彗星(すいせい)の如(ごと)く現れた新人が、各賞を総なめにする現象は何年かに一度起きる。ビル・ビバリー『東の果て、夜へ』(熊谷千寿訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 920円+税)はその最新事例だ。英国推理作家協会賞の最優秀新人賞はおろか最優秀長篇賞も受賞し、LAタイムズ文学賞と全英図書賞も獲得、実に4冠である。理由はハッキリしている。10代の青少年によるロード・ノベルという、いかにも万人受けしそうな物語を端正に綴(つづ)る一方、冷徹過酷な犯罪小説としての側面も強く打ち出し、唯一無二の読み口を提供しているからだ。

 15歳の少年イーストは、犯罪組織のボスであるおじから任された、麻薬斡旋(あっせん)所の見張り任務に失敗してしまう。それ自体は許されたものの、彼は弟(殺し屋!)と他2名の若者と一緒に、2000マイル彼方(かなた)のウィスコンシンにいる判事を殺してくるよう命じられる。車と金を与えられたイーストらは、陸路で判事暗殺に向かう。

 物語の冒頭で、勝気な幼女が主人公の眼前で射殺されるなど、酷薄な要素は最初から全開である。その後も、不良少年が善良な人々と温かく交流して改悛(かいしゅん)する、なんて手垢(てあか)にまみれた展開は辿(たど)らない。主人公たちは徹頭徹尾、犯罪者然として振る舞う。反面、筆致はどこまでも瑞々(みずみず)しく、そして終わってみれば、青春小説・成長小説としか言いようのない読後感を残すのだ。

 本書がデビュー作となる作者のビル・ビバリーは1965年生まれともう結構な歳で、大学で教鞭(きょうべん)をとる、博士号持ちの文学研究者だ。作家としては遅いデビューと言えるが、本書は紛(まぎ)れもなく若者の物語となっていて、おじさんが無理をして若者ぶっている感じがまるでしない。一方で、人物、場面、台詞(せりふ)の全てがよく吟味されており、若書きでは困難な、年の功からくる洗練を味わえる。老若双方にアピールする点も見逃せない。中高年作家が年齢相応の思考感性と人生経験を注ぎつつも、若い頃のセンスを忘れず、リアルな感触をもって若者の《今》を創作物の中で再現する。これをやれる作家は強い。

 強いと言えば、現代の海外本格ミステリの最有力シリーズ、カーソン・ライダー・シリーズの第9作ジャック・カーリイ『キリング・ゲーム』(三角和代訳 文春文庫 930円+税)も相変わらずの面白さであった。通常このシリーズは主人公の刑事ライダーの一人称で語られるのだが、本作はグレゴリーという名の怪しげな男の一人称で幕を開ける。そしてそれが、通常のカーソンによるパートと交互して進むのだ。

 話が進むにつれてグレゴリーはサイコパスらしく見えるし、カーソンは複数の殺人事件を同一犯によるものと考えて改めて捜査し始める。作者が、グレゴリーをこの連続殺人犯と思わせる(実際に犯人かどうかは、もちろん終盤までわからない)ように書いていることは間違いない。そしてグレゴリーがカーソン個人を付け狙うような展開も見られ、サスペンスは否応なく高まっていく。

 このシリーズの特色は、作品ごとに仕掛けが違う点にある。今回、カーリイは、犯人(?)側と捜査側の視点が概(おおむ)ね交互する構成をうまく活かし、アンフェアすれすれながら、伏線等も着実に配して、根拠の確かな意外性を演出する。超絶技巧と呼んで差支えあるまい。仕掛けのあるミステリが好きな人にはぜひ読んでいただきたい。

 あ、あと毎度のことながら、シリーズ・ファンへのサービスも満点です。毎回恋人役を取っ替えるカーソンが今回は優柔不断なところを遺憾なく発揮し、刑事仲間ハリーは軽妙な会話を展開、さらには後半でカーソンの例の兄が登場して相変わらずのところを見せる。こういった配慮はとても嬉しいところです。なお本シリーズは、第六作と第七作が未訳のまま残されており、本国では続く第十作から第十三作も刊行済み。何とか全てが日本語で読めるようになってほしいところである。

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■酒井貞道(さかい・さだみち)
書評家。1979年兵庫県生まれ。早稲田大学卒。「ミステリマガジン」「本の雑誌」などで書評を担当。

(2018年3月2日)



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