海外ミステリ出張室

2018.01.29

千街晶之/C・デイリー・キング『タラント氏の事件簿[完全版]』解説[全文]

消失! 密室! 呪い!?
不可能犯罪を解き明かす名探偵は日本人執事を従えた謎の紳士
クイーン絶賛の傑作短編集を増補、シリーズ全作品を収録した決定版



「巨匠」「大家」といった仰々しい言葉は似合わないけれども、根強い人気を保ち続けている作家――本書の著者C・デイリー・キング(1895-1963年)にはそのような印象が付随している。
 ニューヨークに生まれ、イェール大学を卒業した著者は、第一次世界大戦に従軍し、幾つかの職を経た後、心理学の研究に従事し、コロンビア大学では修士号を、イェール大学では博士号を取得した。そのあいまに本格ミステリを発表するようになったが、第二次世界大戦後はミステリの世界から離れ、再び心理学の研究に専心している。
 彼の作品で最も知られているのは、全六作の長篇のうち、『海のオベリスト』(1932年)、『鉄路のオベリスト』(1934年)、そして『空のオベリスト』(1935年)から成る〈オベリスト三部作〉だろう(オベリストObelistとは「疑問を抱く人」を意味するキングの造語)。この三作はそれぞれ船、列車、飛行機を舞台としているが、特筆すべきは「手がかり索引」という趣向の導入である。これは、解決に用いられた手がかりが出てきたページを巻末に示すという、フェアプレイ精神と遊戯性溢れる趣向であり、こういうところが著者の根強い人気を支えているのである。また、残る三長篇――『いい加減な遺骸』(1937年。原題Careless Corpse)、『厚かましいアリバイ』(1938年。原題Arrogant Alibi)、Bermuda Burial(1940年)は、タイトルがそれぞれABCで頭韻を踏んでいることから〈ABC三部作〉と呼ばれている。
 これらの長篇に負けず劣らず興味深い内容なのが、著者唯一の短篇集『タラント氏の事件簿』(1935年。原題The Curious Mr. Tarrant)であり、エラリー・クイーンが〈クイーンの定員〉に選んだことでよく知られている。この短篇集は八篇を収録しており、訳書は2000年に新樹社から刊行されていたが、今回創元推理文庫から刊行されるのは、新樹社版に加えて、タラントが登場する残りの四作品も収録した「完全版」である。新樹社版を既読の方も、是非買い求めていただきたい。
 このシリーズはジェリー(ジェレマイア)・フィランという青年を語り手として進行する。従って、探偵役のトレヴィス・タラントもジェリーの眼を通して描かれることになる。タラントはニューヨーク東三十丁目のアパートメントに住む裕福な紳士で、精神分析・民俗学・考古学・物理学など幅広い分野に通暁(つうぎょう)している。年齢は「首無しの恐怖」の時点で四十六歳。探偵が本業というわけではなく、普通の殺人事件には無関心で、突拍子もない謎を秘めた事件にのみ乗り出してくる。そんな彼と同居しているのが、執事と従僕を兼ねる日本人のカトー。本国では医者だが、アメリカではスパイ活動の隠れ蓑としてタラントに仕えているという設定で、そのような人物を信頼し身近に置いていることからも、タラントの豪胆で懐(ふところ)の広い性格が窺える。
 では、まず短篇集に当初から収録されていた八篇から目を通していこう。冒頭の「古写本の呪い」では、タラントとジェリー・フィランの出会いが描かれる。ジェリーはメトロポリタン博物館の一室で、呪いがかかっているというアステカの古写本を見張りながら一夜を過ごすことになった。呪いなど全く信じていなかったジェリーだが、停電で室内の電気が消え、再び点灯した時には古写本は消えていた……。怪奇趣味と不可能犯罪への興味という本シリーズの二大特色はこの第一作から顕著であり、タラントの意外な登場と、最後に語られる彼の謎へのスタンスも印象的だ。なお、この作品ではアステカ文明について言及されるが、『厚かましいアリバイ』や、後述の「危険なタリスマン」などではエジプト文明がモチーフになっている。心理学の論文でも古代エジプトに言及しているところを見ても、古代文明への著者の関心は一通りのものではなかったようだ。
