョたっぷりのケイジャン料理、メキシコとテキサスの郷土料理が融合したテックス・メックス、名物レストランの絶品料理などなど、作品中には食欲をそそる場面がじつにたくさん登場する(もっとも、トニがつわりに悩まされているあいだは、何もかもけちょんけちょんにけなされるのだけど)。ちなみに、ママが「神様の特別なおはからい」といったビスケットはもちろん、スコーンのようなタイプの、ふっくらと香ばしい南部のビスケットのことだ。
 そして、カルロスの〈死者の車(ムエルトモービル)〉について。霊柩車を改造した「走る祭壇」とは、なかなかディープな代物だ。作者によれば、ヒューストンには毎年開催される〈アート・カー・パレード〉なるお祭
りがあり、参加者が文字通り車に思い思いの意匠を凝らし、街中をパレードするのだという。〈死者の車〉はこれらのアート・カーに着想を得たということなので、ご興味のある方は“Houston Art Car Parade”のサイトをのぞいてみてほしい。

 ではここで作者をご紹介しよう。ショーン・ステュアートは一九六五年、テキサス州で生まれ、カナダで育ったSF/ファンタジイ作家。一九九二年に発表したデビュー長篇Passion Playでオーロラ賞を受賞して以降、コンスタントに作品を発表しつづけ、本作品が一九九九年のネビュラ賞、および世界幻想文学大賞の最終候補に、二〇〇一年にGalvestonが後者の大賞に選ばれる。この二作品、さらに二〇〇四年発表のPerfect Circle(こちらもネビュラ賞、世界幻想文学大賞の候補となる)は、いずれもテキサスを舞台にしたコンテンポラリー・ファンタジイである。こうして独自の作風を築き、定評を得はじめる一方で、代替現実ゲームのシナリオを手がけたことをきっかけに、徐々にメインの活動をゲームの分野にシフトさせていく。二〇〇六年にはYAシリーズ《キャシーの日記》The Cathy Books を共著で発表し、NYタイムズ紙の年間ベストに挙げられるなど注目を集めるが、このシリーズもウェブとの連携を売りにしたもので、依然、小説とデジタル・メディアの融合に可能性を感じていることがうかがえる。
 もっとも、彼は自身のサイトの長篇作品リストにこんな一文を添え、小説という媒体への愛と信頼を、静かに、しっかりと表明している。

「というわけで、ぼくは現在〈没入型エンターテインメント〉のクリエイションに深くかかわっているのだが、もし本当に現実の肉体を離れ、異世界を生きてみたいと願うなら、やっぱり本に勝る手段はないと思っている。本はぼくらの脳内をハッキングしてきて、物語の景色や登場人物の声を勝手に創り上げる。まさにウィルスみたいなものなのだ」

 願わくば、本書が読者のみなさまの脳内で、テキサスの夏の夜の匂いや、熱々のチキン・モーレの湯気、トニとキャンディのお喋りや、マネシツグミのさえずりを鮮やかに創り出し、ほんのひとときでも、よく冷えたコーラが似合う七月のヒューストンへ、そして小さな迷子の女の子が歩きつづける不思議な街角へといざなってくれますように。
 最後に、訳者の質問に丁寧に答えてくださったステュアート氏、翻訳にあたって貴重なご教示と励ましをくださった小川隆氏、そして東京創元社のI氏に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。



■ 鈴木潤(すずき・じゅん)
神戸市外国語大学英米学科卒。翻訳家。



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