海外ミステリ出張室
2010.12.15
小森収/シャーロット・アームストロング『魔女の館』解説[全文](2/2)[2010年12月]
しかしながら、シャーロット・アームストロングがサスペンスの女王として紹介され、受容されてきたことは、まぎれもない事実です。そこで、日本での受け入れられ方の変遷を見てみましょう。アームストロングの小説は、3つの時期に分けて翻訳されてきました。
第1期(1956~59年)
1956年『疑われざる者』(46年原著刊行。以下同様)衣更着信訳 ハヤカワ・ミステリ
1958年『夢を喰う女』
(55年)林房雄訳 東京創元社クライム・クラブ
『毒薬の小壜』(56年)小笠原豊樹訳 ハヤカワ・ミステリ
1959年『悪の仮面』(57年)高城ちゑ訳 東京創元社クライム・クラブ
第2期(1990~2000年)
1990年『始まりはギフトショップ』(67年)藤村裕美訳 創元推理文庫
1995年『あなたならどうしますか?』(57年)白石朗他訳 創元推理文庫
1996年『魔女の館』(63年)近藤麻里子訳 トパーズプレス
1998年『サムシング・ブルー』(62年)森茂里訳 創元推理文庫
『ノックは無用』
(50年)藤瀬恭子訳 小学館文庫
2000年『見えない蜘蛛の巣』(48年)安野玲訳 小学館文庫
第3期(2010年~)
2010年『風船を売る男』(68年)近藤麻里子訳 創元推理文庫
注釈を加えておくと、『悪の仮面』は、短篇集 The Albatross の抄録版で、のちに『あなたならどうしますか?』として完訳されました。また、『毒薬の小壜』と『疑われざる者』は、77年と82年にハヤカワミステリ文庫に入り、その際『疑われざる者』は沢村灌の訳になりました。
まず、50年代に同時代の作家として、アームストロングは紹介されました。しかし、仮に『毒薬の小壜』までで一区切りするとしても、そこまでの11冊の長編のうち、3冊しか翻訳されていません。これではその全貌が伝わるべくもありませんでした。それでも『毒薬の小壜』が代表作のサスペンス小説家という評価が一応定着しました。
それから30年あまりが経って、アームストロングが没したのちに『始まりはギフトショップ』が創元推理文庫から刊行されました。しかし、このときは、ミステリ史上に残る過去の作家の名作を翻訳するというスタンスではなかったようです。ヤングアダルトの読者あたりを意識して、ライトな冒険物語を出してみようという気配が濃厚でした。30年ぶりの大家の作品紹介であるにもかかわらず、解説には、さしてミステリに詳しいとも思えなかった、本の雑誌でコバルト文庫を毎月取り上げていた書評家に声がかかりました。ただし、その戦略は半分は正しくて、事実『始まりはギフトショップ』は、クリスティのトミーとタペンス(『秘密機関』)あたりの流れをくむ、ユーモアに重きのおかれた冒険譚でした。しかし、最晩年に書かれたこの作品は、30年に及ぶキャリアの果てに到達した地平でもありました。このときのアームストロング像と、50年代のアームストロング像との距離を埋める必要があったことも確かでしょう。
その後の10年間に訳されたアームストロングを読むことで、『毒薬の小壜』が彼女の代表作であるのみならず、おそらくは画期となった作品であろうと、私は判断しています。
『毒薬の小壜』以前の『疑われざる者』『見えない蜘蛛の巣』『夢を喰う女』に共通するのは、自らが意識して悪を為す明快な悪役、悪を体現する人間が登場することです。典型は『疑われざる者』でしょう。いみじくも、新保博久は『見えない蜘蛛の巣』について「女性版『疑われざる者』」と、その解説で表現しました。続けて「悪役が迫力において一歩譲る」として「その反省により、より恐ろしい女性を描くべくして次作『ノックは無用』が生れたのだろう」と指摘しています。私は、むしろ、アームストロングは、悪を体現した人間を描くといったことが、そもそも不得手な人だったと考えています。『疑われざる者』の犯人にしても、迫力があるとは思えません。お世辞にも良い訳とは言えないポケミス版で、私は『疑われざる者』を読みましたが、それを差し引いても、凡作でしかないと考えています。主人公側を考えると分かりやすいかと思いますが、アームストロングは人間を自らの意志で行動するものとして描きます。しかし、そうした筆では、彼女の場合、迫力ある悪役は描けない。アームストロングの初期の試行錯誤は、この点にあったと思います。