 続く「現われる幽霊」では、妹メアリの存在など、ジェリーを取り巻く人間関係が明らかになってくる。彼はヴァレリーという女性に惹かれていたが、彼女は誰もいない家の中でしばしば奇怪な現象に見舞われる。ジェリーが古写本の事件で知り合ったタラントを思い出し、助けを求めた結果、世にも狡猾(こうかつ)な詭計が暴かれる。本作で登場したヴァレリーとメアリは、シリーズのその後の展開でも重要な役割を担う存在だが、どの時点で後述の「最後の取引」の衝撃的なアイディアが誕生したのかは興味深いところだ。もうひとつ本作で興味深いのは、精神科医が憎まれ役となっていることだ。言うまでもないが、作中の医師への不信感は語り手であるジェリーの主観によるものであり、著者の見解とイコールであるわけではない。これは著者自身が心理学者であったことを考えると、一種の韜晦(とうかい)と考えるべきだろうか。ジェリーの口からは否定的評価が下されているが、後述のムッシュウ・オールのモデル問題を考えると、ロシアの神秘思想家ピョートル・ウスペンスキーへの言及も何やら意味深長だ。
「釘と鎮魂曲」で起きる事件は、タラントが住むアパートメントのペントハウスが舞台である。室内では裸体の娘が刺殺され、彼女を描いた絵にも釘が突き立てられているという猟奇的な惨劇だ。犯人が誰かは途中で明かされるけれども、その人物が密室状態の現場から逃走する際の思い切った手段に驚かされる。カトーがただの使用人ではなく、タラントが推理をする際の良き相談相手であることがわかる内容であり、このシリーズの準レギュラーとなる、ニューヨーク市警のピーク副警視が初めて登場した作品でもある。
 タラントの自宅のあるアパートメントが舞台の「釘と鎮魂曲」に対し、「〈第四の拷問〉」「首無しの恐怖」は出張篇とでも言うべき内容だ。前者で描かれるのは、モーターボートで湖に出た一家が、何の理由もなく湖水に飛び込んで溺死し、しかも同じような出来事が繰り返されるという謎。1872年に実際に起こったメアリ・セレスト号事件にヒントを得て書かれたものと想像されるが、あの事件をどうひねればこうなるのかと茫然としてしまう。解決篇のインパクトの強烈さでは、本書の中でもトップに来る作品である(改めて読み返すと、伏線の張り方の大胆不敵さにも驚かされる)。一方、後者はニュージャージー州が舞台で、路上で首なし死体が次々と発見されるという異常な事件に興味を持ったタラントが現地に赴く。こちらはフーダニットより、首切りの手段の解明に主眼が置かれている。
「消えた竪琴」は、ジェリーの大学の先輩にあたる人物の家に伝わる竪琴をめぐる怪異現象の物語。十二世紀の予言詩によると、それが三度消えると家の血筋が絶えるという竪琴が、保管されていた密室から失われたのだ。古い品物の消失がテーマとなっている点は「古写本の呪い」の変奏めいているが、本作のほうが遙かに複雑なプロットであり、幕切れも鮮烈である。
「三つ眼が通る」では、レストランで刺殺事件が起き、被害者と同席していた二人のうち片方は、なんとタラントの執事カトーだった……という事件が描かれる。レギュラーの登場人物が事件の当事者になることが多いこのシリーズらしい設定だ。しかしその意味では、短篇集の最後に置かれた「最後の取引」のほうが、より事態は深刻である。タラントが恋しているジェリーの妹メアリが、原因不明の全身麻痺に陥り、脳外科の第一人者をもってしても治療できない状態となった。そこに現れるのは、「三つ眼が通る」にも顔を見せた謎の人物ムッシュウ・オールだ。人智を超えた神秘の領域に通じた彼だけが、メアリを治癒する方法を知っているらしい……。
 これまで、合理性を重視した推理によって呪いも幽霊も蹴散らしてきたタラントだが、思えばこのシリーズには、「〈第四の拷問〉」の突拍子もない真相、「首無しの恐怖」の犯行動機のように、どこかしら非合理の影が落ちていたのも事実である。呪いが全篇を支配する「消えた竪琴」の幕切れにしても、同じことが言えるのではないだろうか。そしてこの「最後の取引」では、ついにタラントは愛する人を救うために神秘の世界を認めざるを得なくなるのである。この結末は、同じく〈クイーンの定員〉に選ばれたT・S・ストリブリングの短篇集『カリブ諸島の手がかり』(1929年)にも似た衝撃を読者に与える。なお、ムッシュウ・オールのモデルは、神秘思想家のゲオルギー・グルジェフだとされており、著者もその信奉者だったという。
