海外ミステリ出張室

2017.01.27

『ミステリーズ!80号』(2016年12月号)書評 酒井貞道[翻訳ミステリ]その2

『その女アレックス』『悲しみのイレーヌ』で大評判をとった、ピエール・ルメートルのカミーユ警部三部作の完結篇、『傷だらけのカミーユ』(橘明美訳 文春文庫 840円+税)も、期待のシリーズの新作という点では共通する。

 カミーユの新たな恋人、アンヌが強盗に襲われて重傷を負った。カミーユはアンヌが知り合いであることを隠し、自分で捜査を担当し、犯人を捕まえようとする。

 ばれたら懲戒ものの禁を犯してまで、大切な恋人の復讐をしようとするカミーユの必死さは、前二作を読んだ者の胸を打たずにはおかない。そして、この違反行為によって、「上役に知られたらお仕舞」というサスペンスが生まれている点に注目すべきだろう。強盗犯の「おれ」が一人称でアンヌを再び付け狙うパートも重要で、《ただの強盗致傷犯に見えるが、他にも何かありそう》という予感を序盤から惹起(じゃっき)し、読者を飽きさせない。これらの工夫、まことに天晴(あっぱれ)だと思う。 そして、終盤で物語に強烈なツイストとドライブをかけて、意外な真相を提示してみせるのだ。前二作で、このシリーズに対する意外性の要求水準は、読者側ではかなり高まっていたはずだが、それに十分応える内容と言ってよい。本書は『その女アレックス』と同様に、イギリス推理作家協会賞のインターナショナル・ダガー賞を受賞した。それも納得の出来栄えというほかない。

 もう一作、 どうしても触れておきたいのが、 簡素にして切れ味鋭い珠玉のノワールとして仕上がった、 ジョー・ネスボの『その雪と血を』(ハヤカワ・ミステリ 1,400円+税)である。

 殺し屋のオーラヴは、麻薬業者でボスのホフマンから、歳の離れた妻コリナを殺せと依頼される。ところがオーラヴは、コリナを見たとたん恋に落ちてしまう。そして、若い男がコリナに暴力を振るう場面――しかもそれが初めてではなさそうだった――を目撃してしまう。オーラヴはこの男の後をつけて殺害する。

 ストーリーは、起伏には富むものの、ノワールと称される作品にはよくある展開を見せる。運命の女(ファム・ファタル)との邂逅(かいこう)、 血なまぐさい犯罪、運命による翻弄(ほんろう)と、定石(じょうせき)はしっかりおさえられている。最終章を除き、主人公オーラヴの一人称で一貫することもあって、作りは非常にシンプル、読みやすいとすらいえよう。だが、盛り込まれた詩情の豊かさと鋭さは比類ない。

 鍵を握るのは、主人公オーラヴの人物造形である。月並みな言い方をすれば、彼は内面に虚無を抱えている。彼は殺し屋だが、半端者で他の何者にもなれなかったゆえ、仕方なく(「仕方なく」に傍点入る)殺し屋になっているのだと自認している。また、コリナに溺れながらも、オーラヴの頭は必ずどこかが醒(さ)めている。これらの、妙に虚(うつ)ろな姿勢の理由は、彼の過去にある。詳述は避けるが、これに関連した、父や母とのエピソードは、恐らくほとんどの読者の胸を打つ。

 詩的だが贅言(ぜいげん)を尽くさない簡潔な文章も素晴らしい。親子。雪。血。夜。死。それらのモチーフが、冬の透き通った空気感の中で鮮やかに浮かび上がり、ときにユーモアを、ときに哀感を掻き立てる。ジョー・ネスボは、文章にせよ内容にせよ、悪く言えば書き過ぎ、良く言って盛りだくさんな傾向があった。しかし本書では真逆(まぎゃく)に転じて、余剰物を削り、全体を絞って、小説を結晶化する勝負に出た。そしてあの、あまりにも印象的な幕切れ! こんな抽斗(ひきだし)もある作家だったのだ、この人は。

(2017年1月27日)



ミステリ小説の月刊ウェブマガジン|Webミステリーズ! 東京創元社
バックナンバー