江戸川乱歩が惚れこんだ、
本格ミステリ黄金時代の先駆けとなった傑作!
謎解きと恋愛要素を巧みに結合した歴史的名編が、
新版/新カバーで読みやすくなって新登場!
*
――私は常々彼は道化の体に大学教授の頭を載せたようだと言っていた。彼がちょっとそっくり返って道を歩いていて、煙草に火をつけたいと言い出して突然猿のように町のガス燈によじ登り、それからまた降りて来て、初めと同じ真面目になって晴れ晴れとした表情で歩き出すのを見るのには詩的な楽しさがあった。(吉田健一訳)
ギルバート・キース・チェスタトンがロンドン・セントポール校に在学中、一年下にとてもうまの合う少年がいた。後にオクスフォード大学マートン校に進み、ジャーナリズムの世界に入って〈デイリー・ニューズ〉編集員、〈デイリー・テレグラフ〉論説委員などを歴任するエドマンド・クレリヒュー・ベントリー(1875~1956)である。冒頭に紹介したのはチェスタトン『自叙伝』(1936年。春秋社)からの引用で、少年時代のチェスタトンとベントリーが始終行動を共にしていたことが記されている。この交わりは生涯続いた。ベントリーは新聞社勤務の傍ら文芸雑誌に滑稽読物などを発表していたが、歴史上の人物を登場させ、最初の二行と次の二行で脚韻を踏むというナンセンス詩を発明したことで特に有名となり、その詩は彼のミドルネームから〈クレリヒュー〉形式と呼ばれるようになった。その〈クレリヒュー〉を収めた1905年の詩集Biography for Beginnersに挿絵を寄せたのがチェスタトンである。またベントリーは、チェスタトンの跡を継いでディテクション・クラブの二代目会長にも就任している。
『トレント最後の事件』はそのベントリーが1913年に発表した、ミステリのデビュー作である。献辞がチェスタトンに捧げられているのは、1910年頃に本作の構想を得たベントリーが、親友にプロットを説明し、助言を受けているからだ。最初の題名はPhilip Gasket's Last Caseで、イギリスのダックワース社が主催していた新人コンテストに応募するつもりだったが、たまたまアメリカの編集者と知己を得たことから同社への応募を取りやめ、アメリカのセンチュリー社からこれを上梓する。その際に探偵の名前をトレントに改め、要請を受けて題名をThe Woman in Blackという一般受けするものにした。その後、イギリス国内でも刊行したいと考えて出版社の共同経営者でもあった作家ジョン・バカンに相談を持ちかけたところ話がまとまり、現在の題名で本が刊行されたものである。
ベントリーには「現代探偵小説の父」(ジョン・カーター)など、さまざまな賛辞が与えられているが、その代表作である本書の真価は事件捜査の物語を犯人と探偵の対決図式から一段掘り下げた点にある。すべてを計画し、実行に移すのは犯人であり、探偵は事後に残された痕跡から「何が行われたか」を読み取る。これが超人型名探偵の役割だ。
ところが本書においては、犯人が発信したコードを読み取るだけでは探偵の仕事は完結しない。犯人が自身の計画を実行に移したことによってどのような状況が生み出されたかが問われることになるからだ。「何が行われたか」と「何が起きたか」の間には大きな隔たりがある。前者において世界はその計画者の意図通りに動くが、後者ではそうではなく、偶然の要素によって変化が生じる。コードの発信時には予期されていなかったノイズを除去することも探偵には求められるようになるのである。探偵が犯行計画自体ではなくて結果としての状況を読み取るのであれば、犯人は「偽の手がかり」によって誤導を仕掛けることも可能になる。こうして謎解きの複雑化が進行していくのである。
ベントリーが本作を執筆した背景には、探偵小説の形式が固定・陳腐化していることへの批判があった。特に探偵が謎解き(コードの解読)という機能に徹するあまりに非人間的なキャラクターになっていることに懐疑的で、血肉を備えた現実の人間のように行動する主人公を設定するという意図の下に本作は執筆された。当然、生身の人間であるから、神の如き叡智を常に発揮できるわけではなく、間違いも犯すのである。
江戸川乱歩は、人間らしい感情を備えた探偵を配置した作品の好例として、イーデン・フィルポッツ『赤毛のレドメイン家』(1922年。創元推理文庫)と共に本書を高く称揚した。1934年に発表した中篇「石榴」(光文社文庫他)は、本書を読んで感心した乱歩が「わたし流」を試みた作品である。意図せぬ些末な部分ばかりを批判する世評が多くて腐ったようだが、右に書いたような探偵小説構造の複雑化に寄与する試みであるということを察知できる読者が、当時はまだそれほどいなかったのである。
二つの世界大戦の中間、大量の探偵小説が生産された十年余の時期を俗に黄金時代と呼ぶ。『トレント最後の事件』の発表は第一次世界大戦の勃発より一年前の1913年だが、『娯楽としての殺人』(1941年。国書刊行会)の著者ハワード・ヘイクラフトのように本書を、大戦によって旧式の探偵小説から弁別された「現代派(モダーン)」の嚆矢と見なす者は多い。H・ダグラス・トムスンは1931年刊の『探偵作家論』(春秋社)において本書の、現実味を帯びたキャラクターを探偵とする人物配置と犯罪の推移を読者に開陳するためのプロットとが理想的な形で結合している点を評価した。トムスンは作者の立場になって作品を俯瞰する。第一に考えるべきは犯行計画(コード)がいかに企図されたかであり、次にそれがどのような状況(ノイズ)によって変化させられたかを段階を追って想像する。その中に探偵のキャラクターという要素が入り込んでくるのだ。
