海外ミステリ出張室

2010.10.05

霜月蒼/ジェイムズ・ボーセニュー『キリストのクローン/新生』解説[2010年10月]

救世主としての宿命を背負った、
しかしさしたる後ろ盾を持たない若者。
そんな人物に、現在の世界において何ができるのか。
「ジーザス・クライスト・スーパーヒーロー」
(10年10月刊『キリストのクローン/新生』解説[全文])

霜月 蒼 aoi SHIMOTSUKI

 

 驀進するジェットコースター。本書はそんな小説である。じつのところ真摯な問題意識が根底には仕掛けられてはいる。けれどもとりあえずは座席に座り、ジェイムズ・ボーセニューの操縦による上下二巻・六〇〇ページ超におよぶハイスピード・ライドを無心に楽しむのが吉だ。
 このアトラクションをかたちづくるのは、マイクル・クライトンを思わせる科学奇想と、トム・クランシーばりの世界規模のクライシスとパワーゲーム、そしてダン・ブラウンに通じるキリスト教トリビア。そこに思いつくかぎりのアイデアがぶちこまれている。
 まさに波乱万丈、嵐のようなスペクタクル小説なのだ。そしてそのなかで、さまざまな聖書にまつわる謎が大胆不敵なSF的仮説によって解明されてゆく。例えば――
・聖骸布の年代が然るべき年代から千数百年もずれているのはなぜか。
・映画《レイダース 失われた聖櫃》にも登場した約櫃とはどんなものであり、失われたとされるそれは、どこにあるのか。
・キリストを売って処刑台に送り込んだ「裏切者」とされる十二使徒のひとりユダは、ほんとうに裏切者だったのか。
 などなど――。これはそういう一大エンタテインメント大作なのだ。スピード感とド派手なイベントの連続にめまいさえ起こしそうになる二時間を保証しよう。
 シートベルトをきっちり締めるのをお忘れなく。

