人生の黄昏時(たそがれどき)、実績ある作家は何を書くのか。そのもう一つの魅力的な回答が、ジーン・ウルフ『書架の探偵』(酒井昭伸訳 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 2200円+税)である。2年前の本国での発表当時、作者は実に84歳。功成り名を遂げたSF作家がものしたのは、書物に対する愛に満ちた、SFハードボイルドだった。

 図書館の書架に住むE・A・スミスは、過去の同名の作家のクローンであり、図書館所蔵の、蔵書ならぬ蔵者であった。蔵者は、作家の脳をスキャンした記憶を引き継ぎ、本人と話しているような気分を図書館利用者に味わわせるために作られた。そして利用頻度が低い蔵者は、焼却されてしまう。

 スミスの利用実績は芳(かんば)しくなかったが、ある日来館した令嬢コレットが、スミスを借り出した。だがその目的は読書のためではなかった。最近不審死した彼女の兄が、事件前にスミスの著書『火星の殺人』をコレットに託しており、コレットは、スミスが鍵を握るのではないかと考えていたのである。しかしスミスには、それを書いた記憶がなかった。どうやら脳のスキャン後に書いた作品らしい。スミスとコレットは手掛かりを求めて図書館外で調査を始めるが、事態は思わぬ方向に動く。

 蔵者の設定はインパクト抜群だが、それ以外はとても落ち着いた色調で進む。テクノロジーは進歩しているものの現代と乖離(かいり)しておらず、世相も落ち着いている。本書で紹介される未来の文学作品は、古典SFその他実際にある昔の小説へのオマージュが大半で、懐旧の情感がそこここで醸(かも)し出される。またそもそも、作品の読解のために作者本人を復活させる蔵者の発想は、作品と作者とを不可分視する考え方に基づいており、とても古典的だ。

 未来を舞台にした作品だが、小説への愛を語る、懐古的な風情がある。これは恐らく、作者が老齢であることとも無関係ではない。しかしだからこそ、スミスの感情、感傷、台詞や、出会う人々とのやり取りが、静かに胸に染み入ってくるのだ。血気盛んな若人の筆ではなく、酸(す)いも甘いも噛み分けた老人の練達の筆致だと思う。ハードボイルドの定石を外していないのも特色で、モノローグであんなに色々感じたことが書かれているにもかかわらず、事件の真相はいきなり言う辺り、現代ハードボイルドの探偵役という感じがする。こういった律儀な要素はチャーミング・ポイントとなり得る。

 ジーン・ウルフはSF/ファンタジーの大家であり、《新しい太陽の書》シリーズや、『ケルベロス第五の首』『ピース』などが有名だ。いわゆる《信用できない語り手》を愛用し、登場人物が最後まで気付かない真相を隠すなど、深読みすればするほど作品世界が広がる小説を多数書いており、懐疑的なミステリ読者なら親和性が高いと思われる。『書架の探偵』が気に入ったら、他の作品にも是非トライしてほしい。

 書き物にまつわるミステリとしては、E・O・キロヴィッツ『鏡の迷宮』(越前敏弥訳 集英社文庫 760円+税)もキラリと光る。文芸エージェントに送られた、未完成の自叙伝は、過去の殺人事件(?)の顛末を示唆(しさ)していた。しかし著者は既に亡く、関係者が背景を調べ始める。

 語り手がエージェント、記者、元警察官と移り変わり、その度に調査手法は切り替わる。関係者の証言の食い違いが、じわじわと本筋に効いてくる構成は、とてもよく考え抜かれている。登場人物の性格描写も非常に上手(うま)く、どういう人物かイメージしやすい。それだけに、それが覆(くつがえ)される瞬間(結構多い)は鮮烈だ。派手さはないが印象的な作品と言えるだろう。

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■酒井貞道(さかい・さだみち)
書評家。1979年兵庫県生まれ。早稲田大学卒。「ミステリマガジン」「本の雑誌」などで書評を担当。

(2017年9月22日)



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