一転して、自らの積極的な意志が薄弱な、ある種投げやりな悪意を描くことで、『ノックは無用』は成立しました。さらに、悪の存在さえ不要なものとして『毒薬の小壜』が書かれました。後者の方が、アームストロングに向いていたことは、結果が示しています。ただし、何度も使える手ではないことも確かです。以後、『サムシング・ブルー』のディック、そして本書『魔女の館』の双子の兄妹と、アームストロングの描く悪の在り方が、複雑な性格を帯びてきているのを、見てとることが出来るでしょう。
こうした悪役の在り方の進化は、実は主人公側の進化と並行していたのではないかというのが、いまの私が温めている仮説です。
すでに『疑われざる者』のマチルダという娘の描き方に、その萌芽を見ることが出来ますが、アームストロングの女性の登場人物には、自立への希求があります。『サムシング・ブルー』の解説でも書いたように、『サムシング・ブルー』のヒロインのドロシーや本書のアナベルは、職業を持つという意味での経済的自立はしないかもれませんが、主体的に行動するという自立することの爽快さを持つ点では、ひところ流行した女性私立探偵の比ではありません。また、彼女たちならば、夫の経済力が、あるいは夫そのものが頼れなくなっても、きっと乗り切ることでしょう。『風船を売る男』のシェリーのように。逆に、ともに冒険に乗り出した男が大富豪の一族であっても、ものおじせずにパートナーとしてやっていけるでしょう。『始まりはギフトショップ』のジーンがそうであるように。
本書でアナベルに敵対するのは双子の兄妹ですが、このふたり以上に無視出来ないのが、彼女のそばにいて常に彼女にネガティヴな姿を曝し続けるヴィーの存在です。アナベルが打ち勝たなければならないのは、困難な状況でも、セシルの策略でもなく、ヴィーのネガティヴな生き方なのです。『ノックは無用』のジェドは、ガールフレンドには善意の無効をしたり顔で説きながら、実際に善意のかけらもない怪物のようなベビーシッターの前では、なす術がありませんでした。『魔女の館』の冒頭で、ヴィーが双子の兄妹に無力なように。そこではシニシズムは通用しません。『ノックは無用』にも見られたこの特徴が、ヒロインが冒険に乗り出し、ヒロインによって打ち負かされることで、ポジティヴな勝利をもたらす。『魔女の館』の美点はそこにあります。さらに言えば、ヒロインと相似形の人間でありながら、ヒロインの持つ前向きさに欠ける人間が敵として現れるのが『風船を売る男』でしょう。死の前年のこの小説で、アームストロングは、くり返し描き続けたモチーフを、ひとりのヒロインとひとりの敵役の対決に集約してみせました。それが『風船を売る男』のシェリーがひとりで戦う理由なのでしょう。
もっとも、晩年のアームストロングが到達したのは、孤独なヒロインだけではありません。むしろ、『始まりはギフトショップ』のように〈自立したヒロインが受け入れられる家族〉への関心があったようです。そういう意味から、次に私が読みたいのは、中東のある国(反米勢力を国内に抱えている)の皇太子が心臓病にかかり、その手術ができる医者と彼の一族が事件に巻き込まれるという話であるらしい、しかも、アントニー・バウチャーが「国際政治とアメリカンファミリーにある複雑さとの絶妙なバランスは、簡単には要約できない」と評する67年の作品 Lemon in the Basket なのです。
■小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』
翻訳サスペンスの専門出版社|東京創元社 Webミステリーズ!
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