海外ミステリ出張室

2018.05.23

ウィアー『アルテミス』、スワンソン『そしてミランダを殺す』…「ミステリーズ!88号」(2018年4月号)書評 酒井貞道[翻訳ミステリ]その2

 というわけで、(前記事掲載、アンジェラ・マーソンズ『サイレント・スクリーム』の主役)キムはその深刻なトラウマを常に意識して生き急いでいるようなところがある。一方、スピード感はキムと似たようなものながら、アンディ・ウィアー『アルテミス』(小野田和子訳 ハヤカワ文庫SF 上下各640円+税)の主役、ジャズ・バシャラは、明るく元気でたくましい。舞台は、月面に建設された、5つのドームから成る都市アルテミス。違法な物品も含め運搬業を営むジャズは、月面都市の大富豪から、ある施設の破壊工作を依頼される。大金に目がくらんだ彼女は仕事を請けてしまうが、それは巨大な陰謀に巻き込まれることを意味していた。

 重力が地球の6分の1であること、ドームの外で人は生きられないこと、月での産業の現実的な態様など、近未来SFとしての確かな科学的・社会的考証が、しっかりサスペンス&アクションに活かされている。それら硬質な舞台装置の上で、ジャズという主人公が、快活に、ヴィヴィッドに生き抜く。違法な仕事にも手を染めて嘘もつき、深刻な事態に陥っても軽口を叩き、知恵と度胸で難局を乗り越えていくたくましさは、冒険ものにありがちとはいえ、読んでいてとても気持ちいい。今回紹介する作品の中では、最もエンターテインメントしてくれている小説かもしれない。

 最後に挙げるのは、ピーター・スワンソン『そしてミランダを殺す』(務台夏子訳 創元推理文庫 1100円+税)である。実業家のテッドは空港のバーで会った女リリーに、妻ミランダが浮気していることを愚痴(ぐち)る。リリーはテッドに、妻殺しを推奨し、協力を申し出た。テッドは計画を練る――と、最初は平凡と思わせて、この後の展開が強烈。たぶん予想は困難だろう。また、その急転に至る前にも、普通の物語(ミステリ)で終わらない予感はビシバシ感じ取れる。なぜならリリーがおかしいからだ。本書の第一部は、テッドが語り手のパートと、リリーが語り手のパートが交互して進む。テッドは、妻との出会いから浮気に至るまでを《倒叙ミステリの犯人》然と回想する。

 一方、リリーの方は、なぜか少女時代から自分の人生を冷静に説き起こす。空港で偶然会った男の妻の浮気と、その殺人計画が本筋なのに、何を悠長に無関係なことを回想しているんだこの人は、と思ってしまったところ、リリーが少女時代に殺人を犯したことが語られて以降、私の目はこのヒロイン(?)の特異な内面に釘付けになった。彼女は冷静沈着なサイコパスであり、実際に手を下した人数こそ少ないものの、性格の特異性ははっきりしている。そしてこの物語の最も面白いところは、中盤で起きる事態の急転に、リリーというキャラクターが、いかに対応するかにあるのだ。いかなる状況においても冷静に事を運ばんとするリリー、対してもう一方の視点人物は――という按配(あんばい)である。倒叙ミステリの新たな傑作の登場だ。

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■酒井貞道(さかい・さだみち)
書評家。1979年兵庫県生まれ。早稲田大学卒。「ミステリマガジン」「本の雑誌」などで書評を担当。

(2018年5月23日)



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