 本書はジェイムズ・ボーセニューのChrist Clone Trilogy 第一作、In His Image(1997, Selective House→2003, Warner Books)の全訳である。残る二作、Birth of an Age (1997→2003, Warner Books)、Acts of God(1998→2004, Warner Books)も、創元推理文庫から近刊の予定である。
 物語は一九七〇年代末、アメリカの科学者チームが、処刑されたイエス・キリストの遺骸を包んだとされる《トリノの聖骸布》の科学的調査に向かうところからはじまる。
 本三部作の主人公デッカー・ホーソーンはアメリカのローカル紙の記者だったが、かつての恩師ハロルド・グッドマン教授のアシスタントとして、この調査チームにもぐりこむことに成功、彼は唯一のジャーナリストとして聖骸布の調査を見守る……。
 その結果は数年かけて報告書にまとめられた。聖骸布には磔刑のものらしき傷を負った男の姿が写しとられている。これがどうやって為されたのかは不明だったものの、そこに写る傷痕付近のしみは、人間の血液であると結論していた。
 しかし、こののちの一九八八年に行われた鑑定で、聖骸布は一二六〇年から一三九〇年のあいだにつくられたものだと結論された。これではキリストの処刑の時期とあまりにも離れすぎている……
 著者は、ここまでは史実に沿って物語を紡いでいる。たしかにトリノの聖骸布は科学的調査がなされ、炭素14の測定の結果、まさにそのとおりの結果を得ていた。だが――
 ハロルド・グッドマンは聖骸布から、いまもなお活動しつづける細胞を得ていたのだ。彼はデッカーに、キリストは異星人ではなかったかという仮説を披露した。だからその細胞は死滅せずにいる。グッドマンは、この細胞の研究に没頭した。
 その研究が発表段階にいたったとの報を受けたデッカーがグッドマンの家で会ったのはクリストファーという男の子だった。グッドマンは甥をひきとったのだと説明するが、デッカーは気づいた――クリストファー(Christopher)はキリスト(Christ)の細胞をクローニングして生まれた子ども、つまりイエス・キリストなのだと……。
 ここまででわずか一〇〇ページ弱。作中時間で二〇年が経過。ここで物語は一挙に走り出す――が、この先の「あらすじ」を記すのは自粛すべきだろう。
 とにかく派手なイベントのつるべ打ちに圧倒される。デッカーは早々にイスラエルでの未曾有のテロ攻撃を目の当たりにし、次いで個人的に非常な生命の危機にさらされる。そこをどうにか脱したと思いきや、今度は巨大な災厄が世界を襲うのである。
 うちつづく戦火。原因不明の災厄。テロリズム。大国のパワーゲーム。それボーセニューはトム・クランシーばりの筆致とマクロな視点で描き出してゆく。一触即発のカオスと化した世界で、キリストのクローンたるクリストファーが徐々に頭角を現わしてゆくさまが、本書の軸になってゆく。
 救世主としての宿命を背負った、しかしさしたる後ろ盾を持たない若者。そんな人物に、現在の世界において何ができるのか。危機の渦中にある世界で、現実に「救世主」としてふるまうにはどうすればいいのか――。つまり本書は、「イエス・キリスト」が、一介の聡明な若者から、世界を救いうるヒーローになるまでを語る小説なのだ。
 じつのところ、「キリストのクローン」という着想自体には先例がある。トマス・F・モンテルオーニのブラム・ストーカー賞受賞の傑作『聖なる血』(扶桑社ミステリー)がそれで、ここでもトリノの聖骸布から採取したキリストの血をもとにキリストがクローニングされる。「イエスの遺伝情報」ということであれば、SF系エンタテインメント作家マイケル・コーディの『イエスの遺伝子』(徳間書店)が、題名どおり、イエス・キリストの遺伝子によって死の病に立ち向かおうとする男を描く物語だった。
 神性をもつ者でありつつ一個の人間として存在した、というのがイエス・キリストの大きな特徴だ。トリノの聖骸布や、処刑の際にキリストの身体を刺し貫いたロンギヌスの槍といったモノも(伝説的なものであれ)存在する。つまり「キリストの血」の入手ルートが存在しうるわけで、そこから「キリストの遺伝情報の入手」まではほんの半歩だ。
 だから問題は、「キリストのクローン」でどんな物語を紡ぐのか、ということになってゆく。ジェイムズ・ボーセニューが描くのは、いわばトム・クランシーが語り直した「ヨハネによる黙示録」である。いまの世界のリアリズムのなかで、「黙示録」で予言されていた出来事が発生したらどうなるのか。それが本書にはじまる三部作で描かれてゆく。つまり本三部作は直球勝負。キリスト教における「救世主」と「黙示録」を、国際謀略スリラーの枠組みで語りなおそうとする試みなのだ。いや、むしろこう言うべきか、「救世主」と「黙示録」を現在のリアリズムに準じて真正面から描いたなら、それはSF要素をはらんだ国際謀略スリラーにならざるを得ないと。そしてそんな物語を書くのに、ジェイムズ・ボーセニューという作家は完璧な人選だった。
 一九五三年に生まれたジェイムズ・ボーセニューは、アメリカ合衆国国家安全保障局の情報分析官として勤務した経験を持ち、戦略防衛関係の著作もある。本書でイスラエルを舞台としたロシア、中東、イスラエル・ゲリラの死闘がディテール豊かに描かれるのは、そんな経験ゆえのことだろう。一九八〇年には共和党の下院議員候補としてアル・ゴアと議席を争ったこともあり、こうした政界とのパイプが、国連内部のパワーゲームを描く後半のパートに活きている。
 デッカー同様、テネシー州ノックスヴィルのローカル紙に(発行人でもあるが)多数の記事を寄稿、はじめての小説作品が《キリストのクローン》三部作だった。ちりばめられたキリスト教にまつわるトリビアから、一見すると『ダ・ヴィンチ・コード』に影響を受けて書かれたもののように思われるが、発表はそれにはるかに先立つ一九九七年。小出版社Selective Houseでまず刊行されたのち、『ダ・ヴィンチ・コード』が刊行された二〇〇三年に大手のWarner Booksから再刊行された。
 そんな著者ボーセニューはキリスト教についてどういうスタンスでいるのか。ネットで検索すれば、そのあたりを著者自身が語るインタビュー記事などが容易に見つかる。しかし、強烈な驚愕が仕掛けられた第二作、第三作のショックを損なう可能性があるので、本稿では記さずにおきたい。それくらい、続く二作は大胆不敵な物語になっているのだ。
 本書『キリストのクローン/新生』は、キリストのクローンたるクリストファー・グッドマンがヒーローとして活躍できる地位を得るまでの物語だった。すでに十分世界は暴力的なカオスになっているが、これが第二作に入るとさらにエスカレートする。「黙示録」の世界が一挙に本格的に顕現するのだ。そこでクリストファーが明かす自身の「役割」。驚天動地とはこのことだろう。これを読めば、なぜボーセニューが本書のまえがきにあんなことを書いたのか理解できるだろう。おそろしく大胆というか挑発的なのです。
 そして、それを引き継ぐ第三作。暴虐と悲惨に覆われた暗黒の世界のただ中で告げられる真相たるや! 読者はここで、第一作にはじまる物語がまったく別のものに変じるのを目にすることになるはずだ。それは第三作の原題どおり、「神の御業 Act of God」の空恐ろしさを余すことなく描くものだと言っていいだろう。
 刊行を鶴首してお待ちいただきたい。

(2010年10月)

編集部追記:第二作は『キリストのクローン/真実』として創元推理文庫より2011年6月刊行された。

霜月蒼(しもつき・あおい)
慶應義塾大学推理小説同好会OB。ミステリ研究家。


海外SFの専門出版社|東京創元社
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