海外ミステリ出張室

2015.01.08

さとうななこ/ウー・ミン『アルタイ』訳者あとがき(全文)

さとうななこ nanako SATO



 一九九九年、四名のイタリア人が、実名を伏せ、《ルーサー・ブリセット》という英語名をペンネームに『Q』という小説を発表した。その匿名性と、世界初のアンチ・コピーライト小説という新発想と、複雑ながら息を呑ませるその内容ゆえに、『Q』はイタリア本国で大ベストセラーとなり、世界各国語に翻訳された。本作品『アルタイ』は、その後、著者名を《ウー・ミン》と改名した彼らが二〇〇九年に発表したものだ。デビュー作の『Q』からちょうど十年、登場人物が若干重なっているという前評判から、イタリアの読者たちは『Q』の続編を期待した。ワクワクしながら待った。巨大な権力と闘い続け、負け続けたあの主人公が、平穏な暮らしを捨てて再び立ちあがり、権力に牙をむく姿を思い描いて待った。けれども、著者たちはその期待を見事にあっさり裏切った。「『アルタイ』は『Q2』ではない。うっすらと関連してはいるが、全く別の作品、全く違う物語だ」。著者自らそう断言している通り、二冊は、誕生の経緯も、物語の舞台もテーマも文体も異なる。つまり、前作を読まずに『アルタイ』を読んでも、全く問題ないつくりになっている。
 まず、先述のように、二冊は作者名からして違う。『Q』を読まれた方には重複してしまうが、その改名の経緯を少し説明させていただこう。一九九四年から九九年、ヨーロッパを中心に百名以上のアーティストが自由に参加して、全員が自らの作品を《ルーサー・ブリセット》の名前で発表するという珍妙なプロジェクトが実施された。作者名によって作品の価値が決まる風潮への反発を、己の作品で体現してやろうというのが当プロジェクトの狙いで、その締めくくりとして発表されたのが『Q』だった。そして当初の予定通り、一九九九年十二月三十一日、前世紀が終わると同時に、彼らの言葉を借りると「全ルーサー・ブリセットが『SEPPUKU』をして」プロジェクトは幕を閉じた。さて、一夜明けて二〇〇〇年一月一日。『Q』の著者たちは、《ウー・ミン》というさらに珍妙なペンネームを引っさげて、執筆活動を再開(?)する。ウー・ミンは中国語で、アクセントの違いによって二つの意味がある。ひとつは“無名”、つまり名無しということだ。前プロジェクトから引き続き、作品の良し悪しは作者名で決まるのではないという主張を、あくまで貫きたいという彼らの意志がうかがえる。また中国では、民主主義や言論の自由を唱える人々が何か署名をする際にこのウー・ミンを使うという慣習があり、そんな人々の心意気に対するオマージュでもあるという。もうひとつの意味は“五つの名”、すなわち五人ということだ。その名の通り、彼らは後に新メンバーをひとり加えて、五名で執筆を進めることになる。『Q』から本作品『アルタイ』までの間に、彼らは共著で三冊の長編小説を発表。いずれも本国で高い評価を受け、ウー・ミンは、絶対にテレビ出演をしないというポリシーにもかかわらず、イタリアで知らない人はいない著名作家になった。
 そんな彼らが、二〇〇八年、大きな転機を迎える。当初からいたメンバーがグループを抜けたのだ。ウー・ミンの共著というのはミュージック・バンドに近い。本人たち曰く、「感覚的にわかりあうだけではダメ、具体的にひとりひとりが真剣に関わりあわないとできない。そしてどんな小さなことでも妥協しないというのがグループの約束ごとだ。誰が書いた原稿でも、全員が納得しなかったら即ボツにする。創作に関する言い争いや喧嘩なんて日常茶飯事だよ」そんな作業をずっと共にしてきたひとりが抜けた。「メンバーの離脱は、それぞれの創造性を優先させるためと考えれば決してマイナスじゃない。でも心に開いた穴は大きかった」残されたメンバーたちは、初めて自分たちの方向性を見失い、いつもの円卓に座った。円卓は、『Q』の初めての印税が出た時に、皆でイケアへ行って買ったものだという。以来、彼らの作品は常にそこから生まれてきた。その円卓を囲んで長い話しあいを続け、最終的に彼らは腹をくくった。「原点に帰ろう」。そうやってこの『アルタイ』が生まれた。つまり、著者たちにとってこの一冊は、初心に返って、十年間積み重ねたものを一旦リセットするという意味があった。常に厳しい姿勢で執筆にとりくみ、快進撃を続けてきた彼らが、初めて立ち止まり、苦しみの中から、さらに先へ進むために生み出した作品。だから、デビュー作と同じであるはずがない。二冊は違っていて当然なのだ。
 ただし、常に変わらないことがひとつだけある。物語が史実をベースにしているということだ。彼らはいつも、綿密なリサーチを行った上で、歴史的に実際にあった出来事や実在した人物の中に、架空のエピソードや人々を織り込んでいく。この一点だけは、『Q』や『アルタイ』以外の三冊にもすべて共通している。