ここで簡単に『トレント最後の事件』の内容を把握しておこう。全十六章から成る小説で、第一章の冒頭でいきなり、アメリカ合衆国財界の成功者であるシグズビー・マンダースンが頭部を撃たれて殺害されたことが明かされる。この、大立者の死とそれに続く波乱という出だしは衝撃が強かったものか、模倣者も続出した。興味がある方は本書とアラン・グリーン『くたばれ健康法!』(1949年。創元推理文庫)の一ページめを読み比べていただきたい。後者が明らかなパロディであることが判るはずだ。この二作は探偵の取る行動などもよく似ていて、グリーンの先人に対する尊崇の念が窺える。
第二章で《レコード》新聞社によって画家兼しろうと探偵のトレントが派遣されることが決定、第三章では現地入りした彼が被害者の妻メイベルの叔父であるカプルズ氏と接触する。最初の事件関係者との対話だ。第四章はトレントによる現場検証、ここで事件解決における手がかりはほぼ提出されるため読者は注意して読むべきである。第五章から七章までで主要証人との面談はすべて完了、この時点でトレントには仮説があることが第九章で明かされる。しかし彼は第十一章で《レコード》向けの不完全な報告をした後、事件から手を引いてしまうのである。真相を暴露することに感情が耐えられなかったからだ。
発表当時の読者はさぞ驚いたことだろう。探偵が持ち場を放棄し、小説内に空白を作り出してしまうのだから。これが『トレント最後の事件』という題名の由来であり、以降最終章まで「なぜ彼は探偵であることを辞めたのか」という副次的な謎が事件の真相解明過程に従属する形で物語は進んでいくことになる。詳述は避けるが、真相を知ってから第四章までを読み返すと、新鮮な驚きがあるということだけは明記しておきたい。いわゆるダブル・ミーニングの技法が効果的に用いられていることが判るはずだ。また、第十二章以降でトレントが自己の感情を解放して探偵役から一人の人間に戻る場面で凝らされた技巧については拙著『路地裏の迷宮踏査』(2014年。東京創元社)所収の「フィリップ・トレントの密かな愉しみ」を参照いただきたい。
ジュリアン・シモンズの『ブラッディ・マーダー』(1972年。新潮社)における評は非常に的確だ。シモンズによれば、本書は二つの部分から成り立っているが、それが密接には結びついていないのが欠点なのである。つまり作品全体を探偵小説のパロディとして書くという遊び心と、人間性を剥き出しにした探偵の心情を真摯に描いてみたい作家としての衝動である。第十二章以降に突如出現する空白はそれゆえに生じたものだ。雰囲気変化の効果もあって必ずしも瑕と呼ぶほどのことはないが、長篇小説の構成という観点からいえば、その箇所はいささか脆弱である。前述したように本書におけるトレントの探偵活動は、第四章の現場検証と第五~七章の証人との面談をもってほぼ完了する。つまり、中短篇程度の情報量でしか構成されていないということだ。ここが短篇主体であった前時代の名残というべきであり、長篇の傑作が次々に発表されるようになった1920年代以降の作品とは一線を画している。こうした前時代性と1913年という発表年にはそぐわない斬新さを共に備えているのが、新旧の時代をまたいだ過渡期ゆえの作品性なのである。
ベントリーは新聞社の仕事が多忙であったためにミステリ執筆を一度きりの仕事と考えていたようだが、要望を受けて〈ストランド・マガジン〉などに散発的に短篇を発表した。それをまとめたものが短篇集『トレント乗り出す』(1938年。国書刊行会)である。これらの短篇は『最後の事件』以前のトレントの活躍を描いたものとして書かれたが、1936年には正式な続篇『トレント自身の事件』(春秋社)が発表された。これはThe Devil That Slumbersなどの単独著作があるハーバート・ワーナー・アレン(1881~1968)との共著で、しろうと探偵を廃業後に結婚して、すでに子供も生まれているトレントが、友人が殺人事件の容疑者として逮捕されたことから嫌疑を晴らすために再出馬するという内容である。顧みる必要のない凡作なのだが、一つだけ美点がある。真相が解明された後、実はトレントが犯人の計画の中で探偵ではない別の役を付与されていたことが判るのだ。『自身の事件』たるゆえんはそこで、『最後の事件』の着想をさらに推し進める意図がもしベントリーにあったのであれば、眼高手低が惜しまれる結果となった。この他ミステリ関連の著作には独立したスリラーElephant's Work(1950年)がある。
作品数でいえば決して余技の域を出ない作家ではあったが、残した足跡はあまりにも大きい。『トレント最後の事件』を読むことは、探偵小説がいかに薄明の時代を脱して現代性を獲得したかについて考えるのと同義なのである。偉大なるかなベントリー。
【Webミステリーズ!編集部付記】本稿は創元推理文庫『トレント最後の事件』解説の転載です。
(2017年2月9日)
【2009年3月以前の「本の話題」はこちらからご覧ください】
海外ミステリの専門出版社|東京創元社