 こうして幕を下ろした『タラント氏の事件簿』だが、タラントの登場作品は他にもある。それが、本書に収録された残り四篇だ。本国では2003年に、エドワード・D・ホック編によるThe Complete Curious Mr. Tarrantが刊行され、全十二篇が初めて揃った。なお、追加された四篇の収録順は、そちらでは「危険なタリスマン」が最後に配置されているのに対し、今回の邦訳では発表順となっている。
 厳重な警備態勢が敷かれていた中で女優が自室から姿を消した謎を、ラジオの報道だけを頼りに解き明かす「消えたスター」と、殺人とも自殺とも解釈可能な変死事件について、タラントのもとにピーク副警視が相談を持ち込んでくる「邪悪な発明家」(本書で唯一、本邦初訳の作品)は、いずれもタラントが安楽椅子探偵ぶりを披露する作品。前者はタラントと執事の推理合戦により、事件の構図が二転三転してゆく過程が面白いし、後者は既に起きた事件にとどまらず、その後の展開をも予測したタラントの推理が冴えている。
 ところで「消えたスター」に、タラントの執事兼従僕として、それまでのカトーではなく、いきなりブリヒドー・キャベイというフィリピン人が出てきたことに当惑した読者は多いのではないか。このあたりの事情は「危険なタリスマン」に記されているのだが、そちらでは「最後の取引」の後にブリヒドーを雇ったことになっているのに、「消えたスター」は明らかに時系列では「三つ眼が通る」の前の出来事であるにもかかわらず、既にブリヒドーが登場しており、どう読んでも矛盾している。実は「消えたスター」が本国版《エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン》に掲載されたのは、第二次世界大戦真っ只中の1944年のことなのだ。そこからは、当時の反日感情に配慮しないわけにはいかなかったという事情が垣間見える。
「最後の取引」で一旦は退場したタラントの復活篇が「危険なタリスマン」である。開けると死ぬという古代エジプトの遺物が登場するこの作品は、展開といい、超科学と超論理によって構築されたタラントの主張といい、このシリーズの中でも相当な異色作だ。「最後の取引」を通過しなければ書かれなかったであろう作品なのは間違いない。
 高層ビルの最上階での殺人を扱った「フィッシュストーリー」は、著者の歿後に発見された短篇である。未発表だったのは完成度に自信がなかったせいだろうか。シリーズ中では幾分出来は落ちるが、他ならぬジェリーが容疑者になってしまうあたり、レギュラーの登場人物でも安全圏にはいられないこのシリーズらしい構想である。
 短篇集にもともと収録されていた八篇および「危険なタリスマン」では、短篇なのにいちいち登場人物表を作り、しかも毎回タラントの肩書を変えるなど、趣向に凝るあたりは〈オベリスト三部作〉の「手がかり索引」や、〈ABC三部作〉のタイトルの統一性を想起させる。遊戯性と不可能犯罪への愛着、そして神秘思想と、著者のさまざまな側面が詰め込まれた愛すべき一冊と言えるだろう。

【Webミステリーズ!編集部付記】本稿は創元推理文庫『タラント氏の事件簿[完全版]』解説の転載です。



千街晶之(せんがい・あきゆき)
ミステリ評論家。1970年北海道生まれ。立教大学卒。95年「終わらない伝言ゲーム――ゴシック・ミステリの系譜」で第2回創元推理評論賞を受賞。2004年『水面の星座 水底の宝石』で第4回本格ミステリ大賞、第57回日本推理作家協会賞をダブル受賞。主な著作に『幻視者のリアル』『原作と映像の交叉光線』などがある。

(2018年1月29日)




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