海外ミステリ出張室

2011.06.06

霜月蒼/ジェイムズ・ボーセニュー『キリストのクローン/真実』解説[2011年6月]

聖書の知識がない者でも常識として知っているさまざまなエピソード。
それが、この「謎解き」によって、まったく違った相貌を見せる。
この衝撃とスリルは相当のものだ。
「ジーザス・クライスト・トリックスター」
(11年6月刊『キリストのクローン/真実』解説[全文])

霜月 蒼 aoi SHIMOTSUKI

 

 神をも畏れぬ――この言葉がこれほどふさわしい本はそうそうあるまい。
 むろん本書のことである。ジェイムズ・ボーセニューの《キリストのクローン》三部作の第二作、Birth of an Age(Warner Book, 2004)の全訳だ。本書に先立つ第一作は、『キリストのクローン/新生』としてすでに邦訳されている。
 前作では、クリストファー・グッドマン――トリノの聖骸布に付着していたキリストの遺伝子から生まれた“神の子のクローン”――が、救世主という己の宿命を知り、それを果たすべく社会の階梯をのぼってゆくプロセスが描かれていた。その一方で世界ではテロや戦争が頻発、さらには謎の突然死現象が発生、全世界で億単位の死者が出る。こうした混沌とした世界で、イエス・キリスト=クリストファーは、一個人が「救世主」の役割を演じることができる地位――国連をベースとする外交官――をめざす。
 前作のラストで、クリストファーは神の子の持ちうる力で、国連に巣食う邪悪な人物をしりぞけた。となると、つづく第二作では、外交官イエス・キリストが満を持して世界の救済に乗り出すことになるにちがいない――そう予想したのは私だけでないはずだ。トム・クランシーばりのリアリスティックなパワーゲーム・スリラーとして、黙示録的災厄と神の子との闘争を描いてゆくのだろうと。
 とんでもない。ボーセニューはそんなかわいらしい作家ではなかった。

 本書はまさに前作の閉幕直後に幕を開ける。だがクリストファーに活躍の場はなかなか与えられない。かといってストーリーが停滞しているのかというとそうではない。
 では何が起こるのか。
 黙示録。それである。それが地球上に顕現する。現在の世界の上に降りかかる。要するに本書はまず、フルスケールのパニック・スペクタクルとして走り出すのである。
 開巻早々に登場するのはヨハネとコーヘンという謎の二人組だ。KDPというカルト集団を率いる彼らは、いくつもの不吉な預言をする。それは新訳聖書中の「ヨハネの黙示録」に記された数々の災厄と一致していた。
 ちょうどその頃、天体を研究観測する大学院生が、三つの小惑星を発見した。うち二つは地球をかすめ、最後の一つは地球に衝突する軌道をとっていることが判明、世界各国は、これらの小惑星を破壊すべくミサイル攻撃を計画する……
 現在の世界で「救世主」が「救世主」を演じるにはどうすればいいのか、という問題を、著者ボーセニューは前作でリアリスティックに描いた。本作では、「どうすれば黙示録に描かれる災厄が現実に起こりうるのか」に挑んでいる。
 「黙示録的」と呼ばれる小説や映画はこれまでいくつもあった。J・G・バラードの一連の名作――『沈んだ世界』『狂風世界』『結晶世界』など――がそうだ。あるいはスティーヴン・キングの大作『ザ・スタンド』 、ロバート・R・マキャモンの『スワン・ソング』 、小松左京の『復活の日』 ……破滅SFとか終末ホラーと呼ばれる作品は、挙げていけば枚挙にいとまがない。小さな天体の地球への衝突という点だけとっても、映画《アルマゲドン》《メテオ》などなど、これまた先行作品は多数だ。しかし、これらはあくまで「黙示録的」でしかない。黙示録に描かれるできごとが実際に起こる小説など、本書以外に思いつかない。
 そして、この部分が圧巻なのだ。先に挙げた《アルマゲドン》や、あるいは《デイ・アフター・トゥモロー》といった映画を思わせる破壊のスペクタクルが、世界を経めぐりながら、短い章で次々に描かれる。同時に、どう見ても科学的にありえないように見える黙示録中の災厄――例えば「ニガヨモギ」という星の落下によって川の三分の一が苦くなり人が死ぬ、といったような――が、合理的に説明されてゆくのだ。
 前作でも数十年にわたるタイムスパンを大胆なカットバックで一気に描き切ったボーセニューのスピード感は健在。無慈悲でさえある語り口に乗って、世界は破壊されてゆく。ことに「第六のラッパ」とともに現出する人間たちの殺し合いのシークエンスでは、狂気の噴出がおそろしく乾いた筆致で描写されており、私はジェームズ・ハーバートの名作凶悪ホラー『霧』や、映画《呪怨 パンデミック》での不吉きわまりないシカゴ・パートを想起して背筋が冷たくなった。地球を覆う容赦なき大量死。
 こうして世界が破滅の縁に立ったとき、ようやくクリストファーの出番がやってくる。彼は空席となっていた国連事務総長の地位にのぼりつめ、未曾有の危機に立ち向かおうとするが……