 さて、では今回、彼らはどんな壮大な嘘っぱちを練りあげたのか。時は十六世紀後半、舞台はヴェネツィア共和国とオスマン帝国だ。当時のヴェネツィアは、海運と海軍を強みとする独立国だったが、その繁栄に翳りが見えはじめ、神聖ローマ帝国、教皇領、オスマン帝国という大国に挟まれて喘いでいた。一方、オスマン帝国は、壮麗帝と呼ばれたスレイマン一世が国力を強化して最盛期を迎え、中東から北アフリカまで領土を広げていた。どちらも海を利用して大きくなった国であり、二国間には、地中海やエーゲ海の制海権や島々の領有権を巡って争いが絶えず、また、前者はキリスト教、後者はイスラム教という信仰の違いもあった。簡単に言えば、二国は常にライバル同士、とても仲が悪かった。
 そんな時代のとある夜、ヴェネツィア共和国の国力の中枢である国営造船所が何者かによって爆破される。犯人は誰か。目的は何か。敵対するトルコ人の仕業ではないのか。捜査に乗り出したのが、この物語の主人公エマヌエーレ・デ・サンテだ。彼は、共和国諜報部に勤めるいわゆるエリートで、共和国の安全を脅かす不穏分子を焙りだし、時にはでっちあげ、追いつめ、処分するのが仕事だ。ところが、彼には誰にも言えない出生の秘密があった。その秘密のせいで、不穏分子の狩人は、一転して追われる獲物となる。命を狙われ、逃げて、捕われて、行き着いた先はなんと、彼がそれまで何年も闘ってきた敵国のど真ん中。コンスタンティノープルだった。皮肉なことに、彼の命の安全が保証される場所はそこしかなかったのだ。その地で彼は、望まずして、ずっと背を向けてきた自分の出自と向き合うことになる。そして、同じようにヴェネツィアから逃げてきたひとりのユダヤ人富豪と出会い、キプロス島を巡るヴェネツィア対オスマンの激戦に巻き込まれていく。実は、このユダヤ人富豪というのが、『Q』にも登場したジョアン・ミケシュだ。
『Q』の最後でヴェネツィアを追われたジョアン・ミケシュは、それから約十五年後、その財力と知力と人脈をもってオスマン宮廷内でも特権的地位を得ていた。オスマンではユダヤ名のヨセフ・ナジを名のり、一方、ヴェネツィアではジュゼッペ・ナジというキリスト教徒名で通っていて、共和国の最大の敵として忌み嫌われている。このナジ一家、同一人物にたくさんの呼び名があってややこしいのだが、それは、当時のユダヤ人をとりまく状況と関係している。当時、キリスト教国領内では、異端審問所による異教徒の弾圧が激しかった。筆頭がユダヤ人だ。彼らは、職業や居住地を自由に選べず、キリスト教への改宗を強いられ、やがて追放されて新たな土地へ流れていくという運命にあった。土地が変わるたびに名前も変わり、つまり、ナジの呼び名の数は、彼の、というよりユダヤ人という民族の放浪の歴史を表わしている。
 史実をベースにした冒険譚、それが本作品の表向きの顔だ。けれども同時にこれは、複雑な出自を持つ主人公と、祖国を持たない民族を束ねるヨセフという二人の男を軸に、登場人物たちが、それぞれの立場から、自分とは何か、自分がすべきことは何かを問い直すという、内面的な闘いを扱った小説でもある。また、色っぽいエピソードをほとんど書かないウー・ミンだが、今回は珍しく、女たちも重要な役割を担っている。
 より人間くさい登場人物、ごく個人的な葛藤、男女の機微、そしてよりスピーディでわかりやすい展開。やはり『アルタイ』は前作とは違う、全く別な小説だ。ただ最後にひとつ、『アルタイ』にはあと数名、『Q』で活躍した主要人物が登場する。本作品を読んで興味を持たれた方はぜひ『Q』も手にとってみていただきたい。
 また、『Q』を読まれた方も、新たな物語を読むつもりで頁を繰っていただけたらと思う。『アルタイ』出版後のインタビューで、ウー・ミンはこう語っている。「この作品を書き上げるのは本当に大変だった。全編の三分の一まで書いたところで、主人公の職業がどうしてもしっくりこなくて、すべてをゼロから書き直したりもした。実は、僕たちには秘密のメンバーがもうひとりいてね。ゴミ箱だよ。誰よりも冷静で、決して声を荒らげたりしないけど、彼の決定は絶対、決して覆らない最終決定なんだ」十年ぶんの成長、転機を迎えての葛藤、さらに先へ進むためのリセット、新たな気持ちでの真剣勝負。ふと気づけば、そんな著者たちの実体験のすべてが、作品にそのまま色濃く映し出されている。お読みいただけば、この小説が、はるか遠い昔の、日本とは縁遠い世界の、単なる歴史物語ではないことが、きっとおわかりいただけるだろう。



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