 さて私は冒頭で「神をも畏れぬ」と記した。だが黙示録のできごとが実際に起こる、というだけでは「神をも畏れぬ」という言葉には当たらない。黙示録の災厄は神への畏怖を呼び起こすものであるからだ。
 本書は主にふたつのパートから成っている。黙示録の災厄と、クリストファーが側近たるデッカー・ホーソーンとロバート・ミルナーを相手に行なう演説である。人間が無造作に殺戮されてゆく前者も当然衝撃的なのだが、「神をも畏れぬ」というのは後者。
 これの詳細については触れない。圧倒的な破滅のスペクタクルののちに四十ページにわたって展開されるクリストファーの言葉に打たれていただきたい。
 小説作法としてみると、本作は非常にバランスの悪い小説と言っていい。全世界での災厄のありさまを巨視的に叙述するパートが半分以上を占め、終盤以降はクリストファーの長い演説で埋め尽くされてしまうからだ。いびつといえばひどくいびつである。
 だが、このクリストファーの言葉こそが本書のメイン・テーマに他ならない。
 前作『キリストのクローン/新生』でも、裏切り者とされるイスカリオテのユダをめぐる物語を筆頭に、聖書とイエス・キリストに関するさまざまな伝説が転倒された。それがもっと大規模にドラスティックに本書では行なわれる。ここで得られるスリルは、謎解きミステリのそれに非常に近い。クリストファーの長い語りは、名探偵が展開してみせる「謎解き」のようなものなのだ。
 聖書の知識がない者でも常識として知っているさまざまなエピソード。それが、この「謎解き」によって、まったく違った相貌を見せる。この衝撃とスリルは相当のものだ。ことに日本の読者の多くは、これを素直に知的関心とともに読むことができるだろうと思う。
 しかしアメリカの読者にとってはどうか。これはむちゃくちゃリスキーだったに違いない。本書にも前作『キリストのクローン/新生』にも、著者による但し書きが本編開始前におかれている。それをもう一度、見返していただきたい。「こんなことをやろうとしていたから、こんな注意書きが要ったのか!」と納得されるだろう。それくらい、とんでもない話なのです。
 だが、これまで描かれていたことのすべては、この演説のためにあったと言っていい。前作での理不尽なテロと愚かしい戦乱。本作での大量死の無残。これらは、このクリストファーの演説のためにあった。この演説があるからこそ、戦争とテロは歴史上ずっとそうだったように理不尽で愚かしくなければならなかった。だからこそ、黙示録ではほんのわずかな文字数でさらりと描かれるのみの非情な災厄が現実にはどれほど凄惨であるのかを、詳細に描かなければならなかった。すべてはこの演説の瞬間のためにあったのだ。
 確かに、この長広舌は構成上、バランスを狂わせているように見える。しかしここには異常な熱気がこもっている。読む者に構成など些事なことと思わせてしまう魔力がある。それは、ここにボーセニューのテーマの核心があるからに他ならない。そして、ボーセニューが描いてきた戦乱と災厄と絶望を経験しているからこそ、私たちは息をつめてクリストファーの言葉に耳を傾けるのである。その恐るべき言葉に。
 神をも畏れぬ作品。本作はそういう小説なのだ。

 《キリストのクローン》三部作のなかでもっとも短い本作は、内容こそ強烈だが、第一作『キリストのクローン/新生』と第三作をブリッジする間奏曲のようなものとみるべきかもしれない。
 第一作同様の尺を持つ第三作にして完結編Acts of God(創元推理文庫近刊)では、ついに「救世主」としての本格的な一歩を踏み出したクリストファーの姿が描かれる。これまで封印していた「神の子」としての力とカリスマ性を武器に、彼は「敵」に立ち向かう。物語はさらにスケールを拡げ、苛烈な戦乱の果てに、これまでの物語のあちこちに残されていた謎が解かれることになる。
 二千年の時を経て再生を果たしたイエス・キリストが、破壊と絶望に覆われた黙示録の世界に希望をもたらすべく動き出す……

 が、しかし。

 本稿を閉じるにあたって、その六文字を最後に記しておこう。
 なぜって? あなたの予想は必ずや裏切られることになるからである。

(2011年6月)

霜月蒼(しもつき・あおい)
慶應義塾大学推理小説同好会OB。ミステリ研究家。


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